iPSは「細胞のタイムマシン」 常識覆した山中氏 | 再生医療が描く未来 -iPS細胞とES細胞-

iPSは「細胞のタイムマシン」 常識覆した山中氏

受精卵状態まで戻す、世界が称賛
iPS細胞は体のどんな部分の細胞にも育てられ、ほぼ無限に増やせる。だが、本当に画期的な点は、皮膚などに変化した細胞を元の受精卵のような状態に戻したことだ。細胞の中の時計の針を巻き戻すことを実現した山中伸弥教授らの成果は「タイムマシン」の開発と称賛された。
人間は約60兆個の細胞でできている。もともとは1個の受精卵が分裂を繰り返しながら、神経や筋肉、皮膚など体をつくる200種類の細胞に変化していったものだ。いったんできあがった細胞を元に戻す――。生物学の常識を覆した成果がiPS細胞だ。
山中伸弥教授が高橋和利講師(当時は特任助手)と2006年、ネズミの皮膚細胞から作ったiPS細胞は、変化した細胞を受精卵に近い状態まで戻し、様々な細胞に育つことができる。しかも多くの研究者の挑戦を阻んできた大いなる謎を、たった4つの遺伝子を組み込むだけという非常に単純な方法で実現。世界中の研究者を驚かせた。
山中教授らはまず理化学研究所などの成果をもとに、元祖万能細胞と呼ばれる胚性幹細胞(ES細胞)があらゆる細胞に変化しうる能力を持つ理由を調べる中で、「魔法の遺伝子」を24個に絞った。全てを皮膚の細胞に入れると受精卵に近い細胞ができた。だが、本当に必要な遺伝子はいくつなのか。それを絞り込む作業には、山中教授も頭を抱えた。
この問題を解決するきっかけを作ったのが高橋講師だ。「導入する遺伝子を1個ずつ減らしてみてはどうか」と提案し、やってみると意外とあっさり4つに絞り込むことができた。4つの遺伝子が見つかったとき、「高橋くん、君は本当に頭がいいなあ」と2人は抱き合って喜んだという。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG0800Z_Y2A001C1EA2000/?dg=1

再生医療の夢膨らませるノーベル賞受賞
本命中の本命と目されていた科学者の受賞である。今年のノーベル生理学・医学賞を、あらゆる細胞に成長するiPS細胞を世界で初めてつくった山中伸弥京都大学教授が、英国人の研究者と一緒に受賞することが決まった。
日本人の生理学・医学賞受賞は1987年の利根川進氏以来、25年ぶり2人目になる。東日本大震災や原子力発電所の事故で国内では科学技術への信頼が揺らいでいるだけに、山中教授の受賞は日本の科学界や国民全体に勇気と元気を与えるものになるだろう。
iPS細胞は病気や事故で傷んだ臓器などを修復する再生医療の切り札として期待が強い。山中教授は皮膚などの細胞にたった4つの遺伝子を導いてiPS細胞をつくる画期的な方法を開発した。ネズミの実験で成功してからわずか6年後というスピード受賞は、成果がいかに独創的かを物語る。
いまは根本的な治療法がない脊髄の損傷や心臓病、糖尿病などの難病も、iPS細胞から神経や心筋、臓器を再生すれば治療が大きく前進する。実用化までにはまだ数年かかるとみられるが、成果が一日でも早く臨床応用されるよう期待したい。
再生医療ではほかにも受精卵を使う方法があるが、生命の芽生えともいえる受精卵を壊すため倫理上の問題が大きい。iPS細胞を使う再生医療はこうした問題を減らせるのも大きな利点だ。
一方で、心配なこともある。iPS細胞は日本で生まれ、官民挙げて臨床応用を支援してきたが、現在、再生医療でトップを走るのは米国勢とされる。日本ではヒトの細胞を使う研究の規制が欧米より厳しいことが一因だ。
今回の受賞決定に浮かれるのではなく、安全面や倫理上の問題を克服し、臨床研究に早く取り組める研究指針づくりや、産学官の協力強化を考えるべきだ。
科学技術全般を見渡しても、このところ中国など新興国が台頭し、日本の基礎科学の水準低下を心配する声も多い。欧米に留学する若者や海外との共同研究が減り、内向き志向も指摘されている。
山中教授は50歳という若さに加え、神戸大医学部を卒業後、数年ごとに国内外の大学や研究機関を渡り歩いた異色の経歴にも目を引かれる。自ら競争を求めて研究の場を変え、腕を磨いてきた山中氏の姿勢を、若い研究者も見習ってほしい。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO47037920Z01C12A0PE8000/

