萌え系喫茶 | 月かげの虹

萌え系喫茶


東京・秋葉原から各地に増殖していったメード喫茶。雑誌やテレビなどに登場して、熱心に通い詰める"研究者"も存在するなど、世間的に強い関心をひきつけたようです。

キーワードになっているのは「萌(も)え」という言葉。

人々が何らかの対象に魅了されるという感情を利用した生態ととらえられ、現在ではその生息地や生態を詳しく調査した複数の「ガイドブック」も発行されています。

しかし、日本の歴史を振り返ってみると、それぞれの時代で人々をひきつけるアイドル的な女性が看板になった喫茶の流行現象はかなり、昔から存在していたようです。

これらを「萌え系喫茶」と名づけて、系譜をたどってみることにしましょう。

調べられた限りで最も古かったものに、18世紀中ごろの江戸時代の水茶屋における「評判娘」のブームがあります。

その代表格にあげられるのが、「笠森お仙」という女性です。鈴木春信による絵姿を通じて人気を呼んで、彼女を見るためにたくさんの見物客が訪れるようになったのだそうです。

こうした女性たちを格付けする「娘評判記」も出され、一大ムーブメントにまで発展。錦絵や出版物による影響力が強い点など、メディアの報道によって白熱していつた現代のメード喫茶のブームと似ている現象とも言えそうです。

また、昭和初期ごろ流行していた「カフェー」にも似た側面があったようです。

当初はインテリたちが集うサロン的空間のイメージが強かった「カフェー」ですが、やがて「女給」と呼ばれるウエートレスに、若い美人風の女性を集めた店舗が出現したことで大衆化、流行現象にもなっていきました。

そもそも、喫茶店は街角の重要なアメニティーでした。室町時代にはすでに、寺社の門前などに一服一銭と呼ばれる茶売りが登場。世界的にも早い段階で、街中で腰を下ろして喫茶を楽しむ風習が庶民の間に定着しました。

そして、座席を用意して飲み物を出すというシンプルな形式は、飲食店や休憩施設、あるいは社交の場として様々な応用がなされて発展し、今日に至っています。

萌え系の喫茶は、その先鋭的な応用例の一つと考えられます。なぜか、時代の流れの中で時折、注目されることになる萌え系喫茶。

メード喫茶もいつか、歴史の文献の申に登場するようになる日がやって来るのかもしれません。

(女性建築ライターコンビ)
日曜に掲載します

2006年5月28日朝日新聞
けんちく生態学
ぽむ企画

「看板娘」江戸でもブーム
萌え系喫茶
主な分布:都市部
発生年代:18世紀
原産:江戸