ノーベル賞:医学生理学賞に山中氏 成果1000分の1が結実 愛弟子、京大講師・高橋和利さん | 再生医療が描く未来 -iPS細胞とES細胞-

ノーベル賞:医学生理学賞に山中氏 成果1000分の1が結実 愛弟子、京大講師・高橋和利さん

ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった山中伸弥教授は、8日夜の記者会見で、一人の若手研究者の名を挙げて謝意を伝えた。京都大iPS細胞研究所講師の高橋和利さん(34)。無名時代から山中さんを支え続ける愛弟子であり、人工多能性幹細胞(iPS細胞)の発見に導いた同志だ。
「大変光栄です。ただ、僕だけでなく、同僚たちの誰一人が欠けてもできなかった成果です」。9日未明、出張先の千葉県成田市のホテルで、高橋さんは冷静に喜びを語った。
山中さんは99年、奈良先端科学技術大学院大で初めて自分の研究室を持った。高橋さんはその翌年に同大に入学。畑違いの工学部出身だったが、「知識のない人を分かった気にさせるような研究紹介」にひかれて、山中研究室の門をたたいた。
「成績は一番悪く、経験も実績もない落ちこぼれ」。一から生物学に取り組んだ高橋さんは、当時の自分を振り返る。それでも恩師は、器具の握り方から実験のやり方を手取り足取り指導してくれた。それから5年後の夏、山中さんを追って移った京都大の研究室でiPS細胞の作成に初めて成功した。
世紀の発見だったが、論文発表までの約1年は、山中さんと2人で同僚にも秘密を貫いた。この分野の国際競争は激しく、数週間程度でまねをされて作れるほど簡単な方法だったからだ。高橋さんは「山中先生の下で研究を始めて残した実験ノートは1000ページ以上。その中で、あの時はたった1ページの出来事なんです」。
今は最新のデータのことで頭がいっぱいだ。「まだ、iPS細胞で誰の命も救っていない。昔にひたるよりも、僕たちは前に向かっている。先生もきっとそうだと思います」
高橋さんは、学会出席のため9日午前にニューヨークに飛び立った。恩師に会ったらまず伝えたい。「この前渡した論文の原稿に早く目を通してください」
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/news/20121009ddg041040003000c.html

山中氏ノーベル賞:iPS細胞ストック年内にも 単独会見
ノーベル医学生理学賞が決まった京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)が10日午前、毎日新聞の単独インタビューに応じた。将来の臨床応用に備え、日本人の3、4割をカバーする白血球型を持つ5~10人の血液細胞から人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作成し、あらかじめ保管する「iPS細胞ストック」事業を年内にも開始することを明らかにした。既に安全性の高いiPS細胞の作成方法も決まり、準備を進めているという。また倫理的課題の議論に向けて、来年度にも研究所内に生命倫理担当の部署を新設し、専門家を採用する方針を示した。
あらかじめ保管していたiPS細胞から作成した細胞を患者に移植できるとしても、患者と白血球の型が異なれば、拒絶反応が起きやすい。山中教授は、拒絶反応が起きにくい白血球型「HLAホモ」のドナー(細胞提供者)を京都大病院の協力を得て選定、本人に同意を得られ次第、iPS細胞の作成に取りかかる。ストックはこれまで「バンク」と説明してきたが、「血液バンクなどの大規模なものという誤解を避けたい」との理由で変更したという。
iPS細胞の新しい作成は、血液細胞に6因子をプラスミドという方法で組み込む。
一方、生命倫理の教員の採用について山中教授は、ヒトのiPS細胞から卵子や精子を作る研究などが急ピッチで進んでいることに触れ、「これだけ研究が進めば教員として倫理の専門家に来ていただく必要があると、所長として強く感じている」と語った。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/feature/news/20121010k0000e040223000c.html

ノーベル賞:医学生理学賞・山中教授、iPSバンク年内に
ノーベル医学生理学賞受賞が決まった京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)が10日午前、毎日新聞の単独インタビューに応じた。山中教授は、さまざまな型の人工多能性幹細胞(iPS細胞)をあらかじめ保管するバンク「iPS細胞ストック」について、年内にもヒトiPS細胞の作成を開始することを明らかにした。作成方法も既に決まっているという。また倫理的課題に対応するため、iPS細胞研究所内に研究倫理担当の部署を新設する方針も示した。
iPS細胞で再生された臓器や細胞の移植が実現しても、白血球の型が異なれば、拒絶反応が起きやすい。山中教授によると「ストック」を今年中に設立。今後5年間でドナー5~10人から血液を採取し、iPS細胞を作成する。5人のドナーで日本人の30~40%をカバーできるという。
一方、iPS細胞で精子と卵子を作成し、受精させれば新たな生命を生み出すことも可能になるなど、新しい倫理的課題が生じているため、倫理の専門家を研究所で新たに採用する。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/feature/news/20121010dde041040006000c.html

