ビッグバン宇宙論

人間は有史以前から、なんとかしてまわりの世界に説明をつけようとしてきた。文化・科学史や人類学の研究成果からは、地域、文化、社会ごとにさまざまな世界観が作られてきたことがわかっている。
「宇宙はどのようにして生まれ、いかにして今日に至ったのか ? 人間はその宇宙の中でどんな存在なのか ?」という疑問は、時を超えて私たち人間の心を惹きつける深い問いであるらしい。
今日でも、「神が6日間でこの世界を作って7日目に休んだ」という『旧約聖書』冒頭の記述を信じている人は大勢いるし、そのほかにも、自分の所属する文化の神話的世界観の中で生きている人たちは、現代日本に暮らす私たちが思う以上にたくさんいる。
とはいえ、科学技術が高度に発達した日本に生まれ育ち、カーナビや携帯電話に取り巻かれている私たちは、「はじめに神が……」とか「大昔、ひとりの巨人が……」といった話を文字通りに受け入れる気にはなれない。
そうしたお話は、かつて人々が世界に説明をつけようとした試みの成果だと考える人がほとんどだろう。
しかしその一方で、「では、この宇宙はどのように始まったのだと思いますか ? どんな世界なのだと思いますか?」と質問してみると、現代の日本で大学を卒業したような人たちでも、意外としどろもどろなのである。
火星の表面を探査機が歩き回り、木星の衛星の精密な写真が送られてくるほどだから、宇宙の始まりや成り立ちについてもきっと科学的に信頼のおける説明があるに違いない、とたいていの人は思っている。
ところが、その説明がどんなものかはよく知らないのだ。興味はあるのに、実は知らない。それはいったいなぜだろう ?
ひとつの理由は、大学で物理でも専攻しないかぎり、小学校でも中学校でも高校でも、宇宙の始まりや進化のことなど習わないからだ。
「ビッグバン」という言葉ぐらいなら多くの人が知っていても、宇宙は「大爆発」で始まったらしいこと、そして今も膨張しているといった基本的なことさえも、学校では教わっていないのである。
もうひとつの理由は、これまで宇宙論について書かれてきた本はほとんどすべて、科学好きの人たちのために書かれていたことだろう。
そうなるのも無理はない。なぜなら、現代宇宙論の骨格というべき「ビッグバン理論」には、相対性理論も量子力学も原子核理論も、つまりは20世紀になって躍進した物理学の成果が、ごっそりと使われているからだ。
科学好きでもない人たちに向かって現代物理学の話をするのは(私にも経験があるが)、容易なことではない。
普通は、難しいところをすっ飛ぱして喩え話などで切り抜けるか、あるいは開き直って物理学の教科書のような解説を始めるかのどちらかになってしまう。その中間の道を取るのは至難の業なのである。
しかし、その至難の業をやってのけるのがサイモン・シンだ。シンが高度な内容を的確なパースペクティブの中であざやかに描き出し、読者を納得させてしまう、いやそれどころか感動までもさせてしまう力量は、『フェルマーの最終定理』『暗号解読』という前2作で証明済みである。
第3作となる『ビッグバン宇宙論』でも、その力は遺憾なく発揮されている。
宇宙の始まりと進化について知りたいのなら、科学的な知識が得られるだけでなく、大いなる宇宙の謎に取り組んだ人間たちのドラマも堪能させてくれる本書を、ぜひ手に取っていただきたいと思う。
また、「ビッグバンに関する本なら、もうすでにたくさん読んだよ」という人たち(私もはじめはそう思った)に伝えたい。
『ビッグバン宇宙論』は、標準的な科学的宇宙観を与えてくれるだけの本ではない。シンは、科学の方法論と、それを推し進めてきた人間の営みについて考えてほしくて、そのための魅力的な題材としてビッグバンを選んだのだ。
翻訳を終えて、私はそのことを実感している。科学や科学史好きなあなたも、きっと、とくに19世紀から20世紀に起こった進展のあたりで考えさせられる点にたびたび出会うことだろう。
「ビッグバンぐらい知ってるさ」とタカをくくらず、ぜひシンの直球を受け止めてみてほしい。
青木 薫「世界はどうやって始まったのか ?」
あおき・かおる 翻訳家
特集 サイモン・シン『ビッグバン宇宙論』
波 2006年7月号
新潮社
¥100
育児の哲学書

大きくなる、成長するという意味の古語に「ひとなる」がある。漢字で示すなら「人・成る」。
本書はまさに人間になるための、具体的には日本人に育て上げるための育児書、それも育児のハウツーにとどまらず、育児の精神を説くという意味で育児の哲学書とでも呼びたくなる内容だ。
著者は、これまでに接した子供の患者が50万人、キャリア40年の現役の小児科医である。
昨今、どうも母子の関係が希薄になってきた、いびつな心の青少年が増えてきた、という日頃の実感の中から本書は生まれた。
なぜ、そうなったのか、そうならないためには何をなすべきか。
人間は文化の中に生まれ落ちる。文化というのは生活の型、生きてゆく上での必須の型のことだ。
動物の行動パターンのように生得のものでない以上、型は代々子供に教え込んでゆくしかない。
そうした文化を共有する一定のまとまりがドイツ人、日本人、アメリカ人、ロシア人、中国人……ということになる。
人間は母国語の中に生まれ落ちるのと同様、文化の中に生まれ落ちるのであって、無国籍者としては生きてゆかれない。
文化がそうしたものである以上、従来どの文化も自分たちの型を次代に伝える独自な方法、育児法を有していた。
