山中氏ノーベル賞:iPS細胞研究室を公開 京大 | 再生医療が描く未来 -iPS細胞とES細胞-

山中氏ノーベル賞:iPS細胞研究室を公開 京大

京都大iPS細胞研究所は9日、山中伸弥教授の研究室を公開した。講師や研究員、大学院生ら58人が所属。研究員は「身近な先生が受賞したことを誇りに思う」と話し、高揚した雰囲気に包まれた。
実験台には、iPS細胞を移植したマウスの細胞が入ったプラスチック製試験管や薬品などが並び、研究員らは通常通り実験を進めていた。
iPS細胞の品質評価を担当する大貫茉里さん(28)は「まだ受賞はないだろうと思っていたので『えっ、もう』という感じ。不意打ちのようだった」と振り返った。9日未明、研究室で山中教授に「おめでとうございます」と言うと、「ありがとう。でも少し疲れた」と話していたという。
大貫さんは「研究に対する姿勢は『厳しさ』しか思い浮かばない。受賞で忙しくなり、研究現場から離れてしまわないか少し心配です」と語った。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20121009k0000e040159000c.html

山中氏ノーベル賞:「家族に感謝」一夜明け、夫妻で会見
「つらいときも家族が笑顔で迎えてくれた」。今年のノーベル医学生理学賞受賞が決まった京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)は、一夜明けた9日午前、妻で医師の知佳(ちか)さん(50)とそろって京都市左京区の京都大で記者会見に臨んだ。「今後も研究を多くの人と協力してやっていく必要がある」と、改めて受賞の心境を語る一方、妻に感謝の言葉をささげる山中教授。研究に打ち込む厳しい表情とは異なり、夫としての、そして2人の娘の父親としての横顔を見せた。
山中教授夫妻はこの日午前9時半ごろ、京都大に到着。出迎えた研究所職員から花束を受け取った。その脇で、知佳さんがそっと寄り添った。
午前10時からの記者会見。山中教授は一夜明けての心境を「感謝と責任の二つの気持ちを強く持っている」としたうえで、「研究を完成させることは一人ではできない。今回賞をいただき、そのかじ取り、けん引役を任命されたと思っている」と語った。
知佳さんは、受賞の知らせが届いた時について、「夫が英語で『サンキュー、サンキュー』と言っていたので『大変なことになった』と娘と顔を見合わせました。しばらくしてから『良かったね』と(本人に)声をかけた」と振り返った。
知佳さんによると、山中教授は「家では普通の夫。休日は家族のために手伝ってくれる」という。山中教授は「失敗ばかりで泣きたくなるような二十数年。そんな時に家族が笑顔で迎えてくれた。妻も自分の仕事を中断してついてきてくれた」と話した。特に米国での生活について、「研究するか家にいるかの生活。子育てに携わり、子どもの笑顔を見ることが支えになった」と振り返った。
知佳さんは「忙しいときは声をかけるのもはばかられる。家族でどうサポートすればいいか分からないこともあった。重圧を感じていることを頻繁に感じている。外国とは時差もあり、夜中でもやりとりをしており、リラックスする時間が限られている。しっかり休んでほしい」とねぎらった。
そして、今回のノーベル賞受賞について、「たくさんの方に喜んでもらえることがうれしい。ありがとうございました」と声を詰まらせた。
ノーベル賞受賞決定を受けて山中教授が取材対応を終えたのは9日午前2時ごろだったという。「学生たちが研究所で待っていてくれた。喜ばせ、和ませようと思ったのか変装までして迎えてくれた。仲間に恵まれたことが今回の受賞につながった。米国の多くの仲間にも支えられた」。学生と研究仲間に対しても感謝の言葉を語った。
「これからも家族、友人に支えられながら、iPS細胞がノーベル賞にふさわしい仕事だと思われるよう頑張りたい」。山中教授は、そう力を込めた。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20121009k0000e040130000c.html