ノーベル賞:医学生理学賞に山中氏 「ようやく祝勝会」 大阪生まれ、知人ら称賛 /大阪
8日、「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」作成で、ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった京都大の山中伸弥教授(50)は大阪市生まれで、大阪市立大大学院などで学んだ。山中教授を知る人たちも待望の受賞を喜んだ。
山中教授の中学・高校の同級生、芳武努さん(50)は「ようやく祝勝会ができる。大阪の誇りだ。ユーモアのある人間で、講演ではいつもギャグを言う。授賞式でも大阪人らしく世界を笑わせるスピーチをしてほしい」。
山中教授が大阪教育大付属天王寺中学3年の時の担任だった冨田健治さん(67)=奈良県上牧町=は「同級生もみんな『今度こそ取ってほしい』と話していた。本当にうれしい。一層忙しくなるだろうが、京大も研究を支えてあげるような体制を作ってほしい」と話した。同中柔道部顧問として指導した西浜士朗さん(71)も「若くしての受賞も不思議ではない」と称賛。「柔道の基本である『自然体』を体現した人間で、柔道も勉強も無理なく楽しんでいた。温かく人間味がある」と人柄もたたえた。
高校時代の担任で元堺女子短大教授の河野文男さん(72)は「おめでとうよりも、ご苦労さまと言いたい。今まで誰もやったことのないことをやる仕事。さらに頑張ってほしい」とエールを送った。
大阪市立大の西沢良記学長は「市立大の学生や若い研究者にとっても励みになる。さらなる活躍を心から祈念しています」とコメントした。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20121009ddlk27040226000c.html

ノーベル賞:医学生理学賞に山中伸弥教授 京ゆかりの偉業「誇り」 待望の吉報、祝福続々 /京都
やったぞ、ノーベル賞受賞だ--。待ちに待った山中伸弥・京都大iPS細胞研究所長のノーベル医学生理学賞受賞決定の吉報が8日夜、飛び込んだ。府内の各界からも続々と喜びの声が寄せられた。
山田啓二知事は「iPS細胞は多くの人の命を救うことに必ずなると思うので、偉大な方が京都から出たことを誇りに思う。4年前の益川敏英氏らに引き続き、京都ゆかりの方の受賞で、大学のまち、京都の素晴らしさを世界に示すことができた」とのコメントを発表した。
また、門川大作・京都市長は、「世界で初めてiPS細胞の樹立という偉業を成し遂げ、現在の医療技術で治療が困難な病気で苦しんでいる方々に大きな希望の光を与えられた永年の研究成果が結実したものと敬意を表します」と偉業をたたえた。
京都商工会議所の立石義雄会頭は「京都経済界にとっても新たな自信と誇りを与えていただき大変うれしい」とコメント。「京都には大学・研究機関が集積し自由な雰囲気の中、斬新な発想で落ち着いて研究に取り組める」として「山中教授の不断の努力もさることながら、京都の都市要素が今回の受賞に寄与した」とした。
京大iPS細胞研究所の職員らも喜びにわいた。知財契約管理室特定研究員の小野寺淳史さん(38)=京都市左京区=は、ノーベル財団のホームページで山中教授の受賞決定を知ると、「何かやるべきことがあるかも」と自宅から研究所に駆けつけた。「(山中教授は)知財関係の知識も深く、研究所員の一人一人にも目配りをされる魅力的な人。いつか受賞されると思っていた。世界的に認められ本当にうれしい」と笑顔。
技術員の喜多山秀一さん(25)=同=は、所内で同僚3人とノーベル財団のホームページで受賞を知ると、「やったな」と喜び合った。「山中先生は『誰よりも早くiPSを臨床に結びつけたい』と熱意を語ってくれる。将来性がある分野に携われることに改めて幸せを感じる」と興奮した様子で話した。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20121009ddlk26040316000c.html

ノーベル賞:医学生理学賞に山中教授 来客や表彰、分刻み 知人ら改めて喜びの声--受賞から一夜明け /京都
ノーベル医学生理学賞受賞決定の知らせから一夜明けた9日、京都大の山中伸弥教授(50)は前日に続いて記者会見や取材に追われたほか、祝意を伝える来客や府の表彰なども相次ぎ、分刻みのスケジュールをこなした。山中教授を知る人たちからも改めて喜びをかみしめる声が上がった。
「京都からすばらしい話題を日本中に届けていただいた」。府特別栄誉賞の表彰のため京都市左京区の京都大を訪れた山田啓二知事は山中教授に笑顔で賞状を手渡した。山中教授は「これからも研究を頑張ります」と決意を語った。
これに先立ち、門川大作・京都市長も面会。門川市長は「京都市民の誇りです。市も大学との連携をさらに強化したいと思います」と祝いの言葉を述べるとともに、名誉市民の称号を贈る方針を伝えた。山中教授は「身に余る光栄です。京都マラソンでも何らかの形で応援させていただきたい」と応じた。
同市の名誉市民は1949年にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏らが第1号で、これまで49人が選ばれているという。
また、スウェーデンのラーシュ・ヴァリエ駐日大使も祝意を伝えに訪れた。ヴァリエ大使が「受賞は喜ばしい。スウェーデンでも前評判が高く、当然のことと思います」と話すと、山中教授は「尊敬するジョン・ガードン先生と共同受賞できたことを光栄に思う」と応じた。同席した京大の松本紘学長が「今は臨床応用に向けて頑張っている。2回目の受賞もあるかも」と話を向けると、山中教授は「次は文学賞を目指しましょうか」、ヴァリエ大使も「平和賞もありますね」とおどける一幕もあった。
   ◇
この日朝、記者会見に臨むために妻知佳さん(50)とともに車で京都大に到着した。玄関先で出迎えた人たちに山中教授は「みなさん、ありがとうございます」とあいさつし一礼。知佳さんも深々と頭を下げた。
花束を手渡した同研究所の事務職員、福田美紀さんが「お疲れ様です。おめでとうございます」と話しかけると、山中教授は「いつもいろいろありがとう」と応じたという。
福田さんは「研究所の設立時から関わっているが、大きな賞にびっくりしている。どきどきしながら花束を渡した」と興奮気味に話した。
iPS細胞研究所の田辺剛士研究員(29)は山中教授の普段の人柄について「ユーモアがあって気さくな人。仲間うちでは『東大阪のおっちゃん』と呼び合っています」と笑顔で話した。ただ「(受賞で)先生が少し遠くへ行ってしまいそう。『先生、ディスカッション(議論)しましょう』と伝えたいですね」と職場を取り巻く環境が一変したことに戸惑いの表情も見せた。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/feature/news/20121010ddlk26040612000c.html

