月かげの虹 -6ページ目

わたしの死


死をどう考えるかという問題

わたしは、何か災害があっても自分は必ず生きて戻ってくるという妙な確信を持っている人種です。

飛行機の墜落事故くらいなら必ず生きて帰ってくると考えていました。ホテルの火事なんかで、お客さんが敷布をつないで下りてくるのをテレビで見たりしていると、自分ひとりなら大丈夫だけれども、家内を背負って下りるのは無理かな、なんて考えてしまいます。

今はさすがに自信を失いましたけど、まあ、自分だけは絶対に死なないと思っている、太平楽の典型かもしれません。

しかし、自分の死をどう考えるかは、哲学上の大問題です。とくに、自分の死に直面しながら生きるなんてことができるかどうか、昔から盛んに議論されてきました。

ハイデガーは、「死に臨む存在」(Sein zum Tode)なんて言い方をしています。人間にとって究極の可能性である死。それをどう意識するかがその人の生の意味を決定すると考えているのです。

自分の死を意識できることこそが他の生物との違いだとも考えているようです。

ところが、サルトルはそうしたハイデガーの考え方に、真っ向から反対しています。サルトルにとっては、死は「わたしの可能性」などではありません。

死はわたしのすべての可能性を無にし、わたしの人生からすべての意味を除き去る、まったく不条理な偶発事なのです。

わたしの誕生が選ぶことも理解することもできない不条理な事実であるのと同様に、わたしの死も理解したり、それに対処したりすることのできない不条理な事実だと言うんですね。

誰でも死ぬまでは生きています。しかし、死んでしまえば考えることは不可能です。人間にとってあらゆる可能性の切断である死を前にして、ハイデガーの言うようにそれを意識しつつ生きるなんてことができるものかどうか。

メルロ=ポンティも、死の問題ではサルトルと似たような考え方をしています。どちらも、自分の死は人間が理解することのできる出来事ではない、という設定は共通しています。

マルセル・デュシャンに、「死ぬのは、いつも他人ばかり」という言葉がありますが、サルトルやメルロ=ポンテイにも、まあ、そうした前提があったのでしょう。

私も、自分の死の問題に関するかぎり、サルトルと似たような考え方をしています。

日本でも、禅の高僧が悟りを開いて、「生死一如(しようじいちによ)」の境地で生きるなどとよく言います。しかし、どこまで信用していいのかは疑わしいですね。

仏教の悟りの境地は、生と死を一緒にとらえて生きることでしょうが、そうしたことが人間にとって可能なことなのかどうか。それに哲学的な知は宗教的な悟りとはやはり違うように思います。

もっとも、日野啓三さんの晩年の作品を読んでいると、生と死の瀬戸際を生きるという状態がありうる、と思わされますね。

日野さんのばあいは、悟りの境地のようなものではなくて、普通の人とはちょっと別の感受性を持っているということではないでしょうか。

死に直面したぎりぎりの状態で、醒めた意識で生死の問題を考えることができる感受性。もちろん、文学者がみな日野さんのような感受性を持っているとは思っていませんが。

わたしは、常識的な人間です。悟りの境地などとはほど遠い。生死の境に直面したら、何か書こうなんて気は起こりそうにありません。

木田 元「反哲学入門」
哲学は西欧人だけの思考法である
波 2006年6月号
新潮社
¥100

ラバーエクササイズ


 アメリカの映画を観ていると、弁護士や医者、企業経営者などのエスタブリッシュメントがジムでワークアウトしたり、ビルの谷間の公園でランニングをする姿によく出くわします。彼ら欧米人のあいだでは、エクササイズと、仕事の優劣を決定的にする「集中力」が非常に密接に絡んでいることを知っているのです。エクササイズと集中力の因果関係についてくわしく記したセロン・Q・デュモンの著書『集中力』は、100年以上前から全米のエスタブリッシュメント層のあいだで密かに読み継がれている名著となっています。

 0.6ミリ厚のキツいキャットスーツを着て身体を動かすと、ラバーの引っ張る力によって全身の筋肉に負荷がかかります。全身を覆うぴちぴちのスーツは、いわば着るトレーニングマシンです。筋肉が刺激されると、集中力を高める脳の細胞が活性化されますし、たくさん汗をかきますから老廃物の除却と代謝向上にもつながってストレスが解消されます。まさに一石二鳥です。全身を質がよくサイズのあったラバースーツでまとって、ちょっと身体を動かす習慣をつければ、仕事や勉強の効率を上げ、健やかな毎日を送ることができるでしょう。ちなみに、ラバーキャットスーツで全身を覆ってしまうと皮膚呼吸ができないため血中酸素濃度が低下するリスクがあります。アウトドア用品店などに売っている酸素ガスをプレイ中に吸って、適宜身体に酸素を補う必要があります。取材・文/市川哲也
http://alt-fetish.cocolog-nifty.com/fj/

潜在能力開発


10歳にもならないころだったと思う。今もはっきりと覚えていることがある。

休みの日の朝など、遅く起きて、布団にすわったまま、腰をまるめてかけぶとんに顔をうずめるようにして伏せると、いつまでも呼吸しないでいられる。

実際には細く息を吐いているのだが、とても長い時間がたっても平気で、まるでこのまま呼吸をせずに周囲と一体になってしまうことができるのではないか、とおぼしき平穏な時間。