山中氏ノーベル賞:「命救うため前へ」愛弟子、冷静に喜び
ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)は8日夜の記者会見で、一人の若手研究者の名を挙げて謝意を伝えた。同研究所講師の高橋和利さん(34)。無名時代から山中さんを支え続ける愛弟子であり、人工多能性幹細胞(iPS細胞)の発見に導いた同志だ。
「大変光栄です。ただ、僕だけでなく、同僚たちの誰一人が欠けてもできなかった成果です」。9日未明、出張先の千葉県成田市のホテルで、高橋さんは冷静に喜びを語った。
山中さんは99年、奈良先端科学技術大学院大で初めて自分の研究室を持った。高橋さんはその翌年に同大に入学。畑違いの工学部出身だったが、「知識のない人を分かった気にさせるような研究紹介」にひかれて、山中研究室の門をたたいた。
「成績は一番悪く、経験も実績もない落ちこぼれ」。一から生物学に取り組んだ高橋さんは、当時の自分を振り返る。それでも恩師は、器具の握り方から実験のやり方を手取り足取り指導してくれた。それから5年後の夏、山中さんを追って移った京都大の研究室でiPS細胞の作成に初めて成功した。
世紀の発見だったが、論文発表までの約1年は、山中さんと2人で同僚にも秘密を貫いた。この分野の国際競争は激しく、数週間程度でまねをされて作れるほど簡単な方法だったからだ。高橋さんは「山中先生の下で研究を始めて残した実験ノートは1000ページ以上。その中で、あの時はたった1ページの出来事なんです」。
今は最新のデータのことで頭がいっぱいだ。「まだ、iPS細胞で誰の命も救っていない。昔にひたるよりも、僕たちは前に向かっている。先生もきっとそうだと思います」。移動中に朗報が届いた高橋さんは、山中さんと話す間もなく、学会出席のため9日午前にニューヨークに飛び立った。恩師に会ったらまず伝えたい。「この前渡した論文の原稿に早く目を通してください」
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20121009k0000e040122000c.html

ノーベル賞:医学生理学賞に山中氏 両陛下も祝福
宮内庁は9日、天皇、皇后両陛下が同日午前、ノーベル医学生理学賞を受賞した京都大iPS細胞研究所長の山中教授に対し、川島裕侍従長を通じ、電話で祝意を伝えたことを明らかにした。川島侍従長は「健康に十分留意して研究を続けてほしい」という趣旨の両陛下の言葉も伝えたという。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/news/20121009ddh041040003000c.html

山中氏ノーベル賞:有言実行とちゃめっ気 舌を巻く同級生
「有言実行」「親しみやすい」--。ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)を知る同級生や難病患者たちが語るエピソードからは、多面的な人柄が浮かび上がる。
中学・高校時代の同級生で会社経営、芳武努さん(50)は、「柔道部員として活躍しながら生徒会副会長も務め、文武両道だった」と振り返る。高校3年のころ、柔道部員だった山中さんは「二段をとれなかったら部活をやめる」と言ってすぐに実現した。「有言実行タイプで、しかも偉ぶったところが無く、ちゃめっ気もある」と舌を巻く。
妻知佳さん(50)も中高時代の同級生の医師だ。同じく同級生だった会社経営、平田修一さん(50)によると、高校の修学旅行で北海道を訪れた時、自由時間に2人でサイクリングに行って集合時間に遅れ、交際が発覚したという。平田さんは「周りもうらやむベストカップルだった」と話す。
山中さん夫妻と芳武さん、平田さんは今月3日、大阪市内で会食した。芳武さんが「月曜(8日)楽しみにしているぞ」と握手すると、「うん」と答えたという。年に5、6回は酒を酌み交わす芳武さんは、「昔『賞をとったら賞金の1%でおごって』と頼んだ。ぜひ実現してほしい」。
患者たちは研究成果への期待だけでなく、人柄に親しみを感じている。
脊髄(せきずい)損傷の患者らでつくるNPO法人「日本せきずい基金」の大浜真理事長は09年に初めて山中さんに会った。依頼した講演は必ず受けてくれたといい、「患者との会話を大事にしていた。臨床医の時の思いがあったのではないか。『自分も治るかもしれない』と希望が持てた」と語る。
原因不明の難病、1型糖尿病患者を支援するNPO法人「日本IDDMネットワーク」の井上龍夫理事長は09年、患者向けガイドブック作製のため山中さんに会った。iPS細胞について丁寧に分かりやすく説明してくれたうえ、糖尿病を患いながら活躍する阪神タイガースの岩田稔投手を話題にしたという。井上さんは「糖尿病の患者が皆応援している選手の話で、場を和ませてくれた。誠実で謙虚、それでいて親しみやすい。今後も難病患者の希望となってほしい」と期待した。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20121009k0000e040145000c.html