山中伸弥京大教授にノーベル医学賞、再生医療などに期待されるiPS細胞で
京都大学教授でiPS細胞研究所長の山中伸弥氏(50歳)が10月8日、2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞することが決まった(「京都大学 山中伸弥氏にノーベル生理学・医学賞、iPS細胞で」)。日本人のノーベル賞受賞は19人目。生理学・医学賞では1987年の利根川進氏に次いで2人目。
2007~09年に3年連続で日経BP技術大賞を受賞
山中教授は日経BP社主催の日経BP技術大賞で2007年に医療・バイオ部門の部門賞を、08年には大賞を受賞(「日経BP技術賞 大賞決定 ヒト人工多能性幹細胞の樹立 京都大学 山中伸弥研究室」、動画付き)。さらに09年には、それ以前に日経BP技術賞大賞を受賞した28件の技術の中から、「最も社会と産業に貢献した、あるいは貢献すると考えられる技術や製品」に贈られる読者大賞を受賞している(「日経BP技術賞、京大山中教授が読者大賞に、3年連続の受賞」)。
8日夜に京都大学で記者会見した山中教授は、「私が受賞できたのは日本という国に支えていただいて、『日の丸』のご支援がなければ、このように素晴らしい賞は受賞できなかった。家族に心から感謝の意を表したい」と喜びを語った。
山中教授がノーベル賞候補の最前線に登場したのは、07年11月に発表したヒト人工多能性幹細胞(iPS細胞)の発見だった。人間の大人の皮膚に4種類の遺伝子を導入するだけで胚性幹細胞(ES細胞)に似たiPS細胞を生成する技術を発表し、これが世界的な注目を集めた。iPS細胞とは、皮膚などの体細胞から様々な細胞になりうる能力を持った細胞のことで、再生医療の実現や難病の解明などに役立つと期待されている。
「我々の理解に革命を起こした」
今回のノーベル賞受賞は06年8月に発表したマウス人工多能性幹細胞の発見が評価されたようで、スウェーデンのカロリンスカ研究所は「細胞や器官の進化に関する我々の理解に革命を起こした」との声明を発表した。
受賞式は12月10日にストックホルムで開く予定。賞金は800万クローナー(約9400万円)の半分で、残りをカエルのクローニング理論と技術が評価されて生理学・医学賞を共同受賞した英ケンブリッジ大学名誉教授のジョン・ガードン氏が受け取る。
山中伸弥氏は1962年大阪生まれ。神戸大学医学部卒業後、整形外科の研修医として勤務したが、外科手術が苦手で「邪魔なか」とあだ名されたことも。臨床医学を断念、基礎研究の道へ。大阪市立大学大学院医学研究科、米グラッドストーン研究所などを経て、2003年奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター助教授、04年京都大学再生医科学研究所教授、10年4月京大iPS細胞研究所長。
大学時代はラクビーに明け暮れ、ケガが多かったため整形外科の道を選んだという。
(日経BPニュース)
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20121008/326023/?top_f2&rt=nocnt