しかるに戦後の日本は、昭和21年の「アメリカ教育使節団報告書」や41年の『スポック博士の育児書』にコロリと参るかたちで、自分たちの育児法を簡単に捨ててしまった。
いわく、抱き癖は子供の自立心を妨げる、母乳より人工乳の方が栄養バランスがいい、と。
背景にあるのは「子供には無限の可能性があるのだから、それを自由に伸ばしてやるのが教育」だとするデューイの思想で、個体であると同時に共同体に属して生きてゆくしかない人間の二面性のうち、個体性のみを重視する。
かりに人間の生が個体にだけ宿るのなら、わざわざ共同体の作法を教える必要もなく、自由放任がよいことになる。
その自由放任の弊、ようやく見過ごしがたいのが二ートやひきこもり、すぐにキレる青少年といった昨今の世相だという。
育児の要諦は結局、共同体に属する人間、まともな日本人を育て上げることに尽きる。
より正確にいうなら、そうした教育を後に受け入れることのできる素地を、妊娠期、乳幼児期に作り上げることだ。
著者の提言は、つねに臨床医としての知見に裏打ちされていて具体的、まさに目からウロコの思いがする。
たとえばインプリンティング、アタッチメント理論と呼ばれるものがある。生後6ヶ月までに赤ん坊はだれが自分を保護してくれる親であるかを認識し、3~4歳くらいまでその親から十分な愛情を受けることによって成長のための核が形成される必要がある。
おんぶに抱っこ、大いに結構。四六時中、母子がいっしょにいることでそれらは達成されるというから、「仕事か育児か」の選択は本来ありえないものらしい。
稲垣真澄 「育児の哲学書」
いながき・ますみ 産経新聞文化部編集委員
波 2006年7月号
¥100
田下昌明『真っ当な日本人の育て方』
4-10-603566-9
新潮社
男乗りvs.女乗り

鉄道が好き、と公言する人が男女ともにじわじわと増加傾向にあるような気がする、昨今。彼等・彼女達を見ていると、鉄道の乗り方には「男乗り」と「女乗り」、2つの方法があるように思われるのでした。
男乗りをする人達というのは主に男性であるわけですが、その路線のことをとにかくよく知り、咀嚼し、制覇するという感じの乗り方を彼等はしている。
その知識量たるやすさまじく、
「○○線はもっと××駅での停車時間を減らすべきだよねえ」とか、
「××線は○○線との乗り入れを早急に考えなくちゃならないと思う」
といった、鉄道に対する支配感覚を有している。
対して女乗りというのは、頭で乗るのではなく情緒で乗る、という乗り方です。ま、私がその手の乗り方をしているだけなのですが、ひたすら窓の景色を眺めて「鳴呼」などと思い続けることが快感。
直流と交流の違いも、下手をすれば電化と未電化の違いすらもわかっていない。
男乗りする人が鉄道を支配したいタイプであるならば、女乗りをする人は、鉄道からの被支配感を楽しんでいると言ってもいいかもしれません。
私も、ほとんど胎内回帰気分で乗っているため、鉄道に揺られていると、自分の寝床においてよりも熟睡してしまうことがしばしばなのです。
『汽車旅放浪記』を読んで関川夏央さんの乗り方を見ると、それは男乗りと女乗りのハーフであるかのような感じがしたのでした。
しかしハーフと言っても、どちらでもない感じというのではなく、最も男乗り的な感覚と、最も女乗り的な感覚とを両方持ちつつ、関川さんは鉄道に乗っている。
関川さんは、鉄道の歴史はもちろん、時刻表についても軌道の幅についても通暁していらっしゃるのです。が、その文章は知識の羅列にならず、知識が背景にあるからこそ、鉄道が持つ独特の情緒が、浮き彫りになる。
たとえば、日本の国土が狭隘でその割に平地が少ないからこそ、日本の鉄道は標準軌でなく狭軌であるという知識を、私はこの本を読んで知るわけです。
すると、できるだけ線路に勾配をつけないようにするために作られた切り通しの風景に対する関川さんの愛と、そんな切り通しをローカル線が通過する時に関川さんが思う「日本の鉄道のけなげさ」とを、共有できたような気分になるではありませんか。
この本の中では、故・宮脇俊三さんについての記述も多く見られますが、宮脇さんもまた、男乗りであり女乗り、という乗り方をされる方だったように思えます。
だからこそ関川さんは、宮脇さんの思いを理解しつつ、その旅の軌跡をたどることができるのでしよう。
どのように鉄道に乗るかということは、その人がどのような人か、ということを表すのでした。
関川さんは宮脇さんだけでなく、松本清張、林芙美子、太宰治、夏目漱石、そして内田百間らの鉄道の乗り方を通して、文豪達の生きざまを眺めています。
比愉的な意味においてのみならず、レールをたどることによって見えてくる人生があるのであり、鉄道は単に距離的に移動することができるだけでなく、時間的な移動や、時には人の心の中への移動もできる乗り物であるということが、この本を読んでいると理解できる。もちろん関川さんの本当の目的地は、自らの過去であるわけですが。
多くの男性鉄道ファンは、鉄道を支配することに夢中になるあまり、乗っている自分がどう見えるか、もしくは他にどのような人が乗っているかということには無関心なものです。
その無関心さこそ、端から鉄道ファンを見た時の、ちょっとした奇妙な印象の元凶なのでしょう。
