「ヤマナカが進歩させた」=共同受賞のガードン博士-京大から日本人研究 | 再生医療が描く未来 -iPS細胞とES細胞-

「ヤマナカが進歩させた」=共同受賞のガードン博士-京大から日本人研究

山中伸弥京都大教授との共同受賞が決まった英ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士(79)は、細胞の「初期化」研究のパイオニア。山中教授の人工多能性幹細胞(iPS細胞)について、「同じ研究分野をヤマナカが進歩させた。すごい業績だ」と話していたという。
ガードン博士の研究室に所属する日本人研究員宮本圭さん(31)は「発表直前に受賞の電話を受けたらしいが、僕らに隠して普段通り研究の話をしていた。発表後たくさんの人が押し掛けてきて初めて知った」と明かした。
定年後も同大で研究を続けるガードン博士。宮本さんは「とても謙虚な人で、毎日ずっと研究のことを考えている。僕らメンバーとも常に議論し、本当に尊敬すべき人だ」と評する。
(時事ドットコム)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012100800439

山中さん受賞に“腹心”の活躍
ことしのノーベル医学・生理学賞の受賞者に、体のさまざまな組織や臓器になるとされる「iPS細胞」を作り出すことに成功した京都大学教授の山中伸弥さん(50)が選ばれました。iPS細胞の開発には山中さんが“腹心”と呼ぶ共同研究者たちの活躍がありました。
このうち、山中さんが初めて構えた研究室で大学院生としてともに研究に当たったのが京都大学iPS細胞研究所で講師を務める高橋和利さんです。
高橋さんは体の細胞を受精直後のような状態に初期化して、万能細胞を作り出すという山中さんの研究テーマを実現するため、ひたすら実験を繰り返したと言います。受精卵を壊して作る万能細胞で特徴的に働いている遺伝子を探し出し、24の遺伝子を細胞の核に移すと体の細胞が初期化することを突き止めました。
この24の遺伝子をさらに絞り込む過程で、高橋さんは、山中さんが講演などで「天才的なこと」と紹介するアイディアを持ち出します。
24の遺伝子を1つずつ減らして細胞の初期化が可能か実験を繰り返し、初期化に本当に必要な遺伝子を確かめていくという発想です。これによって特定されたのが、iPS細胞を作り出す4つの遺伝子「山中ファクター」でした。
高橋さんは、山中さんが絶大な信頼を寄せる共同研究者としてiPS細胞を実際の医療に応用する研究を続けています。
山中さんは8日の記者会見で一緒に研究を続けてきた高橋さんたち仲間について、「研究室のメンバーに恵まれたことは本当にラッキーだった。奈良先端科学技術大学院大学にいたころは、1人で研究する場面が多くつらかったが、メンバーに元気をもらった。一緒に研究している200名余りのみんなの頑張りに頭が下がる」と話し、感謝の思いを伝えていました。
(NHKニュース)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121009/t10015599611000.html

パーキンソン病患者 研究加速に期待
iPS細胞を使った治療の研究が進んでいるパーキンソン病の患者からは、山中教授の研究がさらに加速することを期待する声があがっています。
全国パーキンソン病友の会の会長を務める、東京・大田区に住む、中村博さんは(62)、15年前にパーキンソン病と診断されました。
自分の意思に関係なく手が震えたり、足を前に踏み出すことができず引きずってしまったりという症状が年々進行し、8種類の薬を毎日服用していますが、症状を緩和するだけで完治するわけではありません。
中村さんは、山中教授のiPS細胞の研究が進むことで新たな治療法につながることを期待しています。
中村さんは「山中教授の話しぶりは穏やかで物静かだが目標を定めたら必ずやりとげるという意思を感じ、非常に期待しています。ノーベル賞の受賞が契機になってさらに研究が進むことを望みたい」と話しています。
全国パーキンソン病友の会がことし6月に開いた総会には、山中教授が忙しいスケジュールを調整して講演をしに駆けつけ、患者や家族300人が最新の研究状況に耳を傾けたといいます。
全国パーキンソン病友の会は、こうした交流を通して、iPS細胞の研究が少しでも早くパーキンソン病の治療の実用化につながるよう、会員に研究費の寄付を募って山中教授を支えようと活動しています。
中村さんは、「全国に15万人から20万人いる患者たちは、iPS細胞での完治につながる治療法の開発が生きる希望になっています。患者としてもできるかぎり研究に協力をし、山中教授と一緒に歩んでいければと思います」と話していました。
(NHKニュース)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121008/k10015596391000.html