世界の雑記帳:ノーベル賞共同受賞のガードン博士、学生時代は「落ちこぼれ」
あらゆる細胞に分化増殖できるiPS細胞の研究で、京都大学の山中伸弥教授(50)とともにノーベル医学生理学賞を受賞した英ケンブリッジ大学名誉教授のジョン・ガードン博士(79)。学生時代はかなりの落ちこぼれで、教師に見放されるほどだったという。
ガードン博士は今なお、学生時代の学業報告を額に入れて机に置いている。その中で教師は、「科学者になるという考えを彼は持っていると思う。これは全くばかげている」と指摘。さらに、「彼にとっても、指導する必要がある側にとっても全く時間の無駄だ」と、若き日の博士を酷評している。
ガードン博士は一度科学から離れたが、大学でかつての夢に再び取り組み、1962年にその後のiPS細胞作製の原点になる実験に成功した。
ガードン博士は、今もその報告を持っている理由を聞かれ、「例えば、実験がうまく行かないなどの問題が起きた時、結局自分はこの仕事に向いておらず、先生が多分正しかったと思い出すのは良いことだ」と語っている。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/feature/news/20121009reu00m040002000c.html

山中氏ノーベル賞:「若い研究者に夢と希望」野田首相祝意
野田佳彦首相は9日午前、京都大iPS細胞研究所の山中伸弥教授のノーベル医学生理学賞の受賞が決まったことについて「国内を拠点に研究され、素晴らしい受賞をされた。今後、若い研究者に夢と希望を与えるのではないか。偉業だと思う」と祝意を示した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20121009k0000e010135000c.html

山中氏ノーベル賞:受賞効果、寄付続々と
京都大の山中伸弥教授(50)が所長を務める京都大iPS細胞研究所(京都市左京区)に8日夜のノーベル賞受賞決定後、インターネットを通じて続々と寄付が集まっている。午後7時から9日午前11時までに175件、154万800円に達しており、受賞効果が表れた形だ。「わずかですがお役立て下さい」「iPS細胞の実用化に期待しています」など激励や期待の言葉も添えられている。
寄付は、インターネットを通じた寄付サイト「ジャスト・ギビング・ジャパン」(http://justgiving.jp/)で行われているもの。受賞前は1020件、1233万2700円だったが、その多くは山中さんが3月、京都マラソンでの完走を条件に寄付を呼びかけた際に寄せられたものだという。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20121009k0000e040151000c.html

山中氏ノーベル賞:iPS細胞銘柄が軒並み上昇
京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授が12年のノーベル医学生理学賞受賞が決まったのを受けて、9日の株式市場では「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」の関連銘柄が軒並み上昇した。値幅制限の上限となるストップ高となったり、買い注文が殺到し、値がつかない銘柄も出た。
iPS細胞の研究を手掛けるJ・TEC(大阪証券取引所ジャスダック上場)と医療用細胞シートを開発するセルシード(同)は一時、ストップ高となった。また、iPS細胞作成のライセンスを持つタカラバイオ(東京証券取引所マザーズ)などは買い注文が殺到し、午前取引では取引が成立していない。
iPS細胞から作った治療用細胞を効率良く培養する装置を開発した島津製作所(東証1部)は一時、前週末終値比33円高の553円、良質なiPS細胞を自動選別する技術を開発したニコン(同)も同53円高の1992円をつけた。iPS細胞の共同研究を続けてきた大日本住友製薬(同)も一時、同29円高の861円となった。「受賞を機に、国の取り組みに力が入り、将来の収益拡大につながるとの期待が高まった」(岩井コスモ証券の有沢正一・投資調査部副部長)。
ただ、株価が急騰した後、下落に転じる銘柄も。ニコンは上昇後は下落に転じ、一時、同21円安の1918円をつけた。「受賞を受けた買いは明日までに一巡する」(有沢氏)との見方が強い。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20121009k0000e020150000c.html

山中氏ノーベル賞:中国ネット、率直に功績評価
日本政府による尖閣諸島(中国名・釣魚島)国有化を受けて中国では対日感情が極度に悪化したが、インターネット上では山中伸弥・京都大教授のノーベル医学生理学賞受賞決定に関して功績を率直に評価する声や中国の現状に疑問を投げかける意見が目立っている。
中国では自然科学分野でのノーベル賞受賞が悲願とされ、大手ポータルサイト「新浪網」ではノーベル賞発表に合わせて特設ページを設けている。受賞を受け、「人類への真の貢献であり、敬意を表したい」「我々は模倣で満足している」といった感想が書き込まれた。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20121009mog00m030011000c.html

