密かな憧れ

小児科医の細谷亮太さんが、四国遍路をしたときの感想を書かれた文章が、2004年版のベスト・エッセイ集『人生の落第坊主』(文藝春秋刊)の中に掲載されていた。
病院の勤務医である細谷さんは、勤続30年の報酬として、病院から10日間の休暇が出たそうだ。
普段忙しい小児科医にとって、10日間というのはなかなか得られない長い休暇であったらしい。
そこで以前からあこがれていた「完全歩き」のお遍路を思い立ったそうだ。とはいっても四国遍路全行程は88ヵ所だから、10日間では行けないので、1番札所から28番札所までの遍路をされたという。
その感想がやさしい言葉で書かれていた。やさしい言葉と言ったが、完全歩きの四国遍路というのは、白動車に慣れた現代人の生活からはるかに隔たっており、決してたやすい経験ではないだろう。
そんな経験のない私には分からないこともあったが、それでも私はその文章に共感し、教えられることがあった。
細谷さんは「歩き遍路」を経験してみて感じたこと、わかったことが4つあったという。
1つは、「時間はひとつながりで存在している」と実感したこと。
2つ目は、「歩く」ということが人間の行動の基本であると知ったこと。
3つ目は、身体を大切にしなければならないと痛感したこと。
そして4つ目は、日本は美しい国であると改めて感じたこと、だそうだ。
病院での細谷さんの仕事は、細切れの時間の連続で、粉々にくだけていたという。しかし、本来は時間はひとつながりであることに、気がついたという。
車と比べて「歩く」ことは、周囲のものを単純に計算して、15倍も多く見ることになるという。
身体が大切だと感じたのは、1日20キロ以上を歩けば、宿では階段の上り下りもままならないほど疲れるからだ。
私の日常でも、「ひとつづきの時間」はなかなか感じられない。私の1日は朝5時に起きて、夜11時前後に寝るまで、頭の中にはその日しなくてはならないこと、したいと思うことなどが、いっぱい詰まっている。
予定通り全てができるわけではないから、やり残しがいくつかあり、自分で決めたものに追われている感じがある。
時間がひとつながりに感じられるのは、お遍路のように、その日一日のすることが「歩いて札所を巡るだけ」という単純なものだからだろう。
ところが、普通の現代人の生活では、個人的なこと、仕事のこと、社会的なことなどが網の目のように入り込んでくるから、心をそれらに振り向けるたびに、時間は細かに裁断される。
一度自分をあらゆる束縛から解放して、1日でもいい、大自然の中に置いてみれば、私にも「ひとつづきの時間」が持てるかもしれない。当り前の日常の中では、そのような感覚を持つことは至難に思える。
「歩く」ことの重要さは、規模は全然違うが、私にも少しはわかるような気がする。
私はいつも、原宿の自宅から渋谷まで買い物に行くのに歩く。ほんの15分か20分である。しかし子供が小さかったときは、自転車で行っていた。歩くなど悠長なことをしていられないという気持ちだった。
自転車で急いでいると、行く手を歩く人々が妨げに思えることがあった。しかし今の私は、同じ道を自転車で行こうとは思わない。
道行く人の数が増えたこともあるが、当時より時間に追われていないから、気持ちに余裕が出てきたからだ。
歩いていると、木々の芽吹きのさま、季節の花が咲いたこと、人々の様子、服装、空模様、風の動き、ショーウインドーに飾られている様々な服や靴、店先のお弁当、お花、あたらしくオープンしたお店、閉店した商店、本当に様々なものが見え、感じられる。
そうして社会と接する日々のささやかな経験が、私の考え方や物の見方に大きな影響を及ぼしていることを感じる。
それは自転車で走り抜けていた頃よりは、確かに多くのものを受け取っていると思う。
「体を大切にする」ということは、自分のためだけでなく、社会への責任を意識した言葉だと思う。
幸い私は、毎年の健康診断でいつもお医者さまからオール5の優等生と言われる。しかし自分の身体であって自分の身体ではないと自ら意識して「体を大切に」しているかといえば、そうではない。
身体が健康で1日の勤めをよく果たすためには、腹八分目を心がけ、心をゆったり保ち、充分に働いて、またよく学び、夜はゆっくり休む。簡単なようだが、毎日実行するのは決してやさしくない。
そのように日々を送れたら、心も体も軽々として、さわやかに違いない。私の日々もぜひそうありたいと願う。
「日本は美しい国である」ということは、東京だけにいるとよくわからない。私も3年ほど前から、生長の家の講習会で、日本の各地に行くようになった。そして日本の地方には美しい町並みや、やさしい自然がいっぱいあることを知った。
自然のことを「やさしい」と形容することは、昨年の冬の大雪に見舞われた地方の人々にとっては、不十分かもしれない。
しかし「険しい自然」「雄大な自然」というよりも、人間に寄り添ってくれるような、そんなのどかさを日本の自然の風景に私は感じるのである。
きっと私が自然の厳しさを知らないからだろうが、征服したり、乗り越えたりしなくても、自然がそこにあるだけで、心が休まり、清められるようなそんな自然が、日本には沢山あると思っている。
歩き遍路は、私も「いつかは…」と憧れているが、当分はできそうもない。今は、実際に体験した人の感想を読んで学ぶ段階なのだろう。
身体を大切にし、時間に追われず、よく歩き、自然を大切にしようと思う.