ノーベル賞:医学生理学賞に山中さん 「日本科学界の宝」99~04年勤務の奈良先端大にも喜び /奈良
99年から04年まで奈良先端科学技術大学院大学(奈良先端大、生駒市)で教べんを執っていた京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥さん(50)に12年ノーベル生理学・医学賞が授与されることが8日、発表された。関係者で初のノーベル賞受賞者誕生に、同大学の関係者には大きな喜びの輪が広がった。
山中さんは87年に神戸大医学部を卒業し、国立大阪病院の整形外科で臨床医を務めるなどしていたが、99年に奈良先端科学技術大学院大学の助教授(当時)に就任。03年に同大で教授に昇任後、04年10月に京都大再生医科学研究所教授に転じた。神経や内臓など体内のさまざまな組織に成長する人工多能性幹細胞(iPS細胞)の作成に世界で初めて成功した研究者で、奈良先端大からはノーベル賞受賞者やそれに準じる活躍をした研究者に贈られる「栄誉教授」の称号も贈られている。
生駒市高山町の奈良先端科学技術大学院大では、磯貝彰学長と、難病との関連性が指摘されている分子の機能解明などに山中さんと協力して取り組んできた河野憲二教授(分子細胞生物学)が会見した。
◇磯貝学長「受賞は当然」
磯貝学長にとって、山中さんの受賞は当然だが、問題は「いつもらうか」。この日も、山中さんの名前が出た瞬間は「ああ、やった!」で、驚きはなかったという。磯貝学長は「一昨年前から準備していた」という受賞時用のコメントを書いた紙を手に、「山中先生がiPS細胞の研究を開始した大学の学長として大変うれしく、またおめでたい」「まさに日本科学界の宝となった。ますます周囲の期待が大きくなるだろうが、健康に留意し活躍してほしい」と喜びを表現した。
会見には同僚だったバイオサイエンス研究科の河野教授も出席。山中さんの採用選考を担当した河野教授は、「非常に熱意にあふれ、『学生と一緒に研究したい』と言っていた。そこが一番インパクトがあった」と面接時のエピソードを紹介。「(山中さんの研究を)間近に見られたのは研究者冥利に尽きる」と語った。
磯貝学長は、04年に山中さんが京大に移る際に、当時の学長と共に引き留めようとしたことも紹介。「こちらの大学でもできたのだろうが、人類への貢献を考えれば、良かった選択かと思う」と話した。
さらに、山中さんが研究費を集めるためにマラソン大会に出場したことにも触れ、「彼は今後も、ものすごく努力するだろう。期待に応えるのも大事だが、十分な時間を持ち、したい研究ができるようになることを期待している。彼が研究者として活躍できるように、世の中が配慮してほしい」と訴えた。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/nara/news/20121009ddlk29040327000c.html

ノーベル賞:医学生理学賞に山中さん 「さすが山中君だ」奈良・青和小の同級生ら歓喜 /奈良
ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった山中伸弥・京都大教授(50)は、奈良市百楽園4の市立青和小学校の卒業生だ。5、6年生時に同じクラスだった酒井孝江・奈良市議(50)は「iPS細胞でどれだけたくさんの人が助かるかを想像すれば、素晴らしい功績」と喜んだ。
酒井さんによると、山中教授は夏休みの宿題にラジオを作り、「山中は科学に強いな」とみんなを驚かせたという。木の板に機器を付けたもので、「触るな」と怒られたのも思い出だ。また、スポーツをやっていて足を骨折したりと、体も大きくて何かと目立つ存在。6年生になってとても成績が良くなり、「クラスでも女子の人気者だった」という。
酒井さんは「身近にいた人が、お金のためではなく、人を助けたいという倫理観をもって仕事をしていることがうれしいし、さすが、あの山中君だなと思った」と話した。
一方、荒井正吾知事は「県民に希望と感動を与えてくださった。今後も世界をリードする研究に励まれ、ますますご活躍されることを期待します」とのコメントを出した。
また、奈良市の仲川げん市長は「奈良で学ぶすべての子どもたちに夢と誇りを与えるものだと思います。今後とも医学発展のため、大いにご活躍されることを期待いたします」とのコメントを発表した。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/feature/news/20121010ddlk29040656000c.html