山中氏ノーベル賞:中国主要紙の多くが1面報道
中国メディアは9日、京都大の山中伸弥教授のノーベル医学生理学賞の受賞決定について主要紙の多くが1面で報じるなど、高い関心を示した。日本政府の尖閣諸島(中国名・釣魚島)国有化への批判的な報道とは異なり、山中教授の功績などを詳しく紹介した。自然科学分野で中国大陸在住の受賞者がまだ一人もいないことから、教育制度に疑問を投げかける声も紹介している。
国際情報紙「環球時報」の英語版「グローバル・タイムズ」は1、2面で報道。「日本人がノーベル賞で我々を打ち倒したと感じた」、「中国は試験に偏重し、独創性のある教育制度が不十分」などの意見がインターネットに書き込まれたと伝えた。
さらに「中国は科学技術で急速に発展したが、科学研究や高等教育でまだ日本より遅れている。この先10年は中国から自然科学分野のノーベル賞受賞者が出ることを期待しない」とする識者のコメントも掲載した。
北京紙「新京報」は山中教授の研究成果を「臓器移植と遺伝子治療の分野での貢献は非常に大きい」と述べる遼寧大学生命科学院の王秋雨教授の見方を伝え、野田佳彦首相が受賞決定を電話で称賛したことも伝えた。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/feature/news/20121010k0000m040058000c.html

山中氏ノーベル賞:米研究所、不屈の精神をたたえる
ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった山中伸弥氏が93年から3年間、研究員として在籍し、現在も上級研究員として籍を置くカリフォルニア大学サンフランシスコ校系列のグラッドストーン研究所が8日、記者会見を開いた。サンダーズ・ウィリアム所長は「シンヤの物語はこれで終わりではなく、これから始まる」と述べた。
山中氏も会見にテレビ電話で参加。「何の実績もなかった私を研究所は雇ってくれ、幸運だった。研究所の仲間がいなければノーベル賞受賞はなかった」と感謝を述べた。
研究所はウェブサイトに山中氏の受賞を知らせる特集ページを開設。実験室でポロシャツ姿でいる留学当時の写真を掲載し「米国の研究所にいくつも申請したが、グラッドストーン研究所だけが連絡をくれた」と振り返る山中氏のコメントを紹介した。
また、特集ページで、山中氏の同僚だったロバート・メイリー上級研究員が、実験用マウスが肺がんにかかり山中氏の研究が失敗した時の様子を紹介。「彼はくじけずにマウスの死因を調べ、幹細胞研究に答えを見いだした。そこから歴史が始まった」と不屈の精神をたたえた。
山中氏は同研究所に現在も実験室を持ち、毎月のように日米を往復する生活を送っている。24~25日には研究所で開かれるシンポジウムで講演する予定。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/feature/news/20121010k0000m040063000c.html

