子どもの交際事情
4月に起きた岐阜県中津川市の中2少女殺害事件は、逮捕された高1少年の犯行動機として、交際上のトラブルの可能性が挙がっている。
「保健室はなぜ居心地がいいのか」の著者で中学校養護教諭の金子由美子さんに、この年ごろの男女交際の現状について語ってもらった。
消える境界
中学校でも男女交際の指導がとても難しくなっています。交際の低年齢化が進んで、校内で手をつないだり抱き合ったり、それを誇らしげに振る舞うカップルもいます。
家庭も交際や恋愛を公認しているようなところがあります。わが子の彼氏や彼女を一緒に娯楽施設へ連れて行く保護者もいるなど、家族ぐるみで交際を応援しているようなところもあって、一律に禁止、抑圧するのは難しい。
生徒たちと接していて思うのは、恋愛の実態について、大人と子どもの間で境界がなくなってきているということです。
日本では明治以降、恋愛という観念が生まれたとされていますが、かつては今でいう思春期世代の恋を社会的に規制する力が働いていました。
しかし、今では元カレ、元カノという言葉が子どもの間で飛び交い、教師が男女2人でいる様子を子どもたちが見て「浮気」「不倫」などと学校の中でも日常的に口にします。性行動も早熟化し、小学校でキスをしたと自慢する子もいます。
思いが憎しみへ
交際上のトラブルがあったとき、大人なら「女なんて……」「男なんて……」と愚痴をこぼせば慰めてくれる仲間もいるでしょう。旅行やアルコールの力を借りて発散し、事を大きくせずに済ませることもできる。しかし精神的に幼いと、相手への思いが憎しみに変わりかねません。
思春期の自己顕示欲を満たす場として、勉強やスポーツ、ファッションがありますが、カップルになることもそれに含まれてきています。
特に自己肯定感が低い子にその傾向が強い。そうした子は、勉強やスポーツよりもカップルになることの方が、手っ取り早く自分を目立たせることができるんです。
携帯メールを使えば、交友関係が広がり、写メールで気に入ればすぐに交際が始められます。しかし、カップルになった子たちにとって、ふられることは挫折感につながってしまう。
カップルになるのが手っ取り早い自己実現の手段という価値観を共有しているグループの中では、大きな屈辱になりかねないでしょう。
「依存症」
カップルになった子どもを見ていて思うのは、互いの距離の取り方が分かっていないということ。失敗したら危ないと思う子が結構います。トラブルのない恋愛はありえないと思いますが、トラウマや深刻な人間不信などの "後遺症" が出るような危うさも感じます。
「性的にも親しいカップルであることがかっこいい」というような男女関係を描くテレビドラマなど、マスメディアの影響も大きいと思います。
依存する対象がパートナーという状況が大人の恋愛を病的なものにする。自己肯定感の低い子も、大人のように「恋愛依存症」に陥ってもおかしくない社会環境になっているような気がします。
恋愛にはトラブルがつきものなので助言が必要な場面が必ずある、と親も教師も考えた方がいい。人生の先輩として、失敗も含めた自らの体験を話せるようであってほしい。
ただ、助言は互いの信頼関係があって初めて有効です。各地に行政を含め思春期の性に関する相談先があるので、連絡を取ってみたらどうでしょうか。
金子由美子「危うい子どもの交際事情」
恋愛が自己実現の手段
信頼関係持ち助言を
かねこ・ゆみこ
1956年名古屋市生まれ。
エイズ予防啓発のボランティア団体「川口子どもネットワーク」世話人代表。
埼玉県の公立中学校で養護教諭を務める。
2006年6月4日付け高知新聞
教育特集
金子由美子さんに聞く
もったいない
ほんの30~40年前まで「もったいない」は日本人共通の生活哲学だったが、高度経済成長のなかで「使い捨て」を美徳(?)とするようになり、歯止めのきかない資源浪費国になった。
この大量生産、大量廃棄の暮らしぶりは、必然的に深刻な環境破壊をもたらし、自国の環境だけでなく、他の先進国と一緒になって世界の環境までも致命的な破壊に追い込もうとしている。
いま地球が危なくなっている。ノーベル平和賞受賞者で、ケニア共和国環境副大臣のワンガリ・マータイさんが初めて日本語の「もったいない」の意味を知ったとき、世界へのメッセージとして大事な言葉だと直観しました。
私はまず「もったいない」の精神的なルーツにとてもひかれました。そして長年、環境問題に取り組むなかで掲げてきた合言葉の「3つのR」(リデュース・リユース・リサイクル)を、「もったいない」がたった一言で言い表しているのがすばらしいと思いました、と語っている。
彼女は、昨年の2月に来日した折、この言葉に出合い、「もったいない」を地球環境を守る世界共通語にしたいと訴えている。われわれにしても、目からうろこが落ちる思いである。
言われてみると日本人は大切な「生活哲学」を忘れ去ろうとしていた。3つのRの最初のリデュースは、まず過剰な生産を抑制するとともに、大本でごみの排出を削減することを目指すものである。日本の例でいうと、「容器包装ごみ」である。
