楊貴妃の墓 | 月かげの虹

楊貴妃の墓


世の中には不思議な御仁がいるもので、私の友人の一人、歯学博士で、自分で診療所を開設しているH先生も、まさにその一人だと私は思っている。

彼は誠に瓢々としていて、しかもお酒には全く眼がない。自分では酒に溺れた男ですとか言っているが、酔うほどに、筆と墨で描く絵が実に上手なのだ。プロである。

一緒に飲んでる人たちの似顔絵なども良いが、何よりも佛画が素晴らしい。

もちろん、しらふのときには、しっかりと油も水彩も描いているし、彫金までやってしまう。ご自分で「騎虎の会」という芸術家たち20-30人からなる会の主宰もしている。

私が最も不思議というか、感心するのは、知らないものはないといった感じの博学で、私など彼に "歩くエンサイクロペディア" というニックネーム、いや称号をつけてしまっているのだ。

人物でも本でも、音楽絵画、それにいろいろの土地の消息案内に至るまで、そのレパートリーはまことに広汎なのである。

それもこちらから持ちかけると、実にユーモラスな語り口で、遠慮がちに返事が返ってくるという次第で、その奥床しさもなかなかのものなのだ。

でも最近は、階段から落ちまして、と額にバンドエイドを貼っていたり、うちの患者さんたち、ちっとも治らないもんで来なくなりまして、皆んな娘の方に行ってしまうんですよ(お嬢さんが立派な歯科医なのだ)、やはり翌日酒臭いんでしょうか、などとボヤいている。まさに不思議な御仁である。

不思議と言えば、昨年の夏、旅行先で、楊貴妃の墓にお参りをしてきた。友人でもある船長の津畑さんに誘われて、お宅に遊びに行ったときのことである。

彼の故郷は、山口県豊浦郡豊北というところだが(最近下関市に合併となった)、日本海に面し、角島(つのしま)という島を前にした絶景のなかにある。

泊っていた西長門リゾートホテルも素晴らしく、隠れリゾートとしておすすめの地だ。

楽しかった最後の日、「先生、楊貴妃の墓に行きましょう」と誘われた。それは日本海を見下ろす二尊院という寺院の境内に、かなり古いとわかる立派な五輪塔があり、楊貴妃の墓だというのである。

境内は実に綺麗に整備され、その一角に3~4メートルもあるだろうか。大理石と思われる楊貴妃の美しい立像もあった。

「謎とロマンのただよう伝説」と書かれていた。その五輪塔(県指定、有形文化財)のわきに次のような碑がある。

「この五輪塔は、鎌倉時代末期の中央様式をふまえた秀作で見事な調和美を見せている。一般的に五輪塔は、密教が盛んになってから造られ、下から地・水・火・風・空の順に組まれ、五大(一切の物質の要素)をかたどるという。

周囲は墓地で、そのほぼ中央に一段高く敷地が作られ、三基の塔を中心に数多くの石塔が集められている。この雑多の石塔群は、いつのころか各地から集められたものという。

地下上申及び風土注進案では、この五輪塔は楊貴妃の墓と伝え記している」と。

読んでみて、よく意味がわからないところもあるが、私の知る楊貴妃は、唐の玄宗皇帝の寵愛を一身に受けた女性で、安禄山の乱に会って蜀へ逃避する途中、長安の郊外、馬嵬(ばかい)の仏堂で絞殺されたと史書にある。

寺院の説明によると、その当時、巷では楊貴妃は実際には死んでいないという噂もあったようで、有名な「長恨歌」の中にも日本への東航を想像させる表現があるというのだ。

とにかく楊貴妃は日本に逃れ、ここ久津(くず)の地にたどり着いたという伝説が伝えられている。

この二尊院に残る江戸時代の文書には、唐の天宝15年7月(756年)、空艪舟(うつろぶね)に乗った楊貴妃が唐渡口(とうとぐち)という所へ漂着、まもなく死去したので里人相寄り当院に埋葬したとある。

夢枕により妃の死を知った玄宗は、愛情やるかたなく、部下の陳安に弥陀と釈迦の尊像他を持たせ日本に遣わしたが、結局漂着した場所もわからず、やむなく京都の清涼寺に托して帰国したという。

その後、漂着地が久津と分かったが、両寺院の間でいろいろとあったようであるが、とにかくここが妃の墓ということなのである。

私などすこぶる単純な人間なので、半分本当かなあと思いながら、伝説でもちょっといい話だなと思いつつ、美しい美しい楊貴妃の立像を何度も眺めて帰宅した。

さて、この話を例の物識り博士に、一杯やりながら、夏の夜ばなしとして話してみた。彼は少しも動ぜず、「はいはい。日本海に面したお寺、ありますねえ。でも楊貴妃の墓は、あと2ヶ所日本にあるんですよ」と云われて驚いた。

そして、キリストの墓も東北にあるんですよと話し出した。実は東北地方にキリストの墓があるという話は、内田康夫さんや中津文彦さんのミステリーを読んだとき出てきたので知ってはいたのだが……。

キリストは、処刑のとき実は弟子と入れ替わり日本に逃れ、日本海側から入国し東北に住んだというのだ。

途中で一度国外に出るが、再び東北の地に住みつき、妻をめとり子供もいた。そして日本で死亡したのだと。

こんなことを書くと、クリスチャンの方は不快に思われるかも知れないが、どうぞ寛大な心でお許しいただきたい。私も読んだり聞いたりして驚いた話なのだから……。

飲みながら、彼の楽しい話が続く。「それで先生、キリストの立像もあるんですよ……」その像は小高い丘に立っていて、ゆるやかな下り坂となり、その両側にキリストにかかわる色々な像が置かれているらしい。

そして一番下にカエルの像があって、これが振り返る形でキリスト像を見上げているらしい。ここで彼は一息ついて「これがミカエルなんです!」

おいおい、これは彼一流のジョークなのか、本当なのか私にはわからない。しかし、楊貴妃にせよ、キリストにせよ、このような伝説が、この日本に発生し残っているというのは面白いと思うのである。

夏の夜ばなし。でも一度、今度はミカエルに会ってみたいと思っている。

横浜市立大学名誉教授
西丸 與一「夏の夜ばなし 楊貴妃の墓」
Vita Essay
ヴィタエッセイ

1927年東京生まれ。
横浜医科大学(現・横浜市立大学)卒業。
同大学医学部長、横浜市総合医療センター長など歴任。
神奈川県監察医を務めたあと、
1999年から船医として日本クルーズ客船(株)の2隻に乗り組み、年間約150日の航海を縦ける。
医学博士。横浜市立大学名誉教授。
著書にロングセラーとなった『法医学教室の午後』(正・続)を始め、『法医学教室との別れ』(朝日新聞社)『こころの羅針盤』(かまくら春秋社)『ドクター西丸航海記』(海事プレス社『ドクター・トド 船に乗る』(朝日新聞社)など多数。

Vita 2006/7・8・9
Vol.23 No.3
通巻96
株式会社BML