それはなんだか楽しいことであり、起き抜けに時間の余裕があるときはいつもやっていた。

のち、保健医療の一翼を担うような仕事を始めてから、人問の呼吸数は1分間にどのくらい、という権威的な知識も身につけたが、それだけが人間の呼吸のすべてを物語っているはずがないことは、幼いころの経験から、言わずもがな、であった。

呼吸を通じて、知らない世界が広がっていることは幼いわたしにも漠然と感じられたのだった。

潜在能力開発、ということばをよく耳にする。いまや、発展途上国の開発問題、というときも「経済開発」ではなくて、「潜在能力開発」を基礎とする「人間開発」について語られるほどに潜在能力開発はふつうのことばとなってきている。

しかし、わたしたちの「潜在能力」とは一体なんであろうか。たとえば、からだの潜在能力とは……。からだはどれほどのことができるのか、自分たちでわかっているのだろうか。

今、普通に目にし、測定できる身体能力、というものだけをものさしにしていないだろうか。からだのもつ可能性について、医学やスポーツの現在の知識の及ばない力というものについて、わたしたちは尊敬をもって接する、という態度を忘れて久しい。

まして、近代以前にはわたしたちは、もっと多様な身体所作を操っていた、ということは想像もできなくなっている。

渡辺京二氏が『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005年)でえがきだした古い日本の文明、さまざまな生活の総体は、日本の近代化の代償として、明治維新以降、急速に滅びる。

片鱗としてなんとか戦後まで生き残っていた生活様式も、戦争を起こしてしまったことへの悔恨と、民主化という名のもとにいっそう加速された近代化のうちに、一掃される。

簡素な住まいは、ものをつめこんだLDKとなり、正座の暮らしは椅子となり、きものは人目をひく衣装となった。

近代化以前の生活様式のうちには、もちろん、生活所作にうらうちされた、さまざまな身体技法があったはずである。

しかしそれらは、著者、中村明一が書くように「あまりにも自然で、実は日本人の誰もが、別に不思議にも感じないでやっていた」ことであり、わざわざ意識して伝承されていたものではなかった。

だからこそ、生活様式の変化とともに次の世代につたえなければならないという発想すらなく、あっさりと、一世代で忘れられたのである。

男たちは神輿を微動だにせず運び、女たちは月経血をコントロールし、子どもは一人で産み、乳房は惜しみなく与えられていた。

赤ちゃんはこどもたちに背おわれ、おむつも必要でないほどに、いく度もシーシーとささげられていた。

このようなことは特筆すべきことのない日常であり、言葉にする必要も、書き残す必要も、さらさらないことであったろう。

そのような、誰にとっても当たり前であった身体所作の1つに「密息」があったことが、この本ではみずみずしく語られる。

失われてしまって省みられることもなかった身体所作は、何らかのきっかけで、予想もされなかった誰かにより、どこかで、見出され、実践され、ふたたび次の世代につながれていく。

その再発見の道筋を案内されることは、心おどる経験である。この本では「密息」を通じて次世代に向けて紡がれるべき新しい伝統が提示される。

尺八奏者である著者は呼吸のみでなく音についての考察、周波数分析なども行っておられる。

また、音の研究をこえてさまざまな日本文化のありように思いをいたしておられることも、興味深い。

失ったものをとりもどすことはいかにも困難である。しかし、一人の研鑽と気づきがとりもどすことができるものもまた、このように多い、という事実は晴れやかな思いをわたしたちに残す。希望の本である。

呼吸法のトレーニングについては、筆者が何度も引用する齋藤孝氏の長年の師であられた高岡英夫氏が、大変わかりやすく、本質を突いた、だれにでもとりくみやすい本をあらわしておられる(『全身の細胞が甦る! ゆる呼吸法革命』主婦と生活社、2006年6月刊行予定)。

この本で「密息」の呼吸の妙に気づいた方の誰でもが始められるステップのひとつとして、紹介しておきたい。

三砂ちづる「とりもどす、という喜び」
みさご・ちづる 疫学者

中村明一『「密息」で身体が変わる』
(新潮選書) 4-10-603563-4

波 2006年6月号
新潮社
¥100

パラサイト式血液型診断


「僕のこと、ヘンだと思っているでしょう?」

数年前、藤田紘一郎先生にお会いした際、いきなりそう訊かれて思わず私は「はい」と答えた覚えがある。

先生は自身の体に寄生虫を飼っていた。確か「キヨミちゃん」という名前のサナダ虫である。

すでに先生の腸を超える長さまで成長しており、ウンコをすると肛門から出てくるので出てきた部分を毎日ピュッと手でちぎると話していた。

「なぜ、寄生虫を飼うのですか ?」
私がたずねると、先生はこう言って徴笑んだ。

「テレビ番組で "寄生虫との共生が大事だっていうけど、あなた自身だって共生してないじゃないですか" と言われたので、思わず "飲む" って言っちゃったんです」

言われたから飲んじゃったらしいのである。当時、先生はアレルギー反応を抑えるIgE抗体の研究をしていた。

これは人体が寄生虫感染した際に人体で生産される抗体。先生は寄生虫の排泄物がその生産を誘導しているにちがいないと、排泄物の分子構造、遺伝子配列の特定に取り組んでいたのである。