しかし関川さんは、極めて男性的な関心を持って鉄道に "乗る人" であると同時に "見る人" であり、であるが故に "見られる人"であるという意識も持っていらっしゃるのでした。
全編において、鉄道に乗ることに対する含毒が漂うのはそのせいであり、その含羞は、鉄道好きにとって、とても大切なものなのではないかと思うのです。
関川さんは、盲腸線の終着駅にある、錆びた車両止めの風景がお好きなのだそうです。
確かに私もその風景は好きなのですが、車両止めのその先も、もっと読んでいたい。そんな気持ちになる、1冊なのでした。
酒井順子「男乗り VS. 女乗り」
さかい・じゅんこ エッセイスト
波 2006年7月号
関川夏央『汽車旅放浪記』
4-10-387603-4
新潮社
フィジカル・エリート

戸井十月は、私より1つ年下で1948(昭和23)年の生れだから、いわゆる「団塊」のどまんなかということになる。
その第一陣(昭和22年生まれ)が定年を迎えるのはいよいよ来年。これが世にいう「2007年問題」だが、もし戸井が勤め人をしていれば、さ来年がお役御免の年になるわけである。
その点フリーはいいなあ、と背広にネクタイをぶら下げている同世代はいうかもしれない。
だが、それは違う。他人に人生の区切りをつけてもらえるだけ、勤め人はしあわせなのである。フリーはそれをいつか自分自身でしなくてはならない。
とりわけ、戸井十月のような、行動が即表現であるようなタイプのもの書きにとって、それはやっかいでしんどい決断になるのではないか。
この新刊『遥かなるゲバラの大地』の序章は、こういう一文で始まっている。
<2004年10月12日、なりたくもないのに56歳になった>
いきなりトシの話である。しかも作者は、薄い笑いをとろうとして、「なりたくもないのに」という一句をそこにつけ加えている。
紋切り型といってもいいし、月並みなといってもいい。しかしあえてそう書くことで、作者は、これからはじまる苛烈な旅が、じつは「夢は枯れ野を駆けめぐる」ような旅でもあることを、そっと読者に暗示する。
序章は続けていう。
〈アフリカ大陸縦断の旅から、早3年。気を抜けば光陰矢のごとしだ。2005年の年が明けて、だから私は、急かされるように南米大陸一周の旅の最終準備にとりかかった〉
ここにも、探そうとすれば気になる表現がいくつもある。まず一つは「気を抜けば光陰矢のごとしだ」というところ。普通は「気がつけば」だろうが、それがそうでない。
そしてもう一つはこれ。強調の効果を出そうという意図からか、わざわざ不安定な位置に置いてみせた「だから私は」である。
この、文章的にはかならずしも必要ではない「だから」には、どういう著者の思いのたけがこめられているのか。
「私」はすでに56歳「だから」なのか、それとも光陰矢のごとし「だから」なのか。いやいやそれだけではあるまい。
ここから先は私の勝手な「読み」になるのだが、この「だから」はむしろこう解されるべきなのではなかろうか。
最近は「DAKARA」という名のペットボトル入りの飲料もあるが、「だから」はすなわち「からだ」のアナグラムでもある。
そして身体が戸井十月の世界の土台であることは、いうまでもない。思えば20代の頃、戸井は、同世代のまわりの人間たちからよく「フイジカル・エリート」などと呼ばれた。「エリート」ということばがまだ目新しく、それなりに輝きを放っていた時代の話である。
もっとも、皆がそういうときの口調はいつも「フィジカル・エリート(笑)」であったから、正確にはそう陰口を叩かれたというべきかも知れない。
まわりの人間たちというのは、ようするに、当時のベトナム反戦運動(べ平連)の周辺にいた若者たちのことと考えてもらってよい。
また、陰口を叩いた連中のなかには、のちのノンフィクション作家の吉岡忍がいて、作家の畠和田武がいて、私がいた。
いずれも筋骨薄弱で、口はよく回るが腕力・体力はからっきしという面々である。そのなかで、イラストレーター(当時)の戸井十月はひとり異色だった。
ガタイがいいというのだろうか。大きな骨格と太い筋肉と広い肩。おまけにその立派な身体の上には、サッカーのスペインリーグにでもいそうな、ラテン風のイケメンがのっかっている。
当時のべ平連はいちおう新左翼の文化的系列下にあったので、あの「♪若者よ身体を鍛えておけ」の歌を歌うことはなかった。
いやそれどころか、そのような考えを、いま風にいえば「だせー」としりぞけていたのではなかったか。
しかし、戸井だけはこうした反身体的な文化と風潮にくみしなかった。そしてその姿勢は、やがて一つの成果となって表われる。
戸井十月の「♪美しい心がたくましい身体に辛くも支えられる日」は、中年期になってやってくるのである。
5大陸走破の壮途についたとき、作者は47歳。「旅する団塊」の先駆けがあの沢木耕太郎だったとすれば、そのしんがりはいま、バイクに跨った戸井十月にゆだねられている。
山口文憲「旅する団塊のしんがり」
(やまぐち・ふみのり エッセイスト)
戸井十月『遥かなるゲバラの大地』
4-10-403105-4
新潮社
波 2006年7月号
新潮社
¥100
楊貴妃の墓

世の中には不思議な御仁がいるもので、私の友人の一人、歯学博士で、自分で診療所を開設しているH先生も、まさにその一人だと私は思っている。
彼は誠に瓢々としていて、しかもお酒には全く眼がない。自分では酒に溺れた男ですとか言っているが、酔うほどに、筆と墨で描く絵が実に上手なのだ。プロである。