家庭ごみ全体の60%(容積比)を超すほど大量に排出しているのだが、包装はもともと使用目的のあるものではなく、なくても支障はないものだ。
10年ほど前からこうしたごみを減らそうと「容器包装リサイクル法」もつくられているが、リサイクル率の向上にはなっているかもしれないが、ごみの総排出量は依然漸増傾向にある。
日本は包装大好きの国である。さらに言うなら、ぜいたくのための製品は必要ないものである。例えばぜいたくな食、これは食べなくても死にはしない。
日本をはじめ先進国の多くは「飽食」という食余り状態にあるが、世界ではいまも8億から10億の人々が飢餓状態にあり、毎年8百万人が生活できずに死んでいる(国連創立六十周年記念首脳会議でのユドヨノ・インドネシア大統領の発言)。
それだけでなく10数億の人々が、いまも1日1ドル以下の生活を強いられているのだ(同会議でのケニアのキバキ大統領)。3つのRのうちリデュースが最も重要であるというのは、こうしたことを踏まえたものである。
つぎはリユース(再利用)、これは使えるものは繰り返し使うこと。初期の用途で使えなくなったら別の用途に使えないかを考えて、新たな使い方をする。
3つ目はリサイクル(再資源化)、究極まで使用して駄目になったら最後は再び資源として利用しようというのである。
いま最も大切なのは環境への負荷を減らす「循環型社会」への取り組みだと思うが、マータイさんの指摘を待つまでもなく、「もったいない」の生活哲学をもう一度考えてみる必要がありはしないか。
渡邊 進「もったいない」
元高知市文化振興事業団専務理事
(高知市加賀野井1丁目17一17)
2006年5月31日付け
高知新聞朝刊
所感雑感より
下着は精密機械だ
通勤電車に揺れる鈴木麻子の目が朝刊の記事に輝いた。
これをブラやインナーに応用できないか…トリンプ製品に新しい驚きを与える企画チームの若きリーダーには、すべてがアイデアソースになる。
ホームでは女性を観察しながら歩く。ファッション感度に日々磨きをかけるユーザーをキャッチアッブできているか…自らに問いかけているかのようだ。
オフィスに着くとスタッフを召集した。会議室に朝刊を広げ、下着とは関係ない情報も敢えて製品に結び付ける。そんな発想トレーニングも画期的コンセプトの母なのだ。
こうして鈴木たちが生んだ新発想は、開発部門に送られる。そのベテラン、松浦紳一郎。どこか少年のような印象は一途な研究心のせいだろう。
10年ほど前の松浦への依頼はこうだ。美しい胸の谷間を、かつてない方法でつくれないか…彼は直感した。
それには左右のカップ自体を寄せることが最良で、着ける人自身が寄せ具合を選べるアジャスターがセンター部分に必要だと。
理想的な構造を思い巡らし、従来品からかけ離れた次元の精度と強度のアジャスターを製作できるメーカーをひたすら探した。
ようやく話にのってくれたのは、自動車用精密プラスチック部品の専門メーカーだった。松浦は、漠然とした成功の予感に昂ぶった。
目標は、小さく薄く、強いこと。しかし何よりフィッティング担当の小岩邦江に認められなければならない。いかに優れた機能を開発しても、トリンプの世界基準、特にフィッティング(つけ心地の精度)の要件を満たさなければ決して採用されないからだ。
モデルの肌と試作品の間に滑り込んだ小岩の指がOKサインを出すまでには、没サンプルが当然のように山になった。
カチカチカチと3段階で寄せられるエンジェル・クリック。遂に誕生した新機能は、緩めればホッとできるという予想外の効果もあって、大ヒットした。
さて松浦は、ブラヘのクレーム No.1を見事解決した男でもある。
ストラップのズレ落ちをなくしたい。企画チームの声に応えようと、彼が毎日手にしたのはゼムクリップだった。
カップとストラップをつなぐパーツが円形であることがズレの原因と見抜き、別の形を模索していたのである。
ほぼベストの三角形に辿り着くと、ジュエリー職人に金属製サンプルを依頼。出来上りを、なで肩の女性を選び試してもらう。小岩のチェックも含め、評判は上々だった。
「いつもは酷評する妻や娘も一発でうなずいてくれました。でもそんな例は、このデルタマジックだけですね」
あくまでも謙虚な才能に、手がけた製品の魅力を尋ねる。
「やはり完成度でしょう」
とことんやった充実感が語らせる答えも、瞳がたたえた輝きも、若い鈴木と同じだった。
あなたのブラの、カップとストラップのジョイントがもし三角形なら、それはトリンプ製だ。(ストラップのズレ落ちが気になったことがおありだろうか)
真っ赤なロゴも見つけて欲しい。それは、従来品を上回るアイデアと品質に胸を張るトリンプの人々の情熱の色だ。次回は、生産工程で品質管理を行う冷静な頭脳をご紹介する予定です。
120年、人間製。トリンプ
トリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社
2006年5月28日
朝日新聞 広告欄より
http://www.triumphjapan.com/
「医は仁術」は死語か?