ノーベル賞:医学生理学賞に山中氏 「夢」「目標」忘れず 文集につづられたDNA
今年のノーベル医学生理学賞受賞が決まった京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)は、大阪教育大付属天王寺中学、高校時代、夢や目標を持つことの大切さを文章に繰り返し書いていた。「自分の純粋な夢を大切にしていきたいものだ」「目標を持つことの意義を知った」。ビジョンとワークハードをモットーとし、目標を定めてひたすら努力を重ねてきた山中さんの「原型」が、少年時代の文章から浮かび上がってくる。
『わが中一時代』という文集の「初心忘れるべからず」では、中学合格時には勉強もスポーツも頑張ろうと決心したのに、夏休みになると「だらだらと毎日をすごしてしまった」と自省した。そして「だらけた一年間でした。決心してはそれを破る。こんなことをくりかえしたのは、ぼくの自制力が弱かったからだ」。そして「合格した時の決心を頭に置いて毎日を有意義にすごそう」と決意する。
中学3年の「柔道を通して考えたこと」という文章では、「初段を取得」と「団体で市大会に優勝」という二つの目標を持ち、柔道に打ち込んだ3年間を振り返った。しかし初段を取り、団体では3位入賞を果たし、「目標がなくなり、気がぬけてしまった」と自らを分析。「初めて目標を持つことの意義を知った。『目標を持って生きる』。このことを常に頭においてこれからの人生を歩んでいきたい」と再び決意を示した。
そして高校卒業時。「3年間をふりかえって」という文章で、「友」と「夢」の大切さに触れた。「付高には夢を持った友が多くいた。尊敬できるし、一緒にいるだけで楽しい」と書いた。そしてこう結んだ。「僕にも夢がある。10年後、20年後も同じ夢を、できれば実現されたかたちで語り合えたらどれほどすばらしいことであろう。そうなることを心から願っている」
◇後輩にも希望、快挙沸く母校
母校の大阪教育大付属天王寺高校(大阪市天王寺区)も快挙に沸いた。3年生物理の授業では、井上広文教諭が新聞の号外を配った。医学系への進学を目指している衣川博貴さん(18)は「医者イコール臨床という印象があったが、昨年6月に山中先生の講演を学校で聞き、今回の受賞もあって基礎研究にも興味がわいた」。小林修平さん(18)は「将来は知的財産の分野に進みたいと思っており、山中先生のような研究を法律で支えたい」と夢を膨らませていた。
◇文武両道、ちゃめっ気も
「有言実行」「親しみやすい」--。山中さんを知る同級生や難病患者たちが語るエピソードからは、多面的な人柄が浮かび上がる。
中学・高校時代の同級生で会社経営、芳武努さん(50)は、「柔道部員として活躍しながら生徒会副会長も務め、文武両道だった」と振り返る。高校3年のころ、柔道部員だった山中さんは「二段をとれなかったら部活をやめる」と言ってすぐに実現した。「有言実行タイプで、しかも偉ぶったところが無く、ちゃめっ気もある」と舌を巻く。
妻知佳さん(50)も中高時代の同級生で医師だ。同じく同級生だった会社経営、平田修一さん(50)によると、高校の修学旅行で北海道を訪れた時、自由時間に2人でサイクリングに行って集合時間に遅れ、交際が発覚した。平田さんは「周りもうらやむベストカップルだった」と話す。
脊髄(せきずい)損傷の患者らでつくるNPO法人「日本せきずい基金」の大浜真理事長は09年に山中さんに会った。依頼した講演は必ず受けてくれたといい、「患者との会話を大事にしていた。『自分も治るかもしれない』と希望が持てた」と語る。
原因不明の難病、1型糖尿病患者を支援するNPO法人「日本IDDMネットワーク」の井上龍夫理事長は09年、患者向けガイドブック作製のため山中さんに会った。糖尿病を患いながら活躍する阪神タイガースの岩田稔投手が話題に。井上さんは「糖尿病の患者が皆応援している選手の話で、場を和ませてくれた。誠実で謙虚、それでいて親しみやすい。今後も難病患者の希望となってほしい」と期待した。
■中学時代
◇修学旅行文集「私達と自然」
今自然保護といって行われているのは自然を保護するためでなく、人間を保護するために行われていると思う(自然保護と人間保護)
◇生徒会冊子「みんなの生徒会」
付中の生徒会活動は不活発そのもの。ほとんどの人が生徒会活動に対して無関心だ。ぼくは生徒会活動、とくに委員会活動がおもしろくないからだと思う(生徒会活動)
◇自由研究
復習をしたとき、効果はすぐにあらわれず、12時間ぐらいたってからあらわれる。また復習までの時間は、約2時間が最も効果的である(記憶能力について)
◇卒業文集「巣立ち」
3年間打ち込んだといえるのは柔道だけではないか。初段を取り、団体では市大会3位入賞を果たした。その時はうれしかったが、突然、虚脱感というかむなしさというかそんな物が襲ってきた。目標がなくなったからで、このとき初めて目標を持つことの意義を知った(柔道を通して考えたこと)
■高校時代
◇卒業文集
柔道は相手との戦いである以上に自分との戦いであると思う。僕はその戦いにほとんど敗れてしまった。自分との戦いに勝たない限り夢や社会についてあれこれ言っているのが愚かで無意味なことにさえ思える時がある。今度こそ己に勝たなければならない。
僕にも夢がある。みんなで自分の純粋な夢をいつまでも大事にしていきたいものだ。10年後、20年後も同じ夢を、できれば実現されたかたちで語り合えたらどれほどすばらしいことであろう。そうなることを心から願っている(3年間をふりかえって)
※かっこ内は山中さんの文章のタイトル
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/news/20121009ddf041040004000c.html

