生と死の葛藤
誕生と死を同時に経験する。それも、ひとつの肉体の中で。これ以上の葛藤があるだろうか。
しかも、ヒロイン・滴は、生と死に、日常的に接している医者なのだ。
滴は、妊娠を知ったあとで、乳ガンが再発したことを知る。高齢出産でもあり、どうしても産みたいと思う。再発したことを言ったら、産むことを許してはもらえないだろう。
自身が医者だから、そのことはよく分かっている。彼女は、誰にも再発を告げない。夫にさえも。
小説は、これ以上ない緊迫した状況で始まる。
ぼくは、脚本家だから、この小説をドラマにするとどうなるのだろうかと、つい考えてしまう。
葛藤は、滴の肉体の中にある。他人が立ち入れないほど、厳しい状況だ。小説は、ひとりの人間のモノローグでも成立する。彼女の体の中で進行する生と死の葛藤を、彼女がどんな風に考え、苦しみ、克服したか。小説は、それで成立する。
作者は、生と死というとても大きなドラマを捉え、見事に描き抜いている。ドラマは、ひとりでは成立しない。主人公に相対するものが必要になる。
人間でなくても、自然でも、動物でもいい。主人公の悩みや葛藤を明確に描きだせるものなら何でもいいのだ。
この場合の相手は、彼女の葛藤をもっとも強く感じる人間、夫の良介だろう。
良介は、仕事に恵まれないカメラマンだ。才能がないというよりも、どうしてもこの仕事をやっていこうという強さがない。
南の島で、珍しい鳥を見つけたとき、シャッターを押すのを忘れて、思わず見とれてしまうというエピソードが、彼の人柄をよく表している。
元は、滴と同じ医学生だったのに、医者にならなかったのは、彼の中に人生を頑張って生きようという気持ちがなかったからではないか。
その分、彼は、とてもやさしい。彼女の妊娠を知ると、自分が子育てをしてもいいという。ジョン・レノンのように。
彼のように肩肘張らない生き方をしたいという男は、今、増えていると思う。仕事に生きがいを感じている女性にとっては、とてもいいパートナーだろう。
滴は、そんな良介を愛している。彼の頑張りのなさを不満に思ったこともない。でも、命に限りあることを知ってしまったとき、それでも成長していく体の中の生命を感じたとき、夫に対する感じ方が変化していく。
これが、脚本家にとっては、最大のドラマだ。
彼女は、夫に、自分の死を明かさない。明かすのが怖いのかも知れない。それを知らせると、彼は変わるだろう。でも、どんな風に変わるのだろうか。彼のやさしさで、生まれてくる子供を育てていけるのだろうか。
彼女は苛立ち、久しぶりに来た大きな仕事を断ろうとした夫に対して、「あなたには願ってもない仕事じゃないの」と、きついことを言ってしまう。2人の間の亀裂が、少しずつ大きくなっていく。
彼女は、知らない病院で、ひとりで子供を産む。これ以上ない孤独の中で、救いとなるのは、元気で庄まれてきた子供だ。その子供に母乳を飲ませようとしたとき、彼女の乳房から、化膿したガン細胞が皮膚を破って飛び出してくる。
リアルですさまじい描写が続いた後で、小説は、とてもロマンチックな結末を迎える。ヒロインの過酷な状況につきあってきた作者自身が、少しでも早く、明るい空の下に出ていきたくなったかのように。
脚本家としては、生と死の両方に、突然つき合わされることになった良介の、とまどい、苦しみ、苛立ち、そして、自分の死を告げなかった妻の気持ちを理解していく愛情を、もう少し描きたくなる。
それがあると、ロマンチックな結末が、もっともっと切なくなるのではないかと、つい余計なことを思ってしまう。
死んでいくヒロインが、作者自身の反映であるわけはない。でも、そう思ってしまうような迫力が、この小説にはある。作者自身の熱く激しい葛藤が、一行一行の文章に込められているような気がする。
この小説は、谷村志穂さんが難産のすえに産んだ、素敵な子供だと思う。
ある意味では、彼女自身の生と死を賭けて。
鎌田敏夫「ひとつの肉体の中で進行する生と死」
(かまた・としお 脚本家・作家)
谷村志穂『余命』
4-10-425603-X
波 2006年6月号
新潮社
¥100