「医師の職業倫理指針」作成の際に、森岡恭彦委員長の提案で、委員会で議論し話題になったことを専門家に解説をお願いし、日医雑誌に連載することになった。
その成果を一冊にまとめたものが、平成18年3月号日医雑誌付録の「医の倫理 ミニ事典」である。
監修者に法律家も加わるようにと言われたことから、森岡恭彦先生の驥尾に付して筆者の名前がある。
「医の倫理 ミニ事典」配布直後、親しい法律家の友人に、この本を贈呈した。同期の元最高裁判所判事からの手紙には、次の2点が指摘されていた。
第1は「『医は仁術』というものがテーマとして取り上げられていないが、これはもはや死語になったということでしょうか」という問いである。
第2は「倫理と道徳と法」の関係について、「われわれは(法学部学生時代には)もっと強烈に『法律は道徳の最小限』と教わっていたのであり、それを強調していただきたかった」との提言である。
前者の問いは、私自身考えていなかった問題であり、まさに虚を突かれた思いがした。
広辞苑には「(慣)医は仁術なり」とは、「医は、人命を救う博愛の道である」とあるだけである。
「医は仁術」の語源について、関根透氏は、中国明代の「『古今医統大全』の記述から
の引用が有力であると思われる」とされたうえで、陸宜(りくぎ)(唐の徳宗の時代の宰相)の言葉である。
「医は以て人を活かす心なり。故に医は仁術という。疾ありて療を求めるは、唯に、焚溺水火に求めず。医はまさに仁慈の術に当たるべし。須く髪をひらき冠を取りても行きて、これを救うべきなり」(原文片仮名書き)を引用されている(『日本の医の倫理 歴史と現代の課題』学建書院1998年84頁)。
恐らく、これらを敷衍した貝原益軒の養生訓[正徳三年(1713)]では、「医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。わが身の利養を専ら志すべからず。天地の生み育て給える人をすくいたすけ、萬民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命という、きわめて大事の職分なり」
「医となるならば君子医となるべし、~君子医は人のためにす。人を救うの志専一なる也。~医は仁術なり。人を救うを以て志とすべし。~人を救うに志なくして、ただ身の利養を以て志とするは、是わがためにする小人医なり。
医は病者を救わんための術なれば、病家の貴賎貧富の隔てなく、心を尽くして病を治すべし。病家よりまねかば、貴賎をわかたず、はやく行くべし。遅々すべからず。人の命は至りて重し、病人をおろそかにすべからず」と説いている。
欧米では、資格を得た新人が医師専門職団体に加入する際に、"ヒポクラテスの誓い"を宣誓る習わしがあった。
しかるに、現代医療と齟齬する部分が生じたため、1948年、ヒポクラテスの誓いの現代版ともいえる世界医師会(WMA)「ジュネーブ宣言」(最終改訂1994年)が、次いで1949年ロンドン総会で、職業規範の骨子を定めたWMA「医の国際倫理綱領」(最終改訂1983年)が採択された。
1980年代に入って、カナダ医師会(1984年)、ドイツ連邦医師会(1985年)、フィンランド医師会(1988年)など多数の世界医師会加盟国が倫理綱領・職業倫理規範を改めた。
その際、参照されたのが、「ジュネーブ宣言」と「医の国際倫理綱領」であり、各国医師会はその内容を、ほぼそのまま、あるいは形・強調点を変えて踏襲したといわれる。
ちなみに、「医の国際倫理綱領」はジュネーブ宣言に言及しながら、さらに医師の義務につき、
1)医師は、個人および社会に対して専門的行為について常に最高水準を維持するべきである
2)医師は利益を得るという動機に影響されないで職務を遂行しなければならない。
3)医師は患者や同僚医師に誠実に接し、その権利を尊重すること
4)患者の秘密を守ること
などを強調している。
この4点のうちの、利益目的の否定は、守秘義務と並ぶ"ヒポクラテスの誓い"の核心部分である。しかも翻って考えるならば、陸宜、貝原益軒らが説く「医は仁術」の語と共通の考え方でもある。
日医の平成12年「医の倫理綱領」は、WMAの「ジュネーブ宣言」に始まる医療倫理の国際的な流れのなかで、先行した各国医師会の倫理綱領を参照し、あるいは日本の過去の考え方にも考慮を払いながら、できるだけ簡潔な現代文にまとめたものである。