アレルギーの特効薬開発につながる研究だったのだが、一般の人には理解されにくい。

そこでわかりやすいパフォーマンスとして「寄生虫を飲んじゃった」というわけなのであった。

以来、先生の本を読むと私はいつもはらはらする。一般受けを考えるがあまり、ヘンな誤解を招いてしまうのではないかと。

本書をパラパラと読むと、先生は血液型で性格が決まると主張しているような印象がある。

A型は協調性を重んじる、B型は移り気、O型は開放的……どれも生物学的根拠があるのだと。

しかし注意深く読めばわかるが、先生は血液型と性格はあくまで「関係がある」と主張しているだけで、本題は別にある。

そもそも血液型の違いは、赤血球表面に付着している糖の分子「糖鎖」の違いだという。

A型にはA型血液型物質、B型にはB型血液型物質、両方持っているのがAB型で、どちらもないのがO型である。

そしてそれぞれの血液型は、自分にない血液型物質に対する抗体を血清中に持っている。A型の人は抗B抗体、B型は抗A抗体、O型は両方持っており、AB型はどちらもない。

病原菌もこの血液型物質を含んでいるので、例えば肺炎球菌(B型物質を多量に含む)が侵入すると、抗体のないB型の人は冒されやすく、重症化しやすいということになる。

つまり血液型によって、かかりやすい病気とかかりにくい病気があるというわけだ(本書にはその一覧表も記載されている)。

ではなぜ、こうした血液型の違いがあるのか ? 先生の仮説によると、それは腸内細菌の仕業。私たち人類が人類に進化する以前から共生していた腸内細菌が持っているA型物質やB型物質の遺伝子が人間の体内に潜り込み、トランスフェクション(遺伝子移入)が起こったというのである。

私たちは「私は何型」「あなたは何型 ?」という具合に血液型を人間の特性と考えがちだが、実はそれは微生物によって生み出されたものらしい。

また、血液型はABO式だけではない。血液型物質の分類によってルイス式、ダフィー式、MN式、P式、Rh式、さらには白血球にも血液型(HLA)があり、それぞれ徴生物が複雑に関与していると先生は指摘している。

要するに人間はABO式の単純な4種類で分類できるはずはなく、限りない多様性を秘めており、その多様性は微生物との関係(病原菌との闘いや腸内細菌との共生など)の産物なのだという。

本書は答えではなく、むしろ謎を提示している。微生物と人間の関係のメカニズムについてはまだほとんど解明されておらず、それをひとつひとつ解くことが、「人間とは何か ?」を知ることになる。

先生はその道筋をわかりやすい血液型を通じて示そうとしているのだ。ちなみに先生本人の血液型はA型。A型は結核菌などの感染症に弱いらしく、そのために常に周囲を気にする性格になりやすいそうである。

寄生虫まで飲んでしまう先生のサービス精神はそのためだったのか。やはり血液型と性格は「関係がある」のかもしれない。

高橋秀実「A型の藤田先生」
たかはし・ひでみね ノンフィクション作家


藤田紘一郎『パラサイト式血液型診断』
(新潮選書)
4-10-603562-6

波 2006年6月号
新潮社
¥100

春の数えかた


つい先日、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」に、イギリスでひなを育てる渡り鳥のひなの発育率が、近ごろ大幅に下っているという論文が載っていた。

地球温暖化のおかげで、春に虫たちが現れる時期が早くなり、その渡り鳥がひなを育てるころには、ひなの餌となる虫が少なくなってしまっているのだというのである。

やっぱりそんなことがおこってきたか。ぼくはそう思ったが、何となく信じられないような気もした。

「やっぱり」と思ったのは、春のきたことを知る方法が虫と鳥とではちがう可能性があるからである。

ぼくがかつて書いたとおり、多くの虫たちは春の来るのを暖かさで知る。冬が終わって少しずつ気温が高くなってくるのを虫たちはキャッチし、それを足しあわせていく。

それぞれの種の虫には、それぞれ発育限界温度というのがきまっている。たとえば、ある種ではそれは7度Cである。

発育限界温度が7度Cのこの虫は、その日の気温から7度Cを引いた温度を1日分ずつ足しあわせていく。

たとえば気温が8度Cの日が2日つづいたら、「8引く7イコール=が2日。すなわち二日度(にちど)というように。

暖かくなりかけたのに急に寒い日が何日かあると、その分だけ温度のかせぎは遅くなる。こうして温度の総計がある一定の値に達すると、卵から孵ったり、サナギになったり、親虫になったりするのである。