谷口純子「密かな憧れ」
(生長の家白鳩会副総裁)
2006年8月号
白鳩
子ども虐待

虐待の社会問題化
小どもの人権という観点から
子どもは、家庭という生活の場で親との深い情緒的なやり取りの中で、安心感や信頼感や「自分はかけがえのない存在」という自己肯定感を育み、それを基盤に成長していきます。
しかしすべての子どもが親から適切に育てられるわけではなく、親の誤った子育てのために心のよりどころを築きえず、心身の成長や人格形成を深く阻害されてしまう子どもたちがいます。
この現象はいつの時代にも普遍的に存在していましたが、社会が親の不適切で有害な子育てを虐待と名づけて介入し始めたのは、子どもの人権という意識が浸透していった20世紀に入ってからです。
日本においてはさらに遅れ、社会的関心が高まったのはこの20年ほどですが、急速に発見や支援のシステムが構築されつつあり、平成16年度には児童相談所で扱うケース数は33,408件に上り、この14年間で約30倍になっています。
この増加については、必ずしも虐待の絶対数が増えたことによるわけではなく、子どもに関わる大人の意識が高まることにより、児童相談所への通報が増加したことが大きな要因となっているのではないかと推察されています。
ではどのようなものを虐待と呼ぶのでしょうか。「児童虐待の防止等に関する法律」の第2条で児童虐待の定義がされ、次の4つに分類されました。保護者(親または親に代わる養育者)によって加えられた次のような行為です。
(1) 身体的虐待:殴る、タバコの火を押し付ける、冬戸外にしめだすなど。
(2) 性的虐待:性的いたずら、性的行為の強要、性器や性交をみせるなど。
(3) ネグレクト:適切な衣食住の世話をしないで放置、情緒的欲求に応えないなど。
(4) 心理的虐待:無視、暴言、きょうだい間での極端な差別、DVを目撃させるなど。
このように虐待は身体的暴力だけでなく、心理的な外傷を与える言動から養育の不足まで含む広い概念です。
適切な子育てから虐待的な子育てまでは連続体を成しています。どこで線を引くかは、その子育てが子どもの成長にとってどの程度有害かなどを中心に判断することになります。
子育てに完璧は存在せず多少の失敗があるのが普通なので、線があまりにも左寄りに引かれますと、子育てに高い要求をかすことになり、子育て不安を煽り、親を追い詰めて虐待行為を誘発することになってしまいます。
子育てをする家族を暖かく支える文化と社会システムの構築は、国レベルの家族支援です。
子どもに有害な影響を与えてしまうほどの子育てのひずみ(虐待)は、単一の要因から生じることは少なく、いくつかの要因が相互に重なることによってはじめてその姿を現します。
それらのリスク要因のうちよく知られているのは、次の4点です。
(1) 周囲から孤立している:家族が親族、近隣等から孤立し(24%)、困った時に助けてくれる人がいない場合です。人への不信感から助けを求めず孤立している場合もあります。
(2) 家庭がストレスに曝されている:経済的困窮を抱え(31%)、夫婦の不和(20%)や夫婦間暴力(DV)、家族の病気などのストレスに曝され、家庭生活が危機に瀕している場合です。ひとり親家庭(36%)が多いのも特徴です。強いストレスの中で弱者である子どもをスケープゴートにしてしまうことがあります。
(3) 親が子育てをうまくできない:統合失調症やうつ病などの精神疾患(10%)、アルコール依存(4%)、神経症、軽度発達障害、知的障害(2%)、若年などの問題が子育ての能力を損なっている場合があります。さらに、親自身が虐待的環境で育っているため、子育ての方法が分からず、自分がされたように子育てをしてしまう場合があります。これまでのいくつかの調査では、虐待を受けたことがある親が子どもを虐待する確率は20-30%と推測されています。
(4) 育てにくい子ども:子どもが知的な遅れ(8.6%)や発達障害(ADHD、自閉症、アスペルガー症候群等)や慢性疾患を有していたり低出生体重児(2.0%)であるため、育てにくく手のかかる場合や、分離の経験(4.5%)などがあり愛着関係がつきにくい場合などです。
背景要因が何であれ、親の虐待的な子育てに曝されていると、親子の絆がうまく築けず、子どもに行動上の問題や情緒の不安定さが引き起こされていき、親の虐待行為を強めてしまうという悪循環へと陥っていきます。
「虐待」というきつい言葉の響きが、鬼のような親というイメージを生んでいますが、虐待をする親の多くは、他の親と同じように子どもを愛し大事に思っています。
大切に育てたいと思いながら、上記のストレスや愛着をめぐる葛藤から、子どもに対する感情や行動のコントロールができなくなっています。
多くの場合、必要なのは叱責や懲罰ではなく、リスク要因を減らすためのたくさんの支援の手です。
虐待をする親の中には、親から愛されたという経験に乏しく、虐待的環境の中で育ってきた人がいます。
子どもを育てるという行為が、それまで忘れていた過去の親とのつらかった体験を想起させ「自分が子どもの頃はこの子のように笑うこともできなかったと思うとうらやましくて許せない気持ちになる」など、激しい怒りを子どもにぶつけてしまい、自分を責めながらもやめられない状態に陥ることがあります。
幼い頃に親に護られず大切にされなかったことから生じた無力感や自己評価の低さは、子どもを自分と対等な大人のように感じさせます。
泣きやまない行動を「親をばかにしている」と被害的に捉えたり、子どもを大人のように頼りにして、親の気持ちを察して応えることができるのに「わざとしない」と捉えるような認知のゆがみを生じさせます。
また外傷体験由来の精神症状(PTSD、解離、抑うつなど)を抱え、精神医学的な治療が必要な場合もあります。
こういった問題を抱えている親に対して、「虐待のない子育てが可能になり親子関係を改善する」という目標を達成するためには、どんな支援・治療が有効なのでしょうか。
「自分が育てられたように育ててしまう」親に対して、子育て知識や技術を教える行動療法的教育的なレベルのアプローチがあります。