日医の「医の倫理綱領」の前文、あるいは三項「医師は医療を受ける人びとの人格を尊重し、やさしい心で接するとともに、医療内容についてよく説明し、信頼を得るように努める」、六項「医師は医業にあたって営利を目的としない」と貝原益軒の解説とを比較すれば、両者は同じ趣旨を述べていることが分かる。
古典的な意味での「医は仁術」の精神は、言葉こそ使われていないが、平成版「医の倫理
綱領」にも脈々として継承されており、決して死語になってはいないと考えるが、いかがであろうか。
畔柳 達雄「医は仁術はもはや死語か?」
くろやなぎ たつお
日医参与、弁護士、法学博士
昭和30年東北大学法学部卒、
昭和32年弁護士登録、昭和52年第2東京弁護士会副会長、日弁連理事、放医研、感染研倫理審査委員。
日医ニュース
No.1074
2006.6.5
私と愛国
知事をやっていて、いろいろな部局を見ていると、福祉関係の職員なんかは必死ですよ。独自色を出して、他県と差別化しようと。各県がそれぞれ創意工夫をし、「これがいい」となると、よそもそれにならいます。
ところが、教育委員会はすごく楽なんです。教育行政は、文部科学省から教師までの上意下達がはっきりしていて、「ゆとり教育をやる」と国が言えば、一斉に右向け右。創意工夫するインセンティブが教委には働かない。
新しいことをやるにはリスクが伴う。大きな母艦が針路を間違ったら、全員が間違う。小舟があっちこっち行っていればリスク分散になるのに。
やり方が稚拙です。まして教育は、間違っていたと気付くのには、ずいぶん時間がかかる。だから、教育の地方分権が必要なんです。
国の教育基本法という形で一斉に、一律に愛国心を教えると決めるのも、根は同じです。
今の子はすぐキレる、権利ばかり主張すると言い、それは育ち方、教育の問題だと。だから、教育をしっかりすれば矯正される、と。
本当にそうでしょうか。「ゆとり」のときと同じように、効果があるかの検証もないまま、一斉にやろうという文部科学行政のあり方には、異を唱えたい。
国を愛することは、悪いことではない。授業で愛国心を教えることも、できるでしょう。その是非を論じる気はありません。
しかし「親を敬う」「友だちに親切に」「障害を持つ子もみんな一緒に」と、同じように大切なことの中から愛国心だけ選びとられ、「これがないからおかしい」という言い方をされるのは、変だと思いますね。
浅野史郎
あさの・しろう
58歳。
慶大教授。
旧厚生省を経て宮城県知事を12年務めた。
2006年5月28日
朝日新聞
三井アーバンホテル・ベイタワー
保団連地域医療部 医科歯科合同部会
お産が危ない
公務員の厚遇に批判が集まる中、公立病院の勤務医らに支給されている特殊勤務手当の「医師手当」を温存する自治体が目立っている。
ほかの特勤手当が次々に廃止されても、産婦人科を中心に減り続ける医師を確保するだめ、支給額を減らしたり、別の費目に変えたりして存続させるケースもある。
行財政改革と医師不足のはざまで、役所の苦悩が深まっている。
地方自治法に基づく特殊勤務手当をめぐっては、実態に合わない支給例が多く、「公務員優遇」の象徴とされたことから、各自治体で見直し作業が進む。
自治体勤務の医師全般に支給される医師手当も見直し対象となり、滋賀県や神戸市などは、4月から廃止した。
福井県の場合、02、03年度に特勤手当を大幅になくしたが、県立病院の医師らに支給してきた「医療業務等手当」は残した。
ただ、それまでの上限だった月10万円を03年度は9万円、04、05年度は8万円、06年度は7万円に減額。医務薬務課は「特勤手当への風当たりが強まる中での苦肉の策」と打ち明ける。
鳥取、島根両県も減額したうえで存続させた。兵庫県は4月から、医師約500人に支払っていた最高月額5万4800円の医師手当を廃止。
その一方で、3年間の暫定措置として、医療職の本給に上乗せする「初任給調整手当」を一律6万2千円増やした。
医師不足によって、分娩の取り扱いを休止する県立病院が相次いでいるほか、民間病院などから当直の応援をもらって態勢を保っている例も多い。
県議会などから「名目を変えただけではないか」との批判が出ているのに対し、病院局管理課は「給与の保証だけが医師確保策ではないが、激務でもあり、せめて民間に見含う収入かないと、つなぎ留められない」。