「研究者を“憧れの職業”に」
ノーベル賞山中伸弥・京都大学教授
2011年秋のインタビューで語った研究への思い

2012年のノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった山中教授。再生医療の切り札「iPS細胞」を発見し、日本で最もノーベル賞に近い研究者と言われ続けてきた末の快挙だ。2011年秋の山中教授へのインタビューでは、研究への取り組みと、後進の科学者を育てるためには何が必要かを語った。
日本は科学技術立国として輝き続けることができるでしょうか。
山中:日本人の技術者は、間違いなく世界一です。器用さ、勤勉さ、創意工夫、チームで取り組む力など、研究者として重要な素養を備えている。現在は米国にも研究室を構えているのですが、日本人は素晴らしいと痛感しています。
日本が生きていく大きな道の1つは科学技術立国だと考えています。研究者や技術者はみな、科学技術立国たる日本を背負っているのだと自負しています。若くて柔軟な人が次々と研究に従事するようになれば、もっと伸びていくでしょう。
ただ、理系離れは深刻です。日本では研究者の地位があまりに低い。若い人たちに研究者が魅力的な仕事に見えていません。このままでは担い手がいなくなってしまうと懸念しています。
私は、大学卒業後、臨床医を経て、研究者になりました。両方の立場を知っているのですが、日本では間違いなく医師の方が社会的地位が高い。これは冗談ですけど、ローンを組むなら「職業は医師」と書きたくなってしまうほどなんですよ。
大学で得られた知見が、続々とベンチャー企業などで実用化されている米国ではどうなのですか。
山中:米国は日本の逆です。医師よりも研究者の方が社会的地位が高い。ハードワークなのは日米同じですが、ちゃんとした家に住んで、ホームパーティーを開いて、楽しく暮らしている人が多い。給料そのものも高く、ベンチャー企業とのつながりも強い。
ですから、米国では研究者が憧れの職業なのです。「私も一生懸命研究して、あんな先生になりたい」と子供が思い描いている。子供は憧れから将来の夢を見ます。
残念ながら、日本にそういうロールモデルはいません。毛利衛さんが宇宙飛行士として活躍していた当時は、研究者になりたいという子供が一時的に増えたこともあります。でも、研究者というと、毎日研究室にこもって、家族も顧みず、稼ぎもよくないというイメージが定着している。これでは、理系離れが止まるはずがありません。
どうすべきなのでしょう。
山中
日本の研究現場は、今危機に瀕しています。東京電力の福島第1原子力発電所事故が起こり、原子力の安全神話は崩れました。科学者は良いことばかり言って、重要なことを隠しているのではないかと、科学者に対する不信感やアレルギーが高まっているかもしれない。こういう時期だからこそ、科学者からの情報発信が大切なのではないでしょうか。
大学の研究現場では、続々と新技術が誕生しています。こうした技術の萌芽を「稼げる技術」に育てていくためには、どうしたらよいでしょうか。
山中
論文は書きたくなかった
企業の研究所では、論文を発表する前に知財を押さえます。私たちも「iPS細胞(人工多能性幹細胞)」を発見した時は、論文を書きたくありませんでした。論文を書いたら、すぐさまライバルの研究者たちが、こぞって追いかけてくるのが分かっていたからです。
ただ、国などの研究費で日々暮らしている以上、論文で成果を示していかなければ、予算が減らされてしまう。もし、企業の研究所に勤めていたら、iPS細胞の根幹に関わる部分を特許で盤石に固めるまで、何も発表しなかったかもしれません。
特許が難しいのは、新しい知見を発見した当時は、将来化けるかどうか見当がつかないことです。特許申請には多少なりとも費用がかかるため、大学は厳選して申請するのが普通です。ただ、稼げる技術に育つ知見を選択して申請することは困難です。もしかすると、宝の卵をふるい落としてしまっているかもしれない。ですから、なるべく多くの特許を申請する必要があると考えています。
まず大学の研究者が知財についての知識を持つことが必須だと。
山中:知財を意識しておく必要はあります。ただ、知財に関する専門知識を研究者が持つのは不可能に近い。知財の専門家を大学で抱えるべきです。
良い技術が出てきた時に、実用化まで持っていくには、知財の専門知識があり、厚生労働省などの規制当局と早期から交渉できる人材が必要です。日本の大学の研究者が良い論文を発表しても、事業としての成果は米国企業に取られかねません。
ただ、ここに問題があります。日本の大学には、プロのサポートスタッフを雇用する枠組みがないのです。大学の採用枠は、「教職員」と「事務員」のみ。1年単位の非正規職員としてしか雇えません。これでは、製薬会社などで好待遇で働いているスタッフを、大学に引き抜くのは困難です。iPS細胞研究所では、幸運にも知財の専門家に入ってもらえましたが、ほかの大学もみな必要としています。
米国では、博士号を持つ人たちのキャリアとして、こういった専門職が定着しています。研究者としてはドロップアウトしても、別の形で研究に貢献できるのです。日本でも人材を育成していかなければなりません。
大学の雇用制度から改革していく必要がある。
山中
金儲けへのアレルギーを捨てる
それは医学部も大きく違いません。20年ほど前のことですが、ある研究者が特許を申請しようとしたら「おまえは金儲けのつもりか」と言われたという話を聞いたことがあります。製薬業界などと近い医学部でさえ、少し前にそういう時代があったのです。
青色発光ダイオードの特許を巡って訴訟を起こした、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)教授の中村修二氏が思い出されます。
山中
ただ、多額の報酬を得ることへのアレルギーは、少しずつ緩和されているかもしれません。イチローなどの野球選手は、何十億円稼いでも叩かれなくなりました。サッカー選手も同じです。
山中先生は「iPS細胞を早く医療現場で役立てたい」と常々話されています。研究者が実用化を意識することも、稼げる技術を生み出すのに重要なことなのでしょうか。
山中:それは違います。研究は、最初から社会の役に立つようにしようと意識しすぎると、浅いものになりがちです。みんなが実用化間近の研究ばかりやり出すと、将来のイノベーションの芽が摘まれてしまいます。
幸運にもiPS細胞という技術が私たちのところにやってきたから、実用化を強く意識しているのです。こういう技術に出合ってしまったら、実用化するのが研究者の使命だからです。研究を始めた頃から、明日にも薬になる研究がしたいと思っていたわけではありません。
研究者は、役に立つか分からないものを研究すべきだし、科学研究費助成事業(科研費)のように、海のものとも山のものともつかない研究を支援する仕組みが、国全体の技術力を維持するうえで非常に大切です。
イノベーションを生む研究と、そうでない研究の違いはどこにあるのでしょうか。
山中
日本の研究の多くは、「米国の犬がワンと鳴いたという論文があるが、日本の犬もワンと鳴いた」というもの。さらに、日本の犬がワンと鳴いたという論文を見て、「阿倍野の犬もワンと鳴いた」と書く(編集部注:大阪市立大学医学部は大阪市阿倍野区にある)。
研究者は油断すると、他人の方法論を真似て、阿倍野の犬のような論文を書いてしまう。こういう研究からは、イノベーションは生まれない。私は、本当に誰もやっていないことだったら、どんな研究でも価値があると思っています。だからこそ、若い研究者には、誰かのマネではないか、繰り返しではないか意識してもらいたい。本当のイノベーションは未知の領域でしか見つからないのですから。
(日経ビジネスオンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20121008/237791/?bv_ru&rt=nocnt

ノーベル賞、「iPS」山中氏-再生医療の切り札
スウェーデンのカロリンスカ医科大学(ストックホルム)は8日、2012年ノーベル生理学医学賞を、iPS細胞(万能細胞)を開発した京都大学の山中伸弥教授(50)と、細胞の初期化を初めて示した英ケンブリッジ大学のジョン・ガードン教授(79)に授与すると発表した。日本出身のノーベル賞受賞者は19人目。生理学医学賞では1987年の利根川進氏(現理化学研究所脳科学総合研究センター長)以来、2人目の快挙となる。
授賞式は12月10日にストックホルムで行う。賞金800万スウェーデンクローナ(約9500万円)は二等分する。(2面に関連記事)
山中教授は06年にマウスの皮膚細胞から、07年にヒトの皮膚細胞からiPS細胞を作り出すことに成功した。iPS細胞は体のさまざまな細胞に分化できる能力を持つ。
(日刊工業新聞)
http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0720121009aabn.html