ノーベル賞:医学生理学賞に山中氏 失敗続き、支えは家族
「つらいときも家族が笑顔で迎えてくれた」。今年のノーベル医学生理学賞受賞が決まった京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)は、一夜明けた9日午前、妻で皮膚科医の知佳(ちか)さん(50)とそろって京都市左京区の京都大で記者会見に臨んだ。「今後も研究を多くの人と協力してやっていく必要がある」と、改めて受賞の心境を語る一方、妻に感謝の言葉をささげる山中教授。研究に打ち込む厳しい表情とは異なり、夫としての、そして2人の娘の父親としての横顔を見せた。
山中教授夫妻はこの日午前9時半ごろ、京都大に到着。出迎えた研究所職員から花束を受け取った。その脇で、知佳さんがそっと寄り添った。
午前10時からの記者会見。山中教授は一夜明けての心境を「感謝と責任の二つの気持ちを強く持っている」としたうえで、「研究を完成させることは一人ではできない。今回賞をいただき、そのかじ取り、けん引役を任命されたと思っている」と語った。
知佳さんは、受賞の知らせが届いた時について、「夫が英語で『サンキュー、サンキュー』と言っていたので『大変なことになった』と娘と顔を見合わせました。しばらくしてから『良かったね』と(本人に)声をかけた」と振り返った。
知佳さんによると、山中教授は「家では普通の夫。休日は家族のために手伝ってくれる」という。山中教授は「失敗ばかりで泣きたくなるような二十数年。そんな時に家族が笑顔で迎えてくれた。妻も自分の仕事を中断してついてきてくれた」と話した。特に米国での生活について、「研究するか家にいるかの生活。子育てに携わり、子どもの笑顔を見ることが支えになった」と振り返った。
知佳さんは「忙しいときは声をかけるのもはばかられる。家族でどうサポートすればいいか分からないこともあった。重圧を感じていることを頻繁に感じている。外国とは時差もあり、夜中でもやりとりをしており、リラックスする時間が限られている。しっかり休んでほしい」とねぎらった。
ノーベル賞受賞決定を受けて山中教授が取材対応を終えたのは9日午前2時ごろだったという。「学生たちが研究所で待っていてくれた。喜ばせ、和ませようと思ったのか変装までして迎えてくれた。仲間に恵まれたことが今回の受賞につながった。米国の多くの仲間にも支えられた」。
「これからも家族、友人に支えられながら、iPS細胞がノーベル賞にふさわしい仕事だと思われるよう頑張りたい」。山中教授は、そう力を込めた。
◇発表6年、スピード受賞 「動かしがたい業績」評価 共同受賞者の高齢配慮?
ノーベル医学生理学賞に決まった山中教授は、授賞対象となった人工多能性幹細胞(iPS細胞)作成の発表からわずか6年でのスピード受賞となった。ノーベル賞は通常、業績を上げてから受賞まで5~20年待つと言われ、1世紀を超えるノーベル賞の歴史の中ではかなり早い。
創始者のアルフレッド・ノーベルは「前年に功績をあげた人物」に賞を与えるよう遺言を残した。だが、実際の選考では「前年に業績の影響力が完全に認識されること」と解釈されており、真偽を含め評価が定まるまで授賞を待つ。過去には、がんが寄生虫によって発生するとした発見に1926年の医学生理学賞が与えられた後誤りと分かった例もあり、審査は慎重に行われる。
自然科学3賞の日本人受賞者を見ても、08年の物理学賞を受けた南部陽一郎さん(91)が授賞対象となった「対称性の自発的な破れ」という概念を提唱したのは1960年代。ゆうに半世紀を経ての受賞だ。「待ち時間」が最も短かった利根川進さん(73)=87年医学生理学賞=でも11年。山中教授の「6年」は異例に短い。
スピード受賞の背景には、業績そのものが世界に与えたインパクトに加え、共同受賞者であるジョン・ガードン氏(79)の存在もあるとみられる。受賞の業績となったカエルのクローン作成をちょうど50年前に成功させており、待ち時間は半世紀に及ぶ。ノーベル賞は「死者には授与しない」という原則もあり、選考の過程でガードン氏の高齢への配慮があった可能性も否定できない。
ノーベル賞に詳しいジャーナリストの馬場錬成(れんせい)さんは「医学生理学賞は、発見の真偽や社会がどう受け入れたかをより慎重に審査するが、山中さんの業績はどこから見ても動かしがたいことが認められたのだろう」と分析する。
過去には、高温超電導体の発見に対して翌87年に物理学賞が贈られた例がある。一方、発がん性ウイルスの発見には、論文発表から55年後の66年に医学生理学賞が贈られている。
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◇自然科学3賞日本人受賞者の「待ち時間」
氏名(賞)    業績を上げた年 受賞年  待ち時間
湯川秀樹(物)  1935    1949  14年
朝永振一郎(〃) 1947    1965  18年
江崎玲於奈(〃) 1957    1973  16年
福井謙一(化)  1952    1981  29年
利根川進(医生) 1976    1987  11年
白川英樹(化)  1977    2000  23年
野依良治(〃)  1980    2001  21年
小柴昌俊(物)  1987    2002  15年
田中耕一(化)  1987    2002  15年
南部陽一郎(物) 1960年代  2008 約50年
小林誠(〃)   1973    2008  35年
益川敏英(〃)  1973    2008  35年
下村脩(化)   1962    2008  46年
鈴木章(〃)   1979    2010  31年
根岸英一(〃)  1977    2010  33年
山中伸弥(医生) 2006    2012   6年
※物=物理学賞、化=化学賞、医生=医学生理学賞。業績を上げた年は過去の報道などによる。敬称略
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/news/20121009ddg001040002000c.html

山中氏ノーベル賞:受賞決定電話はマラソン練習後だった
ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった山中伸弥教授(50)は9日午後も、取材や表彰などへの対応に追われた。
山中教授は、京都府特別栄誉賞の表彰のため京都大(京都市左京区)を訪れた山田啓二・京都府知事と面談。受賞が決定した8日の昼間、マラソンの練習をしていたことを明かし、「25キロ走ってビールを飲もうと思っていたのに、(受賞決定の)電話がかかってきました」と笑顔を見せた。山田知事が「(今年11月の)大阪マラソンを走られるんですか」と問うと、「そのつもりですが、(この忙しさで)練習できるかなと心配です」と笑みを浮かべた。
その後、報道陣の取材に応じ、妻知佳(ちか)さん(50)とそろって臨んだ記者会見について「家内は『大阪のおばちゃん』で、もっと肝っ玉がすわっているのかと思っていたが、驚くほど動揺していた。そんな一面もあるんだな、と改めて思った」と冗談交じりに述べた。
また、9日朝に米国に出張した共同研究者の高橋和利・京都大講師(34)から出発間際に「早く論文を見てください」とのメールが届いたと話し、「この後は論文を頑張りたい」と研究活動への意欲を示した。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/feature/news/20121010k0000m040066000c.html