アメリカでは、子育て教育プログラムが虐待をした親の支援に有効性を持つものとして評価され、日本でも欧米のプログラムが紹介され実践されています。
そのほかに現実的な対人関係を改善することや認知のゆがみに気づくことや過去の被虐待体験などを言葉で表現することを促す様々な支援・治療が個別やグループで提供されていますが、まだ受け皿は少ないのが現状です。
支援・治療の場が「安心できる居場所」になり、支援・治療者と「安心できる関係」を体験すること自体が、親の子育てを適切なものにするといわれています。
その中の一つに、民間団体や保健所で実施されている自助グループ的色彩を持つ母親グループがあります。
自分を責めながら大切なわが子を傷つけることをやめられない母親に対して、自分は一人ではないと感じさせる仲間と、安心して苦しい胸のうちを自由に話し、自分の本当の気持ちや子ども時代の体験(被虐待体験など)に気づいていく場を提供し、虐待行為を減らすことに効果をあげています。
虐待問題を抱える家族への支援の最終目標は、「親と子どもとのよい関係を通じて愛着の絆を形成すること」、それにより「子どもの心に人格の基礎である安心感、信頼感、自己肯定感(自分は大切な存在)を育むこと」です。
虐待を受けた子どもが困難な状況にも
かかわらずうまく適応していくことのできる要因(防御因子)の研究において、愛着関係が樹立されていることが強力な防御因子となることが明らかにされています。
不適切な養育をする親と、その影響を受けて情緒的に混乱し無表情で関わりをもてない子どもとの間には悪循環が形成されています。
その場合、愛着関係を改善するためには、親の支援・治療だけではうまくいかず、子どもの支援・治療や親子を対象とした親子の相互作用への治療的アプローチ(親子グループ、親一乳幼児(児童)精神療法、修復的愛着療法など)を行なうことが必要です。
親一乳幼児(児童)精神療法では、親子のやり取りを目の前で観察しながら親子のコミュニケーションのずれの意味を把握し、親が子どもに重ね合わせている否定的イメージ(親自身の愛着をめぐる葛藤)のありかに気づいていけるように援助していき、親の健全な養育能力を引出していきます。
支援を受けても親が子どもと向き合えない場合は、身近にいる他の大人と持続的な信頼と安心の関係をつくれるように環境を整えることが必要です。
そういう情緒的な支持を与えてくれる大人との出会いは、子どものその後の適応をよくするといわれています。
また、外傷体験からの回復には個別の心理治療が有効です。児童相談所での介入による支援虐待問題を抱える家族への支援の困難さは、虐待行為を否認し行為の有害さに気づくことのできない親の存在にあります。
児童相談所は児童福祉法に基づいて、親の意に反しての調査(立ち入り調査)や子どもの分離(一時保護)などの介入機能を使い、虐待への直面化を図りながら親と支援関係を作っていきます。
前述の東京都の調査によると、介入の時点では虐待者のうち44%(実母の40%、実父の58%)は虐待を認めていませんでした。
虐待を認めない親の理由は様々です。共感能力が乏しい重い人格障害や統合失調症などの精神疾患を背景として偏った信念を持っている場合、自らの被虐待体験が否認されているため、自分がされたように子どもにしてもその行為を虐待とは認知できない場合や現実感をもてない場合、あるいは忘れてしまう場合(解離性健忘)もあります。
自身も体罰を受けて育ち、虐待をしつけと称し体罰の有効性を主張する場合や、権威を保つために家族に力を行使することを正当化する価値観に基づいている場合もあります。
親が子どもと強い一体感を有しているがゆえに客観視できていない場合もあり、子どもと離れてはじめてその行為の有害さに気づくこともあります。
在宅では虐待的関係の修復が困難と判断された場合は、子どもは乳児院や児童養護施設等の入所や里親委託となります。親の同意が得られない場合は、家庭裁判所の承認を得て施設入所の措置をとります。
この時に、家族再統合に向けた治療プログラムを提供できないと、親は自尊心の傷つきや喪失感などから怒りを児童相談所に向け続け、虐待への気づきや行為の修正を促すことは困難となります。
子どもも虐待を否認し親を慕うことも多いため、見捨てられ感や無力感を抱えたまま放置されてしまいます。
強制介入や親子分離を家族支援の一環として位置づけ、分離後ももう一度家族一緒に暮らせることを目指した家族支援を、施設などでの子どもの治療と連携しながら続けることが必要です。
その取り組みが今始まっています。虐待的な子育てが改善されず一緒に暮らすことが無理という結論に達する場合でも、家族支援の中で子どもの現実的認知が可能になって、離れて生活することを自ら選ぶことができ、親も自分の子育ての限界を受け入れて、分離のまま施設などと協力して子育てをすることを選ぶことができればこれも虐待問題の一つの解決です。
もちろんその場合、施設などの生活が子どもの安心できる居場所となって人格の基礎を育むことができ、虐待の傷から回復することができてはじめて解決といえますので、社会的養護の充実が必要です。
大塚 峰子「子ども虐待と家族支援」
東京都児童相談センター治療指導課長
平成18年6月発行
日本精神衛生会
人間の品格

昨年から話題となっている『国家の品格』という本を読んだ。新書判なのに、五日もかかった。
読み進むうちに頭に血が上り、憤激のあまり放りだしてしまうのだ。これではいけないと、また本を取り直す、の繰り返しの果て、ようやく読了した。
その感想をメールで友人にぶつけたら、一人は「流行思潮ですよ。今に忘れられます」と返信してきた。
なるほど、いわれれば、そうだ。冷静に受けとめればいいのだ(なんせ、そっちのほうがクールでかっこいい)……と思って、まてよ、と考え直した。
太平洋戦争時の「八紘一宇」だって、「皇国史観」だって流行思潮ではなかったか。しかし、忘れられるまでには、侵略戦争、原爆、敗戦という大きな厄難を振りまいた。
