フィジカル・エリート
戸井十月は、私より1つ年下で1948(昭和23)年の生れだから、いわゆる「団塊」のどまんなかということになる。
その第一陣(昭和22年生まれ)が定年を迎えるのはいよいよ来年。これが世にいう「2007年問題」だが、もし戸井が勤め人をしていれば、さ来年がお役御免の年になるわけである。
その点フリーはいいなあ、と背広にネクタイをぶら下げている同世代はいうかもしれない。
だが、それは違う。他人に人生の区切りをつけてもらえるだけ、勤め人はしあわせなのである。フリーはそれをいつか自分自身でしなくてはならない。
とりわけ、戸井十月のような、行動が即表現であるようなタイプのもの書きにとって、それはやっかいでしんどい決断になるのではないか。
この新刊『遥かなるゲバラの大地』の序章は、こういう一文で始まっている。
<2004年10月12日、なりたくもないのに56歳になった>
いきなりトシの話である。しかも作者は、薄い笑いをとろうとして、「なりたくもないのに」という一句をそこにつけ加えている。
紋切り型といってもいいし、月並みなといってもいい。しかしあえてそう書くことで、作者は、これからはじまる苛烈な旅が、じつは「夢は枯れ野を駆けめぐる」ような旅でもあることを、そっと読者に暗示する。
序章は続けていう。
〈アフリカ大陸縦断の旅から、早3年。気を抜けば光陰矢のごとしだ。2005年の年が明けて、だから私は、急かされるように南米大陸一周の旅の最終準備にとりかかった〉
ここにも、探そうとすれば気になる表現がいくつもある。まず一つは「気を抜けば光陰矢のごとしだ」というところ。普通は「気がつけば」だろうが、それがそうでない。
そしてもう一つはこれ。強調の効果を出そうという意図からか、わざわざ不安定な位置に置いてみせた「だから私は」である。
この、文章的にはかならずしも必要ではない「だから」には、どういう著者の思いのたけがこめられているのか。
「私」はすでに56歳「だから」なのか、それとも光陰矢のごとし「だから」なのか。いやいやそれだけではあるまい。
ここから先は私の勝手な「読み」になるのだが、この「だから」はむしろこう解されるべきなのではなかろうか。
最近は「DAKARA」という名のペットボトル入りの飲料もあるが、「だから」はすなわち「からだ」のアナグラムでもある。
そして身体が戸井十月の世界の土台であることは、いうまでもない。思えば20代の頃、戸井は、同世代のまわりの人間たちからよく「フイジカル・エリート」などと呼ばれた。「エリート」ということばがまだ目新しく、それなりに輝きを放っていた時代の話である。
もっとも、皆がそういうときの口調はいつも「フィジカル・エリート(笑)」であったから、正確にはそう陰口を叩かれたというべきかも知れない。
まわりの人間たちというのは、ようするに、当時のベトナム反戦運動(べ平連)の周辺にいた若者たちのことと考えてもらってよい。
また、陰口を叩いた連中のなかには、のちのノンフィクション作家の吉岡忍がいて、作家の畠和田武がいて、私がいた。
いずれも筋骨薄弱で、口はよく回るが腕力・体力はからっきしという面々である。そのなかで、イラストレーター(当時)の戸井十月はひとり異色だった。
ガタイがいいというのだろうか。大きな骨格と太い筋肉と広い肩。おまけにその立派な身体の上には、サッカーのスペインリーグにでもいそうな、ラテン風のイケメンがのっかっている。
当時のべ平連はいちおう新左翼の文化的系列下にあったので、あの「♪若者よ身体を鍛えておけ」の歌を歌うことはなかった。
いやそれどころか、そのような考えを、いま風にいえば「だせー」としりぞけていたのではなかったか。
しかし、戸井だけはこうした反身体的な文化と風潮にくみしなかった。そしてその姿勢は、やがて一つの成果となって表われる。
戸井十月の「♪美しい心がたくましい身体に辛くも支えられる日」は、中年期になってやってくるのである。
5大陸走破の壮途についたとき、作者は47歳。「旅する団塊」の先駆けがあの沢木耕太郎だったとすれば、そのしんがりはいま、バイクに跨った戸井十月にゆだねられている。
山口文憲「旅する団塊のしんがり」
(やまぐち・ふみのり エッセイスト)
戸井十月『遥かなるゲバラの大地』
4-10-403105-4
新潮社
波 2006年7月号
新潮社
¥100