山中教授ノーベル賞 「世界が認めた」府内沸く
おめでとう、山中さん――。京都大教授の山中伸弥さん(50)のノーベル生理学・医学賞受賞が決まった。8日の記者会見で、支えてくれた人たちへの「感謝」の言葉を繰り返した山中さん。府内でも、祝福や喜びの声が上がった。
■京大■
京大関係者のノーベル賞受賞は8人目。ほかに、1973年に物理学賞を受けた江崎玲於奈さんも旧制三高の出身で、日本人受賞者の中では京大とゆかりのある人が多い。生理学・医学賞では、京大卒の87年の利根川進さん以来の快挙だ。
待ちに待った「本命」の山中さんの受賞に、左京区の京大のキャンパスは喜びに包まれた。受賞決定直後に本部棟に駆けつけた松本紘学長は「よかった、よかった」と満面の笑みを浮かべた。松本学長によると、受賞の知らせは山中さんからの電話で知った。興奮した声で「ついに取りました」と話したという。京大での記者会見前には、自ら山中さんのネクタイの結び目を整えた。「若い山中教授は息子のような存在。謙虚さとユーモアがあり、仲間を引きつける才能がある。涙が出るほどうれしかった」と目を細めた。
吉川潔・研究担当副学長は「iPS細胞ができた時は『生物の時間軸を変えた』と衝撃を受け、これはノーベル賞を受賞すると確信していた。誰も考えつかなかった発想で、iPS細胞の研究成果のすごさを改めて認識した。これからの研究も期待したい」と喜んだ。知人からのメールで受賞を知った医学部1年の森脇菜々さん(19)は「京大の誇りで、『ありがとうございます』という気持ち。一日も早くiPS細胞の技術が医療の現場で活用されるよう期待します」と興奮気味に語った。
一般教養で山中教授の講義を受けたことがあるという法学部4年の村田隆裕さん(22)は「いつかノーベル賞を受賞すると思っていたが、自分の在学中にその知らせを聞くことができて本当にうれしい」、大学院1年の清水康平さん(23)は「日本の医療界を背負っている山中教授が世界に認められたということ。ますます活躍の場を広げていってほしい」と期待していた。
■街の声■
JR京都駅前の家電量販店では、受賞会見の模様を放映するニュースに見入る人たちも。会社員の北本裕二さん(39)(下京区)は「暗い話題が多い中、日本の力が認められてうれしい」と歓迎。同、米田憲司さん(49)(長岡京市)は「おめでたい話。国民も勇気が持て、前向きになれる気がする」と喜んでいた。
◆知事「京都の誇り」
山田知事は「府民を代表して心からお祝い申し上げます。iPS細胞は、医療の未来に無限の可能性を与え、多くの人びとの命を救うことに必ずなる。偉大な方が京都から出たことを誇りに思う」とコメント。門川大作・京都市長は「大学のまち・京都から受賞者を輩出できたことは、市民、国民の誇り」とたたえた。
立石義雄・京都商工会議所会頭も「今回の受賞を励みに、再生医療や関連産業が一層発展し、わが国経済の成長につながることを期待したい。今後も、オール京都で若手研究者を育成する施策が重要だ」との談話を発表した。
◆難病家族の会「うれしい受賞」
「SMA(脊髄性筋萎縮症)家族の会」の東良(ひがしら)弘人会長(43)は「難病患者にとって、とてもうれしい受賞」と声を弾ませた。
3年前に、家族の会で山中さんにiPS細胞について講演をしてもらった。講演会の最後に、SMA患者で東良さんの長男航太君(12)が花束と手紙を手渡すと、山中さんはとても喜んでいたという。
東良会長は「山中さんには『早く結果が出せるように頑張る』と話してもらい、患者のために何ができるかを考えているということが伝わってきて、とても心強かった。今回の受賞で研究に弾みがつくことを祈りたい」と期待していた。
(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20121008-OYT8T01103.htm

ノーベル賞 山中氏への支援体制を手厚く
山中伸弥・京都大教授に、今年のノーベル生理学・医学賞が贈られることになった。
その栄誉を称え、心から喜びたい。
日本人が生理学・医学賞を受賞するのは、1987年の利根川進博士以来、25年ぶりである。
山中教授の授賞理由は、皮膚などの体細胞を、生命の始まりである受精直後の真っさらな状態に戻す「体細胞初期化」技術を開発したことだ。同じ分野の先達である英国のジョン・ガードン博士との共同受賞となる。
受精した細胞は、成長するにつれ、様々な組織や臓器の細胞に分化し、次第に老いてゆく。一方向にしか進まないこの過程を逆戻りさせたのが山中教授の研究だ。
画期的な業績である。山中教授は、2006年に成果を発表した後、毎年、ノーベル賞受賞者予想で筆頭に挙げられてきた。
6年でのスピード受賞となったのは、医療への応用に高い期待があるからだろう。
山中教授の技術で初期化された細胞は「iPS細胞(新型万能細胞)」と呼ばれる。病気やケガで傷んだ臓器や組織を、iPS細胞で作った細胞で置き換える「再生医療」も、もはや夢ではない。
例えば、脊髄が損傷し下半身マヒとなった患者の治療だ。本人の皮膚細胞から作製したiPS細胞由来の神経細胞を注入すれば、拒絶反応なしに神経を再生でき、歩行が可能になるかもしれない。
まだ基礎研究ながら、将来的には医療を一新する可能性を秘めていると言えよう。
山中教授の所属する京大は、iPS細胞の作製法で国際特許も取得し、研究開発でトップを維持しようと努めている。
しかし、実用化を目指す研究は欧米の方が先行している。山中教授は、「欧米は研究資金も人材もはるかに潤沢」と、繰り返し警鐘を鳴らしている。
欧米では、大手製薬企業が巨費を投じて研究を進めている。研究者の層も厚い。
これに対し日本では、iPS細胞に限らず、新薬、新治療法の研究体制で後れを取っている。
今回の受賞決定を契機に、国を挙げて、研究現場を活性化する取り組みを強化せねばならない。
山中教授の技術は、新たな問題も生んでいる。精子や卵子を作って受精させる研究では、通常の生殖を経ない生命誕生になる、との懸念が指摘されている。
生命倫理面での検討も、なおざりにはできない問題である。
(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20121008-OYT1T00990.htm