これが虫たちの『春の数えかた』(新潮文庫)なのである。

春になるといろいろな昆虫がいっせいに卵から孵ったり、親虫になったりするけれども、たいていはこのように温度の累積で「春を数えて」いる。

ちがいがあるとすれば、発育限界温度が何度Cか、卵から孵ったり親になったりするのに、総計何日度が必要かということだけである。

ところが鳥となると、春の数えかたがまったくちがう。自分の体温が気温よりはるかに高い鳥たちは、気温の変化などほとんど関係がない。

では彼らは春の近いことを何で知るのだろうか? 春になると小鳥たちがさえずりだすことは、ずっと昔から知られていた。

さえずるのはオスだけで、メスはさえずらない。そしてどうやら、オスはしきりとさえずってメスを口説き、メスとつがいになろうとしているらしい。

うまくつがいになったものどうしは、適当な場所をえらんで巣作りを始める。そして巣ができあがるとオス・メスは交わり、卵を産んで温めはじめる。

すると何日かしてひなが孵る。こうして次の世代の小鳥たちが育ってくるわけである。だから小鳥たちにとっての春は、オスのさえずりに始まるといってよい。

問題は何を手がかりにしてさえずり始めるか、だ。小鳥は春になるとさえずり始めるのだから、人々は小鳥たちは温かくなるとさえずり始めるのだろうと思っていた。

ところが小鳥たちは、寒くてもさえずりだす。つまり、まだ寒いけれど春は近いということが、鳥たちにはちゃんとわかるらしいのだ。何でそんなことがわかるのだろうか?

それは日の長さかもしれない、と思った人がいた。

冬の間は夜が長く、日の出もおそい。けれど2月ごろともなれば、まだ寒いものの、日が出る時間も少しずつ早くなり、その分、日も、長くなる。小鳥たちはそれに気づいているのではないか?

そこでその人はまだ冬の間から、同じ種類の小鳥たちを何羽ずつか、2つの部屋に分けて飼ってみることにした。

1つの部屋は暖房を入れて暖かくしてやった。けれど昼夜の長さは自然のままにしておいた。

もう1つの部屋は、朝早くから電灯をつけて、早くから明るくなるようにしてやった。けれど暖房は入れたりせず、冬のままに寒くしておいた。

こうやってしばらく飼っておいたら、電灯をつけて早くから明るくなるようにした部屋の小鳥たちが、やがてさえずりだしたのである。部屋は冬と変わらず寒いままだった。

一方、春のように温かくしてやったが、日の長さは冬のままにしておいた部屋の鳥たちは、一向にさえずりだす気配はなかった。

鳥たちが動いたり、餌を食べたり飛びまわったりすることがさえずりと関係するかもしれないと考えて、餌をやる時間を一定にしたり、強制的に運動させたり、いろいろなこともしてみたそうであるが、それはさえずりの開始に関係がなかった。

さえずりの始まりは、暖かくなるかどうかではなく、早く夜が明けるかどうか、つまり日の長さによってきまるのだということが、こうしてはっきりわかったのである。

生物の活動が昼夜の長さ、いいかえれば明暗の周期(光の周期)によってきまる現象は、「光周性」と呼ぱれている。

植物の花がいつ咲くか、動物がいつ繁殖するか、いつ冬眠に入るかなど、いろいろなことが光周性によってきまることが、今ではよくわかっている。

小鳥は光周性によって春の到来を知り、さえずり出すのである。

その一方、多くの昆虫は暖かさで「春を数えて」いる。

昆虫が温度で春を数え、その昆虫を餌にしてひなを育てる小鳥が日の長さで春を数えるということになると、そこに食いちがいがおこる可能性が生じる。

「今年は暖冬だ」、「今年は寒い」というように、温度は年によってちがうが、昼夜の長さ(光周期)については、「今年は長日だ」、「今年は夜が長い」ということはない。

日の長さは季節によって天文学的にきちんと決まっており、年によってちがうことなど決してないからである。

この文の最初に書いたイギリスの渡り鳥の話は、まさにこの食いちがいがおこったことを報じたものではないだろうか?

地球温暖化が本当におこっているのだとすると、いろいろな生物たちの生活にこのような「春の数えかた」の食いちがいがおこってくるのではないかと、たまらなく心配になってしまうのである。

日高敏隆「春の数えかたの食いちがい ?」
ひだか・としたか
人間文化研究機構・地球研所長

猫の目草 第125回

波 2006年6月号
新潮社
¥100

カフェ文化


映画「第三の男」で、アメリカからウィーンにやって来た作家ホリー・マーティンスが、旧友で、闇の世界の大物になっているハリー・ライムと待ち合せるのは、「カフェ・モーツァルト」である。

ウィーンに「カフェ文化」が100年以上の長きにわたって根付いていることはよく知られている。つい先日、久々に行ったウィーンの街で、意外なものが目に入った。

東京なら至る所で目にする、あの緑色のマーク。同行した編集者が、「あ、〈スタバ〉がある!」と、声を上げた。そう。かの「スターバックス」のコーヒー店が目に入ったのである。

スターバックス? カフェの町、ウィーンで? 私は、20何年か前、初めてウィーンを訪れたときのことを思い出していた。

由緒ある建物が並ぶ中に見えた「マクドナルド」の「M」のマーク。ウィーン在住のガイドさんは苦々しげに、「あんなもの、作ってね……。大体、ドイツやオーストリアには、すぐ食べられておいしいソーセージがあるんですから。誰もハンバーガーなんて食べませんよ」