一緒に飲んでる人たちの似顔絵なども良いが、何よりも佛画が素晴らしい。
もちろん、しらふのときには、しっかりと油も水彩も描いているし、彫金までやってしまう。ご自分で「騎虎の会」という芸術家たち20-30人からなる会の主宰もしている。
私が最も不思議というか、感心するのは、知らないものはないといった感じの博学で、私など彼に "歩くエンサイクロペディア" というニックネーム、いや称号をつけてしまっているのだ。
人物でも本でも、音楽絵画、それにいろいろの土地の消息案内に至るまで、そのレパートリーはまことに広汎なのである。
それもこちらから持ちかけると、実にユーモラスな語り口で、遠慮がちに返事が返ってくるという次第で、その奥床しさもなかなかのものなのだ。
でも最近は、階段から落ちまして、と額にバンドエイドを貼っていたり、うちの患者さんたち、ちっとも治らないもんで来なくなりまして、皆んな娘の方に行ってしまうんですよ(お嬢さんが立派な歯科医なのだ)、やはり翌日酒臭いんでしょうか、などとボヤいている。まさに不思議な御仁である。
不思議と言えば、昨年の夏、旅行先で、楊貴妃の墓にお参りをしてきた。友人でもある船長の津畑さんに誘われて、お宅に遊びに行ったときのことである。
彼の故郷は、山口県豊浦郡豊北というところだが(最近下関市に合併となった)、日本海に面し、角島(つのしま)という島を前にした絶景のなかにある。
泊っていた西長門リゾートホテルも素晴らしく、隠れリゾートとしておすすめの地だ。
楽しかった最後の日、「先生、楊貴妃の墓に行きましょう」と誘われた。それは日本海を見下ろす二尊院という寺院の境内に、かなり古いとわかる立派な五輪塔があり、楊貴妃の墓だというのである。
境内は実に綺麗に整備され、その一角に3~4メートルもあるだろうか。大理石と思われる楊貴妃の美しい立像もあった。
「謎とロマンのただよう伝説」と書かれていた。その五輪塔(県指定、有形文化財)のわきに次のような碑がある。
「この五輪塔は、鎌倉時代末期の中央様式をふまえた秀作で見事な調和美を見せている。一般的に五輪塔は、密教が盛んになってから造られ、下から地・水・火・風・空の順に組まれ、五大(一切の物質の要素)をかたどるという。
周囲は墓地で、そのほぼ中央に一段高く敷地が作られ、三基の塔を中心に数多くの石塔が集められている。この雑多の石塔群は、いつのころか各地から集められたものという。
地下上申及び風土注進案では、この五輪塔は楊貴妃の墓と伝え記している」と。
読んでみて、よく意味がわからないところもあるが、私の知る楊貴妃は、唐の玄宗皇帝の寵愛を一身に受けた女性で、安禄山の乱に会って蜀へ逃避する途中、長安の郊外、馬嵬(ばかい)の仏堂で絞殺されたと史書にある。
寺院の説明によると、その当時、巷では楊貴妃は実際には死んでいないという噂もあったようで、有名な「長恨歌」の中にも日本への東航を想像させる表現があるというのだ。
とにかく楊貴妃は日本に逃れ、ここ久津(くず)の地にたどり着いたという伝説が伝えられている。
この二尊院に残る江戸時代の文書には、唐の天宝15年7月(756年)、空艪舟(うつろぶね)に乗った楊貴妃が唐渡口(とうとぐち)という所へ漂着、まもなく死去したので里人相寄り当院に埋葬したとある。
夢枕により妃の死を知った玄宗は、愛情やるかたなく、部下の陳安に弥陀と釈迦の尊像他を持たせ日本に遣わしたが、結局漂着した場所もわからず、やむなく京都の清涼寺に托して帰国したという。
その後、漂着地が久津と分かったが、両寺院の間でいろいろとあったようであるが、とにかくここが妃の墓ということなのである。
私などすこぶる単純な人間なので、半分本当かなあと思いながら、伝説でもちょっといい話だなと思いつつ、美しい美しい楊貴妃の立像を何度も眺めて帰宅した。
さて、この話を例の物識り博士に、一杯やりながら、夏の夜ばなしとして話してみた。彼は少しも動ぜず、「はいはい。日本海に面したお寺、ありますねえ。でも楊貴妃の墓は、あと2ヶ所日本にあるんですよ」と云われて驚いた。
そして、キリストの墓も東北にあるんですよと話し出した。実は東北地方にキリストの墓があるという話は、内田康夫さんや中津文彦さんのミステリーを読んだとき出てきたので知ってはいたのだが……。
キリストは、処刑のとき実は弟子と入れ替わり日本に逃れ、日本海側から入国し東北に住んだというのだ。
途中で一度国外に出るが、再び東北の地に住みつき、妻をめとり子供もいた。そして日本で死亡したのだと。
こんなことを書くと、クリスチャンの方は不快に思われるかも知れないが、どうぞ寛大な心でお許しいただきたい。私も読んだり聞いたりして驚いた話なのだから……。
飲みながら、彼の楽しい話が続く。「それで先生、キリストの立像もあるんですよ……」その像は小高い丘に立っていて、ゆるやかな下り坂となり、その両側にキリストにかかわる色々な像が置かれているらしい。
そして一番下にカエルの像があって、これが振り返る形でキリスト像を見上げているらしい。ここで彼は一息ついて「これがミカエルなんです!」
おいおい、これは彼一流のジョークなのか、本当なのか私にはわからない。しかし、楊貴妃にせよ、キリストにせよ、このような伝説が、この日本に発生し残っているというのは面白いと思うのである。
夏の夜ばなし。でも一度、今度はミカエルに会ってみたいと思っている。