憂楽帳:「ついに取った!」
京都大の山中伸弥教授がヒトの皮膚細胞から人工多能性幹細胞(iPS細胞)の作成に成功したと発表したのは07年11月だった。その1カ月前に京都支局デスクに赴任した私は、科学分野の門外漢。執筆は専門記者任せだったが、大いにまごついた覚えがある。
それから京都を離れるまでの3年半、応用技術の発見や安全性の向上、作成技術の特許取得などが相次ぎ、iPS細胞との付き合いが続いた。そして秋になる度、山中さんのノーベル賞受賞に向けた準備作業に追われた。
だから今、「ついに取った!」という気分だ。成果の大きさから、いずれ山中さんが受賞するのは間違いないとの評価がある一方で、ノーベル賞の場合、発表から受賞まで数十年かかった例も少なくない。記者にとっても「今年こそは」と祈りつつの取材だった。
ただ、この偉業を誰より喜んでいるのは、iPS細胞の一日も早い実用化を待ち望んでいる難病患者たちだろう。「希望を捨てずにいてもらいたい」という8日夜の山中さんの言葉が心に響いた。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/opinion/news/20121009k0000e070181000c.html

社説:山中氏ノーベル賞 日本の宝物を磨こう
山中伸弥・京大教授のノーベル医学生理学賞の受賞が決まった。いつかは必ずと思われてきたとはいえ、「日本発」のブレークスルーに揺るぎない評価が与えられた意義は大きい。特に山中さんの成果は現在進行形のホットな分野である。日本の現在のバイオ力を世界に示すものとして喜びを分かち合いたい。
私たちの体はどんな細胞にもなれる「万能性」をそなえた1個の受精卵から出発する。いったん神経や筋肉、骨など役割を持つ体細胞になると元には戻れない。それが生物のことわりだと考えられてきた。
この常識をカエルの核移植による「細胞初期化」で覆したのが共同受賞者のガードン博士だ。この技術はクローン動物の作出にもつながった。ただし、核移植には卵子が欠かせない。別の万能細胞として注目されてきた胚性幹細胞も受精卵を壊して作るという倫理問題をはらむ。
山中さんはこれらのハードルを「遺伝子導入」で乗り越え、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作り出した。コロンブスの卵のようなアイデアで生物学の常識を塗り替え、倫理問題までクリアした業績は、社会的意義も大きい。
今でこそ、世界の有名人となった山中さんだが、行き詰まり、研究をやめようと思ったこともあるという。それを救ったのは無名の山中さんを採用した大学や、研究費だ。研究者の潜在力を見抜いて投資する「目利き」の重要性を感じる。
山中さんが成果を語る時、多くの研究者の協力で実現したことを強調する。誠実さを感じると同時に、研究の裾野の広がりの重要性に改めて気づく。優れた成果を増やすには少数のエリートを育てるだけでは事足りない。研究の層の厚さが必要だ。
iPS細胞は、日本発の成果をどう育てるかという難問も突きつけた。特許戦略は重要課題だが、昨年、欧米で京大の基本特許が成立した。国として知財戦略に力を入れたことが功を奏したとみていいだろう。
初期化機構の謎解きも今後の課題だ。医療の現場へ応用するにはがん化リスクの抑制が欠かせない。改良が進んできたが、完全とはいえない。ただ、臨床研究が射程に入ってきた分野もある。より早い応用が期待されるのは病気のモデル化や創薬の分野だ。患者の細胞からiPS細胞を作り、病気の進行を再現したり、薬の効き方を調べることに期待がかかる。
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/opinion/news/20121009k0000m070077000c.html

医療ビジネス発展にはずみ=ノーベル賞受賞で研究加速も
ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥京都大教授の「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」は、難病を克服する次世代医療の切り札として注目されるほか、再生医療の実現にも役立つと期待される。製薬各社はすでにiPS細胞を活用した新薬開発にしのぎを削っており、産業界の期待も大きい。
「再生医療やその関連企業・技術がより一層発展し、世界中の人々の安心・安全な暮らしやわが国経済の成長へとつながることを期待したい」。山中教授の受賞について、京都商工会議所の立石義雄会頭(オムロン名誉会長)は、再生医療の裾野拡大や研究加速に期待を表明した。
武田薬品工業は、山中教授と共同で、患者から提供を受けた細胞でiPS細胞を作り、病気の状態の細胞を作る研究に取り組む。長谷川閑史社長は「(iPS細胞技術の)創薬研究への実用化に向けてまい進していく」と力を込める。
大日本住友製薬も昨年3月、山中教授の京都大学iPS細胞研究所と、病気が進行するメカニズムを解明する共同研究をスタート。治療薬の開発を目指している。
(時事ドットコム)
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%a3%e9%a3%d0%a3%d3%ba%d9%cb%a6&k=201210/2012100900198