ノーベル賞・山中教授、難病治療へ熱い思い
◇昨年1月、大津の「つどい」で講演
8日、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥・京都大教授(50)は昨年1月、NPO法人・県難病連絡協議会が大津市内で開いた「難病のつどい」にゲスト出演し、自身が作製したiPS細胞(新型万能細胞)を将来の難病治療につなげたい、との熱い思いを語っていた。この時の講演を聞いた人からは「受賞を契機に一層、研究を加速させてほしい」と、期待と祝福の声が寄せられた。
同協議会は、パーキンソン病や筋萎縮性側索硬化症(ALS)など13の患者団体で構成する。講演で山中教授は「皆さん、あと10年待ってください。もっと研究を進めるので希望を失わないで」と真剣な表情で語りかけたという。
当時、同協議会の常務理事を務め、山中教授に講演を依頼した葛城貞三さん(73)(大津市坂本)は「『難病の皆さんに話を聞いてもらいたい』と忙しい中、引き受けて下さった。親しみやすい先生で、受賞は我が事のようにうれしい」と喜んだ。
(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20121008-OYT8T00940.htm

山中教授ノーベル賞 先端大での研究結実
ノーベル生理学・医学賞に京都大教授の山中伸弥さんが選ばれた8日、山中さんが小学生時代を過ごし、奈良先端科学技術大学院大(奈良先端大、生駒市)の助教授として受賞につながる研究をスタートさせた県内も、お祝いムードに包まれた。
山中さんが1999年から5年間勤務した奈良先端大では、この日、磯貝彰学長と、同僚だった河野憲二・バイオサイエンス研究科教授が記者会見した。
磯貝学長は「山中さんは、真に日本の科学界の宝になりました。山中さんの研究を使って、世界中で再生医療の基礎研究や応用研究が始まっていることを考えると、人類への貢献のためにも京都大へ送り出してよかったと思います。今後も活躍することを心から期待しています」と力を込めた。
河野教授も、「受賞は時間の問題だと思っていました。山中さんの研究を間近で見られたことは、研究者冥利に尽きます」と笑顔で語った。
奈良先端大にいた頃、構内を毎朝ジョギング、体調を管理しながら、万能細胞としてiPS細胞(新型万能細胞)より先に作製されたES細胞(胚性幹細胞)の遺伝子を研究したという山中さん。磯貝学長は「彼はきちょうめんで、電話やメールに必ず返事をするタイプ」と述べ、しばらく連絡は取らないとして、「山中さんが研究の時間を確保できるよう、配慮したいと思います」と気遣った。
山中さんを支えた安田國雄前学長(70)も「研究実績だけでなく、人柄もよかった。彼の探求心と、学生をその気にさせるリーダーシップがかみ合い、受賞につながったのでは」と祝福する。
奈良先端大の学生も朗報を喜んだ。植物分子遺伝学前期課程1年の渡辺雄人さん(23)は「研究分野は違うけれど、山中さんが有名になったおかげでこの学校の存在を知り、進学するきっかけになった。ぜひ講演に来てほしい」と話した。
山中さんの母校・奈良市立青和小学校は9日、山中さんの研究を通して学びの大切さを伝える特別授業を行う。
三谷博之校長は「出身校の校長として誇りに思います。子供たちにとっても、遠い存在だったノーベル賞が身近なものになり、科学する心や学ぶ心が養われていくのでは」と語った。
同市の仲川元庸市長は「今回の受賞は、奈良で学ぶ全ての子供たちに夢と誇りを与えるものだと思います」とするコメントを発表した。
山中さんは京都府精華町で昨年10月にあった奈良先端大の創立20周年記念式典で講演した際、勤務していた頃のエピソードをユーモアを交えて話していた。
医学畑を進み、研究生活や将来の見通しが立たずに整形外科医に戻ることを考えていた時、科学雑誌で奈良先端大の募集広告を見つけ、「どうせだめだろうから、研究職を辞めるきっかけのために応募した」と告白した。ところが、採用され、「1999年の12月、緊張で泣きそうになりながら、正門のアーチをくぐった」と振り返った。
「現在の私の研究室の主要メンバーの多くが、奈良先端大で育った。その意味でも、iPS細胞は奈良がなければできなかった」と、原点・奈良を強調した。
(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20121008-OYT8T01132.htm

「再生医療の扉を開けた」研究者からも喜びの声
山中伸弥さんの受賞が決まると、再生医療や新薬開発などへの応用が期待されるiPS細胞の研究に携わる研究者からも喜びの声が上がった。人間の皮膚の細胞から作ったiPS細胞を培養し、精子や卵子の元になる細胞に成長させることに成功した慶応大の岡野栄之教授は「人と違った発想をする人という印象が強い」と山中さんの研究姿勢を振り返り、「iPS細胞の研究手法でも、独特の着想がブレークスルーにつながった。逆転の発想の勝利」と語った。
iPS細胞を使った世界初の再生医療を来年度から計画している理化学研究所のプロジェクトリーダー、高橋政代氏は「初めて会ったときから研究を応援してくれた。1人でも多くの患者を救いたいという願いをかなえるためにも、ますます頑張らなくては」。
「山中先生は責任感が強く、使命を帯びて研究に没頭してきた」と語るのは、細胞の分化を誘導するタンパク質アクチビンを発見した東京大の浅島誠名誉教授。「実用化前の早い受賞だったが、それだけ非常に重要な発見だったということだ。再生医療の扉を開けた大きな一歩だ」と創薬分野の発展に期待を寄せた。
(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121009/art12100900500001-n1.htm