流行と割り切って傍観していると、その思わぬ奔流に足をすくわれることもある。そんなわけで、やはり反論を書くことにした。
著者・藤原正彦氏の論点は、以下のようなことだと把握する。
民主主義は疑ってかかる必要がある。そもそもその第一の基本である主権在民の「国民が成熟した判断ができる」というのが誤りだ。国民は常に未熟である。
そこで必要とされるのは、幅広い分野の教養を豊富に身につけ、庶民とは比較にならないような圧倒的な大局観や総合判断力を持ち、いざとなれば国家国民のすために命を棄てる気概を持つ真のエリートである。
また、国民一般に関して必要なものは、情緒と日本古来の形。それを生みだした武士道精神を見直そうではないか。
藤原氏は、自分の意見は、妻からは「半分は誤りと勘違い、残り半分は誇張と大風呂敷」といわれている、とまず最初に書いている(おかげで、私のように真面目に反論する者は、無粋者と呼ばれかねない。実に賢いやり方だ)。
さらには「品格」「情緒」など、口あたりのいい単語を散りばめて、この本の印象を柔らかなオブラートで包んでいるが、中に書かれていることは、選民思想であると思う。
民主主義に対する疑念の例として、満州事変から太平洋戦争の間、日本はファシズム国家ではなく、民主主義国家だった。
軍国主義を支持する国民がいて、それを扇動する指導者がいただけだ、と書かれている。
当時の日本が、民主主義国家の形態を取っていたのは確かだろう。しかし、それは卵の殻みたいなものであり、内部構造は、恐怖と洗脳による国民統御だった。
民主主義の土台である「すべての人は人としての権利を持つ」ということが成立していない。よって、民主主義は実現していなかった(すべての人の人権が保障されていないという点では、現代日本も大差はない)。
次に私は「国民は常に未熟だ」との表現には反対だ。むしろ「人は常に未熟だ」だと思う。
こう考えた場合、いかに「真のエリート」であれ、未熟である。国によって養成される「真のエリート」は、自分の未熟さに気がつかない愚か者に過ぎないかもしれない。
また、武士道精神を、金銭に執着せず、卑怯を卑しむ心、として藤原氏は礼賛するが、武士階級は、民衆を暴力で脅し、その上に居座ることによって、武士道精神を花開かせた。
暴力体制によって身分を保障され、刀を常に携帯していた武士であるゆえに標榜できた心構えである。
「金銭に執着せず、卑怯を卑しむ心」は結構だ。しかし、それを武士道精神と結びつけることに、私はきな臭さを感じる。
国民は未熟である、武士道精神を教えろ、というのは、封建社会的な上下関係復興機運に通じていく。
藤原氏の唱える「日本古来の形」とは、武家体制によって作られた形だ。それは、暴力を基本にした権力礼賛、つまり将軍、天皇礼賛に繋がっていく。
戦時中の国による押しつけとどう違うのだろう。そもそも「国家」をふりかざす主張が、一般庶民の益になることはない。
今、必要なのは、「国家の品格」ではない。「人間の品格」だ。人としての品格は、人としての尊厳に発している。
我々は未熟だから、真のエリートに舵を取ってもらおう、などという意識から、人としての尊厳は生まれない。
我々は未熟だけれども、少しでも未熟でない方向を考えようではないか、というところから、人の尊厳は始まるのではないか。
坂東真砂子「人間の品格」
人は常に未熟だ
2006年7月2日付け
高知新聞朝刊
視点
美味しそう

初めて読んだ杉浦日向子さんの作品は、漫画だったと覚えています。
時代小説はよく読んでいたものの、当時の私にとって、江戸時代の市井を描いた漫画は、珍しいものでした。
読み返したおりには、描かれている江戸っ子の髷が、随分と細くて後ろの方についているなぁとか、女の人の髷に、色々な種類があるみたいだとか、テレビで見ている時代劇との違いに、目が行きました。
しかし最初はそういったことより、作中の江戸の、ゆったりとした、そして肌に触れてくるがごとき雰囲気に、大層心地よく浸ったように思います。
それは、地上の乏しい明かりが届かぬ江戸の夜空に、煌々と白く光る月光の明るさを描いたようでありました。
また、舗装しておらず突き固めてあるばかりなので、砂挨が舞い雨でぬかるむ道の、いささか難儀な泥の感覚でもあったと思います。
その感触は、空の星が見えにくくなるほどに、明かりの絶えない夜や、水たまりの跳ね返りすら無い道に慣れてしまった今の暮らしから、どうにも遠くなってしまったものやもしれません。
頭の中で思っているよりも、もっと肌感覚からは遠ざかってしまったもの。杉浦さんの漫画は、そんなものを持っている気がするのです。
そうして杉浦さんのファンとなりました私は、番組の最後の方で、杉浦さんが「おもしろ江戸ばなし」の解説をしておいでだった、NHKの「お江戸でござる」もよく見ておりました。
面白さと、いささか滑稽な感じの漂う、時代物の短いお芝居も面白かったのですが、やはり楽しみにしていたのは、その後杉浦さんがなさった江戸についての解説でした。
何百年か前の時代を語るそのお話は、面白かった上に、錦絵やセットで形を示してあったりして、分かりやすいものでした。
知っているようで知らない、江戸の頃の事実を色々聞くことができる、見逃せないひとときだったと思います。
また杉浦さんは漫画だけでなく、他にエッセイやショートストーリーなども書かれていました。一連のお話を思い浮かべるとき、真っ先に頭に浮かぶ言葉があります。それは「美味しそう」という一言です。
文章は現代を書かれたときでも、どこか酒脱な感が漂う、すっきりとしたものでした。そこによく、何とも心引かれる美味しそうな一品が、ひょっこりと顔を出しているのです。
ことに酒の肴が、目を引きましたね。杉浦さんは大層お酒に強そうだなぁ、などと勝手に思い描きつつ、己も少しは粋に飲んでみたいものだと思ったものでした。
そして作中に甘味が顔を出してくると、今度は酒の代わりに、珈琲か紅茶かハーブティーが欲しくなったりします。楽しく読んでいる文章の中に甘いものが出てくると、不思議と口にしたくなったりしませんか ?