山中氏ノーベル賞:「不屈の闘志が偉業に」高校時代の恩師
ノーベル医学生理学賞受賞が決まった京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)は大阪教育大付属天王寺中学、高校時代、柔道に打ち込んだ。「負けず嫌い」「古武士」。高校時代の恩師らは柔道を通して山中さんの印象をそう語る。そして「一本線が通っていて、やることはやる。その不屈の闘志がノーベル賞につながった」と偉業をたたえた。
「とにかく練習熱心で負けず嫌い。手を抜かなかった」
高校時代、柔道部顧問として山中さんを指導した元同校教諭の田原悠紀男さん(70)=大阪府高槻市=は振り返る。田原さんによると、山中さんの得意技は「体落とし」。「重圧に耐え、あいつなら何とかする、と思わせた」ため、団体戦では主に1番手の先鋒(せんぽう)を任せた。1年生の時、新人戦で5人抜きで勝利。「対戦相手の監督が『何で負けたんだ』と自分の生徒に怒ったこともあった」という。
「柔道ではひらめきが必要。彼はそれを持っていた」。研究上のひらめきを結実させた今回の受賞を田原さんは喜んだ。
また国語を教えた同校教諭の琢磨昌一さんは、授業時間中、背筋をまっすぐ伸ばして話を聞いていた山中さんの姿を覚えている。「1時間ずっと、姿勢が崩れなかった。そんな生徒は、そういない」。口数は少ないがやることはやるという印象だった。
山中さんは当初、外科医を目指したが、手術が不得手で挫折。基礎研究の道に移ったが、iPS細胞の開発までに、何度も挫折を味わった。
「人生はやり直せる、好きなことをして生きていけばいい、と私たちは生徒に諭した。それを貫いて体現したのが山中君だ」。受賞の感想を琢磨さんは語った。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/feature/news/20121010k0000m040151000c.html

山中氏ノーベル賞:にじみ出る責任感 語録から
ノーベル医学生理学賞受賞が決まった京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)は、研究のプレゼンテーションにも力を入れるなど、しばしば「伝えること」の大切さを口にする。これまでに残した言葉の数々からは、研究者としての責任感や、仕事に真摯(しんし)に向き合う姿勢が浮かび上がる。
◇山中教授の語録
「この技術を開発するという幸運を与えてもらったからには、非常に大きな意味での責任も感じた」(07年11月、ヒトの皮膚細胞から初めてiPS細胞を作り出したことを受けての記者会見で)=(1)
「研究者にとって一番勇気づけられるのは、難病患者にとって今すぐに治療法がないとよく分かっていて、病気が進行する中、iPS細胞など新しい医学発見により将来治るかもしれないと希望になっていることだ」(10年11月、京都賞受賞後の記者会見で)=(2)
「研究をする上でのモットーは『ビジョン&ワークハード』。目的を持って一生懸命に働く。非常に当たり前のことだが非常に難しい」(08年4月、神戸大入学式での講演)=(3)
「科学技術が日本の将来を支える大きな柱であることは間違いないが、研究者は研究室に閉じこもっていればいいわけではない。一歩外へ出て、取り組む研究の意味を社会へ発信する努力をしなければならない」(11年1月、毎日新聞のインタビュー記事で)=(4)
「目の前にチャンスがあり、やるという選択肢とやらないという選択肢がある時に、基本的には大体やる。それをいろんな状況からやらないと選択せざるを得ない時は非常に面白くない」(11年7月、毎日新聞などの共同インタビューで)=(5)
◇患者へ思いよせ ギャグも忘れず
今月8日、受賞決定後の記者会見。山中さんは喜びとともに、自ら開発した技術への期待に対し、気持ちを引き締めた。
実は、07年11月、ヒトの皮膚細胞から初めてiPS細胞を作り出すことに成功したことを受けての記者会見でも、「責任」という言葉を使い、技術を医療への応用に結びつけなければならないという使命感をあらわにした=(1)。その姿勢は一貫している。
iPS細胞は、病気の原因解明や治療への応用に期待が寄せられている。山中さんの言葉には、それらを待ち望む難病患者らへの思いがにじむ=(2)。ノーベル賞受賞後の記者会見でも「まだiPS細胞は新しい技術。本当の意味で新薬開発や医学の役に立ったという段階ではない。一日も早く応用して社会貢献したい」と強調した。
仕事への姿勢を示した発言も多い=(3)、(4)。毎日新聞の11年のインタビューで、研究を趣味のマラソンにたとえ、「研究で負けるというのは論文発表で先を越されること。たとえそうなっても、諦めずに最後まで走り抜き、きちっと論文や特許を出していく。研究者にはそういう使命がある」と話した。(5)のように、物事への取り組み方を語ったものもある。
山中さんは、93年からの米国留学中、プレゼンテーションの大切さをたたき込まれたという。講演では「iPS細胞は髪の毛1本から作れるようになったが、私のような(額の大きい)人間には髪の毛1本でも大事です」などと、「自虐ネタ」を交えて語る。「人の心をつかむためには笑いの一つも取らなければだめだ」と話し、関西人(大阪市生まれ)らしく、ギャグも忘れない。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/feature/news/20121010k0000e040216000c.html