石川、岡山、愛媛各県など、手当をそのまま存続させたケースもある。それでも石川県は今年度、県立病院の経営改善などのため、「診療業務手当」(月額7万円)の見直しについて再検討する方針だ。
(滝坪潤一)
2006年5月28日(日曜日)朝日新聞
三井アーバンホテル・ベイタワー
保団連地域医療部 医科歯科合同部会
結婚しない人
30代前半、男4割・女3割が未婚
いま、少子化の要因として注目されているのが未婚化だ。1950年の生涯未婚率(50歳時点で結婚していない人の割合)は、男女とも1%程度。ほぽ全員が結婚していた。
それが、20OO年になると、生涯未婚率は男性が13%、女性が6%に上がる。
かつて「結婚適齢期」と言われた20代後半をみると、結婚していない人の割合は、1950年が男性34%、女性15%だった。
2000年では男性の69%、女性の54%が未婚だ。30代前半の未婚者の割合も、男性は8%が43%に、女性は6%が27%に増えている。特に1980年ごろからの増え方が著しい。
では、結婚を望まない人は増えているのだろうか。国立社会保障・人口問題研究所の2002年調査によると、18~34歳の結婚していない人のうち、「一生結婚するつもりはない」と答えたのは、男女とも5%程度だ。
また、男女ともに9割近くが「いずれ結婚するつもり」と答えている。男女ともに95%前後だった82年の調査よりは減っているが、大半の人が結婚しようと思っていることに変わりはない。
ただ、結婚する意思はあっても、未婚のまま過ごす人は確実に増えている。2002年の調査では、30代前半の女性の85%、30代後半の女性の77%が.「いずれ結婚するつもり」と答えている。
しかし、同研究所が2002年に行った推定では、30歳時点で未婚だった女性のうち、将来結婚するのは5割程度とされる。35歳の未婚女性の場合は、7割が未婚のまま過ごすとみられている。
未婚化の背景には雇用の悪化がある、との指摘もある。
フリーターは、04年で213万人とされる。91%の女性が結婚相手に求める条件として「経済力」を挙げていて(02年調査)、低収入は結婚の大きな障害だ。
慶応大の樋口義雄教授(労働経済学)らの研究では、フリーターの未婚男性のうち5年後衷でに結婚した割合は、正社員の半分程度だった。
00年に誕生した第1子のうち、26%が「できちゃった結婚」で生まれた。10代後半では8割だ。
結婚を出産の前提と考える人が多いことを示しているといえ、未婚化は少子化と直結している。
事実婚にも結婚と同じ権利を認め、婚外子差別をなくせば、子どもは増えるとの見方もある。
ただ、そもそも交際相手がいない人は、未婚男性の5割、未婚女性の4割を占めている。こうした現状を受け、出会いの揚作りを支援する動きも出ている。
奈良県は民間のお見合いイベントの案内を、登録した未婚者5千人に送っている。毎回参加希望が多く抽選だ。結婚した数は不明だが、昨年7月以降、約500組のカップルが誕生したという。
大分県も同様の取り組みを始める。経済産業省は、結婚情報サービス業の質を高めようと認証制度の導入を検討している。
東京大の佐藤博樹教授(人事管理)は「出会いがない背景には、人付き合いの範囲の狭さがある。結婚だけを目的にせず、個人のネットワークづくりをどう支援するかという視点で考える必要がある」と話す。
ではなぜ、結婚する人が減っているのだろう。同研究所の岩澤美帆さんが注目するのは結婚のきっかけだ。
70年代に最も多かったお見合い結婚は大幅に減り、次に多かった職場結婚も半減している。
岩澤さんは「出会いの多数を占めていたお見合いや職場結婚が減ったことが、未婚化の大きな要因になっている」と指摘する。
かつて、会社は、職場結婚で女性が「寿退社」し、新たに女性が入社することで出会いの場として機能した。上司も縁結び役を買って出たし、社員旅行など社内の交流も盛んだった。
結婚後も働く女性が増え、結果的に職場結婚は減った。見合いや「職縁」が廃れた分を埋める新たな出会いの場はない。
結婚しない理由のうち最も多いのが、男女とも「適当な相手にめぐりあわない」だ。ただ、「必要性を感じない」「自由、気楽さを失いたくない」との答えも多い。
未婚者への別の調査では、90年代以降、「ある程度の年齢までには結婚する」という人は減り、「理想的な相手が見つかるまでは結婚しなくてもかまわない」とする人の方が多くなっている。