ノーベル賞受賞 各地で喜びの声
ノーベル医学・生理学賞の受賞者に京都大学教授の山中伸弥さんが選ばれたことに、東京・渋谷でも喜びの声が多く聞かれました。
高校3年生の男子生徒は「ニュースなどで見てすごい研究だと思っていたので受賞者に選ばれたと聞いてうれしく思います。今後の医療の発展につながるよう期待しています」と話していました。
大学4年の女子学生は「iPS細胞についてはあまりよくは知りませんが日本人からノーベル賞の受賞者が出たことをとてもうれしく思います」と話していました。
恩師“研究のインパクトが強かった”
山中伸弥教授がまだ無名だったころ、その研究の意義を認め研究費を出すなど支援した大阪大学の岸本忠三特任教授は、「画期的な原理原則を見つけたのでもらって当然だと思う。突拍子もない考え方だがうまくいけば偉いことやなと研究の支援をした。研究は研究自身とやる人のインパクト。そのインパクトがやはり強かった。この研究はいいなあと一番最初に思った1人ですので受賞は非常にうれしいと思います」と話しています。
iPSの研究仲間も祝福
山中さんが以前、所属し、iPS細胞を作り出す基礎となる研究を行った奈良先端科学技術大学院大学では学長などが会見し、祝福のことばを述べました。
ノーベル賞の受賞が決まった山中伸弥さんは、平成11年、37歳の時に奈良県生駒市にある奈良先端科学技術大学院大学の助教授となりました。
ここで初めて独立した自分の研究室を持ち、生物の体を形づくる細胞からさまざまな組織や臓器になる細胞を作り出す「細胞の初期化」をテーマに研究を進め、のちにiPS細胞を作り出す土台を築きました。
平成15年には教授に就任し、よくとし、京都大学に移るまで、この研究機関を拠点に研究活動を進めました。
会見の中で奈良先端科学技術大学院大学の磯貝彰学長は、「山中先生がiPS細胞の研究を進めた大学の学長として、大変うれしく、めでたく思います。山中先生をはじめ、一緒に研究にあたった人に心からお祝い申し上げます。山中先生は本学の誇りです」と祝いのことばを述べました。
また、山中さんが所属した「遺伝子教育研究センター」のセンター長を務めていた河野憲二教授は、「成果が出るのにもっと時間がかかる研究だと思っていた。これだけ早いスピードで研究が進むのを見たのは初めてだった」と述べました。
そのうえで、「山中先生がこの大学にいたときのことはつい先日のように思い出されます。ノーベル賞の受賞は自分のことのようにうれしいです」と喜びを述べました。
奈良先端科学技術大学院大学は、iPS細胞を作り出した功績から、おととし山中さんに「栄誉教授」という称号を授与しています。
(NHKニュース)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121008/k10015594081000.html

患者会“感無量 実用化を期待”
ことしのノーベル医学・生理学賞の受賞者に京都大学教授の山中伸弥さんが選ばれたことについて、iPS細胞を使った治療法の研究が進んでいるパーキンソン病の患者会の中村博会長は、「パーキンソン病の患者はこれまで治療法がなかったが、iPS細胞で治療ができるようになることに大きな期待を寄せている。山中先生がノーベル賞を受けられたことは、私たちも自分たちのことのように感無量でうれしく、おめでとうございますと伝えたい。今回の受賞によって、実用化に向けての研究が加速度的に進むことを期待したい」と話しています。
(NHKニュース)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121008/k10015594231000.html