横浜市立大学名誉教授
西丸 與一「夏の夜ばなし 楊貴妃の墓」
Vita Essay
ヴィタエッセイ
1927年東京生まれ。
横浜医科大学(現・横浜市立大学)卒業。
同大学医学部長、横浜市総合医療センター長など歴任。
神奈川県監察医を務めたあと、
1999年から船医として日本クルーズ客船(株)の2隻に乗り組み、年間約150日の航海を縦ける。
医学博士。横浜市立大学名誉教授。
著書にロングセラーとなった『法医学教室の午後』(正・続)を始め、『法医学教室との別れ』(朝日新聞社)『こころの羅針盤』(かまくら春秋社)『ドクター西丸航海記』(海事プレス社『ドクター・トド 船に乗る』(朝日新聞社)など多数。
Vita 2006/7・8・9
Vol.23 No.3
通巻96
株式会社BML
ブルグ劇場

ウィーンヘ行ったら、仔牛のカツレツ「ウインナーシュニッツェル」……。というのは少々単純過ぎるかもしれないが、実際、数日間ウイーンに滞在すると、1度や2度はウインナーシュニッツェルを食べる。
名物だから、というより「安心して頼めるから」と言った方が正しいだろう。どこで頼んでも、そう味に上下がないし、日本のトンカツに近いので食べやすい。
ウィーンにツアーで旅をして、「グリーヒェンバイスル」でウインナーシュニッツェルを食べた、という方は少なくないだろう。創業五百年にもなる、古いレストランだが、今や日本の観光客が夜ごと押し寄せている。
店内もずいぶん広いが、中に、「マーク・トゥエインルーム」と呼ぱれている部屋があり、ここの壁や天井は数々のサインで埋め尽くされている。
マーク・トゥエインはもちろんだが、実際にもっと「人気がある」のは、モーツァルト、べートーヴェン、シューベルト、といった大作曲家たちのサインである。
もっとも、何百年もたっている割には鮮明過ぎると見えるものもあり、「上からなぞったんじゃないの ?」と言いたくなるが、まあそこは観光客のためと言うべきか。
私も何度かここで食事をしているが、どれが誰のサインなのか、読めないものが大部分。今回の旅でもここでウインナーシュニッツェルを食べながら、どれか読めるサインはないかとキョロキョロしていたら、ちょうど頭の真上に、見たことのあるサインが。
ウィーンの作家、シュテファン・ツヴァイクのサインだった。何度も来ているのに、ツヴァイクのサインがあるとは、今回目にするまで気付かなかった……。
ツヴァイクは『マリー・アントアネット』や『ジョゼフ・フーシェ』などの伝記文学の作者として有名だが、「未知の女の手紙」「燃える秘密」などの中短編小説が、私にとっては最高傑作である。
第1次大戦前の、ヨーロッパ文化の爛熟期を生きたツヴァイクは、第2次大戦で、自分の愛したヨーロッパが崩壊する姿を見ていることに耐え切れず、亡命先の南米で妻と共に自ら命を絶った。
そのツヴァイクが、生れ育ったヨーロッパの「良き時代」を回想した『昨日の世界』を読むと、19歳で処女詩集を出版して称讃された早熟な神童の姿が目に浮かぶ。
そして、いささかの誇りをこめて、「19歳で書いた戯曲がブルグ劇場で上演された」と記している。
ブルグ劇場。……ウィーンの数ある劇場の中で、私はここには入っていない。オペラやミュージカルでなく、演劇のための劇場だからである。いくら「何でも見る」主義と言っても、ドイツ語の劇を見る忍耐力は……。
しかし、ともかくブルグ劇場が、演劇の世界の人々にとって、言わぱ「神殿」であったことが、ツヴァイクの筆致からは感じられる。
「ブルグ劇場」という映画がある。1936年というから、第2次大戦の前である。
監督のウィリー・フォルストは「未完成交響楽」で知られた名匠である。
しかし、実在する劇場の名を、そのままタイトルにした映画は珍しいだろう。それだけブルグ劇場が有名だという証かもしれない。
「ブルグ劇場」は、名優ミッテラーの「老いらくの恋」を描いた物語だ。
芝居一筋に生きて来たミッテラーが、教会で一人の若い娘に一目で魅せられてしまう。しかも、その娘の恋人が若い役者だったこともあってミッテラーは彼女も自分を好いてくれていると思い込む。
しかし、やがて真実が明らかになったとき……。
ミッテラーを演じるのは、名優、ウェルナー・クラウス。
永年、女に関心のなかった老優が、娘の言葉に、少年のように一喜一憂する姿が徴笑ましい。
そして、娘の愛する相手が別の男と知ったときの、苦悩と自嘲の表情など、本当にみごとである。
しかし、この名演を残したウェルナー・クラウスは、戦時中にナチスに協力的だったために、戦後、その責めを受けて、活動できないままに亡くなった。
同様のことは、音楽の世界にもあったが、当時役者や演奏家にとって、ナチスを拒否することは、活動の場を失うことを意味したわけで、当時の状況での彼らの選択を責めるのは酷だろう。
むろん、「芸術家と権力」の問題は重大だし、ウェルナー・クラウスの行動を批判することは必要だが、非難する資格を持つ者は少ない。
いずれにせよ、今日、「ブルグ劇場」をDVDで見ることができるのは、幸せなことである。(つづく)
赤川次郎「ドイツ、オーストリア旅物語」
生と死の世界 6
波 2006年7月号
新潮社
¥100
目に見えない存在

〈シャドウマンサー〉とは死者と会話する能力を持ち、世界を支配すべく神に背を向けた牧師、デマラルのことをさす。