そうなったら本を一時閉じて、あり合わせの甘味を、本の中の一品の代わりに出すことになります。飲み物を添えてから、またぺージをめくると、時間がゆったりと流れていってくれるのでした。
杉浦さんが書かれた短いお話を読むと、その話が始まる前と、終わった後に、流れてゆく長い時があるように思えたものでした。登場人物達が過ごしている、日常の別のひとこまが、浮かんでくるのです。
話の中で垣間見た恋の続き。翌日出会った美味しい食べ物。先週行った面白そうな場所。一月後に見かけた、面白い出来事。そんな話をまた読みたくて、次の本に手を伸ばしていたのかもしれません。
終わって欲しくないと思える話ほど、物凄く早く、ラストに行き着くような思いをしたことがあります。そういうときは、終わる少し手前で、ちょっとだけ本を閉じてしまったりするのですが……
先が気になるので、直ぐに開けてしまって、やっぱり早々に読み終わってしまうのでした。楽しい一日だと、時間の経つ速さに加速がつくのと同じです。
杉浦さんの書かれるものは、そんなお話だったように思うのです。もう一度、そして新しい気持ちを持って時々読み返しては、一緒に時を重ねてゆく。そんな話を書かれる方でした。
畠中 恵「しみじみと、ふんわりと」
杉浦日向子さん一周忌によせて
はたけなか・めぐみ 作家
杉浦日向子 監修『お江戸でござる』『ごくらくちんみ』『4時のオヤツ』(すべて新潮文庫)
波 2006年7月号
新潮社
¥100
理性

たとえば、デカルトが『方法序説』で持ち出してくる「理性」ですが、われわれはあれを読んだとき、近代人ならこうした理性は当然みな持ち合わせているものだと思ってしまいます。
もしこれをもっていなければ近代人として恥ずかしいことだ、ちょっと自信がないけれど、持っているふりをしなければ、哲学どころではない、と思うわけです。
しかし、『方法序説』をよく読んでみると、デカルトの言う「理性」は、われわれが「理性」と呼んでいるものとはまるで違ったものなのです。
われわれ日本人が「理性」と言うのは、われわれ人間のもっている認知能力の比較的高級な部分、しかしいくら高級でも、やはり人間のもっている自然的能力の一部ですから、生成消滅もすれば、人によってその能力に優劣の違いもあります。
だが、デカルトの言う「理性」はそんなものではありません。それは、たしかにわれわれ人間のうちにあるけど、人間のものではなく、神によって与えられたもの、つまり神の理性の出張所ないし派出所のようなものなので、したがってそれを正しく使えば、つまり人間のもつ感性のような自然的能力によって妨げたりせずに、それだけをうまく働かせれば、すべての人が同じように考えることができるし、世界創造の設計図である神的理性の幾分かを分かちもっているようなものだから、世界の存在構造をも知ることができる、つまり普遍的で客観的に妥当する認識ができるということになるわけです。
そうしたデカルトの言う理性は、われわれ日本人が考えている「理性」などとはまるで違った超自然的な能力なのですから、それを原理にして語られていることが、われわれに分かるわけがない。
といって、それはわれわれが劣っているということではなく、思考の大前提がまるで違うのですから、当然のことなのです。
カントの「理性」の概念やヘーゲルの「精神」の概念になると、話がもっと複雑でダイナミックになるので、デカルトのばあいほど簡単にいきませんが、しかし、それでもさまざまな条件を考え合わせれば同じようなことになるのです。
いや、わたしにしても、こんなことに気がついたのは、ずいぶんたってからです。先生にしても先輩たちにしても、当然デカルトの言う程度の理性は持ち合わせているし、プラトンの言うイデアも日ごろ見つけている、カントの「汝なすべし」という「定言命法」も聴いたことがあるという顔をして
いますから、そんなもの見たことも聴いたこともないなんて、とても言い出せる雰囲気じゃなかったですね。
しかし、そんなふうに普遍的で客観的妥当性をもった認識能力である理性なんて自分のうちにありそうもないし、ましてやイデアだの定言命法だの見たことも聴いたこともないので、うしろめたいことおびただしかったんですが。
ところが、二ムチェ以降の現代欧米の哲学者のものを読んでいると、彼らにしても、こんなものを頼りにものを考えるのはおかしいと思っているらしいことに気がつく。
というより、彼らはそうした超自然的原理の設定を積極的に批判し解体しようとしているわけなんで、そう思ったら、これまでの日本の哲学研究者たちの集団自己欺瞞がおかしくて仕方なくなりました。
分からないものは分からないと、素直に認めれば、なんの問題もなかったはずなのに。しかし、わたしにしても、それを口に出して言えるようになったのは、50歳を過ぎてからでしたね。(つづく)
木田 元「反哲学入門」
第2回
哲学についての誤解
波 2006年7月号
新潮社
¥100
哲学についての誤解

繰りかえしになりますが、人生観とか世界観とか道徳思想とか宗教思想と哲学とは無関係ではないまでも、けっして同じではありません。
そういうものなら、日本にだってあったわけですが、誰もそれを「日本の哲学」とか「日本人の哲学思想」とは呼びません。そういうものが哲学の材料になることはあっても、それがそのまま哲学ではない。
哲学は、それらの材料を組みこむ特定の思考様式で、どうやらそれは「西洋」という文化圏に特有のものと見てよさそうです。
では、どういう思考様式かというと、それは、「ありとしあらゆるもの(存在するものの全体)が何か」と問うて答えるような思考様式、しかもその際、なんらかの超自然的原理を設定し、それを参照にしながら、存在するものの全体を見るようなかなり特定の想考様式だと言っていいと思います。