山中さんの受賞 米主要紙も評価
ことしのノーベル医学・生理学賞の受賞者に、京都大学教授の山中伸弥さんが選ばれたことについて、アメリカの主な新聞も電子版で速報しています。
このうち、ウォール・ストリート・ジャーナルやワシントン・ポストは、山中さんの写真を大きく掲載し、山中さんと共同受賞者のガードンさんの研究は「クローンをつくることから、病気の治療の可能性まで、ありとあらゆる分野に進歩の波を作り出した」などと賞賛しています。
また、ニューヨーク・タイムズは、山中さんと共同受賞者のジョン・ガードンさんが成し遂げた発見を「歴史上画期的」と称えるとともに、山中さんが作った「iPS細胞」は、「医療の発展に恩恵をもたらす潜在力がある」と評価しています。
また、ロサンゼルス・タイムズは「iPS細胞」がどのように作られたのか、図などをつかって解説したうえで、山中さんの発見が世界の生命科学の研究の飛躍的な進歩につながったとしています。
ロシア国営テレビも高い関心
ことしのノーベル医学・生理学賞の受賞者に、京都大学教授の山中伸弥さんが選ばれたことについて、国営のロシアテレビもニュースで大きく扱い、高い関心を示しています。
国営ロシアテレビは、8日、山中さんと共同受賞者のジョン・ガードンさんの研究について、これまでの研究の経緯や成果を詳しく紹介しながら「2人の発見は移植医療における革命と呼ばれている」と評価しました。
さらに、がんの治療などで応用が期待できるとして「将来、再生医療の分野で理論上、不可能なことがなくなる」とも指摘し、今後も大きな可能性を持つ研究結果だとして、山中さんたちの業績をたたえました。
(NHKニュース)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121009/k10015600121000.html

ノーベル医学生理学賞 「iPS細胞」作製の京大・山中教授ら受賞
2012年のノーベル医学生理学賞に、iPS細胞(人工多能性幹細胞)を世界で初めて作製した京都大学教授の山中伸弥さん(50)ら2人の受賞が決まり、山中教授が8日夜、喜びの会見を開いた。
山中教授は「私が受賞できたのは、日本という国に支えていただいて、日の丸のご支援がなければ、このように素晴らしい賞は受賞できなかったと、心の底から思いました」と語った。
受賞が決まったのは、山中教授とイギリス・ケンブリッジ大学のジョン・ガードン名誉教授の2人。
山中教授は、2007年にヒトの皮膚の細胞から体のさまざまな組織や臓器を作り出すことができるとされるiPS細胞を世界で初めて作製した。
山中教授は「今、難病で苦しんでおられる方、本当にたくさんの人がiPS細胞だけではなく、いろんな技術を使って一生懸命研究しているので、苦しい大変なご苦労をされていると思いますが、希望を捨てずにいていただきたい」と語った。
また、山中教授は「これからの発展への期待の意味も大きいと思うので、それに報いるように取り組みたい」と述べた。
(FNNニュース)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00233123.html