彼は世界に2つしか存在しない魔法の品〈ケルヴィム〉のうち、すでにひとつを手にし、もうひとつを探し求めていた。
たった13歳の少年トマスと、幼なじみの少女ケイト、そしてデマラルの手に渡った〈ケルヴィム〉を取り返すべく、海を渡ってやってきた黒い肌の青年ラファーの3人は、デマラルに戦いを挑む。
トマスはラファーに命を助けてもらったことがきっかけとなり、この戦いに巻き込まれていく。ケイトもまた、本人の意思とは関係なく世界を救う戦いに参加することとなる。
2人ははじめ、神の存在を信じていなかった。日々生きていくのに精一杯で、決して現状に満足してはいなかったが、世界を守るなんてことを考えたこともなかっただろう。
2人は自分たちの運命が変わっていくのに気づいてはいる。しかし、自分たちの力ではそれをどうすることもできない。大切な人とも別れ、次第に芽生え始めた神への信仰を支えに、新たな運命を歩み始める。
この物語では終始、「目に見えないものの存在を、苦しい状況の中でどこまで信じられるのか ?」という問いが投げかけ続けられているように思う。
人間はひどく非力で、意志が弱く、そのくせ猜疑心が強いせいで、目に見えない絶対的な存在を絶えず信じ続けることは難しい。しかし信じることを放棄してしまえば、そこに待つのは暗闇だけなのだ。
物語に登場する敵はデマラル1人ではない。波状攻撃のように新たな敵が次々と出現し、一度は味方のように見え、気を許した者ですら、本当に味方か分からない。そんな状況の中で3人は、神を信じ、次第に成長しながら圧倒的な闇に戦いを挑み続ける。
もうあきらめてしまおう、と誰かが言っても、それをすることはできない。あきらめたあとには闇に覆われた世界での、死よりもつらい生が、もしくは生よりもつらい生と死の狭間の世界が待っている。
しかし彼らは常に3人なわけではない。様々な人に助けられ、神の加護を受けながら戦う。信仰を胸に、幾度も死にそうな目に遭いながら。
信仰とは、これほどのものだろうか、と私は思った。日本は多神教の国で、特定の宗教と信仰を持つ者は少ない。
私も高校までずっとキリスト教の学校に通っていたが、だからと言って信者なわけではない。神の言葉が聞こえたこともないし、本当に苦しいとき神に祈ったこともない。
しかし、神の存在を否定する気はない。教会でミサをしているときは心が洗われて神を信じてみてもいいかもしれないという気になるし、聖歌を合唱しているとき、この歌声はもしかしたら天に届いているのかもしれないとさえ思ったことがある。
私が神に祈るのは、何か嬉しいことがあったときだ。一生の付き合いになりそうな人に巡り合えたことを改めて感謝するときや、奇跡としか思えないような出来事が起こったとき、私は思わず「神様ありがとう」と呟く。
しかしそれが本物の信仰でないことを知っている。本物の信仰とはおそらく、死にそうなくらいつらいことがあったときも、神と心を共にし、寄り添い、神を信じてすべての苦難を受け入れることなのだろう。
信仰は、身体の中に通った一本の槍のようなものなのではないかと思う。それがある限り、どんなに苦しくても身体を折ってひざをつき、打ちひしがれることはない。なにがあっても立っていられる、そんな心のよりどころなのではないだろうか。
そんなことを、この物語を読んで考えた。神を信じ、世界を救うために闇と戦うことを決意した、まだ幼い少年と少女の気持ちを思いながら。
もちろんこの物語は、神に対する信仰のない人が、ただのファンタジーとして楽しんでもまったく問題はない。
しかし、ふと立ち止まって、神や、目に見えない存在を信じることの意義を考えながら読んでみても面白いのではないか。
読み終わったとき、心の中に満ち満ちてくるであろうやわらかな光を感じながら、その存在に思いをはせてみることを、ぜひおすすめしたい。
片川優子「目に見えない存在を、どこまで信じられるか ?」
(かたかわ・ゆうこ 大学生・作家)
G・P・テイラー著/亀井よし子訳『シャドウマンサー』
4-10-505171-7
新潮社
波 2006年7月号
¥100
五目チャーハン

「総合」とか「総合的」とは日常よく使われることばである。個々ばらばらのものを一つにまとめあげることを言うのだろう。
たしかにものごとは総合的に見、総合的に考えねぱならない。けれど、「総合的」とは何だろうかと開き直って考えてみると、どうもよくわからないところがある。
たとえば単科大学と総合大学という場合、単科大学はすぐわかる。経済学部とか医学部とか、一つの専門分野だけを教育する大学である。これに対して総合大学というのは、専門の異なる学部・学科を複数備えた大学のことである。
では、学部なり学科がいくつ以上あれば「総合」になるのだろう ? どういうものを揃えたら「総合」といえるのだろう ? こんなふうに考えはじめると、だんだんわからなくなってきてしまうのだ。
しかし、これは単に形式的な疑問である。問題はむしろ、「総合する」とは何を意味しているのかということではなかろうか。
新しい国立の研究所としてわれわれの「総合地球環境学研究所」が設立されるときも、次のような議論があったと聞いている。
「地球環境学総合研究所」ならわかる、地球環境の問題を総合的に研究する機関という意味になるからだ。
けれど、原案として提示された総合地球環境学研究所となるとよくわからない。「総合」のつかない地球環境学と「総合」のついた総合地球環境学とはどうちがうのだ ?
