五目チャーハン
「総合」とか「総合的」とは日常よく使われることばである。個々ばらばらのものを一つにまとめあげることを言うのだろう。
たしかにものごとは総合的に見、総合的に考えねぱならない。けれど、「総合的」とは何だろうかと開き直って考えてみると、どうもよくわからないところがある。
たとえば単科大学と総合大学という場合、単科大学はすぐわかる。経済学部とか医学部とか、一つの専門分野だけを教育する大学である。これに対して総合大学というのは、専門の異なる学部・学科を複数備えた大学のことである。
では、学部なり学科がいくつ以上あれば「総合」になるのだろう ? どういうものを揃えたら「総合」といえるのだろう ? こんなふうに考えはじめると、だんだんわからなくなってきてしまうのだ。
しかし、これは単に形式的な疑問である。問題はむしろ、「総合する」とは何を意味しているのかということではなかろうか。
新しい国立の研究所としてわれわれの「総合地球環境学研究所」が設立されるときも、次のような議論があったと聞いている。
「地球環境学総合研究所」ならわかる、地球環境の問題を総合的に研究する機関という意味になるからだ。
けれど、原案として提示された総合地球環境学研究所となるとよくわからない。「総合」のつかない地球環境学と「総合」のついた総合地球環境学とはどうちがうのだ ?
議論がどのように展開したのかは知らないが、とにかく、2001年4月1日の開設ぎりぎりになって、研究所の正式名は「総合地球環境学研究所」にきまった。
地球環境問題の解決に向けては、自然科学系分野の研究ばかりでなく、人文社会系の分野の研究も含めたいわゆる「文理融合」の「総合的」態勢が必要だからだとわれわれは理解した。
このこと自体はまったく当然のことで、そこには何の疑問もなかった。だが、この「総合的」研究態勢を実際に作ろうとすると、「総合」とは何ぞやということが、やはりどうしても問題になるのである。
いろいろ辞書をひいたりして調べてみると、総合とか総合的とかいう日本語は、英語ではずいぶんいろいろな表現になるらしいことが、あらためてわかった。
総合は和英辞典では、しばしば synthesis と訳されている。分析(analysis)の反対である。そこで英語の synthesis をひいてみると、ずばり第一に総合と書いてある。
けれど総合何とかという合成語の英訳には、comprehensive という形容詞がついているものも多い。包括的という意味であろう。
かと思うと general という語も使われている。一般的という意味か ? 結局のところますますわからなくなった。
国の科学研究費補助金などに助成された大型の研究プロジェクトには、「何々に関する総合的研究」と題したものが多い。ぼく自身もしばしばそういうプロジェクトに加わって、研究を進めてきた経験がある。
しかしその間に、次第に奇妙な疑問を感じるようになってきた。それは、こういう「総合研究」は本当に総合研究なのだろうかという疑問であった。
たしかにそういう研究プロジェクトは、いろいろな分野の研究者の名が並んでいて、いかにも総合的な研究であるようにみえる。
けれど実際の発表会にいってみると、それぞれの研究メンバーがそれぞれ自分の専門の研究を進めただけで、全体としてまとまった「総合的」認識の進歩や深まりなどは、ほとんど得られたとは思えないのである。
これでは「総合研究」ではないではないか。ぼくはそういうじれったさをいつも感じてきた。
この新しい研究所は、そうであってはならない。本当に総合的な研究を進めるにはどうしたらよいか。ぼくはその思いでいっぱいになった。
そもそも「総合」とは何なのか ? そしてそんな悩みの中で、ふとあることが頭に浮かんだ。
たまたまある日ぼくは、当時短期間ながら文科大臣であった人に呼ばれた。そして、いきなりこう言われた。「今度できる新しい研究所の特徴を一口でわかりやすく言ってくれませんか」
ぼくは即座にこう答えた。
「それは五目チャーハンですよ」
「え?」
当然、大臣はいぶかった。しかたがない。ぼくは説明をはじめた。
「あまり高級な料理ではありませんが、中華料理に五目チャーハンというのがあるでしょう。ぼくはあれがけっこう好きです。あれには、米、油、肉、卵などが入っていますね。そこで旨い五目チャーハンを作るためにそれぞれの専門家を集め、研究をしてもらう。
そして時期を見て発表会を開く。それぞれの小皿にのっている米、油、肉……それはさすがにそれぞれの専門家の研究成果だから、みな立派なものでしょう。
けれどそれを一つずつ味わっていったのでは、チャーハンというものはわかりません。
やはり全部を一つの熱いフライパンに入れ、熱気の中でかきまわして妙りあげ、それをまとめて食べたときに、はじめて、うん五目チャーハンだ、旨いということがわかります。これがほんとうの総合です」
嬉しいことに、大臣は即座に理解してくれた。
「わかった! この研究所は国立のフライパンなんだ!」
こうして新しい研究所の独特な性格がきまったような気がする。本当の総合とは五目チャーハンだという大変不まじめな表現も、けっこう通用するようになった。
けれど実際に五目チャーハンを作るのは容易なことではない。
人々はとても気易く文理融合などというが、パソコンで「ぶんりゆうごう」と打ちこんで漢字に変換すると、たいていは「分離融合」と出てくる。
そもそも「文系」と「理系」とは何なのだ ?またそこから疑問が始まってしまう。総合地球環境学研究所を、ぜひ「地球研」と呼んで下さいと言いつづけてもう5年。地球研の研究プロジェクトも第1期の仕上げの時期がきた。
立派な五目チャーハンができたろうか ? 今やそればかりが気になっている。
日高敏隆「総合とは何か」
(ひだか・としたか 人間文化研究機構・地球研所長)
猫の目草 第126回
波 2006年7月号
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