ノーベル賞に山中伸弥教授 各方面から喜びの声
8日に発表された2012年のノーベル医学生理学賞に、京都大学の山中伸弥教授(50)の受賞が決まった。
山中教授のノーベル賞受賞について、喜びの声が各方面から入っている。
iPS細胞(人工多能性幹細胞)開発から、6年のスピード受賞。
この快挙に、街の人は「早く利用されてね、病気が治るといいですよね」、「まだまだもっと発展すれば、もっと万能の細胞になるっていうことなんで、もっと今後に期待したいと思います。最近ちょっと、日本はあまりいい話がないんで、良かったと思います」などと話した。
教え子からも、そのスピードには驚きの声が聞かれた。
教え子は「『とるぞ』、『とるんじゃないか』って話は、ずっとここ何年かあったんですけれども、まさかこんなに早いとは思っていなかったので」と話した。
京都大学の山中教授の研究所前にいた学生は「ノーベル賞の財団のウェブサイトを見ながら張りついていて、『シンヤ・ヤマナカ』って言われた時にバッとこっち来て。(ここで何を?)いや、山中先生がここ通ったりしないかなと思って」と語った。
研究所のスタッフは「早く臨床に結びつけていきたいという、いくんだという、強い思いを熱く語っておられたというのが。よりこれから責任感を持って、仕事に努めていきたいと思っております」と話した。
祝福の声は、会見中の山中教授にも届いた。
電話の相手は、田中 真紀子文科相で「このたびは、本当におめでとうございます。お喜び申し上げます」と述べていた。
田中文科相は、山中教授の快挙に対する感想について、「人類の幸せに、日本の研究者が貢献できるということは、すばらしいというふうにあらためて思います」と述べた。
また、野田首相は「心から敬意を表するとともに、日本人の1人として誇りに思う」などのコメントを発表した。
日本中に誇りと喜びをもたらした受賞の知らせ。
その瞬間について、当の山中教授は「洗濯機がガタガタ音がするので、それを直そうと思って、座り込んで洗濯機を動かそうとしておりましたら、携帯電話が鳴りまして」と語った。
山中教授は1962年、大阪生まれの50歳。
神戸大医学部を卒業後、整形外科の研修医として勤務したが、基礎研究の道を志すと、アメリカでの研究を経て、iPS細胞の研究に取り組んだ。
そして2006年、マウスの皮膚細胞からiPS細胞を作り出すと、翌年には人間でもiPS細胞の作製に成功し、世界に衝撃を与えた。
2007年、山中教授は「ある意味、本当に人工的な細胞でありまして、どこにも存在していません。この細胞を作ったのは、患者さんの役に立つためだけに作った細胞ですから、これからの研究がもう本当に正念場ですので」と述べていた。
2009年には、ノーベル賞の前哨戦ともいわれるラスカー賞に輝くなど、ノーベル賞受賞の期待は高まっていた。
2009年、山中教授は「トロフィーがすごく重かったので、本当にこの賞の重さというのをある意味、実感しました」と語っていた。
山中教授は、開発成功からわずか6年で、世界最高権威の医学賞をつかんだ。
共同受賞者のケンブリッジ大学、ジョン・ガードン博士は、山中教授について、「彼の業績がなければ、わたしの研究は注目されなかった。彼には、とても感謝している」と語った。
山中教授にノーベル賞をもたらしたiPS細胞。
2006年から、山中教授と共にiPS細胞の共同研究を行う慶応義塾大学の岡野栄之教授は、iPS細胞のヒトへの応用に期待を寄せる。
岡野教授は「今度は実際の患者さんの再生医療に使うとかですね、あと病気の原因の解明をするとか、実際にそれを使って薬を開発すると。これは私たち自身、アルツハイマー病、あるいはパーキンソン病の患者さんからiPS細胞を作ることに成功しておりまして、どうやって薬を作るのかというところも、大きく変わりつつあります」と語った。
しかし、iPS細胞から卵子や精子を作り、受精させることへの倫理的問題など、解決すべき課題は多い。
岡野教授は「今後倫理的な問題としましては、どういう方からiPS細胞作ってという、プライバシーがどこまで守られるかということと、実際医療への安全性、そういったことがポイントになるんじゃないかと思います」と語った。
再生医療への応用や、新たな治療法の開発などに大きな期待が寄せられているiPS細胞。
今後、その課題をどう克服していくのか。
(FNNニュース)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00233112.html