そのばあい、その超自然的原理は、「イデア」(プラトン)とか「純粋形相」(アリストテレス)とか「神」(キリスト教・神学)とか「理性」(デカルト)とか「精神」(へーゲル)とかその呼び名はさまざまに変わります。
しかしどう呼ばれようと、生成消滅する自然を超え出た超自然的なものには変わりなく、それに応じて、「存在するものの全体」がそのつど、「イデアの模像」として、あるいは「純粋形相」を目指して運動するものとして、あるいは「理性」によって「認識されるもの」として、「精神」によって「形成されるもの」としてとらえられるわけなのです。
しかし、われわれ日本人の思考の圏域には、そんな超自然的原理なんてものはありませんから、そうした思考様式は、つまり哲学はなかったわけであり、それが当然なのです。ですから、自分の分かりもしないものを分かったふりする必要などまったくなかったのです。
木田 元「反哲学入門」
第2回
哲学についての誤解
波 2006年7月号
新潮社
¥100
希哲学

かねがね、わたしは、日本の哲学者の態度は、ちょっと違うんじゃないかな、という気がしてなりませんでした。
哲学者の元祖のソクラテスなんて相当ふざけた人間なのですが、日本の研究者はみんな真面目一本槍で、自分があたかも西洋人であるかのように思い込み、「哲学」という学問は素晴らしいものだと信じきっています。
自分も哲学研究者の一人ですが、ちょっとこれは違うな、と感じる人ばかりです。わたしとは、哲学へのアプローチが、はじめから少し違っているのかもしれません。
もともと「哲学」という言葉自体が、西周による明らかな誤訳なんです。ですから、「哲学」を後生大事にありがたがっている方がおかしいわけでしょう。
「哲学」の直接の原語は英語のphilosophyで、これは古代ギリシア語のphilosophiaの音をそのまま移したものです。
philosophiaは、philein(愛する)という動詞とsophia(知恵ないし知識)という名詞を組み合わせてつくられた合成語であり、「知を愛すること」つまり「愛知」という意味です。
しかし、「愛知」という言葉を日常的に使うことは、これはこれでかなり不自然なことで、「哲学」を「愛知」にすればいいというものでもありません。
実は、philosophiaという言葉自体も、古代ギリシアの中では複雑な経路を経て生まれたものでした。
この言葉は最初、紀元前6世紀頃のピュタゴラス教団の創始者が、ho philosophos「知識を愛する人」という形容詞として使いました。
hoは男性の定冠詞です。形容詞に定冠詞を付けると、その性質をもった人間ないし物を意味するというあれですね。
ピュタゴラスは、世界にはho philargyros「商人のように金銭を愛する人」とho philotimos「軍人のように名誉を愛する人」と、自分のような「知識を愛する人」の3種類の人がいると言っているのです。
次に紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスが、philosophein(知を愛する)という動詞の形にして使っています。
ペルシア戦争の歴史を書いた『歴史』に、リュディア王クロイソスがアテナイの賢人ソロンをもてなす際、「多くの国々をphilosopheinしつつ(知識をもとめつつ)旅行し視察して歩かれた」という文章があり、そこで出てきました。
しかし、ピュタゴラスやヘロドトスのもとでは、「知を愛する」といっても、ただ「知的好奇心が強い」とか「知識欲が旺盛な」というくらいのぼんやりした意味でした。
そのphilosopheinという動詞をphilosophiaという抽象名詞の形に変えて、はっきり限定した特殊な意味で使ったのがソクラテスです。
プラトンの対話篇『饗宴』の中で、ソクラテスは独自の愛の理論を展開しています。
愛するものは、その愛の対象をなんとか自分のものにしようと求めます。ということは、知を愛し求める者というのは、まだ知(知識)を持っていない、持っていないからこそ、ひたすらそれを愛し求めるのだ、と言うのです。
知を持っていないことを無知と言います。つまり愛知者は無知であり、無知だからこそ知を愛しもとめるのだ、というわけです。
日本最初の本格的な西洋哲学研究者だった西周は、江戸時代に「蕃書調所」で日本最初の哲学の講義をしたときには、philosophyを「希哲学」と訳しています。
ソクラテスが何を考えていたのかをしっかりと認識した上で、「知を愛する」営みを、宋代の儒家・周敦頤(しゅうとんい)が『通書』の中で「士希賢」(士は賢を希う)と言っている「希賢」と同じだろうと説いています。
ただ「希賢」という言葉には儒教臭が強すぎるので、「賢」とほとんど同義の「哲」をあてるのがよいだろうと言って、「希哲学」としているのですが、philein=希、sophia=哲と考えるならば、ちゃんとした翻訳になっています。
しかし、明治になって執筆した『百一新論』では、その訳語がなぜか「希」の字を削られて「哲学」になっています。
ソクラテスにとってもっとも重要だった「愛」の部分が消えてしまっているんですね。
なぜ西周が「希」を削ったのか、事情は分かりませんが、「哲学」としたのでは肝腎な部分がすっぽりと抜けてしまったことになります。
もっとも、ソクラテスも素直な心情からそんなことを言い出したわけではなく、当時自分の知識を誇り売りものにしていたソフィスト(知識人)をやっつけるための皮肉の武器としてこの「愛知」という言葉を持ち出したのです。
木田 元「反哲学入門」
第2回
波 2006年7月号
新潮社
¥100
哲学のむずかしさ

哲学は、ヨーロッパあたりでも一般市民にとっては縁遠いものであり、分かりにくいもののようですが、日本ではよりいっそう、難しいものだとされています。