「ライバルは友達でもある」山中教授語録
「科学は何枚も重なる真実のベールを一枚ずつはがしていく作業。運良くある一枚を引き当てた人だけが注目を浴びるのは、フェアではない」(ラスカー賞の受賞について=平成21年9月)
「ES細胞(胚性幹細胞)そのものは研究者にとって単なる研究の道具だったが、私はES細胞に恋をしてしまった」(原点となったES細胞研究について=23年10月、京都府内の講演で)
「米国にはネズミの世話をする人がいて、研究だけに没頭すればいい環境だったのに…。(日本では)自分の仕事が研究者なのか、ネズミの世話係をしているのか分からないほどだった」(マウス実験を繰り返したことについて=同)
「iPS細胞が金もうけに転用されることは、絶対に防がなくてはならない」(特許の取得について=20年4月、都内のシンポジウムで)
「競争の激化はストレスだが元気のもと。彼ら(世界のライバル)は友達でもある」(海外の研究者がiPS細胞研究の新成果を次々発表したことについて=20年1月、都内で)
「講演では最低1回、会場の笑いを取るように心がけている」(プレゼンの重要性について=24年6月、産経新聞のインタビュー)
(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121009/art12100900470000-n1.htm

バイオ産業の発展にはずみ 日本の理論・技術の優秀さ示す
iPS細胞(人工多能性幹細胞)を開発した京都大の山中伸弥教授が8日、日本人では2人目となるノーベル医学・生理学賞を受賞したことを受け、経済界からは祝福の声が相次いだ。再生医療だけでなく、新薬開発のスピード化への応用も可能で、バイオ産業の発展に弾みがつきそうだ。
「山中教授は天才肌の方なので、いつかは(受賞する)と思っていたが、こんなに早くノーベル賞を受賞されるとは思わなかった。医学や生理学など日本の自然科学分野の理論や技術がいかに優れているかを示すものだ」。経団連の米倉弘昌会長は受賞について、こう語った。
山中教授の研究は、バイオ・医薬や機器メーカーとも関わりが深い。
iPS細胞を使って、慶応大学の研究者と共同でアルツハイマー病発症のメカニズム解明に取り組んでいるのは武田薬品工業。長谷川閑史社長は「近い将来、iPS細胞の技術を使った革新的医薬品が一日も早く患者のもとに届くことを期待している」との談話を発表した。
大日本住友製薬は山中教授の京都大学iPS細胞研究所と、患者数が少なく治療法も確立されていない「希少疾患」の共同研究をしている。同社の多田正世社長は「日本の研究力の高さが世界に認められ誇らしく思う」と強調。iPS細胞を自動培養する装置の実用化を目指す川崎重工業の河野行伸執行役員は「受賞を機に研究が一層加速され、創薬や医療で幅広く使われるようになることを期待したい」と歓迎した。
(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121009/art12100901100002-n1.htm

山中氏ノーベル賞 「科学立国」の牽引役に 世界のiPS細胞誇りたい
日本から四半世紀も遠ざかっていたノーベル医学・生理学賞が、「iPS細胞(人工多能性幹細胞)」研究で世界をリードしてきた京都大学教授、山中伸弥さんに贈られることになった。東日本大震災と政治の混乱で沈みがちな日本社会に、何よりの朗報だ。「科学立国」の牽引(けんいん)役となろう。
うれしいことに近年、日本人のノーベル賞が恒例化しつつある。4年前には物理学賞と化学賞で4人、一昨年は化学賞で2人の受賞者を出している。それに続いての快挙である。日本の基礎科学の底力を世界に示すことになった。
≪輝く独創性と挑戦精神≫
山中さんの研究グループは5年前に、あらゆる組織や臓器に変わり得る万能細胞を、ヒトの体細胞から作り出すことに成功した。
拒絶反応のない臓器移植をはじめとする再生医療の実現に道を開き、医薬品の試験精度を飛躍的に高める研究だ。傷病や難病に苦しむ世界の人々の希望につながる文句なしのノーベル賞である。
iPS細胞作製のすごさは、生命現象の根幹に迫る研究であることだ。人体は約60兆個の細胞でできているが、その出発点は1個の受精卵だ。受精卵は分裂を繰り返して皮膚や神経などに分化していき、いったん分化した細胞は元の分化前の状態には戻らない。
この基本原理によって生体は維持されているわけだが、山中さんは皮膚の細胞の核に4つの遺伝子を入れることで、受精卵のように、あらゆる細胞に分化していく能力(万能性)を取り戻させることに成功した。
人工的な万能性の実現では、胚性幹(ES)細胞が先行していたが、これは人間の受精卵(胚)を壊して作られる。このため米国などでは強い反発があり、研究の壁となっていた。これに対しiPS細胞の作製には、受精卵や卵子を用いない。一挙に生命倫理上の制約が消えた。大多数の研究者が受精卵にこだわっていたときに、山中さんは体細胞だけでの実現を目指して成功した。コロンブスの卵といえる画期的な業績だ。
iPS細胞は先端科学における画期的発明である。生物学の常識を根底から覆したという点で金字塔的な成果だ。その証拠に世界の生命科学研究が雪崩を打ってiPS細胞へとシフトしている。
日本国内でも主要大学や研究機関によって、臨床に向けた研究が拡大中だ。脊髄や角膜、網膜、心臓といった各組織をはじめ、糖尿病やパーキンソン病などへの応用が着々と進められている。
世界中の研究者の参入でiPS細胞という宝の山の頂は、ますます高くそびえ、裾野も広がりを増している。とりわけ、資金にモノを言わせた米国の取り組みはすごい。この研究の流れの源流は日本にあるのだが、川幅は米国が拡大させているのが現実だ。
≪続け、若手研究者たち≫
一昔前まで、日本の技術は応用ばかりと批判されがちだった。しかし、iPS細胞の分野では、その逆転現象が起きている。これは胸を張ってよいことだ。
iPS細胞の福音は計り知れない。しかし、この技術はヒトの生殖細胞をつくることも可能にしている。現に京大の別グループはiPS細胞で作った卵子からマウスを誕生させたと先日、発表したところだ。ヒトと他の動物の複合体(キメラ)もSFの世界に限られなくなってきている。40億年の生命の歴史を書き換える力も秘めているのだ。
iPS細胞が内包する「負の側面」についても、今から一般人を交えて議論を深めておくことが、研究と応用の健全な将来発展のために欠かせない。
科学技術は常に正負の両面を持ち合わせている。原子力利用もそうだ。極微の原子核から膨大なエネルギーを取り出せる一方、制御不能になったときの一大困難を福島第1原子力発電所の事故で痛感したばかりである。
19世紀は化学の時代、20世紀は物理学の時代、21世紀は生物学の時代といわれる。iPS細胞はその潮流を実証してみせた。
今回の受賞をきっかけに日本の若手研究者が発奮し、世界をリードしていくことを期待したい。そのためには海外での武者修行に尻込みしていてはいけない。国も研究の短期成果主義を改めて、優秀な若手が大胆な研究に取り組める環境を整えることが必要だ。若手諸君、山中教授に続け。
(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/science/news/121009/scn12100903170002-n1.htm