ノーベル医学生理学賞・山中伸弥京大教授に話を聞きました。
2012年のノーベル医学生理学賞で、iPS細胞(人工多能性幹細胞)を世界で初めて作製した京都大学の山中伸弥教授(50)ら2人が受賞しました。
山中伸弥教授に話を聞きました。
(受賞した瞬間の率直な感想、どのように感じましたか?)
やっぱり、びっくりしました。まだまだですね、仮に受賞することがあったとしても、将来の話だと思っておりましたので、きょう(8日)も全く予想せずに、家で関係ないことをしておりましたので、本当に携帯が鳴って、そこからスウェーデンなまりの英語が聞こえてきた時は、びっくりカメラじゃないかなと思いました。
(いろいろある中で、iPS細胞の研究にテーマを定めたのは、なぜですか?)
iPS細胞のお父さんというか、お母さんというか、ES細胞という細胞があるんですね。アメリカで研究、昔していたんですが、その時にES細胞という細胞の研究を始めて、日本に帰ってきて、自分の研究室を持ったんですけども、そこで何をするかという時に、ES細胞の持っている問題点を克服しようと思って、じゃあiPS細胞を作ろうと。その時、iPSという名前はなかったですけども、ちょっと難しいかもしれませんが、そういう始め方でした。
(卵子を使用しなければいけないというような、倫理上の問題というのは、やはりあったわけですか? ES細胞の場合は?)
そうですね。受精卵から作るのがES細胞ですので、その点を克服して、患者さんご自身の体の細胞から作ろうと。たぶん無理だとは思ったんですが、やけくそでやってやろうというのが、最初のきっかけでした。
(振り返ってみて、最も難しかった部分は、どんなところですか?)
最も難しかったのは、やけくそで始めたプロジェクトにですね、学生さんを説得して、そのプロジェクトをしてもらうということが、一番難しかったです。
(どうやって、その難しい部分を学生さんと一緒に乗り越えていかれたのですか?)
その学生さんが結局、iPSを作った高橋和利君という学生さんで、今うちの研究所の講師をしていますが、いろんな困難がありましたが、やはり彼が非常に楽天的というか、実験が大好きでですね。失敗にめげずに、どんどんどんどん前に行くと。僕だけだったら、きっと途中で挫折していたと思うんですが、そういった高橋君をはじめとする仲間、ずいぶん僕より若い仲間ですけれども、そういった人たちに支えられて、ここまで来ました。
(iPS研究のゴールは、どんなところにあるのですか?)
ゴールは臨床応用です。iPS細胞という技術で今治らない、治せない難病をはじめとする、いろんな患者さんのところに持っていく、そういった方々の福音となる技術にしたい。それがゴール、ビジョンであります。
(山中教授は学生時代、研究熱心だったのですか? どんな学生だったのでしょうか?)
学生時代は、私は医学部に入ったつもりだったんですが、周りからは「お前は医学部じゃなくて、ラグビー部だ」とよく言われていたように、ほとんど大学というか、大学には行っていたんですが、グラウンドに行って、クラス、教室には行かなかったと、そういう学生でした。
(最初は臨床医としてキャリアを始められたということですが、なぜその後、基礎研究の分野に転身されたのでしょうか?)
整形外科医になったんですが、本当のまずかっこいい理由は、整形外科医を辞めたかっこいい理由は、やはり臨床医では治せない病気やけがはたくさんあると。そういうのを治せるのは、将来治せるとしたら、基礎医学であるという思いから転身、転身というか、キャリアを変えました。それはかっこいい理由なんですが、かっこ悪い本当の理由はですね、手術が下手だったというのが、実は本当の理由であります。
(研究者の方というと、ストレートにそのテーマに向かわれたのではないかというイメージを持ちがちなのですが、山中教授の場合はかなりう回といいますか、いろんな紆余(うよ)曲折があったのですね?)
そうですね。最初に研究し出したのは、血圧の研究だったんですが、血圧の研究から、今度は動脈硬化の研究を始めまして、動脈硬化の研究をしているはずが、研究結果が意外な結果が出て、がんの研究をし出して。で、がんの研究を今度したつもりが、また研究結果が意外な結果で、気がついたら、今の幹細胞の研究、再生医学の研究を始めたと。研究結果に引っ張られてここまで来た、そういう研究者人生でした。
(山中教授が持っている科学者としての理念、これまで生きてこられた中から、どういうふうに考えていますか?)
僕はたくさんの先生に教えてきていただきました。尊敬している先生、たくさんいますが、やはり1番の先生は、自然そのものだと思っています。研究・実験をやって、自然に問いかけると、思いもしないことを自然が教えてくれる。それを見逃さない、それを大切にするのが、とても大切だと思っています。
(日本人のノーベル賞受賞は、決してまだ多くはないと思いますが、世界の重要な分野で日本人が活躍するために、今日本で求められているのは、どんなことだと思いますか?)
いろんなことが必要ですが、僕はやはりですね、世界に出ていく。世界の人と、ファーストネームで呼び合える仲になる、お酒を飲んで仕事以外の話もする。そういうことが、やはり人間と人間ですから、いくらインターネットとかEメールがあっても、行かないとだめです。
(若い研究者がこのあと続いていくと思いますが、伝えたいことはどういうことがありますか?)
先生の言うことを信じない、教科書を信じない、それに尽きると思います。私の言うことも信じない。うちの学生は信じないですけれども、いいことだと思います。
(FNNニュース)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00233111.html