議論がどのように展開したのかは知らないが、とにかく、2001年4月1日の開設ぎりぎりになって、研究所の正式名は「総合地球環境学研究所」にきまった。
地球環境問題の解決に向けては、自然科学系分野の研究ばかりでなく、人文社会系の分野の研究も含めたいわゆる「文理融合」の「総合的」態勢が必要だからだとわれわれは理解した。
このこと自体はまったく当然のことで、そこには何の疑問もなかった。だが、この「総合的」研究態勢を実際に作ろうとすると、「総合」とは何ぞやということが、やはりどうしても問題になるのである。
いろいろ辞書をひいたりして調べてみると、総合とか総合的とかいう日本語は、英語ではずいぶんいろいろな表現になるらしいことが、あらためてわかった。
総合は和英辞典では、しばしば synthesis と訳されている。分析(analysis)の反対である。そこで英語の synthesis をひいてみると、ずばり第一に総合と書いてある。
けれど総合何とかという合成語の英訳には、comprehensive という形容詞がついているものも多い。包括的という意味であろう。
かと思うと general という語も使われている。一般的という意味か ? 結局のところますますわからなくなった。
国の科学研究費補助金などに助成された大型の研究プロジェクトには、「何々に関する総合的研究」と題したものが多い。ぼく自身もしばしばそういうプロジェクトに加わって、研究を進めてきた経験がある。
しかしその間に、次第に奇妙な疑問を感じるようになってきた。それは、こういう「総合研究」は本当に総合研究なのだろうかという疑問であった。
たしかにそういう研究プロジェクトは、いろいろな分野の研究者の名が並んでいて、いかにも総合的な研究であるようにみえる。
けれど実際の発表会にいってみると、それぞれの研究メンバーがそれぞれ自分の専門の研究を進めただけで、全体としてまとまった「総合的」認識の進歩や深まりなどは、ほとんど得られたとは思えないのである。
これでは「総合研究」ではないではないか。ぼくはそういうじれったさをいつも感じてきた。
この新しい研究所は、そうであってはならない。本当に総合的な研究を進めるにはどうしたらよいか。ぼくはその思いでいっぱいになった。
そもそも「総合」とは何なのか ? そしてそんな悩みの中で、ふとあることが頭に浮かんだ。
たまたまある日ぼくは、当時短期間ながら文科大臣であった人に呼ばれた。そして、いきなりこう言われた。「今度できる新しい研究所の特徴を一口でわかりやすく言ってくれませんか」
ぼくは即座にこう答えた。
「それは五目チャーハンですよ」
「え?」
当然、大臣はいぶかった。しかたがない。ぼくは説明をはじめた。
「あまり高級な料理ではありませんが、中華料理に五目チャーハンというのがあるでしょう。ぼくはあれがけっこう好きです。あれには、米、油、肉、卵などが入っていますね。そこで旨い五目チャーハンを作るためにそれぞれの専門家を集め、研究をしてもらう。
そして時期を見て発表会を開く。それぞれの小皿にのっている米、油、肉……それはさすがにそれぞれの専門家の研究成果だから、みな立派なものでしょう。
けれどそれを一つずつ味わっていったのでは、チャーハンというものはわかりません。
やはり全部を一つの熱いフライパンに入れ、熱気の中でかきまわして妙りあげ、それをまとめて食べたときに、はじめて、うん五目チャーハンだ、旨いということがわかります。これがほんとうの総合です」
嬉しいことに、大臣は即座に理解してくれた。
「わかった! この研究所は国立のフライパンなんだ!」
こうして新しい研究所の独特な性格がきまったような気がする。本当の総合とは五目チャーハンだという大変不まじめな表現も、けっこう通用するようになった。
けれど実際に五目チャーハンを作るのは容易なことではない。
人々はとても気易く文理融合などというが、パソコンで「ぶんりゆうごう」と打ちこんで漢字に変換すると、たいていは「分離融合」と出てくる。
そもそも「文系」と「理系」とは何なのだ ?またそこから疑問が始まってしまう。総合地球環境学研究所を、ぜひ「地球研」と呼んで下さいと言いつづけてもう5年。地球研の研究プロジェクトも第1期の仕上げの時期がきた。
立派な五目チャーハンができたろうか ? 今やそればかりが気になっている。
日高敏隆「総合とは何か」
(ひだか・としたか 人間文化研究機構・地球研所長)
猫の目草 第126回
波 2006年7月号
新潮社
¥100
不倫の恋

「恋」を終わらせる確実にして、唯一の方法がある。
それは結婚することだ。
若き日の燃えあがるような恋も、前世からの約束でもあるのかと思わせられるような相性の良い出会いも、死ぬほど苦しい三角関係も、そしてせつない不倫の恋も、とりあえず結婚してみたらどうだ ?