画期的治療…異例の早さで栄誉 「万能細胞」研究に革命
あらゆる細胞に分化する能力がある「iPS細胞(人工多能性幹細胞)」の開発でノーベル医学・生理学賞に輝いた京都大の山中伸弥教授(50)。倫理的な制約から膠着(こうちゃく)状態に陥っていた万能細胞の研究に革命を起こし、夢の再生医療への突破口を開いた功績が高く評価され、異例の早さでの栄誉となった。
ヒトの体は約60兆個もの細胞でできている。最初はたった1個の受精卵から始まり、さまざまな種類の細胞に分化・増殖を繰り返して臓器や骨、筋肉、皮膚などがつくられ、人間が誕生する。出発点の受精卵には、あらゆる細胞を生み出す万能性があるわけだ。
山中教授が開発したのは、皮膚などのありふれた体細胞から、受精卵のような万能性を持つ細胞を人工的に作り出す技術だ。細胞分化の時間の流れを逆向きに戻し、最初の状態にリセット(初期化)する方法ともいえる。
万能細胞は心臓や肝臓、神経、血液など、あらゆる細胞を作ることができる。目的の細胞を作製して患者に移植すれば病気になった臓器や組織を「再生」でき、現在の臓器移植に替わる画期的な治療法につながると期待されてきた。
しかし、1980年代から研究されてきた万能細胞の一種、ES細胞(胚性幹細胞)は初期の受精卵の胚から取り出すため、生命の萌芽(ほうが)である受精卵を壊すという倫理的な問題があり、これが臨床応用への厚い壁となっていた。
これに対してiPS細胞は受精卵を使わず、皮膚などの体細胞から作るため倫理的な問題を回避できる。また他人の受精卵を使うES細胞は移植後に拒絶反応が起きるが、患者自身の細胞でiPS細胞を作れば拒絶反応も防げる。
iPS細胞はES細胞と同等の能力を持つ一方で、多くの課題を克服できる利点があり、再生医療の“切り札”として世界的に注目されている。
iPodにあやかり
臨床医から再生医学の研究者に転身した山中教授。iPS細胞の開発を始めたきっかけは、娘さんの存在だった。顕微鏡で受精卵を観察したときのことだ。
「生まれた娘の顔と、受精卵の姿が重なった。この受精卵もかわいい子供に育つはず。壊さないで済む方法はないのか」
平成18年、マウスのES細胞で重要な働きをしている24種類の遺伝子のうち、4つが万能性に関係していることを発見。これをマウスの皮膚細胞に組み込むと、ES細胞とほぼ同じ能力を持つ万能細胞ができることを突き止めた。
当時流行していた米アップル社の携帯音楽プレーヤー「iPod」(アイポッド)にあやかり、「iPS細胞」と命名した。
細胞の初期化という“夢の技術”の成功は世界に衝撃を与えた。カギを握る4つの遺伝子は「山中因子」と呼ばれ、各国の研究者が一斉に追随した。
山中教授が次に目指したのは、ヒトのiPS細胞を作ることだ。しかし、マウスとヒトで同じことが起きるとは限らない。試行錯誤を繰り返していた19年7月ごろ、試しに同じ4つの遺伝子を使ってみたところ、ヒトの皮膚細胞からもiPS細胞ができたのだ。
「できないと思っていたので、びっくりした。本当に幸運。目をつぶって(バットを)振ったらホームランになった感じ。同時に責任も感じた」
ヒトiPS細胞を培養したところ、神経や骨、筋肉など、さまざまな細胞に分化することを確認。生命活動の根幹を担う心臓の細胞ができた瞬間は、今も忘れられないという。
「拍動する心臓細胞を顕微鏡で見たときは、自分の心臓の鼓動が高まり、指先が震えた」
同年11月の論文発表の記者会見。「まだ遠いが、ゴールが見えてきた。それは他の人にも見えている。日本が一番でゴールできるかは分からない」と冷静に語った。世界の再生医学はこれを機に「iPS時代」に突入、難病患者の治療を実現する「ゴール」に向け、激しい競争が始まった。
安全性確保に全力
iPS細胞の臨床応用に向けた最大の課題は、安全性の確保だ。山中教授が開発した当初の作製法は、使用する4つの遺伝子に、がん遺伝子の「c-Myc」が含まれるほか、発がんに関係するレトロウイルスも使う。このためマウスの実験では、高率で腫瘍の発生が確認されている。
その後、山中教授や各国の研究者により、発がんに関係する遺伝子やウイルスを使わない方法が開発されたが、実用化レベルの安全性は未確立なのが現状だ。
一方、動物を使った治療研究は、貧血などを対象に加速。また、パーキンソン病や筋ジストロフィーなどの難病患者からiPS細胞を作製する試みなど、将来の実用化をにらんだ研究が世界的に活発化している。
万能細胞の研究では、ES細胞を使ったマウスの遺伝子改変技術が2007年にノーベル医学・生理学賞を受けたばかり。同じ分野の研究が、わずか5年後に選ばれるのは珍しい。山中教授の受賞は「臨床応用で成果が出てから」との見方が強かっただけに、その革新性と将来性が異例の高い評価を得た形となった。
(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121009/art12100907150003-n1.htm