近々消えて失くなる、と言いたげだった。

そして今、ウィーン市内だけで、一体何軒の「マクドナルド」があるだろう? 今回、スイスからオーストリアヘ、列車やバスで旅をしていて、少し大きめの町にはほとんど必ずといっていいほど、「マクドナルド」の店があった。

むろん、人々はソーセージも食べるだろう。しかし、一方で海の向うからやって来たハンバーガーも拒まなかったのである。それを思えば、「スターバックス」がウィーンに進出してもふしぎではない。

ただ、こちらは少々事情が違う。

ウィーンのカフェは単に「コーヒーを飲む」だけの場所ではなく、社交場であり、サロンであり、個人のプライベート空間でもあったりする。

客はコーヒー1杯で何時間も新聞や雑誌を読み耽り、店も決して文句など言わない。それがウィーンのカフェの伝統である。果してウィーンの「スタバ」がカフェの伝統にならった経営方針なのかどうか。

少なくとも、文人や芸術家たちのたまり場だった由緒あるカフェの数々が、閉店に追いやられるようなことにだけはなって欲しくないものだ。

今年のスイスアルプスは例年になく雪が多かったそうで、その雪どけ水でドナウ河が下流の東欧諸国で洪水をひき起している。

ウィーンから船で短いクルーズに出たが、確かにウィーンの辺りでもドナウ河の水量は記憶にある限りで、かなり多かった。気候温暖化の影響で、スイスの氷河がどんどん溶けていると報じられている。

最近、スイスのような場所でも夏は暑さで大変らしい。私が初めてウィーンに行ったころ、まだウィーンのホテルには冷房の設備がなかった。「夏も涼しいから必要ない」と言われていたのだ。

しかし、今は冷房なしで過すことはとてもできない。スイスでも、ルツェルン音楽祭に参加したハーピストの吉野直子さんが「暑くて参った」と、こぽしていたことがある。

ジュネーヴのレマン湖畔に並ぶ、「ボー・リヴァージュ」「ド・ラ・ぺ」などの五ッ星の名門ホテルも、おそらく遠からず冷房を入れざるを得なくなるのではないだろうか。

一旦、主なホテルやレストランが冷房を入れ始めたら、その排気の熱で、都市の気温がさらに上る。分ってはいても、そうなるのは時間の問題のように見える。

一方で大雪、一方で酷暑。やはり、スイス辺りでもその影響からは逃げられないのだろうか……。

スイスに木彫り細工のお土産物で知られているブリエンツという小さな町がある。前に小さな木彫りの猫を買ったことがあって、今度も何か捜そうと思っていたら、何と昨年土石流で店が潰れてしまったのだという。

幸い着いてみると、真新しい建物ができ上っていて、2日前に開いたばかりだということだった。ぜひ立ち直ってほしてのだ。

棚にはまだあまり商品が並んでいなかったが、つい2つ3つ、買ってしまったのだった……。

それにしても、あのアマゾンの密林ですら砂漠化が進みつつあるという現状。その「危機」に目もくれず、戦いに明け暮れる人間とは、何と愚かな生きものだろう。(つづく)

赤川次郎「ドイツ、オーストリア旅物語」
第15回

生と死の世界 5

波 2006年6月号
新潮社
¥100

生と死の葛藤


誕生と死を同時に経験する。それも、ひとつの肉体の中で。これ以上の葛藤があるだろうか。

しかも、ヒロイン・滴は、生と死に、日常的に接している医者なのだ。

滴は、妊娠を知ったあとで、乳ガンが再発したことを知る。高齢出産でもあり、どうしても産みたいと思う。再発したことを言ったら、産むことを許してはもらえないだろう。

自身が医者だから、そのことはよく分かっている。彼女は、誰にも再発を告げない。夫にさえも。

小説は、これ以上ない緊迫した状況で始まる。

ぼくは、脚本家だから、この小説をドラマにするとどうなるのだろうかと、つい考えてしまう。

葛藤は、滴の肉体の中にある。他人が立ち入れないほど、厳しい状況だ。小説は、ひとりの人間のモノローグでも成立する。彼女の体の中で進行する生と死の葛藤を、彼女がどんな風に考え、苦しみ、克服したか。小説は、それで成立する。

作者は、生と死というとても大きなドラマを捉え、見事に描き抜いている。ドラマは、ひとりでは成立しない。主人公に相対するものが必要になる。

人間でなくても、自然でも、動物でもいい。主人公の悩みや葛藤を明確に描きだせるものなら何でもいいのだ。

この場合の相手は、彼女の葛藤をもっとも強く感じる人間、夫の良介だろう。

良介は、仕事に恵まれないカメラマンだ。才能がないというよりも、どうしてもこの仕事をやっていこうという強さがない。

南の島で、珍しい鳥を見つけたとき、シャッターを押すのを忘れて、思わず見とれてしまうというエピソードが、彼の人柄をよく表している。

元は、滴と同じ医学生だったのに、医者にならなかったのは、彼の中に人生を頑張って生きようという気持ちがなかったからではないか。

その分、彼は、とてもやさしい。彼女の妊娠を知ると、自分が子育てをしてもいいという。ジョン・レノンのように。

彼のように肩肘張らない生き方をしたいという男は、今、増えていると思う。仕事に生きがいを感じている女性にとっては、とてもいいパートナーだろう。

滴は、そんな良介を愛している。彼の頑張りのなさを不満に思ったこともない。でも、命に限りあることを知ってしまったとき、それでも成長していく体の中の生命を感じたとき、夫に対する感じ方が変化していく。