ノーベル賞に山中伸弥教授 25年前に受賞の利根川 進教授も祝福
2012年のノーベル医学生理学賞に、iPS細胞(人工多能性幹細胞)を世界で初めて作製した京都大学教授の山中伸弥さん(50)ら2人の受賞が決まった。
25年前、日本人として初めて医学生理学賞を受賞したマサチューセッツ工科大学の利根川 進教授は、山中教授の受賞は「以前から確信していた」と祝福している。
利根川教授は「(山中教授の受賞について)良かったと思っています。おめでとうと申し上げたい。山中さんが受賞されることは、僕は確信していた。あとは、いつそれ(受賞)が来るかというだけのことで、わりと早かったですね。(日本人の25年ぶりの医学生理学賞受賞について)ちょっと、肩の荷が下りたような気がしている」と語った。
今回の受賞について、政界からもお祝いの言葉が相次いでいる。
田中文科相は「人類の幸せに、日本の研究者がですね、貢献できるということは、素晴らしいというふうにあらためて思います」と述べた。
前原科学技術担当相は「日本人が世界の方々の命とか、あるいは誇りとか生きがいとか、そういうものをバックアップできる、その元を発明された山中先生の偉業に、あらためて心から敬意を表し、祝福をさせていただきたいと思います」と述べた。
また、野田首相は「心から敬意を表するとともに、日本人の1人として誇りに思う」とお祝いのコメントを発表し、記者会見前には山中教授に電話し、「日本国民みんなを元気にするような受賞で、国を代表してお祝いする」などと、直接祝福の言葉を伝えた。
(FNNニュース)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00233122.html

ノーベル賞共同受賞のガードン教授、山中教授に「感謝している」
2012年のノーベル医学生理学賞に、iPS細胞(人工多能性幹細胞)を世界で初めて作製した京都大学教授の山中伸弥さん(50)ら2人の受賞が決まった。
山中教授と共同受賞したイギリス・ケンブリッジ大学のジョン・ガードン名誉教授が、ロンドン市内で受賞の喜びを語った。
ガードン氏は「山中教授の研究がなければ、わたしの研究は日の目を見なかった。彼には感謝している」と語った。
ガードン氏は、1962年に核移植の技術によってクローンカエルを実現させ、今回山中教授との共同受賞となった。
ガードン氏は2週間後、アメリカで山中教授に会う予定で、「山中教授から、親切にも研究所に招待されたことがある。さっそく、メッセージを送りたい」と話していた。
(FNNニュース)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00233121.html

共同受賞の英博士「山中さんのおかげ」
山中伸弥教授とノーベル医学・生理学賞を共同受賞することが決まったイギリスのジョン・ガードン博士は、受賞は「山中教授のおかげ」だと語りました。
イギリス・ケンブリッジ大学のジョン・ガードン名誉教授は8日、ロンドンで記者会見を開き、旧知の間柄だという山中教授との共同受賞は大きな喜びだと語りました。
「山中教授におめでとうと言いたいけど、今朝はだいぶ忙しかったからね・・・」(ケンブリッジ大学 ジョン・ガードン名誉教授)
ガードン教授は50年前、核移植の技術を使ってオタマジャクシのクローンを作成することに成功し、山中教授の研究の基礎を作りました。しかし、当時はその技術を再生医療に活用できるとは思っていなかったといいます。
「今回の受賞は間違いなく山中さんのおかげです。2006年の山中さんの発見によって、1950年代、60年代の私たちの研究が再び注目されるようになりました。私たちの研究の重要性は当時は理解されず、以来、ある意味で眠っていたのです」(ケンブリッジ大学 ジョン・ガードン名誉教授)
大学進学前は成績が悪く、教師には「科学者になろうなんて馬鹿げている」と言われたというガードン氏。30歳前後であげた研究成果は山中教授らに引き継がれ、79歳となった今、大きな花を咲かせました。
(TBS News i)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5151712.html

