不倫の恋
「恋」を終わらせる確実にして、唯一の方法がある。
それは結婚することだ。
若き日の燃えあがるような恋も、前世からの約束でもあるのかと思わせられるような相性の良い出会いも、死ぬほど苦しい三角関係も、そしてせつない不倫の恋も、とりあえず結婚してみたらどうだ ?
間違いなく3年くらいで恋心は消えて行く。
稀に「私たち恋人夫婦なんです」などと言う気持ち悪い組み合わせもあるが(「それは友達母子」と同じくらい不気味である)、とにかくそのくらい結婚というものは「火消し」に有効である。
その反対に恋が継続する大切な条件とは何だろう。
それは「障害」である。
不倫の恋というのは、自ずから障害を含んで存在しているので、うっかりすると5年も10年も続いてしまう。
独身だったら、3年で別れているような組み合わせかもしれないのに。
それに結婚している男は、彼自身に欠点があったとしても、それは彼の最大の欠点である「結婚していること」に集約されてしまうので、女性側が彼を良いように解釈してしまいがちで関係が継続したりもする。
本書には数多くのいわゆる不倫カップルが出てくる。
さばさばしている独立系(元からそういうタイプもいるが、はからずもそうならざるを得なかった人も多い)もいるが、昔からありがちの日陰の女系の人(「好きになった人にたまたま奥さんがあっただけ」とか言う例の感じである)もいる。
そしてまったくそれに気づいていない妻もいるし、知っているけれどあきらめている妻もいる。
みんな女性はそれぞれだが、男はほとんど似ているような印象を持った。一言で言うと、この男たちの考えていることは「あわよくば」である。
「あわよくば若い女の人と交際したい」「あわよくばその関係を継続したい」「あわよくば家庭内もうまくやりたい」「あわよくば出世もしたい」。
そして彼の「あわよくば」に対して、女は大人になったり、駄々っ子になったり、鬼になったりいろいろしているのだ。
女が20代か30代で、男が40代くらいのカップルはまだ勢いがある。
女が結婚したがったり、男もやる気で旅行に出かけたり。
しかしだんだんどちらも年齢を重ねていくうちに、男が定年退職してしまって一日中家にいるから外に出にくくなったとか、相手の妻が大病を患ってしまったとか、不倫相手がぼっくり死んでしまったとか、そういうのを読んでいると、結局、恋をするのにはエネルギーが必要なのだなあ、と思う。
体力ももちろんだし、金銭もそうだし、時間やら、相手をフォローするマメさやら。
だからそれができるうちなら、やればいいじゃないか、結局いつかはできなくなるのだから、と最後まで読んで思ったりもした。
私自身のことをいえば、私は「浮気性」ではなくて「本気性」なので、滅多に恋人はできないが、できてしまったらオリンピックを一緒に3回くらい見るような付き合いになってしまうので、この『十年不倫』に出てくる人々の気持ちがよくわかる。
ラテンの人のようにたくさん好きな人ができて、結婚するの、別れるの、と大騒ぎして、また新しい人ができる人に憧れたりもするが、これは持って生まれた性格らしくどうしようもないのだ。
しかし時間というのは面白いもので、関係が長きにわたるにつれ、愛人が「家の外にいる妻」みたいになってしまい、妻と同じように気を遣っている男もいたりして、ちょっと笑えるエピソードもあった。
職場では言えないことがあり、妻にも言えないことがあり、だから愛人を親友のように持っていたい男もいるのだろう。
しかしやはり愛人は親友ではないのだ。
彼女たちが聞き分けが良いのは「我慢しているから」で、我慢している女ほど怖いものはない。
不倫をしている人も、していない人も、結婚している人もその予定がまったくない人も、本書を読んでみると、登場人物たちの発した言葉の中に身につまされる表現を発見することだろう。
それにしても女が結婚していて、男は独身で長きにわたって継続している不倫はないものなのだろうか。
そういうのって独身男が煮詰まって最後は『黒い報告書』みたいになってしまうから、無理なのだろうか。
島村洋子「長きにわたり続く恋」
(しまむら・ようこ 作家)
衿野未矢『十年不倫』
4-10-300930-4
波 7月号
新潮社
¥100