これが、脚本家にとっては、最大のドラマだ。

彼女は、夫に、自分の死を明かさない。明かすのが怖いのかも知れない。それを知らせると、彼は変わるだろう。でも、どんな風に変わるのだろうか。彼のやさしさで、生まれてくる子供を育てていけるのだろうか。

彼女は苛立ち、久しぶりに来た大きな仕事を断ろうとした夫に対して、「あなたには願ってもない仕事じゃないの」と、きついことを言ってしまう。2人の間の亀裂が、少しずつ大きくなっていく。

彼女は、知らない病院で、ひとりで子供を産む。これ以上ない孤独の中で、救いとなるのは、元気で庄まれてきた子供だ。その子供に母乳を飲ませようとしたとき、彼女の乳房から、化膿したガン細胞が皮膚を破って飛び出してくる。

リアルですさまじい描写が続いた後で、小説は、とてもロマンチックな結末を迎える。ヒロインの過酷な状況につきあってきた作者自身が、少しでも早く、明るい空の下に出ていきたくなったかのように。

脚本家としては、生と死の両方に、突然つき合わされることになった良介の、とまどい、苦しみ、苛立ち、そして、自分の死を告げなかった妻の気持ちを理解していく愛情を、もう少し描きたくなる。

それがあると、ロマンチックな結末が、もっともっと切なくなるのではないかと、つい余計なことを思ってしまう。

死んでいくヒロインが、作者自身の反映であるわけはない。でも、そう思ってしまうような迫力が、この小説にはある。作者自身の熱く激しい葛藤が、一行一行の文章に込められているような気がする。

この小説は、谷村志穂さんが難産のすえに産んだ、素敵な子供だと思う。

ある意味では、彼女自身の生と死を賭けて。

鎌田敏夫「ひとつの肉体の中で進行する生と死」
(かまた・としお 脚本家・作家)

谷村志穂『余命』
4-10-425603-X

波 2006年6月号
新潮社
¥100

エラいところに…


『エラいところに嫁いでしまった !』……すごいタイトル。 しかし世間一般では、私も政治家の妻となったことで "エラいところに嫁いでしまった"と思われているらしい。 その "エラい" 度は、どんなものか ? 嫁としては、隣の芝生も気になるところ。思わず手に取ってしまった。 聞けば、ケータイ文庫という携帯電話で小説を読むためのサイトに連載されていたエッセイで、連載当時から女性からの支持率は圧倒的。激賞メールがワンサと来たという。 著者は文筆家らしいが、これはかなり実生活に近い内容のため、別名義で書いている。「書いたのがバレたら離婚かもしれない、でも書きたい」といったところか。 で、読んでみた。 うーん、笑える。タイトル通り、田舎の名家の次男に嫁いだ女性の奮闘記。しかし、品良くまとまらないのが、とってもイイ。 所々、マンガが挿し入れられているが、マンガが無くとも、濃い登場人物の織り成す人間模様と "嫁" の粗っぼい文体だけで大爆笑。不思議と絵が浮かんでしまう。 職業柄か、私は頭の中で「ドラマ化」していた。この役は、あの女優さん、これは……、と。枠としては日本テレビのドラマコンプレックス辺りが最適か? しかし、これだけの型破りな内容をどうしたら2時間に収めることが出来るのか? とにかくハチャメチャ、一気に読み上げてしまった。 この本、『エラい嫁に嫁がれた!』というタイトルにも出来よう。嫁ぎ先からしてみれば。 それくらい、主人公・モソこと槙村君子は世間様の尺度からすると"とんでもない女"に近い。コンビニ弁当ばっかり食べてるし。 結婚相手・磯次郎の水虫の件(くだり)は食事前に読まないことをオススメする。思い出すだけで臭って来るぅ。 また、古事記に出てくるイザナギの尊とイザナミの尊の最初の子供である蛭子(ひるこ)の件も、子を持つ親として引いてしまう。「そういう表現はいかがなものか?」と。 でも、こんな奔放な表現力、独特の洞察力も、モソの魅力。友達に一人、モソみたいなのがいても楽しいかも。 さて、その嫁ぎ先。かなり "エラい" です。"エラい" を広辞苑で引くと、まず "すぐれている。人に尊敬されるべき立場にある" という前向きな言葉が出てくる。 しかし、それに続くのは "普通あるべき状態より程度が甚だしい。ひどい。思いがけない。とんでもない。苦しい。痛い。つらい〃" ……ネガティブ感てんこ盛り。 「財産目当て?」の侮辱に始まり、夏休みには御先祖様の墓掃除、正月は巨大ブリの解体に徹夜、更に舅の"代理母"発言。穏便という言葉はモソの辞書には無いらしく、ひたすら抗い続ける。 同じ嫁として興味深かったのは墓掃除の件。"しきたり" というのは家によって違うんだなあ、と私が初めて感じたのが"墓地〃だったからだ。 夫、つまり後藤田家の墓地は徳島の奥の奥、山の中。墓地の入り口には小さな家があり、まずそこに住んでいるという "土地の神様"(のようなもの? たしか)に挨拶する。 その後、坂を上れば墓地に到着。見渡すとダーッと "後藤田さん" の墓が並び、その一つ一つに、葉っぱに載せた米を供え、お線香をあげる。 単調な体の動きに飽きた頃、本家の大きい墓に辿り着きピカピカに洗い上げて、おしまいとなる。 この作業を、夫と共に、そして後藤田家のルーツがある旧美郷村の人々のお力を借りながら行う。 夫曰く「俺は定期的にコレをしていた」 この時、私は思った。 「ご先祖想いの人に悪い人はいない」と。 モソの嫁ぎ先の墓は輪をかけて "エラい" ことになっており一読の価値アリ。この辺りから嫁・婚家にとっては悲劇、衝撃的なこと(傍観者である読者には笑劇的……)が怒濤の勢いでやって来る。 一体、どこまで信じて良いのか!? でも実生活に近い内容ということは、フィクションもあるということ? その線引きは読者に任されているとしよう。 たぶん、この本は銀座辺りの高級店で、お茶とケーキを食すのと同じくらいの値段なのだろう。私だったら、この本を選ぶかな? 笑ってスッキリ、読後の妙な爽快感がたまらない。そして今、私は胸を張って言える。「うちは "エラく" ありませんから」。 水野真紀「うちはこれほどエラくありませんから!」 みずの・まき 女優 槙村君子『エラいところに嫁いでしまった!』 波 2006年6月号 新潮社 ¥100

