「医は仁術」は死語か? | 月かげの虹

「医は仁術」は死語か?


「医師の職業倫理指針」作成の際に、森岡恭彦委員長の提案で、委員会で議論し話題になったことを専門家に解説をお願いし、日医雑誌に連載することになった。

その成果を一冊にまとめたものが、平成18年3月号日医雑誌付録の「医の倫理 ミニ事典」である。

監修者に法律家も加わるようにと言われたことから、森岡恭彦先生の驥尾に付して筆者の名前がある。

「医の倫理 ミニ事典」配布直後、親しい法律家の友人に、この本を贈呈した。同期の元最高裁判所判事からの手紙には、次の2点が指摘されていた。

第1は「『医は仁術』というものがテーマとして取り上げられていないが、これはもはや死語になったということでしょうか」という問いである。

第2は「倫理と道徳と法」の関係について、「われわれは(法学部学生時代には)もっと強烈に『法律は道徳の最小限』と教わっていたのであり、それを強調していただきたかった」との提言である。

前者の問いは、私自身考えていなかった問題であり、まさに虚を突かれた思いがした。

広辞苑には「(慣)医は仁術なり」とは、「医は、人命を救う博愛の道である」とあるだけである。

「医は仁術」の語源について、関根透氏は、中国明代の「『古今医統大全』の記述から
の引用が有力であると思われる」とされたうえで、陸宜(りくぎ)(唐の徳宗の時代の宰相)の言葉である。

「医は以て人を活かす心なり。故に医は仁術という。疾ありて療を求めるは、唯に、焚溺水火に求めず。医はまさに仁慈の術に当たるべし。須く髪をひらき冠を取りても行きて、これを救うべきなり」(原文片仮名書き)を引用されている(『日本の医の倫理 歴史と現代の課題』学建書院1998年84頁)。

恐らく、これらを敷衍した貝原益軒の養生訓[正徳三年(1713)]では、「医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。わが身の利養を専ら志すべからず。天地の生み育て給える人をすくいたすけ、萬民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命という、きわめて大事の職分なり」

「医となるならば君子医となるべし、~君子医は人のためにす。人を救うの志専一なる也。~医は仁術なり。人を救うを以て志とすべし。~人を救うに志なくして、ただ身の利養を以て志とするは、是わがためにする小人医なり。

医は病者を救わんための術なれば、病家の貴賎貧富の隔てなく、心を尽くして病を治すべし。病家よりまねかば、貴賎をわかたず、はやく行くべし。遅々すべからず。人の命は至りて重し、病人をおろそかにすべからず」と説いている。

欧米では、資格を得た新人が医師専門職団体に加入する際に、"ヒポクラテスの誓い"を宣誓る習わしがあった。

しかるに、現代医療と齟齬する部分が生じたため、1948年、ヒポクラテスの誓いの現代版ともいえる世界医師会(WMA)「ジュネーブ宣言」(最終改訂1994年)が、次いで1949年ロンドン総会で、職業規範の骨子を定めたWMA「医の国際倫理綱領」(最終改訂1983年)が採択された。

1980年代に入って、カナダ医師会(1984年)、ドイツ連邦医師会(1985年)、フィンランド医師会(1988年)など多数の世界医師会加盟国が倫理綱領・職業倫理規範を改めた。

その際、参照されたのが、「ジュネーブ宣言」と「医の国際倫理綱領」であり、各国医師会はその内容を、ほぼそのまま、あるいは形・強調点を変えて踏襲したといわれる。

ちなみに、「医の国際倫理綱領」はジュネーブ宣言に言及しながら、さらに医師の義務につき、
1)医師は、個人および社会に対して専門的行為について常に最高水準を維持するべきである
2)医師は利益を得るという動機に影響されないで職務を遂行しなければならない。
3)医師は患者や同僚医師に誠実に接し、その権利を尊重すること
4)患者の秘密を守ること
などを強調している。

この4点のうちの、利益目的の否定は、守秘義務と並ぶ"ヒポクラテスの誓い"の核心部分である。しかも翻って考えるならば、陸宜、貝原益軒らが説く「医は仁術」の語と共通の考え方でもある。

日医の平成12年「医の倫理綱領」は、WMAの「ジュネーブ宣言」に始まる医療倫理の国際的な流れのなかで、先行した各国医師会の倫理綱領を参照し、あるいは日本の過去の考え方にも考慮を払いながら、できるだけ簡潔な現代文にまとめたものである。

日医の「医の倫理綱領」の前文、あるいは三項「医師は医療を受ける人びとの人格を尊重し、やさしい心で接するとともに、医療内容についてよく説明し、信頼を得るように努める」、六項「医師は医業にあたって営利を目的としない」と貝原益軒の解説とを比較すれば、両者は同じ趣旨を述べていることが分かる。

古典的な意味での「医は仁術」の精神は、言葉こそ使われていないが、平成版「医の倫理
綱領」にも脈々として継承されており、決して死語になってはいないと考えるが、いかがであろうか。

畔柳 達雄「医は仁術はもはや死語か?」
くろやなぎ たつお
日医参与、弁護士、法学博士
昭和30年東北大学法学部卒、
昭和32年弁護士登録、昭和52年第2東京弁護士会副会長、日弁連理事、放医研、感染研倫理審査委員。

日医ニュース
No.1074
2006.6.5