大半の未婚者に結婚の意思があるとはいえ、熱意は薄れているようにみえる。背景には、結婚のメリットをあまり感じなくなったことがあるようだ。
同研究所の調査をみると、結婚することで「社会的信用が得られる」「親や周囲の期待に応えられる」と考える人が男女ともに減っている。結婚で「生活上便利になる」と考える男性も減った。
言わなきゃ損
「家事は女牲」未婚化の一因
学校で「男女平等」と教えられても、現実には男女差別が存在しています。私は大学時代の就職活動で、まず味わいました。最初に勤めた会社では、同期の男性に負けまいと、朝5時の始発で会社に向かい、退社は午前O時すぎの終電ということもしばしばでした。その当時、結婚は考えられませんでした。結婚後は、世間から女性が家事や育児をするのが当然視されます。男女差別が、結婚しない人を増やす一因だと思います。仕事での差別を女性が乗り越えようとすれば、結婚する余裕はなくなりますし、また、結婚すれば女性だけが仕事や自分の生活を脅かされることがわかるためです。(福岡県 嘱託職員 網本真由子 33歳)
2006年5月28日朝日新聞
結婚しない人が増えています。
何が理由なのでしょう?
三井アーバンホテル・ベイタワー
保団連地域医療部 医科歯科合同部会
萌え系喫茶
東京・秋葉原から各地に増殖していったメード喫茶。雑誌やテレビなどに登場して、熱心に通い詰める"研究者"も存在するなど、世間的に強い関心をひきつけたようです。
キーワードになっているのは「萌(も)え」という言葉。
人々が何らかの対象に魅了されるという感情を利用した生態ととらえられ、現在ではその生息地や生態を詳しく調査した複数の「ガイドブック」も発行されています。
しかし、日本の歴史を振り返ってみると、それぞれの時代で人々をひきつけるアイドル的な女性が看板になった喫茶の流行現象はかなり、昔から存在していたようです。
これらを「萌え系喫茶」と名づけて、系譜をたどってみることにしましょう。
調べられた限りで最も古かったものに、18世紀中ごろの江戸時代の水茶屋における「評判娘」のブームがあります。
その代表格にあげられるのが、「笠森お仙」という女性です。鈴木春信による絵姿を通じて人気を呼んで、彼女を見るためにたくさんの見物客が訪れるようになったのだそうです。
こうした女性たちを格付けする「娘評判記」も出され、一大ムーブメントにまで発展。錦絵や出版物による影響力が強い点など、メディアの報道によって白熱していつた現代のメード喫茶のブームと似ている現象とも言えそうです。
また、昭和初期ごろ流行していた「カフェー」にも似た側面があったようです。
当初はインテリたちが集うサロン的空間のイメージが強かった「カフェー」ですが、やがて「女給」と呼ばれるウエートレスに、若い美人風の女性を集めた店舗が出現したことで大衆化、流行現象にもなっていきました。
そもそも、喫茶店は街角の重要なアメニティーでした。室町時代にはすでに、寺社の門前などに一服一銭と呼ばれる茶売りが登場。世界的にも早い段階で、街中で腰を下ろして喫茶を楽しむ風習が庶民の間に定着しました。
そして、座席を用意して飲み物を出すというシンプルな形式は、飲食店や休憩施設、あるいは社交の場として様々な応用がなされて発展し、今日に至っています。
萌え系の喫茶は、その先鋭的な応用例の一つと考えられます。なぜか、時代の流れの中で時折、注目されることになる萌え系喫茶。
メード喫茶もいつか、歴史の文献の申に登場するようになる日がやって来るのかもしれません。
(女性建築ライターコンビ)
日曜に掲載します
2006年5月28日朝日新聞
けんちく生態学
ぽむ企画
「看板娘」江戸でもブーム
萌え系喫茶
主な分布:都市部
発生年代:18世紀
原産:江戸
このごろの作法
私が運転免許を取得した30数年前は、今よりも遙かに車が少なかったにもかかわらず、交通渋滞はずっとひどいものであったと思う。つまり世間ではあまり評価されないけれども、その間のお上の努力は並々ではなかったはずである。
そうした大渋滞の時代にハンドルを握った私は、「三つ子の魂百まで」の類で、いまだに運転マナーが悪い。
まず、運転席に座る格好が左半身(はんみ)の喧嘩腰である。進行方向よりもサイドミラーを注視する癖が抜け切らないので、自然と斜(しゃ)に構えてしまう。