接遇応対セミナー

当院も病院機能評価を受けることになって、その準備が始まっている。大切な評価項目の一つである「患者接遇」を徹底するために、企業の行う接遇教育セミナーに接遇改善委員長であるK先生が参加することになった。 このセミナーは某航空会社が主催するもので、「キャビンアテンダント」が講師だという。3日間スチュワーデスから手取り足取りの教育!  皆の羨望の中、K先生がどう変わるのか、我々の接遇教育がどうなるのか、というところまでが先月のお話。さて、その後……。 K先生が3日間の接遇セミナーに参加している間、神経内科グループのストレスは相当なものだった。 もともと人数が少ないところへ1人減になって仕事が大変になったのだが、その1人が今頃スッチーと楽しくやっているなんて思った日には、ストレス倍増どころか、lOO倍増。 誰ですか? 「楽しくやっている」なんてお品のないことを言う人は。K先生だって厳しい接遇訓練をお受けになっているのかもしれないじゃないですか! 「本当は行きたくないんだけど、皆の代わりに僕が代表でスチュワーデスから接遇教育を受けなくちゃいけなんだよ、でへへへへ」 とK先生は言い残して出かけられた。 今日からK先生が戻ってくる。どんなふうになってくるのか、皆興味津々。早めに来て医局のソファでK先生を待つ。 「変わるわけ? K先生が? だいたいさ、もともとちょっと嫌みな感じがあるじゃない? 接遇って言うなら、あの嫌みな感じをまず直せっで片うんだよな」 とH先生。おお、相当ストレスがたまっている様子。単なる嫉妬ともとれるが。 「そうですか? 別に嫌みだとは思わないけど」と私。 「皮肉屋なんだよな。俺の靴下見ていつも笑うんだよ。高校生じゃないんだからって。どういう意味なんだろ」 H先生はズボンの裾をめくってみせた。そこには目にもまぶしい真っ白な綿靴下が。 「あ、高校生みたい」 思わず私も言ってしまう。 「先生、それ、皮肉や嫌みじゃないですよ。いい年して綿の白靴下なんかスーツにはいちゃだめですよ」と笑い伝げる。 「へ? 何がいけないの? 靴下って普通白でしょ?」 「普通は白じゃないんですって。それ、やっぱり高校生までですよ」。 周りの医師もにやにやしながら会話を聞いている。 我々医師は社会人になっても接遇教育を受ける機会などなく、したがって、服装の基本も知らなかったりする。無頼派を気取る場合もあるから、服装は良くも悪くもセンスなし。このレベルから教育するとなると、K先生も大変かもね。 扉が開いてK先生が入ってきた。いつにもまして背筋の伸びたスーツ姿にスマートな歩き方。そして皆が見守る中、見たこともない満面の笑みで「おはようございます」 「おお!!」 一同、のけぞりながら思わず感嘆の声がもれる。一言ってやろうと身構えていたH先生もその笑みに二の句が継げない。すごいぞ、接遇セミナー。 「先生! どうだったの、セミナー。スッチーいた?」わくわくしながら私が聞く。周りの皆も身を乗り出す。 「スッチー……いなかった」満面の笑みがかき消え、伸びた背筋が丸くなる。 なんで? どうして? スチュワーデスによるセミナーじゃなかったの? 「僕らは男だから、男性の接遇講師が男の受講生集めて別室で講義。ま、キャビンアテンダントには男性だっているわけだし。スチュワーデスじゃなくて、スチュワードってやつ?」 K先生はふ~と遠くを見る目になる。 「頭に本乗せて歩いたり、何10回も頭下げて礼の練習したりの筋肉痛はまだまし。微笑みの練習で顔面筋がつった日には、顔が戻らなくなった」 「看護婦じゃなくて看護師で、男性もいるのと同じか。野郎の顔見て微笑み練習? そりゃつまらんわな。いやあ~接遇委員長、3日間ご苦労さん!」 今度はH先生が満面の笑み。 「でも、ま、いろいろ分かったから。ちゃんと還元させてもらうよ。H先生、白綿靴下やめるように! 真田先生、寝癖直して!」 お手柔らかにK先生!! 医局の窓の向こう側 ⑳ 接遇教育 2 Medical ASAH1 2006 February 99 メディカル朝日  2006年2月号

