もったいない
ほんの30~40年前まで「もったいない」は日本人共通の生活哲学だったが、高度経済成長のなかで「使い捨て」を美徳(?)とするようになり、歯止めのきかない資源浪費国になった。
この大量生産、大量廃棄の暮らしぶりは、必然的に深刻な環境破壊をもたらし、自国の環境だけでなく、他の先進国と一緒になって世界の環境までも致命的な破壊に追い込もうとしている。
いま地球が危なくなっている。ノーベル平和賞受賞者で、ケニア共和国環境副大臣のワンガリ・マータイさんが初めて日本語の「もったいない」の意味を知ったとき、世界へのメッセージとして大事な言葉だと直観しました。
私はまず「もったいない」の精神的なルーツにとてもひかれました。そして長年、環境問題に取り組むなかで掲げてきた合言葉の「3つのR」(リデュース・リユース・リサイクル)を、「もったいない」がたった一言で言い表しているのがすばらしいと思いました、と語っている。
彼女は、昨年の2月に来日した折、この言葉に出合い、「もったいない」を地球環境を守る世界共通語にしたいと訴えている。われわれにしても、目からうろこが落ちる思いである。
言われてみると日本人は大切な「生活哲学」を忘れ去ろうとしていた。3つのRの最初のリデュースは、まず過剰な生産を抑制するとともに、大本でごみの排出を削減することを目指すものである。日本の例でいうと、「容器包装ごみ」である。
家庭ごみ全体の60%(容積比)を超すほど大量に排出しているのだが、包装はもともと使用目的のあるものではなく、なくても支障はないものだ。
10年ほど前からこうしたごみを減らそうと「容器包装リサイクル法」もつくられているが、リサイクル率の向上にはなっているかもしれないが、ごみの総排出量は依然漸増傾向にある。
日本は包装大好きの国である。さらに言うなら、ぜいたくのための製品は必要ないものである。例えばぜいたくな食、これは食べなくても死にはしない。
日本をはじめ先進国の多くは「飽食」という食余り状態にあるが、世界ではいまも8億から10億の人々が飢餓状態にあり、毎年8百万人が生活できずに死んでいる(国連創立六十周年記念首脳会議でのユドヨノ・インドネシア大統領の発言)。
それだけでなく10数億の人々が、いまも1日1ドル以下の生活を強いられているのだ(同会議でのケニアのキバキ大統領)。3つのRのうちリデュースが最も重要であるというのは、こうしたことを踏まえたものである。
つぎはリユース(再利用)、これは使えるものは繰り返し使うこと。初期の用途で使えなくなったら別の用途に使えないかを考えて、新たな使い方をする。
3つ目はリサイクル(再資源化)、究極まで使用して駄目になったら最後は再び資源として利用しようというのである。
いま最も大切なのは環境への負荷を減らす「循環型社会」への取り組みだと思うが、マータイさんの指摘を待つまでもなく、「もったいない」の生活哲学をもう一度考えてみる必要がありはしないか。
渡邊 進「もったいない」
元高知市文化振興事業団専務理事
(高知市加賀野井1丁目17一17)
2006年5月31日付け
高知新聞朝刊
所感雑感より