隣の車にぎりぎりまで幅寄せをして怯(ひる)ませ、そのわずかな間隙をついてすばやく車線変更し、水すましのごとくスイスイと渋滞を縫って走るのが、その時代の常識であった。
むろん今はそんな走り方はしない。しないけれどスタイルは変えられないのである。
思えばあのころは、無理な割り込みをされたドライバーはただちに窓を開け、要すればグイと身を乗り出して「バカヤロー!」と叫ぶことになっていた。
割り込んだほうが言い返せば喧嘩となり、さらなる渋滞を引き起こすので、こちらはシカトすることになっていた。
私は「バカヤロー!」と怒鳴ったためしがなかった。割り込むテクニックには自信があったが、割り込ませぬ自信もあったから、常に「シカト」である。
こうした交通ルールの中で、小説がなかなか売れずに長らく営業活動に従事していた私には、近ごろのドライバーたちのお行儀良さが苛立たしくてならない。
たとえば、ハザードランプを点滅させて「ありがとう」の意思表示をするマナーである。こっちが譲ってやったときは、「どういたしまして」と眩きたくなるのだろうが、あいにくいまだに謙譲の美徳を持たぬ私の前に入る車は、よっぽど強引な割り込みなので、そういうやつに「ありがとう」と言われれば腹も立つ。
「ありがとう」や「ごめんなさい」は世界共通のマナーだが、それさえ言えば何をやっても許されるわけではあるまい。
この苛立ちに較べれば、「バカヤロー !」の応酬のほうがずっと健全な社会のように思えるのである。ふしぎなことに、30数年間ほとんど毎日ハンドルを握っているにもかかわらず、このハザードランプ点滅のマナーがいつから始まったのか記憶にない。
いつの間にかみんながやっていたのである。口は悪いがはらわたのない江戸ッ子の私は、そもそも嫌味を言ったり碗曲な表現をすることがないので、割り込みを許した相手に「ありがとう」などとは言えぬ。従って、みなさんが行っているハザードランプの点滅は、いまだかつてやったためしがない。
そのかわり私は、同乗者の乗り降りに際しては必ず自からドアの開閉をする。これはマナーというより、安全管理のためである。愛車のドアをぶつけられてはたまらん、という意味もある。
ことに、洗車のときには綿棒で仕上げているドアノブの周辺に、指輪の傷がつくのはたまらん。まあ理由はともかく、慇懃無礼なハザードランプよりよほど大切なマナーだと思うのだが、同乗者のためにドアの開閉をするドライバーはあんがい見かけない。
スカレーターの片側に立つという都市生活の習慣も、いつの間にか定着した。関東と関西では立つ位置が逆、というのを知っているだろうか。
東京では急がぬ人は左側に立ち、せっかちが右側を歩いて昇ることになっているが、なぜか大阪ではこの左右が逆なのである。
俗説によると、1970年の大阪万博のときに、外国人観光客を見習ったという。だから発祥の地は大阪なのだが、何につけても大阪発の文化を軽侮する東京人が、わざわざ立ち位置を反対に変えた。
なるほど、なかなか説得力のある説ではあるが、高度成長まっただなかの1970年当時に、この作法が始まったとは考えづらい。私自身もせいぜい10年ばかり前のニューヨークで、ハハアなるほどと感心した覚えがあるから、少なくともそれ以降の慣習であろうかと思う。
しかし、たしかに合理的ではあるけれども、よく考えてみればエスカレーターのステップを歩いて昇る必要はあるまい。あえてマナーというのなら、昔のように誰も歩かずに乗るほうが正しい。
ちなみに私は、右だろうが左だろうが、エスカレーターだろうが高速道路だろうが、常に追越車線である。まこといじましい。
このごろの作法のハイラこイトといえば、握手の習慣であろうか。明治維新以来、日本人が最も「苦手」としたこの挨拶が、ようやく定着しつつあるのは喜ばしい限りである。
かつて直木賞をいただいたとき、ホテルの廊下でたまたますれちがった生島治郎先生が、黙って手を差し出して下さった。あの掌(てのひら)の感触は忘れがたい。心からの祝福とともに、力を分けていただいたような気がした。
たぶんそのときが初対面であったと思うが、ああいうスマートでダンディーな握手は、一生かかっても真似はできまい。その後はいくどとなくお会いしたが、いつも言葉より先に、にっこりと笑って手を差し出して下さった。生島さんは握手の達人だった。
外国から移入された習慣の中で、握手だけが長らく一般化されなかったのはなぜであろう。思うにひとつは、衛生上の配慮からではあるまいか。
