ビッグバン宇宙論 | 月かげの虹

ビッグバン宇宙論


人間は有史以前から、なんとかしてまわりの世界に説明をつけようとしてきた。文化・科学史や人類学の研究成果からは、地域、文化、社会ごとにさまざまな世界観が作られてきたことがわかっている。

「宇宙はどのようにして生まれ、いかにして今日に至ったのか ? 人間はその宇宙の中でどんな存在なのか ?」という疑問は、時を超えて私たち人間の心を惹きつける深い問いであるらしい。

今日でも、「神が6日間でこの世界を作って7日目に休んだ」という『旧約聖書』冒頭の記述を信じている人は大勢いるし、そのほかにも、自分の所属する文化の神話的世界観の中で生きている人たちは、現代日本に暮らす私たちが思う以上にたくさんいる。

とはいえ、科学技術が高度に発達した日本に生まれ育ち、カーナビや携帯電話に取り巻かれている私たちは、「はじめに神が……」とか「大昔、ひとりの巨人が……」といった話を文字通りに受け入れる気にはなれない。

そうしたお話は、かつて人々が世界に説明をつけようとした試みの成果だと考える人がほとんどだろう。

しかしその一方で、「では、この宇宙はどのように始まったのだと思いますか ? どんな世界なのだと思いますか?」と質問してみると、現代の日本で大学を卒業したような人たちでも、意外としどろもどろなのである。

火星の表面を探査機が歩き回り、木星の衛星の精密な写真が送られてくるほどだから、宇宙の始まりや成り立ちについてもきっと科学的に信頼のおける説明があるに違いない、とたいていの人は思っている。

ところが、その説明がどんなものかはよく知らないのだ。興味はあるのに、実は知らない。それはいったいなぜだろう ?

ひとつの理由は、大学で物理でも専攻しないかぎり、小学校でも中学校でも高校でも、宇宙の始まりや進化のことなど習わないからだ。

「ビッグバン」という言葉ぐらいなら多くの人が知っていても、宇宙は「大爆発」で始まったらしいこと、そして今も膨張しているといった基本的なことさえも、学校では教わっていないのである。

もうひとつの理由は、これまで宇宙論について書かれてきた本はほとんどすべて、科学好きの人たちのために書かれていたことだろう。

そうなるのも無理はない。なぜなら、現代宇宙論の骨格というべき「ビッグバン理論」には、相対性理論も量子力学も原子核理論も、つまりは20世紀になって躍進した物理学の成果が、ごっそりと使われているからだ。

科学好きでもない人たちに向かって現代物理学の話をするのは(私にも経験があるが)、容易なことではない。

普通は、難しいところをすっ飛ぱして喩え話などで切り抜けるか、あるいは開き直って物理学の教科書のような解説を始めるかのどちらかになってしまう。その中間の道を取るのは至難の業なのである。

しかし、その至難の業をやってのけるのがサイモン・シンだ。シンが高度な内容を的確なパースペクティブの中であざやかに描き出し、読者を納得させてしまう、いやそれどころか感動までもさせてしまう力量は、『フェルマーの最終定理』『暗号解読』という前2作で証明済みである。

第3作となる『ビッグバン宇宙論』でも、その力は遺憾なく発揮されている。

宇宙の始まりと進化について知りたいのなら、科学的な知識が得られるだけでなく、大いなる宇宙の謎に取り組んだ人間たちのドラマも堪能させてくれる本書を、ぜひ手に取っていただきたいと思う。

また、「ビッグバンに関する本なら、もうすでにたくさん読んだよ」という人たち(私もはじめはそう思った)に伝えたい。

『ビッグバン宇宙論』は、標準的な科学的宇宙観を与えてくれるだけの本ではない。シンは、科学の方法論と、それを推し進めてきた人間の営みについて考えてほしくて、そのための魅力的な題材としてビッグバンを選んだのだ。

翻訳を終えて、私はそのことを実感している。科学や科学史好きなあなたも、きっと、とくに19世紀から20世紀に起こった進展のあたりで考えさせられる点にたびたび出会うことだろう。

「ビッグバンぐらい知ってるさ」とタカをくくらず、ぜひシンの直球を受け止めてみてほしい。

青木 薫「世界はどうやって始まったのか ?」
あおき・かおる  翻訳家

特集 サイモン・シン『ビッグバン宇宙論』
波 2006年7月号
新潮社
¥100