山中さん、家族の笑顔に感謝=「良かったね」と妻-一夜明け、夫妻で会見・京都
体のあらゆる細胞になることができる人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発に成功し、ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった京都大教授の山中伸弥さん(50)は一夜明けた9日午前、妻知佳さん(50)と京都市左京区の京大で記者会見した。これまでの研究生活を「途中でやめたくなることもある、大変な二十数年だった」と振り返り、「笑顔で迎えてくれる家族の支えがなければ、研究を続けられなかった」と感謝の言葉を述べた。
山中さんの高校の同級生で、医師の知佳さんは「全く予期しておらず、和やかな秋の夕方を過ごしていた」と受賞の電話連絡を受けた瞬間を振り返った。「(山中さんが)サンキュー、サンキューと言っていて、大変なことになったのではと思った。しばらくして『良かったね』と声を掛けた」とねぎらった。
家庭での山中さんについては「ごく普通の父であり主人。休日には家族の手伝いをしてくれる」と評価した。
山中さんは今後の研究方針を得意のマラソンに例え、「気持ちがはやって、速く走り過ぎて失敗したり、途中で倒れたりすることがないようにしたい。これまでしてきたことを粛々と続け、どうしたら早く最後までたどり着くかを考える」と語った。
続いて、山中さんの欠点を問われた知佳さんは「とても疲れているのに走ろうとするところ。走っているのを見掛けたら、ほどほどにと声を掛けてほしい」と気遣った。
山中さんが9日未明、取材対応を終えて京大iPS細胞研究所に立ち寄ると、和ませようと変装した学生らが出迎えたという。米国の研究者仲間からも次々と祝いの言葉が届き、山中さんは「仲間に恵まれたことが受賞につながった」と喜びをかみしめるように話した。
(時事ドットコム)
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%a3%e9%a3%d0%a3%d3%ba%d9%cb%a6&k=201210/2012100900222

京大の山中教授らにノーベル医学生理学賞、iPS細胞を開発
スウェーデンのカロリンスカ研究所のノーベル賞委員会は8日、2012年のノーベル医学生理学賞を京都大学の山中伸弥教授(50)と英ケンブリッジ大学名誉教授のジョン・ガードン博士(79)に授与すると発表した。あらゆる細胞に分化増殖でき、「再生医療」の実現が期待されるiPS細胞を開発した研究が評価された。
カロリンスカ研究所は、ガードン博士と山中教授の研究について、「画期的な発見が、細胞の育成と分化についての考え方を完全に変えた」と評価した。
この分野の研究では、ガードン博士が1962年、オタマジャクシの腸の細胞から取り出した核を別のカエルの卵に移植したところ、健康なオタマジャクシが誕生。これにより、成長した細胞が体のあらゆる組織を作る情報を持ち合わせていることを示した。
2006年になって、山中教授がマウスの皮膚細胞に少数の遺伝子を導入することで、iPS細胞の作製に成功。この成果は、成体組織に成長した細胞を受精卵のように体のあらゆる組織に育つ細胞に戻せることを示した。
ガードン博士が所長を務める研究所はウェブサイトで、最終的な目標があらゆる種類の代替細胞を作製することだとし、「皮膚や血液の細胞から予備の心臓や脳の細胞を作る方法を見つけ出したい。重要なのは、拒絶反応や免疫抑制の必要性を回避するため代替細胞を同じ個体から得る必要があるということだ」と述べた。
山中教授は記者会見で、自身のチームの若い研究者らに謝意を述べ、「喜びも非常に大きいが、同時に大きな責任を感じる」と語った。
(ロイター)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTJE89700220121009

ノーベル賞共同受賞のガードン博士、学生時代は「落ちこぼれ」
あらゆる細胞に分化増殖できるiPS細胞の研究で、京都大学の山中伸弥教授(50)とともにノーベル医学生理学賞を受賞した英ケンブリッジ大学名誉教授のジョン・ガードン博士(79)。学生時代はかなりの落ちこぼれで、教師に見放されるほどだったという。
ガードン博士は今なお、学生時代の学業報告を額に入れて机に置いている。その中で教師は、「科学者になるという考えを彼は持っていると思う。これは全くばかげている」と指摘。さらに、「彼にとっても、指導する必要がある側にとっても全く時間の無駄だ」と、若き日の博士を酷評している。
ガードン博士は一度科学から離れたが、大学でかつての夢に再び取り組み、1962年にその後のiPS細胞作製の原点になる実験に成功した。
ガードン博士は、今もその報告を持っている理由を聞かれ、「例えば、実験がうまく行かないなどの問題が起きた時、結局自分はこの仕事に向いておらず、先生が多分正しかったと思い出すのは良いことだ」と語っている。
(ロイター)
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPTYE89802Q20121009