ノーベル賞:医学生理学賞に山中氏 「シンヤの物語はこれから始まる」 教授在籍の米研究所が特集サイト
ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった山中伸弥・京都大学教授(50)が93年から3年間、研究員として在籍し、現在も上級研究員として籍を置くカリフォルニア大学サンフランシスコ校系列のグラッドストーン研究所が8日、記者会見を開いた。サンダーズ・ウィリアム所長は「シンヤの物語はこれで終わりではなく、これから始まる」と述べた。
山中教授も会見にテレビ電話で参加。「何の実績もなかった私を研究所は雇ってくれ、幸運だった。研究所の仲間がいなければノーベル賞受賞はなかった」と感謝を述べた。
研究所はウェブサイトに山中教授の受賞を知らせる特集ページを開設。実験室でポロシャツ姿でいる留学当時の写真を掲載し「米国の研究所にいくつも申請したが、グラッドストーン研究所だけが連絡をくれた」と振り返る山中教授のコメントを紹介した。
また、特集ページで、山中教授の同僚だったロバート・メイリー上級研究員が、実験用マウスが肺がんにかかり山中教授の研究が失敗した時の様子を紹介。「彼はくじけずにマウスの死因を調べ、幹細胞研究に答えを見いだした。そこから歴史が始まった」と不屈の精神をたたえた。
山中教授は同研究所に現在も実験室を持ち、毎月のように日米を往復する生活を送っている。24~25日には研究所で開かれるシンポジウムで講演する予定。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/news/20121010ddp041040022000c.html

山中氏ノーベル賞:共同受賞のガードン博士、来春に京都へ
京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)とともにノーベル医学生理学賞の共同受賞が決まった英ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士(79)が、来年3月に同研究所が京都市で開く国際シンポジウムに招かれ、2人の受賞者が同席することになった。10日に同市左京区であった同研究所主催のシンポジウムで、山中教授が明らかにした。
山中教授は集まった研究者らに「iPS細胞に関する研究がこの5年間で大きく進展したことが、受賞の要因だ。皆様のご尽力、ご努力に改めて感謝申し上げます」と述べた後、ガードン博士の招待に言及した。
同研究所によると、国際シンポジウムはiPS細胞がテーマで、昨年3月31日と4月1日に開催する予定だったが、東日本大震災のため中止していた。96年に哺乳類初のクローン羊「ドリー」を誕生させた英エディンバラ大のイアン・ウィルムット教授、iPS細胞を使った再生医療研究で知られる岡野栄之・慶応大教授らも参加する。
ガードン博士は、62年にクローンオタマジャクシを世界で初めて誕生させた業績で受賞が決まった。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/feature/news/20121011k0000m040033000c.html

山中氏の快挙支えた「右腕」 iPSの秘密、2人で守る
研究室1期生の高橋さん 発見から発表まで1年

ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった山中伸弥京都大教授(50)を支えたのは、12年間研究を共にした高橋和利講師(34)。「実験技術を直接教えてもらったのは僕だけ」。山中さんの“右腕”といえる存在だ。
「先生に教わったのは研究の面白さと実験での驚き。たとえ理論からずれていることを言っても、頭ごなしに否定せず『面白いからやって』と言われ、やる気が出た」と振り返る。
2000年、奈良先端科学技術大学院大で山中研究室の1期生に。工学部出身のため、ピペット(液体の計量器具)の握り方から教わった。
博士号を取得後、山中さんの移籍先である京大で研究を継続。世界で初めてiPS細胞を作製したときは「(皮膚細胞に)たった4つの遺伝子を導入してできるんや」と感動した。
研究室の同僚に伝えたい思いを抑え、06年の論文発表まで1年弱、山中さんと2人で秘密を守り通した。「苦しかったが、外部に漏れたら2週間でまねができてしまうほど簡単な作り方だった」
大胆に決断した後は、結論を出すまでとことん慎重なのが山中流。実験結果を伝えると「何回繰り返したか」と必ず詰められる。iPS細胞を作製したときも、7回以上繰り返して確信した。「僕も山中先生も、人がごみと思って捨てた中に宝があるという考えでやってきた。多分これからもやっていくと思います」
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXDASDG0903R_Z01C12A0CC1000/

