ブルグ劇場 | 月かげの虹

ブルグ劇場


ウィーンヘ行ったら、仔牛のカツレツ「ウインナーシュニッツェル」……。というのは少々単純過ぎるかもしれないが、実際、数日間ウイーンに滞在すると、1度や2度はウインナーシュニッツェルを食べる。

名物だから、というより「安心して頼めるから」と言った方が正しいだろう。どこで頼んでも、そう味に上下がないし、日本のトンカツに近いので食べやすい。

ウィーンにツアーで旅をして、「グリーヒェンバイスル」でウインナーシュニッツェルを食べた、という方は少なくないだろう。創業五百年にもなる、古いレストランだが、今や日本の観光客が夜ごと押し寄せている。

店内もずいぶん広いが、中に、「マーク・トゥエインルーム」と呼ぱれている部屋があり、ここの壁や天井は数々のサインで埋め尽くされている。

マーク・トゥエインはもちろんだが、実際にもっと「人気がある」のは、モーツァルト、べートーヴェン、シューベルト、といった大作曲家たちのサインである。

もっとも、何百年もたっている割には鮮明過ぎると見えるものもあり、「上からなぞったんじゃないの ?」と言いたくなるが、まあそこは観光客のためと言うべきか。

私も何度かここで食事をしているが、どれが誰のサインなのか、読めないものが大部分。今回の旅でもここでウインナーシュニッツェルを食べながら、どれか読めるサインはないかとキョロキョロしていたら、ちょうど頭の真上に、見たことのあるサインが。

ウィーンの作家、シュテファン・ツヴァイクのサインだった。何度も来ているのに、ツヴァイクのサインがあるとは、今回目にするまで気付かなかった……。

ツヴァイクは『マリー・アントアネット』や『ジョゼフ・フーシェ』などの伝記文学の作者として有名だが、「未知の女の手紙」「燃える秘密」などの中短編小説が、私にとっては最高傑作である。

第1次大戦前の、ヨーロッパ文化の爛熟期を生きたツヴァイクは、第2次大戦で、自分の愛したヨーロッパが崩壊する姿を見ていることに耐え切れず、亡命先の南米で妻と共に自ら命を絶った。

そのツヴァイクが、生れ育ったヨーロッパの「良き時代」を回想した『昨日の世界』を読むと、19歳で処女詩集を出版して称讃された早熟な神童の姿が目に浮かぶ。

そして、いささかの誇りをこめて、「19歳で書いた戯曲がブルグ劇場で上演された」と記している。

ブルグ劇場。……ウィーンの数ある劇場の中で、私はここには入っていない。オペラやミュージカルでなく、演劇のための劇場だからである。いくら「何でも見る」主義と言っても、ドイツ語の劇を見る忍耐力は……。

しかし、ともかくブルグ劇場が、演劇の世界の人々にとって、言わぱ「神殿」であったことが、ツヴァイクの筆致からは感じられる。

「ブルグ劇場」という映画がある。1936年というから、第2次大戦の前である。

監督のウィリー・フォルストは「未完成交響楽」で知られた名匠である。

しかし、実在する劇場の名を、そのままタイトルにした映画は珍しいだろう。それだけブルグ劇場が有名だという証かもしれない。

「ブルグ劇場」は、名優ミッテラーの「老いらくの恋」を描いた物語だ。

芝居一筋に生きて来たミッテラーが、教会で一人の若い娘に一目で魅せられてしまう。しかも、その娘の恋人が若い役者だったこともあってミッテラーは彼女も自分を好いてくれていると思い込む。

しかし、やがて真実が明らかになったとき……。

ミッテラーを演じるのは、名優、ウェルナー・クラウス。

永年、女に関心のなかった老優が、娘の言葉に、少年のように一喜一憂する姿が徴笑ましい。

そして、娘の愛する相手が別の男と知ったときの、苦悩と自嘲の表情など、本当にみごとである。

しかし、この名演を残したウェルナー・クラウスは、戦時中にナチスに協力的だったために、戦後、その責めを受けて、活動できないままに亡くなった。

同様のことは、音楽の世界にもあったが、当時役者や演奏家にとって、ナチスを拒否することは、活動の場を失うことを意味したわけで、当時の状況での彼らの選択を責めるのは酷だろう。

むろん、「芸術家と権力」の問題は重大だし、ウェルナー・クラウスの行動を批判することは必要だが、非難する資格を持つ者は少ない。

いずれにせよ、今日、「ブルグ劇場」をDVDで見ることができるのは、幸せなことである。(つづく)

赤川次郎「ドイツ、オーストリア旅物語」
生と死の世界 6

波 2006年7月号
新潮社
¥100