一時期、日本では哲学用語がすべて漢語を使った翻訳語なのでどうしても難解になるけれども、欧米では日常語で哲学的な思索をするから一般の人にも分かりやすいと言われたことがありました。
しかし、そんなことはありません。欧米の哲学用語にしても、たいていはギリシア語やラテン語由来の言葉ですから、一般の人に縁遠いことは同じです。Philosophy, Philosophieという言葉そのものが、ギリシア語の音をそのまま英語やドイツ語に移したもので、もともとの英語でもドイツ語でもありません。
しかし、日本では、哲学が欧米に輪をかけて難解なものとされていることは確かです。まず、哲学の基本となる超自然的原理は、われわれの発想の中に見出すことはできないという分からなさがあります。
もう一つ、哲学に似たジャンルとして、言行一致を目指す儒教の道徳的実践や禅のような宗教的修行の伝統がありましたし、詩的直観を重んじる文学の伝統もありましたから、西欧伝来の哲学を、儒教や陣や詩と重ね合わせて受け容れようとする傾向がありました。
そのため、もともと哲学の発想の根本的な分かりにくさを、道徳的実践や、宗教的悟道、詩的直観の難しさと一緒にしてしまったので、哲学は難しい、分からないものだと思いこんでしまったのです。
おまけに、哲学を学び紹介する者が、自分の修行が足りないせいで分からないと思い込むのは仕方ないとしても、そのことを他人に悟られないようにごまかそうとするので、ますます話がややこしくなります。
西洋の哲学にもいろいろな傾向があり、道徳や宗教と重なる領域もありますが、原則としては理づめのもので、ちゃんと読んでゆけば理解できないものではありません。
もちろん、正しく理解するためには、テキストをなるべく原語できちんと読むことと、自分に分かることと分からないことを区別して決して分かったふりをしないことが大切ですが、訓練さえすれば、特別な宗教的な悟りや詩的直観を持っていなくとも、哲学書はかなりの程度まで理解できるものです。
もっとも、文学の場合も同じですが、著者との相性は問題です。どんな哲学者の言うことでも同じように分かるというわけにはなかなかいかないもので、やはり自分と相性のいい思想家を選ぶ必要はあるでしょうね。
用語法に馴染むためのトレーニングも必要ですが、訓練を怠らなければ、相当のところまで理づめで考えていけるものです。哲学は分からなくて当たり前、ということはありません。
翻訳にも、難解というイメージを定着させた責任はありますね。翻訳者がテキストの意味をきちんと理解しないまま、手がかりになるいくつかの言葉から浮かび上がってくるイメージだけを頼りに、ただ言葉の漂っているような翻訳をしていることが多いものです。
そんな訳本を読んでいるだけでは、哲学書を読んだことにはなりません。
木田元「哲学のむずかしさ」
「反哲学入門」
第1章
哲学は西欧人だけの思考法である(承前)
男にたぶらかされる女

完璧な人間がいないように、隙のない女はいない。
どんなに気丈でも、聡明でも貞淑でも奔放でも、どこかに脆弱な部分がある。その部分を衝かれると、針を突き刺された風船のようにしゅるしゅると空気が抜けてしまう。
女を「たらし込む」というのはたぶん、脆い部分を的確に見分ける本物の眼と、崩れる様を平然と見過ごす義眼を、併せ持つということだろう。
日露戦争前後の時代を背景に、4人の女の四様の恋を描いた本書には、稀代の女たらしが登場する。
彼の片目は、義眼である。
「右目は確かに笑っているのに、左目は冷たくこちらを値踏みしているようだった。胸がざわめき続けているのは、男の義眼のせいなのか、それとも、彼がまとった影のせいなのか、りつにはわからなかった。首筋が、軽く粟立っていた」(「藤かずら」より)
本書では男の目がくり返し描かれる。そしてそれを通して、女たちの脆さ、言い換えれば心に抱える闇が映し出される。著者の周到な企みにまず舌を巻いた。
第1話「かわうそ2匹」のいち子は、北海道の五勝手の診療所の女医である。聡明なはずの女が流れ者の栄三郎との情事に耽っている。
栄三郎の昏い瞳は、紅葉がないまま煤けてゆくような蝦夷の秋の「心がささくれる景色」と相まって、しかもいち子には「淫らな光を放ってい」るようにも見えた。
これはいち子が昔の失恋を引きずっているからで、不完全燃焼だった鬱屈が性愛への渇望となって、10も年下の男に溺れてしまったのだ。
第2話「藤かずら」のりつは、舅・姑や小姑に虐げられながらも、婚家に留まって、戦死した夫との間に出来た一粒種の息子を育てていた。
その貞淑なりつが、ひょんなことで家を訪ねて来た矢口に惹かれてしまう。素っ気ない応対をしてしまったとき「左の義眼が、きろきろと音を立てた気がした」と著者は記す。
いかにも作り物めいたその音が、がんじがらめになった現実からりつを誘い出す呼び鈴のようで面白い。
第3話「抱え咲き」では、第1話で栄三郎を、第2話では矢口を名乗りながら、実は千吉である男の、片目を失った秘密が明かされる。
主人公のすずは裕福な商家の娘だが、心には鬱々とした闇を抱えていた。すずが奔放で自堕落な女に成長したのは、幼い日の不運な出来事が忘れられないためである。
女中ハルとの腐れ縁も、元はと言えば、この過去がもたらしたものだ。すずは千吉に溺れ、「言ってみりゃあ俺は、右目でおめえを見て、左目でハルを見てたんだな」と嘯く男に激怒して、凄惨な事件を起こしてしまう。
一話一話読み進むごとに、薄紙を剥ぐように男の正体が明らかになってゆく。同時に女たちの過去も露わになる。
女たちにはほとんど共通項がない。それなのになぜ、4人が4人ともいとも容易く、女たらしの詐欺師にたぶらかされてしまったのか。
男が女たらしになるにはそれ相応の理由があり、女が男にたぶらかされるのもそれなりの訳がある。