文科省、山中教授らに10年助成 iPS細胞研究費を支援
文部科学省は京都大学の山中伸弥教授が率いる研究所を中心に、iPS細胞の実用化研究に対し今後10年間、研究費を助成する方針を決めた。総額で200億~300億円を要求する見通し。国の科学研究は原則5年間が上限で、10年にわたる長期支援を約束するのは異例。2012年のノーベル生理学・医学賞に輝いた成果を国を挙げて支援し、iPS細胞を活用した再生医療や創薬の早期の実用化を目指す。
国の再生医療研究の柱として、08年度から本格的に始まった「再生医療の実現化プロジェクト」がある。山中教授が所長の京都大iPS細胞研究所に加え、東京大、慶応大、理化学研究所の計4拠点に5年間で約100億円を助成してきた。
同プロジェクトは12年度で終わる。文科省は今後、22年度まで継続することにした。初年度13年度の概算要求に27億円を計上、14年度以降も毎年20億~30億円を要求していく計画だ。
京都大iPS研には若手研究者や研究支援者、知財関係の担当者ら現在、約200人が働いている。正規教職員は1割にすぎず、残りは研究費で雇われている非正規。国からの長期の助成が約束されると、現在、進めている難病の治療法や新薬開発を滞らせずに研究に専念できる環境が整う。
科学研究では宇宙や原子力関係などの国家プロジェクトを除き、政府の支援期間は平均2~3年で最長でも5年。その後、成果を評価し、支援を更新するか決めてきた。
iPS細胞の再生医療を巡っては、脊髄損傷や重い心臓病を対象に動物実験で成果が出始めている。ただ、臨床応用が本格化するのは20年以降になる。米国との激しい研究競争を勝ち抜くために、山中教授もここ数年、国に長期の研究支援を訴えてきた。
再生医療への研究費は厚生労働省や経済産業省、内閣府も助成してきた。今後、各省の調整が必要になりそうだ。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXDASGG0903H_Z01C12A0MM8000/