養生の秘密

石も木も眼(まなこ)に光る暑さかな 江戸時代前期の俳人、向井去来が捉えた暑い夏の風景が目に浮かんでくる。不思議なことに、日本の夏の高温多湿のあのねっとりとした蒸し暑さを感じさせないのは何故だろう。 むしろ、カッと照りつける夏の陽さしの炎熱の猛々しさが伝わり、きっぱりとした暑さに潔さすら感じてしまう。もとより俳句の風流を知らぬ素人の勝手な解釈ではあるのだが。 ところで、この時期、雑誌や情報番組で夏バテ対策のための健康法がよく取り上げられる。ここ数年、健康のためのノウハウが書かれた雑誌や本がブームを呼んでいるが、今から300年も前に書かれ、いまだに読まれ続ける本がある。 言わずとしれた「養生訓(ようじょうくん)」である。江戸時代の学者、貝原益軒が書いたものだが著者は当時としてはたいへんな長寿で、84歳で亡くなったようだが、益軒自身、けっして丈夫な体でなかったそうで、やはり、「養生訓」にはすぐれた健康法が詰まっているのだろう。 そもそも貝原益軒が生きていた江戸時代は、当然のことだが車も電車もなく馬に乗ったり籠に乗ったりできる人は限られていたわけで、日常の生活自体、体を動かし酷使することが多かったわけである。 そんな江戸の人たちが、殿様から庶民まで口癖のように言っていたのが「養生」という言葉だったらしい。さしずめ現代の健康ブームのようなところか? しかし、当時、養生とは単に健康法であるだけでなく、もっと広く深い意味でとらえており、それは生き方にかかわるいわば人生の指針であり、それはまた江戸を生きる人々の共有の文化であったようだ。 「養生訓」と聞くと、堅苦しくストイックな教えが説かれてるような印象があるが、決してそうでなく"人生を楽しむ"という考えが貫かれているという。 その第1にあげているのが「自然」を楽しむこと。これは今のアウトドアライフ、というようなものではなく"目の前に満ちている天の文(あや)、地の文(あや)"を見て感動することだという。 この他に益軒は「旅の楽しみ」をあげているが、彼は実に20冊を超える紀行文をまとめている。 また、愛妻を同伴して京都に2度ほど長期の旅をしているらしいが、今でいうところのフルムーン旅行の元祖ともいえよう。 先に挙げたように"目の前に満ちている天の文(あや)、地の文(あや)"に感動するということが示唆しているように、益軒は"内なる楽しみ"を人生の楽しあとした人なのである。 だから「養生訓」では体よりも心の養生を優先して説いている。今日でいうところのメンタルヘルスの先覚者といえるのかもしれない。 生命を遺伝子レベルから解明する研究が加速度的に進んでいるが、ある世界的権威によると「病は気から」というのは実は遺伝子が関係しているらしい。 たとえばガンにかかっても「絶対に治る !」と生きることに前向きでいればガンを抑える遺伝子のスイッチがオンになり、時にはガン細胞を消滅させるという実例が多数報告されていると指摘している。 さらに最先端の遺伝子の研究を通して、生命の本質には偉大なる何かが働いている、と感じさるを得ない、とも語っている。 奇しくもかの益軒も「生命への畏敬」という思想をくり返し説いているが、これこそが益軒の言うところの養生であり、最先端の科学者が見出した"偉大なる何か"とみごとに符号していることに驚かされる。と同時に、極小の遺伝子に宿る偉大なる秘密に感動を禁じ得ない。 この時期になると子供の頃に母が毎朝飲ませてくれた庭の拘杞(くこ)の木の葉をすった飲み物を思い出す。 お猪口にほんの少しだったが、あの頃から現在に至るまで夏バテをしないのはあの苦くて緑色の不思議な飲み物のおかげだと私は信じている。あなたの養生法は何ですか? 伊東 桂子「養生の秘密」 Pana Life Club 2006 Summer National Panasonic