山中教授と同時受賞のガードン氏、喜び語る
iPS細胞(=人工多能性幹細胞)を開発した京都大学「iPS細胞研究所」所長・山中伸弥教授(50)と今年のノーベル生理学・医学賞を同時受賞することになったイギリス・ケンブリッジ大学のジョン・B・ガードン教授が8日、ロンドンで喜びを語った。
ガードン教授は「受賞はけさ聞いた。7時半にイタリアの新聞から電話があって知らされた。驚いた」「山中さんの仕事は大きな突破口となりました」と話した。
ガードン教授と旧知の仲だという山中教授は、日本時間8日夜に行った会見で、「今回、ジョン・ガードン先生と受賞させていただくというのは、それが一番うれしいと言っても過言ではありません」と話した。
(読売テレビ)
http://www.ytv.co.jp/press/international/TI20089659.html

日本人19人目のノーベル賞 iPS細胞・山中伸弥教授
今年のノーベル医学生理学賞に京都大学の山中伸弥教授(50)が選ばれました。受賞会見の直前には、野田総理大臣から祝福の電話が入りました。
ノーベル医学生理学賞受賞・山中伸弥京大教授:「日本、日の丸の支援がなければ、このように素晴らしい賞を受賞できなかったことを心の底から思いました」
山中教授は世界で初めて、あらゆる細胞に変化する可能性を持つ「iPS細胞(万能細胞)」を人間の皮膚の細胞に4つの遺伝子を導入するという手法で作製しました。これにより、難病の治療や再生医療の実現に大きく道を開きました。
京大生:「誇りだとは思います」「研究者からすると夢というか、僕らもあとに続いて、社会貢献できればいいと思う」
山中教授は、大教大附属高校天王寺校舎の出身ですが、卒業アルバムには「夢を大事に!」の言葉を記しています。
神戸大学時代の同級生:「筋が通ってまして、竹のようにまっすぐな性格。一つのことを信じてやってきたのが、こういう結果につながった」
また、山中教授に研究用の細胞を提供した兵庫県明石市に住む難病の山本育海さん(14)も受賞を喜びました。
細胞を提供した山本育海さん:「iPS細胞のことが世界中に広まっていくことがすごいと思う」
山中教授は、「一日でも早く医学に応用したい」と話しています。日本人のノーベル賞受賞は、これで19人目となりました。
(テレ朝news)
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/221009000.html

田中大臣“マキコ節”で山中伸弥教授を祝福
田中眞紀子文部科学大臣は山中伸弥教授に電話をかけ、受賞の決定を祝福しました。
田中眞紀子文科大臣:「きょうは本当に我がことのようにうれしく思います。役所を挙げて、また内閣を挙げて、今後も支援させて頂きます」
また、田中大臣は、政治の世界でも「夢を現実にできるようにしたい」と話しました。
田中眞紀子文科大臣:「人類の幸せに日本の研究者が貢献できるというのは、素晴らしいと改めて思います。非常に夢のある、夢を現実にできる、政治もそうでなければいけないと思いました。国を挙げてやるべきところ、予算に強弱をつける。みんな同じようにする金太郎あめではなく、特化するという国家の意思を予算に反映してほしい。山中先生のiPS細胞の研究はその一つ」
(テレ朝news)
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/221009002.html