iPS細胞、新時代導く 山中伸弥氏受賞 座談会
2012年のノーベル生理学・医学賞は京都大学教授の山中伸弥iPS細胞研究所長ら2人に贈られる。医療に新たな道を開くiPS細胞を作製した業績は、生物学の常識をも塗り替えた。岸本忠三大阪大学元学長、中村道治科学技術振興機構理事長、澤芳樹大阪大学教授、庄田隆第一三共会長による座談会を開いた。(司会は科学技術部長 鹿児島昌樹)=文中敬称略
■岸本氏「教科書を書き換える成果」
――今回の受賞をどう見ますか。
中村 受賞対象の研究成果は、国の研究費に応募した時のテーマが「真に臨床応用できる多能性幹細胞の樹立」。基礎研究ながらも初めから臨床応用を目指していた。課題解決型基礎研究の先駆けで、素晴らしい成果を出してもらった。今後の弾みになる。
岸本 ヒトiPS細胞作製は米国チームと同時だが、ネズミで先行していた山中氏1人が選ばれた。皮膚など大人の細胞に育ったものが受精卵同様の状態に戻るという原理原則の大発見。まさに教科書を書き換える成果だ。わずか6年で受賞という早さは、皆の驚きとインパクトの大きさを表している。
庄田 今年正月のインタビューで「iPS細胞の応用正念場の年」と山中氏が言っていた。まさにその年の受賞で、再生医療や創薬の分野で産業応用も進むだろう。
澤 山中氏と共同研究を始めて5年。細胞をシート状に培養して重症心不全患者に使う治療研究を進めているが、当時は受精卵を壊して作るもう1つの万能細胞の胚性幹細胞(ES細胞)では倫理的な壁があり難しいと感じていた。iPS細胞の登場は突破口になる。
■庄田氏「新薬開発の短縮に期待」
――iPS細胞の医療への応用は。
澤 本格的な治療はまだ始まっていない。これまでは受精卵から作るES細胞から臓器や組織を作っていたが、新しい血管を作り出すなど一部機能が確認されただけで、機能再生に役立っているか不明だった。治療には大量の細胞が必要だがES細胞では倫理的、宗教的な壁にぶつかり、欧米でも実用化は難しい状況だ。
一方のiPS細胞は倫理面でも、大量の細胞を作るという面でも問題がない。山中教授と共同研究している重症心不全の治療研究ではiPS細胞から作る心筋細胞が数十億~100億個必要だ。
庄田 再生医療を進めるには支援する周辺の産業の育成も重要だ。iPS細胞の作製や培地、試薬、画像解析装置、輸送装置なども不可欠。ものづくり日本の視点に立つことが大事だ。
――創薬への活用は。
庄田 薬の開発期間の短縮にも期待できる。iPS細胞で病気を再現できるので、これまでのように病気の動物を使って薬の効果などを確かめずに済む。安全性や毒性を調べることもできる。日本製薬工業協会は病気別のiPS細胞バンクをつくる国のプロジェクトに協力していく。
中村 産業化では欧米諸国が大変な勢いで研究開発をしている。日本でもベンチャー企業や計測機器、物流など周辺産業の企業が入り、製造から医療現場までの一貫した流れまで急いで作り上げる時期にきている。ベンチャー企業はいくつかあるが、10~20社程度は出てきて参入してほしい。
澤 欧米の研究は最近までES細胞が中心で、iPS細胞に批判的な論文も多かった。だがふたを開けてみると、ものすごくiPS細胞研究を進めていた。しかも実用化を念頭におきビジネスとつながっている。山中教授は「このままでは負ける」と危機感を抱いていた。
米国のゴールドラッシュで金鉱を掘る人にジーパンを販売したリーバイ・ストラウス社が大きく育った。iPS細胞の周辺産業を伸ばすためにも関係各省が共同で政策を進めてほしい。研究資金の選択と集中が必要。iPS細胞は最先端研究開発支援プログラムの成功例。日本発のiPS細胞は、国ごとかけるぐらいでないと産業としてなかなか成功しないだろう。
■澤氏「知財保全、早急に対策を」
――基礎研究の成果を実用化していくには知的財産権の扱いが焦点になります。
澤 楽観できる情勢ではない。大学の現場ではせっかくの研究成果を権利化せず垂れ流している。知財の保全をどうしたらよいのか、現場でよくわかっていない。米国はビジネスとつなげた戦略を描いている。日本でも国が早急に対策を打ち、戦略的に進めないと危ないことになる。
岸本 薬の開発はひとつの特許がすべての権利を決めてしまうこともある。日本の場合、企業は知財問題にきちんと取り組んできたが、大学の取り組みは不十分だ。
庄田 山中教授は成果の権利化を進めていたが、日本全体でみるとiPS細胞に関する知財の扱いは欧米に大きく遅れていた。危機感を抱いた製薬業界は2008年、様々な研究機関に対し権利化を支援した。産業化には知財が非常に重要な要素となる。知財とともに標準化に向けた取り組みも欠かせない。
■中村氏「メッセージ、若い世代に」
――優秀な人材を次世代につなげるには何が必要ですか。
中村 学生は10年、20年先を見据えて将来を考えている。社会や産業界が若い世代に対し積極的にメッセージを送る必要がある。未来の日本の姿をどう描いているのか、研究の世界ではどんなにおもしろいことができるのか伝えていきたい。
岸本 若い世代を幅広く支援し、下支えする取り組みが求められる。その中から今回のように思いがけない発見や成果が出てくる。あまり日本という国にとらわれず、世界のどこかで人類に役立てばよいという考えがあってもよい。
庄田 有望な研究成果が得られ実用化が視野に入ったら、産業界と共同で集中して取り組んでいく姿勢が求められる。いまは学会と産業界の壁が障害になっている。この壁をどう取り払い、人材の流動性を高めるかが課題だ。
澤 子供は科学好きだ。しかしどこかでその心は消えてしまう。先を見通せないからだろうか。医学分野でも研究に携わる基礎医学の志望者が減っている。未来の科学者に対し、将来の展望を示すことが必要だ。
▼幹細胞とiPS細胞とは
人間の大人の体には約200種類、60兆個の細胞があり、その中で自分自身をコピーしながら複数種の細胞を作り出す能力のあるのが「体性幹細胞」。神経幹細胞や造血幹細胞などがあり、それぞれ様々な神経細胞や血液細胞に育つ。これに対し、iPS細胞や受精卵の一部を培養して作るES細胞は、体のあらゆる臓器や組織の細胞に育てることができる。体性幹細胞、iPS細胞、ES細胞などを総称し幹細胞とも呼ぶ。
▼最先端研究開発支援プログラム(FIRST)とは
最先端研究開発支援プログラム(FIRST)は、内閣府が主導で国内の優れた研究者30人を選び長期的に研究を支援するプロジェクト。山中教授ら京都大チームの「iPS細胞再生医療応用プロジェクト」は世界の標準的なiPS細胞作製や医療応用技術の開発を目指す。
同チームには2009年度から5年間で50億円の研究資金を提供している。
■人材の裾野広げる工夫を(座談会を終えて)
山中教授によるiPS細胞作製の成果は基礎研究として画期的なだけでなく、再生医療や創薬など産業応用に直結するため国際競争が一気に激化した。座談会では優れた研究の芽を見いだして育てることの重要性と、産業化をいかに効果的に進めるかが話題になった。
iPS細胞の研究は岸本忠三大阪大元学長の目に留まり、研究費の確保につながった。研究組織の序列や枠組みにとらわれず、面白い研究を引き上げる岸本氏のような存在は若手研究者にとって何よりの応援になる。制度面の検討も大切だが、目利きが増えないことには実効性に乏しい。
米国立衛生研究所(NIH)は米国以外の優れた研究者にも研究費を出している。世界に張り巡らした研究者のネットワークから情報を集め、これはと思う人材を積極支援して最終的に自国の競争力向上に生かす。同じような仕組みが日本にもあっていい。
一方、iPS細胞研究の臨床応用や産業化の加速を巡っては澤芳樹大阪大教授も指摘するように関係省が多く、安全性や品質に関する規制の議論に時間がかかる。また、大学の倫理委員会や医薬品の審査・承認機関、知的財産部門にはiPS細胞などに関する知識が豊富な人が少ない。
山中教授が常々指摘しているように、実用化を側面支援する人材の不足は深刻。研究者の育成だけでなく支援要員を含め、人材の裾野を広げる工夫も忘れてはならない。
(日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO47074820Z01C12A0M10900/






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