山中教授ノーベル医学・生理学賞 奈良先端大、学長ら喜び
■「人類への貢献、誇り」
体のあらゆる細胞に分化する能力を持つiPS細胞を世界で初めて開発し、ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥教授。山中教授が約5年間研究を行った生駒市の奈良先端科学技術大学院大学では受賞発表に合わせて8日夕、磯貝彰学長をはじめ、休日出勤した職員らがテレビのライブ中継を見守った。山中教授の名前が読み上げられると、「よし」「やった」と拳を握りしめ、喜びをかみしめた。
「自分の考えを持ちながらも孤立することなく、いろいろな情報を取り入れて研究していた。それが結果につながったのだろう」。同僚として学生の指導や研究にあたったバイオサイエンス研究科の河野憲二教授は声を弾ませた。
山中教授は平成11年12月から同大学院大で研究を開始。平成22年9月には、同大学院大で栄誉教授号を贈られている。
山中教授を採用する際、選考委員も務めたという河野教授は「当時から熱意にあふれた研究者という印象だった」と振り返る。
同じ科学者として「受精卵を使わない細胞研究」の原理には関心を持ったが「実現には長い時間が必要だと思っていた。それがわずか数年で…」と感慨深げに語った。
臨床研究ができる環境を求め、京大へ移ることを決めた際には「ずいぶん引き留めた」と明かした磯貝学長。
磯貝学長は「山中先生は『研究の成果を医学に応用し、人の治療に役立てたい』といつも話していた。貴重な研究者を手放したが医学や科学、人類への貢献を考えればよいことだった。大学の誇りだ」と胸を張った。
(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121009/nar12100902070002-n1.htm

【産経抄】10月9日
ノーベル賞は、担当記者泣かせだ。毎年ある程度日本人候補者を絞って準備するのだが、たいてい裏をかかれる。田中耕一さんの化学賞受賞が決まったときは、資料が皆無とあって各社とも頭を抱えたと聞く。
▼山中伸弥京大教授が、医学・生理学賞に輝いた今年は大違いだ。ヒトの皮膚細胞からあらゆる細胞に分化できる「万能細胞(iPS細胞)」を作ることに成功した、と発表したのは平成19(2007)年11月20日だった。以来、常に本命中の本命だったからだ。
▼山中さんの大仕事について、当時の小紙ロンドン支局長は、発表の3日前に本人から聞いている。その日の英紙は、かつてクローン羊ドリーを生みだして世界に衝撃を与えたイアン・ウィルマット博士が、研究方針を切り替えると伝えていた。
▼山中さんの研究成果を理由としていたので、早速国際電話を入れたという。生命科学界の大スターだった博士が早々に白旗を上げた一事をもって、歴史的偉業だと直感したのだ。
▼もともと整形外科の臨床医だった山中さんは、難病に苦しむ女性患者を担当したことで当時の治療法に限界を感じ、基礎研究の世界に飛び込んだ。13年前、初めて顕微鏡で受精卵を見たとき、幼い2人の娘の姿が浮かんだという。かわいい子供に育つ受精卵を壊さないですむ方法はないか。万能細胞研究への方向性が、決まった瞬間だった。
▼最高の栄誉に輝いたといっても、山中さんにとってのゴールはまだはるか先だ。iPS細胞をめぐる世界的な研究競争が激化するなか、知的財産を守りつつ、一日も早く実用化にこぎつけたい。京大iPS細胞研究所を率いるリーダーの一挙一動に、ますます世界の視線が集まりそうだ。
(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/science/news/121009/scn12100903130001-n1.htm




iPS細胞研究の山中氏らにノーベル賞 医学生理学賞
実用化待つ人へ「希望を持って」 山中教授が受賞会見
【山中教授にノーベル賞】 バチカンも好感か
山中教授「まさに日本という国が受賞した賞」」の追加情報です。