高温多湿の日本は黴菌の巣窟であるから、握手に限らず肌と肌が触れ合うことを忌避する伝統があった。むろん、べっとりと湿った感触に対する生理的な嫌悪もあったであろう。
もうひとつは、立場のいかんにかかわらず他者を敬するという、儒教的な考えもあろうかと思う。つまり、「お辞儀」という伝統的な作法が、あまりにも「握手」と精神を異にするからである。
日本人の握手がどことなくぎこちないのは、手を握るにしても腰が引けていることと、握手をしながらつい頭を下げてしまうせいで、こればかりは私も運転姿勢と同様、そうとわかっていても治らない。
相手との距離感が捉(つか)めないから手を伸ばしながらも腰を引いており、他人には頭を下げねばならぬと、体が信じこんでいるのである。
まあ、そうしたぎこちない動作も、長く深い伝統の結果であると思えば、日本人的な握手の作法と心得て、あえて正す必要もないのではないかと、このごろは考えるようになった。
要は肌の感触を通して、心が伝わればいいのである。それにしても生島さんは握手の名人だったと、いまだにその手ざわりを思い出しては胸が熱くなる。
浅田次郎「このごろの作法」
つばさよつばさ 第40回
SKYWARD 5月号
JAL機内誌
アメリカ型の社会
庶民の暮らしが大変な状況に追い込まれています。
まず、給料が増えないことが大きい。最近はやっと横ばいの状況とはいえ、地方はまだ落ち込んでいます。
"都心はいい" といっても、いいところは部分的で、良くない人もものすごくいっぱいいます。
さらに問題なのは、給料が増えないのに、給料から引かれるものが増えることです。税金が上がる。社会保険料が上がる。物価があがる。それから、金利が上がりそうです。そうなれば住宅ローンが上がります。
結局、給料から引かれるものはものすごく多いのに、給料は上がらない。可処分所得が減っていきます。
家計の現実を見ると、貯蓄率がどんどん減っています。自己破産の理由では、今は生活が大変で借金して、返せなくて破たんするという方が増えています。
年金生活の方も大変です。政府は年金「改革」の中で、マクロ経済スライドというのを埋めこみました。
今まで物価が上がれば、それに応じて年金も上がっていたものが、これからは物価が上がっても年金はそれに応じてスライドしなくなります。年金が目減りすると不安ですよね。
今、家計がおかれている状況というのは、普通の暮らしをしていた人がずるずると下に落ちていくということです。
格差とか二極化とかいいますが、結局、今まで普通の生活をしていた人がずるずると落ちて、一部の人がどんどん上がっていくということです。
小泉さんは、競争をして、それがいい社会だといっていますが、今、競争をしているのは、同じ力のものが競争をしているわけではないんです。
強いものと弱いものが競争をしているんです。そうした状況では、強いものはより強く、弱いものはより弱くなるのが当たり前。それが格差になって現れてきているんです。
一部の金持ちと、大部分の貧しい人によって構成されるアメリカ型の社会に近づくということです。
小泉さんや竹中さんたちがいうグローバルスタンダードという言葉は、例えば、ライオンのオリも、シマウマのオリも、トラのオリも、ウシのオリもすべて取り払ってしまうことです。
小泉「改革」や規制緩和でもたらされるものは、弱いものはより弱く、強いものはより強くなっていく、そういう政策が推し進められていくということです。
企業の賃金体系が、年功序列から成果主義に変化してきていますね。成果主義のもとで、一部の人の給料だけ上がり、大部分の人の給料がその分だけ減ってしまいます。こういう状況に大部分のサラリーマンが放りこまれてしまいました。
アメリカ型の社会をめざす今の政治に、庶民の暮らしを好転させることなど期待できません。暮らしは、今後もいっそう厳しくなるでしょう。
では、どういう社会がいいのか。私は、アメリカ型の社会ではないと思います。もう一回考え直す必要があります。
荻原 博子「一部の富者と大勢の貧者と」
おぎわら・ひろこ
1954年長野県生まれ。
経済ジャーナリスト。
テレビ、雑誌、新聞などを通して、不況時の生活防衛策や俣険、金融、住宅問題など、実践的な提案を発信。
著書に『破綻寸前!? 国のサイフ 家計のサイフ』『2008年 破綻する家計 生き残る家計』『生命保険は掛け捨てにしなさい!』など
聞き手 山田英明
写真 橋爪拓治