春の数えかた | 月かげの虹

春の数えかた


つい先日、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」に、イギリスでひなを育てる渡り鳥のひなの発育率が、近ごろ大幅に下っているという論文が載っていた。

地球温暖化のおかげで、春に虫たちが現れる時期が早くなり、その渡り鳥がひなを育てるころには、ひなの餌となる虫が少なくなってしまっているのだというのである。

やっぱりそんなことがおこってきたか。ぼくはそう思ったが、何となく信じられないような気もした。

「やっぱり」と思ったのは、春のきたことを知る方法が虫と鳥とではちがう可能性があるからである。

ぼくがかつて書いたとおり、多くの虫たちは春の来るのを暖かさで知る。冬が終わって少しずつ気温が高くなってくるのを虫たちはキャッチし、それを足しあわせていく。

それぞれの種の虫には、それぞれ発育限界温度というのがきまっている。たとえば、ある種ではそれは7度Cである。

発育限界温度が7度Cのこの虫は、その日の気温から7度Cを引いた温度を1日分ずつ足しあわせていく。

たとえば気温が8度Cの日が2日つづいたら、「8引く7イコール=が2日。すなわち二日度(にちど)というように。

暖かくなりかけたのに急に寒い日が何日かあると、その分だけ温度のかせぎは遅くなる。こうして温度の総計がある一定の値に達すると、卵から孵ったり、サナギになったり、親虫になったりするのである。

これが虫たちの『春の数えかた』(新潮文庫)なのである。

春になるといろいろな昆虫がいっせいに卵から孵ったり、親虫になったりするけれども、たいていはこのように温度の累積で「春を数えて」いる。

ちがいがあるとすれば、発育限界温度が何度Cか、卵から孵ったり親になったりするのに、総計何日度が必要かということだけである。

ところが鳥となると、春の数えかたがまったくちがう。自分の体温が気温よりはるかに高い鳥たちは、気温の変化などほとんど関係がない。

では彼らは春の近いことを何で知るのだろうか? 春になると小鳥たちがさえずりだすことは、ずっと昔から知られていた。

さえずるのはオスだけで、メスはさえずらない。そしてどうやら、オスはしきりとさえずってメスを口説き、メスとつがいになろうとしているらしい。

うまくつがいになったものどうしは、適当な場所をえらんで巣作りを始める。そして巣ができあがるとオス・メスは交わり、卵を産んで温めはじめる。

すると何日かしてひなが孵る。こうして次の世代の小鳥たちが育ってくるわけである。だから小鳥たちにとっての春は、オスのさえずりに始まるといってよい。

問題は何を手がかりにしてさえずり始めるか、だ。小鳥は春になるとさえずり始めるのだから、人々は小鳥たちは温かくなるとさえずり始めるのだろうと思っていた。

ところが小鳥たちは、寒くてもさえずりだす。つまり、まだ寒いけれど春は近いということが、鳥たちにはちゃんとわかるらしいのだ。何でそんなことがわかるのだろうか?

それは日の長さかもしれない、と思った人がいた。

冬の間は夜が長く、日の出もおそい。けれど2月ごろともなれば、まだ寒いものの、日が出る時間も少しずつ早くなり、その分、日も、長くなる。小鳥たちはそれに気づいているのではないか?

そこでその人はまだ冬の間から、同じ種類の小鳥たちを何羽ずつか、2つの部屋に分けて飼ってみることにした。

1つの部屋は暖房を入れて暖かくしてやった。けれど昼夜の長さは自然のままにしておいた。

もう1つの部屋は、朝早くから電灯をつけて、早くから明るくなるようにしてやった。けれど暖房は入れたりせず、冬のままに寒くしておいた。

こうやってしばらく飼っておいたら、電灯をつけて早くから明るくなるようにした部屋の小鳥たちが、やがてさえずりだしたのである。部屋は冬と変わらず寒いままだった。

一方、春のように温かくしてやったが、日の長さは冬のままにしておいた部屋の鳥たちは、一向にさえずりだす気配はなかった。

鳥たちが動いたり、餌を食べたり飛びまわったりすることがさえずりと関係するかもしれないと考えて、餌をやる時間を一定にしたり、強制的に運動させたり、いろいろなこともしてみたそうであるが、それはさえずりの開始に関係がなかった。

さえずりの始まりは、暖かくなるかどうかではなく、早く夜が明けるかどうか、つまり日の長さによってきまるのだということが、こうしてはっきりわかったのである。

生物の活動が昼夜の長さ、いいかえれば明暗の周期(光の周期)によってきまる現象は、「光周性」と呼ぱれている。

植物の花がいつ咲くか、動物がいつ繁殖するか、いつ冬眠に入るかなど、いろいろなことが光周性によってきまることが、今ではよくわかっている。

小鳥は光周性によって春の到来を知り、さえずり出すのである。

その一方、多くの昆虫は暖かさで「春を数えて」いる。

昆虫が温度で春を数え、その昆虫を餌にしてひなを育てる小鳥が日の長さで春を数えるということになると、そこに食いちがいがおこる可能性が生じる。

「今年は暖冬だ」、「今年は寒い」というように、温度は年によってちがうが、昼夜の長さ(光周期)については、「今年は長日だ」、「今年は夜が長い」ということはない。

日の長さは季節によって天文学的にきちんと決まっており、年によってちがうことなど決してないからである。

この文の最初に書いたイギリスの渡り鳥の話は、まさにこの食いちがいがおこったことを報じたものではないだろうか?

地球温暖化が本当におこっているのだとすると、いろいろな生物たちの生活にこのような「春の数えかた」の食いちがいがおこってくるのではないかと、たまらなく心配になってしまうのである。

日高敏隆「春の数えかたの食いちがい ?」
ひだか・としたか
人間文化研究機構・地球研所長

猫の目草 第125回

波 2006年6月号
新潮社
¥100