山中氏らの研究を「画期的な発見」と評価 ノーベル賞委員会
2012年のノーベル医学生理学賞を8日に受賞した京都大の山中伸弥教授(50)らの研究について、ノーベル賞委員会は「細胞の分化についての考え方を一変させた画期的な発見」と評価した。
山中教授は様々な細胞になりうる能力をもったiPS細胞(人工多能性幹細胞)の研究で、英ケンブリッジ大のジョン・ガードン教授(79)とともに受賞した。
ガードン教授は62年、オタマジャクシの体細胞に受精卵のような多様性をもたせる実験に成功。山中教授はそれから40年以上たった06年、マウスの体細胞から様々な細胞になりうるiPS細胞(人工多能性幹細胞)を作り出した。
体の細胞は受精卵から分裂して皮膚や内臓など特定の役割を持つようになる。いったん分化した細胞を受精卵のように万能な状態に戻すことはできないと考えられていたが、山中教授らはこの常識を覆し、「成熟細胞の初期化」が可能なことを示した。
カロリンスカ医科大の選考委員会は、同教授らの研究によって「教科書が書き換えられ、新しい研究分野が確立された」と述べ、難病の診断や治療法の研究にも新たな可能性が開けたと高く評価した。
万能細胞としては当初、胚(はい)性幹細胞(ES細胞)が注目を集めたが、受精卵を壊して作る必要があることから倫理上の問題が指摘されていた。一方iPS細胞は体細胞から作るため、この問題を回避できるという。
iPS細胞の研究は、パーキンソン病など難病の治療方法の確立に役立つことが期待されている。
賞金は欧州の経済危機を受け、1000万スウェーデンクローナ(約1億1800万円)から800万クローナに減額された。
今年のノーベル賞はこの後、9日に物理学賞、10日に化学賞の発表が続き、12日には平和賞の発表が予定されている。
(CNN.co.jp)
http://www.cnn.co.jp/world/35022777.html

「生物学の道は諦めろ」と言われていた、ノーベル賞のガードン博士
京都大学(Kyoto University)の山中伸弥(Shinya Yamanaka)教授とともに2012年のノーベル医学生理学賞(Nobel Prize for Medicine)の受賞者に決まった英ケンブリッジ大学(University of Cambridge)のジョン・ガードン(John Gurdon)博士は、10代の頃に教師から科学の道へ進むことをあきらめるよう言われたことがあった。
ケンブリッジ大のガードン研究所(Gurdon Institute)に所属するガードン博士は、1933年生まれで現在79歳。1962年、オタマジャクシの腸の細胞から遺伝子情報を含む核を取り出してカエルの卵に移植する実験に成功して注目を集めた。核を移植された卵はカエルに成長した。
ガードン博士は15歳の頃の出来事を振り返るのを好む。受け取った通信簿には、「生物学分野への進学を考えているならば、それは全く時間の無駄だ。そんな考えは直ちに全て放棄すること」という担任の言葉が書かれていた。博士は「気晴らし」のために、その通信簿をいつも机の上に掲げていたという。
■母親のおかげで科学の道に
しかし母親は、博士が生物学に並々ならぬ熱意を抱いていることを見抜いていた。ガードン博士は数年前のインタビューで「学校でも何千匹もの毛虫をガに育てて喜んでいた。教師にとっては不快でたまらなかっただろうね」と話している。科学とは全く無関係だった教育環境のなかで科学分野に方向転換できたのは母親のおかげだと博士は考えている。
実際に職業を選択する段階になると、博士は父親から軍に入るか銀行員になれと言われた。しかし、幸運なことに博士は軍の入隊検査で失格となった。「あの頃は、かなり優秀なスカッシュ選手だったから体も強いほうだった。だが、かかりつけの医者は、ちょっとした風邪による咳を気管支炎と診断した。ありがたいことに、それで軍人としての進路は完全に断たれた」
代わりに博士はオックスフォード大学(University of Oxford)に入学。当初は古典文学を専攻したが、後に動物学に転向。博士課程修了後に書いた論文で扱った核移植が生涯の研究テーマになった。
1971年、ガードン博士は母校オックスフォード大の最大の競争相手であるケンブリッジ大に移り、1989年に後に発生生物学およびがん生物学の権威となるウエルカムCRC研究所(現ガードン研究所)をケンブリッジ大学内に立ち上げた。
(AFPBB News)
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2906647/9653868?ctm_campaign=txt_topics




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