エラいところに… | 月かげの虹

エラいところに…


『エラいところに嫁いでしまった !』……すごいタイトル。 しかし世間一般では、私も政治家の妻となったことで "エラいところに嫁いでしまった"と思われているらしい。 その "エラい" 度は、どんなものか ? 嫁としては、隣の芝生も気になるところ。思わず手に取ってしまった。 聞けば、ケータイ文庫という携帯電話で小説を読むためのサイトに連載されていたエッセイで、連載当時から女性からの支持率は圧倒的。激賞メールがワンサと来たという。 著者は文筆家らしいが、これはかなり実生活に近い内容のため、別名義で書いている。「書いたのがバレたら離婚かもしれない、でも書きたい」といったところか。 で、読んでみた。 うーん、笑える。タイトル通り、田舎の名家の次男に嫁いだ女性の奮闘記。しかし、品良くまとまらないのが、とってもイイ。 所々、マンガが挿し入れられているが、マンガが無くとも、濃い登場人物の織り成す人間模様と "嫁" の粗っぼい文体だけで大爆笑。不思議と絵が浮かんでしまう。 職業柄か、私は頭の中で「ドラマ化」していた。この役は、あの女優さん、これは……、と。枠としては日本テレビのドラマコンプレックス辺りが最適か? しかし、これだけの型破りな内容をどうしたら2時間に収めることが出来るのか? とにかくハチャメチャ、一気に読み上げてしまった。 この本、『エラい嫁に嫁がれた!』というタイトルにも出来よう。嫁ぎ先からしてみれば。 それくらい、主人公・モソこと槙村君子は世間様の尺度からすると"とんでもない女"に近い。コンビニ弁当ばっかり食べてるし。 結婚相手・磯次郎の水虫の件(くだり)は食事前に読まないことをオススメする。思い出すだけで臭って来るぅ。 また、古事記に出てくるイザナギの尊とイザナミの尊の最初の子供である蛭子(ひるこ)の件も、子を持つ親として引いてしまう。「そういう表現はいかがなものか?」と。 でも、こんな奔放な表現力、独特の洞察力も、モソの魅力。友達に一人、モソみたいなのがいても楽しいかも。 さて、その嫁ぎ先。かなり "エラい" です。"エラい" を広辞苑で引くと、まず "すぐれている。人に尊敬されるべき立場にある" という前向きな言葉が出てくる。 しかし、それに続くのは "普通あるべき状態より程度が甚だしい。ひどい。思いがけない。とんでもない。苦しい。痛い。つらい〃" ……ネガティブ感てんこ盛り。 「財産目当て?」の侮辱に始まり、夏休みには御先祖様の墓掃除、正月は巨大ブリの解体に徹夜、更に舅の"代理母"発言。穏便という言葉はモソの辞書には無いらしく、ひたすら抗い続ける。 同じ嫁として興味深かったのは墓掃除の件。"しきたり" というのは家によって違うんだなあ、と私が初めて感じたのが"墓地〃だったからだ。 夫、つまり後藤田家の墓地は徳島の奥の奥、山の中。墓地の入り口には小さな家があり、まずそこに住んでいるという "土地の神様"(のようなもの? たしか)に挨拶する。 その後、坂を上れば墓地に到着。見渡すとダーッと "後藤田さん" の墓が並び、その一つ一つに、葉っぱに載せた米を供え、お線香をあげる。 単調な体の動きに飽きた頃、本家の大きい墓に辿り着きピカピカに洗い上げて、おしまいとなる。 この作業を、夫と共に、そして後藤田家のルーツがある旧美郷村の人々のお力を借りながら行う。 夫曰く「俺は定期的にコレをしていた」 この時、私は思った。 「ご先祖想いの人に悪い人はいない」と。 モソの嫁ぎ先の墓は輪をかけて "エラい" ことになっており一読の価値アリ。この辺りから嫁・婚家にとっては悲劇、衝撃的なこと(傍観者である読者には笑劇的……)が怒濤の勢いでやって来る。 一体、どこまで信じて良いのか!? でも実生活に近い内容ということは、フィクションもあるということ? その線引きは読者に任されているとしよう。 たぶん、この本は銀座辺りの高級店で、お茶とケーキを食すのと同じくらいの値段なのだろう。私だったら、この本を選ぶかな? 笑ってスッキリ、読後の妙な爽快感がたまらない。そして今、私は胸を張って言える。「うちは "エラく" ありませんから」。 水野真紀「うちはこれほどエラくありませんから!」 みずの・まき 女優 槙村君子『エラいところに嫁いでしまった!』 波 2006年6月号 新潮社 ¥100