ノーベル賞決定の山中教授、感想は「感謝」
今年のノーベル生理学・医学賞を受賞することが決まった京都大学・山中伸弥教授(50)が8日夜、同大学で記者会見し、「まさにこれは日本国、日本という国が受賞した賞だというふうに感じています。感想を一言で表現すると、『感謝』という言葉しかありません」と述べた。
山中教授は大阪府生まれ。87年に神戸大学医学部を卒業後、スポーツ医学に興味を持ち、整形外科医を目指していたが、手術が下手なため断念。医師の道を離れ、基礎研究の道へと進んだ。
山中教授は07年、ヒトの皮膚細胞から、筋肉や血液など様々な組織や臓器に成長できるiPS細胞(=人工多能性幹細胞)をつくり出すことに世界で初めて成功。iPS細胞は、ヒトの皮膚などの細胞に「4つの遺伝子」を送り込むことでつくることができる。この業績が評価され、09年には「ノーベル賞の登竜門」といわれるラスカー賞を受賞した。
会見では冒頭、野田首相から山中教授の携帯電話にお祝いの電話があった。その後は、「まさにこれは日本国、日本という国が受賞した賞だというふうに感じています。感想を一言で表現すると、『感謝』という言葉しかありません」「また、家族に心から感謝の意を表したいと思います。私の母は80歳を超えておりまして、その母に報告をできたことが本当によかったと思っています」と喜びを語った。
また、ノーベル賞の受賞決定を知った瞬間について、「家におりまして、洗濯機がガタガタ音がするので、それを直そうと思って、座り込んで洗濯機を動かそうとしておりましたら、携帯電話が鳴りまして、それが英語でありまして、それで知りました」と話した。
さらに、「iPS細胞技術というのは、まだ新しい技術であります。まだ本当の意味で、医学や新しい薬の開発に役立ったと言えるところまできていません。やはり、さらにこれから研究を続けて、一日も早く、本当の意味の社会貢献といいますか、医学応用を実現させたい、させなければならないと、そういう気持ちでいっぱいであります」と語った。
日本人のノーベル賞の受賞は、鈴木章氏と根岸英一氏が化学賞で受賞して以来2年ぶり。生理学・医学賞では87年の利根川進氏以来25年ぶりで、2人目の快挙。
(読売テレビ)
http://www.ytv.co.jp/press/mainnews/TI20089668.html

山中教授にノーベル賞
スウェーデンのカロリンスカ研究所は8日、12年のノーベル医学・生理学賞を、山中伸弥・京都大学教授と、英ケンブリッジ大のジョン・ガードン氏の2人に授与すると発表しました。山中教授は、マウスの皮膚細胞に4種類の遺伝子を組み込むと、臓器や骨など、さまざまな組織になる能力を持った万能細胞に戻せることを世界で初めて発見しました。iPS細胞と名付け2006年に発表、2007年11月には、人間の皮膚細胞でも成功したと明らかにしました。再生医療や新薬開発、病気の原因など、応用研究を世界各国が競っています。
(テレビ東京)
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/wbs/newsl/post_28221

山中教授「まさに日本という国が受賞」
今年のノーベル医学・生理学賞に「iPS細胞」を作ることに世界で初めて成功した京都大学の山中伸弥教授が決定しました。
ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった京都大学の山中伸弥教授(50)。ヒトの皮膚細胞から体のあらゆる組織や臓器になるとされる新型万能細胞(iPS細胞)を作ることに世界で初めて成功しました。iPS細胞は今後、再生医療や新薬の開発などへの応用が期待されています。
「本当に光栄。まさにこれは日本という国が受賞した賞だと」(京都大学 山中伸弥教授)
日本人がノーベル医学・生理学賞を受賞するのは25年ぶり、各地で祝福の声が上がりました。
「同じ京大の教授としてうれしく思います。これからも(山中教授を)目指して勉強を頑張っていきたいと思います」(京大生)
高校の同級生も・・・
「しんどい時とかも知っているんで、本当によかったなと思います」(高校の同級生 芳武努さん)
一方、山中教授の母校・神戸大学では、同級生やラグビー部の後輩が集まり、受賞を祝いました。
「非常に優しい、後輩の気持ちを理解してくれるいい先輩でした」(神大医学部ラグビー部の後輩 黒田良祐さん)
iPS細胞の開発から6年。山中教授は「さらに研究を続けて本当の社会貢献・医学応用を実現させたい」と意欲を述べました。
(MBS NEWS)
http://www.mbs.jp/news/jnn_5151425_zen.shtml




iPS細胞研究の山中氏らにノーベル賞 医学生理学賞
実用化待つ人へ「希望を持って」 山中教授が受賞会見
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山中教授「まさに日本という国が受賞した賞」
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山中氏ノーベル賞:二人三脚で大発見支え 高橋・京大講師」の追加情報です。