間違いなく3年くらいで恋心は消えて行く。
稀に「私たち恋人夫婦なんです」などと言う気持ち悪い組み合わせもあるが(「それは友達母子」と同じくらい不気味である)、とにかくそのくらい結婚というものは「火消し」に有効である。
その反対に恋が継続する大切な条件とは何だろう。
それは「障害」である。
不倫の恋というのは、自ずから障害を含んで存在しているので、うっかりすると5年も10年も続いてしまう。
独身だったら、3年で別れているような組み合わせかもしれないのに。
それに結婚している男は、彼自身に欠点があったとしても、それは彼の最大の欠点である「結婚していること」に集約されてしまうので、女性側が彼を良いように解釈してしまいがちで関係が継続したりもする。
本書には数多くのいわゆる不倫カップルが出てくる。
さばさばしている独立系(元からそういうタイプもいるが、はからずもそうならざるを得なかった人も多い)もいるが、昔からありがちの日陰の女系の人(「好きになった人にたまたま奥さんがあっただけ」とか言う例の感じである)もいる。
そしてまったくそれに気づいていない妻もいるし、知っているけれどあきらめている妻もいる。
みんな女性はそれぞれだが、男はほとんど似ているような印象を持った。一言で言うと、この男たちの考えていることは「あわよくば」である。
「あわよくば若い女の人と交際したい」「あわよくばその関係を継続したい」「あわよくば家庭内もうまくやりたい」「あわよくば出世もしたい」。
そして彼の「あわよくば」に対して、女は大人になったり、駄々っ子になったり、鬼になったりいろいろしているのだ。
女が20代か30代で、男が40代くらいのカップルはまだ勢いがある。
女が結婚したがったり、男もやる気で旅行に出かけたり。
しかしだんだんどちらも年齢を重ねていくうちに、男が定年退職してしまって一日中家にいるから外に出にくくなったとか、相手の妻が大病を患ってしまったとか、不倫相手がぼっくり死んでしまったとか、そういうのを読んでいると、結局、恋をするのにはエネルギーが必要なのだなあ、と思う。
体力ももちろんだし、金銭もそうだし、時間やら、相手をフォローするマメさやら。
だからそれができるうちなら、やればいいじゃないか、結局いつかはできなくなるのだから、と最後まで読んで思ったりもした。
私自身のことをいえば、私は「浮気性」ではなくて「本気性」なので、滅多に恋人はできないが、できてしまったらオリンピックを一緒に3回くらい見るような付き合いになってしまうので、この『十年不倫』に出てくる人々の気持ちがよくわかる。
ラテンの人のようにたくさん好きな人ができて、結婚するの、別れるの、と大騒ぎして、また新しい人ができる人に憧れたりもするが、これは持って生まれた性格らしくどうしようもないのだ。
しかし時間というのは面白いもので、関係が長きにわたるにつれ、愛人が「家の外にいる妻」みたいになってしまい、妻と同じように気を遣っている男もいたりして、ちょっと笑えるエピソードもあった。
職場では言えないことがあり、妻にも言えないことがあり、だから愛人を親友のように持っていたい男もいるのだろう。
しかしやはり愛人は親友ではないのだ。
彼女たちが聞き分けが良いのは「我慢しているから」で、我慢している女ほど怖いものはない。
不倫をしている人も、していない人も、結婚している人もその予定がまったくない人も、本書を読んでみると、登場人物たちの発した言葉の中に身につまされる表現を発見することだろう。
それにしても女が結婚していて、男は独身で長きにわたって継続している不倫はないものなのだろうか。
そういうのって独身男が煮詰まって最後は『黒い報告書』みたいになってしまうから、無理なのだろうか。
島村洋子「長きにわたり続く恋」
(しまむら・ようこ 作家)
衿野未矢『十年不倫』
4-10-300930-4
波 7月号
新潮社
¥100
昭和切手への郷愁

昭和30年代に少年・少女時代を過こした人には、切手少年・少女を経験した人も多いと思う。
かくいう私も、小学校の4、5年にはその魅力に取り付かれ、僅かな小遣いもすべてつぎ込み、収集仲間の友達と重品の交換や少し珍しい切手を入手すると「見せびらかし作業」に精をだしたものだ。
その後は熱も冷め、集めた日本や外国の切手は、はっきり記憶はないが、そのほとんどは散逸してしまった。
その後は特に関心を持つこともなかったが、ふとしたことから平成5年頃、郵便雑誌で切手趣味週間の「見返り美人」と「月に雁」の一記事を見かけた。そして昭和レトロヘの郷愁も重なり、子どもの頃の「貪欲な収集心」が蘇ってきた。
この2つの切手は憧れの切手で、当時でも1枚2千円以上する高値の花だった。ましてや、用の小遣い百円の我が身では、とても手の出るしろものではなかったし、当時の集友でもめったに持っている人はいなかった。
このことがきっかけとなり、手元にあった多少の日本切手をべースに収集再開となった。
初めの頃はゼネラル(特にテーマを決めずに幅広く集める)でアルバムを整理をした。
一息ついた現在では、戦前の日本の占領地切手や絶滅が危倶される世界の野生動物など、自分自身が興味を持っているものを、どちらかと言えばトピカル風(テーマを決めて集める)に、主として、切手商やインターネットを通じて入手を楽しんでいる。
県庁在職当時、日本カワウソの保護調査に携わったことから、愛嬌のある顔をした「力ワウソ」には好意を寄せていたが、東京で歯科医をしている集友からは、世界中のカワウソ切手やカバー(初日カバーや実逓便の封筒)を少なからず分けて頂いた。
勿論、一番先に入手したのは「見返り美人」と「月に雁」であったことは言うまでもない。
切手収集を再開して10数年、ご自身も骨董に関心の深い作家の車谷長吉氏の
「蒐集ごとは、所持金をいくらつぎ込んでも、満足できるということはなく、寧ろもっと欲しいという飢餓感にさいなまれる」
「蒐集ごとは、自分の所有したものを他人にみせびらかした<なるという悪癖を伴⊃ている」(日経新聞文化欄)
という言葉を座右の銘とし、無理をせずに楽しめるストイックな収集活動をもっぱらとしている。
切手は小さい美術品とも言われ、デザインやデッサンは魅力的なものも多い。欧米では貴族の趣味とも言われ、アメリカのルーズベルト大統領が切手を楽しんでいる様がモナコの切手になるなど、著名人のフィラテリスト(切手収集家)も多い。
日本の新規切手発行種類数は1999年を境に急増し、記念切手・ふるさと切手等、世界的に見ても乱造・乱発の上位にあり、収集家の間では、日本の切手は集める価値がないという声も出始めていると聞くが、収集家の一人としては寂しい気もする。
ただ最近の新しい現象として、写真付き切手やメルヘンチックなものなど、自分の感性に合う切手などを収集、また生活の中でそれを生かす若い女性収集家も増えていると聞く。
近年、世界的にも、様々なデザイン、素材も布や金属、またバラの香りやチョコしートの匂いのする切手など様々な切手が発行されている。
生活の中で、自分に合った予算で自分流の切手の楽しみ方を見つけることにこそ、切手収集の意義があるのではないでしょうか。(本文一部省略)
特別寄稿『昭和切手への郷愁』
起塚昌明
(団体役員/高知市)
季刊高知 No.21
2006 Summer
¥380