第4話の「名残闇」では、五勝手から会津、東京木挽町へと移った舞台が、再び北海道へ戻る。小樽で居酒屋を営むお六のもとへ、因縁のある千吉がふらりと訪ねてくる。
「薄闇の中で、千吉の右目がどろりと光っていた。海の底深く揺らめく藻のような色だった」
お六が見ているのは義眼ではない。2人は千吉が片目を失うはるか以前からの馴染みだった。それものっぴきならない濃密なかかわりであったことが、本物の目のこの描写で端的に示されている。
千吉はお六にとって「肌馴れてとろりとまとわりついてくる長襦袢みたいなものだった」のである。本書を読まれる方は、しばしばこうした表現の絶妙さにも目をみはるに違いない。
第4話まで来て、読者は初めて千吉という男の生い立ちを知る。個々の話で女たちの心の闇を暴きつつ、全体を通して男の本性を暴いてゆく。
本書は優れた、ミステリーであり、実によく出来た小説だと思う。
蜂谷さんは控えめで礼儀正しい方だ。北国の女性らしく内なる情熱を秘めているのだろう。
私は端整な文章としっとりした語り口が好きだ。派手さはないが、その分、いったん入り込むとぐいぐい惹きつけられて、読み進むうちに胸の奥が温かくなってくる。
つまり膏薬のようにじわじわと効いてくるのだ。上っ面の薄っぺらい感動ばかりがもてはやされる昨今だからこそ、蜂谷ワールドで本物の深い感動をぜひ味わっていただきたい。
諸田玲子「男にたぶらかされる訳」
もろた・れいこ 作家
波 2006年7月号
¥100
蜂谷涼『雪えくぼ』
4-10-300771-0
新潮社
宇宙という名の物語

サイモン・シンの著作は、『フェルマーの最終定理』、『暗号解読』と出版される度に楽しみに読んできた。
今回の『ビッグバン宇宙論』もまた見事だった。
ともすれば難解になりがちな数学や科学の概念を解きほぐし、いたずらにレベルを落とすことなく一般向けに解説する。
そのような技量において、今、サイモン・シンが世界でもトップレベルの書き手であることは間違いない。
すぐれた一般向けの科学書の満たすべき条件とは何か ?
何よりも大切なのは、今となっては「常識」と化している世界についての知識が、発見当時はいかに奇想天外なもので、大きな概念的ジャンプであったか、そのめくるめく驚きと感動を伝えることではないかと思う。
アインシュタインが相対性理論を発見する以前の世界に立ち戻って、そこから、アインシュタイン以降の世界へひとっ飛びすることを空想する。
暗黒のトンネルの向こうに、まばゆい智恵の光が見えてくるその瞬間の興奮を思う。そんな驚きを追体験することが、すぐれた科学書の醍醐味となる。
暗闇から光への「知の錬金術」としての科学の実相を描くためには、必然的に、歴史的な経緯を手際よく、しかも印象深くまとめる手腕が必要になる。
そこには科学的発見をめぐる人間のドラマがあり、思わぬ偶然の幸運(セレンディピティ)との出会いが潜んでいる。
サイモン・シンの著作には、そのような科学の躍動感が生き生きととらえられているのである。
科学少年だった私にとって、「ビッグバン」はいつの間にか一つの「常識」としてすり込まれてきた「事実」だった。
ビッグバンの「決定的証拠」となった宇宙背景輻射は私がもの心つく頃には発見されていた。私はまさに「ビッグバン」以降の世代だということになる。
宇宙は今から約137億年前の「大爆発」によって誕生し、今でも膨張を続けている。
この、今では多くの人が恐らく一度はその概略に接したことのある宇宙観は、本書に描かれたように、長い歴史の中で数多くの人々の苦闘の中で次第に獲得されてきた一つの「物語」なのである。
宇宙の成り立ちとその起源は、人間の関心を惹き付けてやまなかった。聖書の創世記の時代から、宇宙をめぐる「物語」を、人類は次第に精緻に磨き上げてきた。
ガリレオが望遠鏡をのぞいて木星の衛星を発見する。ぼんやりとした点としか見えなかった星雲は、実は別の独立した銀河であり、無数の恒星がそこにあることが判明する。
そしてついにはハッブルが光の「ドップラー効果」の測定を通して宇宙が膨張し続けているという事実を発見する。「ビッグバン」という宇宙の物語の骨格が出来ていくのである。
現代の私たちは、「巨人たちの肩に乗る」ことによって、私たちの住まう宇宙の想像を絶するほど劇的な物語をかなりの程度知っている。
物語を受け継ぎ、紡いできたのは、宇宙に比べればちっぽけでいかにも頼りない、しかしだからこそ愛おしい探求者たち。
サイモン・シンの筆致からは、「ビッグバン」という宇宙論を形成する上で功績のあった先人たちに対するあふれるような感謝の念が読み取れる。
科学の真理は、最初から揺るぎないものとして確立しているわけではない。何が正しいのかわからぬまま、暗中模索する時期が続くこともある。
本書の白眉の一つは、ルメートル、ガモフを始め多くの人々が支持した「ビッグバン」モデルと、ホイルらが提唱した「定常宇宙」モデルのぶつかり合いだろう。
一流の科学者たちがお互いにメンツをかけて論争し、激烈な競争に身をさらす。
科学の真理は天下り式に与えられるものでも、孤立した天才のインスピレーションによって得られるものでもなく、人々の手から手へと受け渡され、もまれながらつき上げられていく「お餅」のような存在なのである。
『ビッグバン宇宙論』という見事な「宇宙という物語の歴史」を著した人物はどのようにできあがったのか ?
サイモン・シンは、ケンブリッジ大学で博士号を取った後、BBCで番組の制作にかかわり、それがきっかけで『フェルマーの最終定理』を書いたという。
専門領域の壁を超え、自分という物語を紡いできたわけで、なるほど、宇宙の探究史という広がりのある素材をこれほどうまく扱える能力は、一つの専門性にこだわっていたのでは生まれないのだとつくづく思う。
日本でも、本書のような著作が自然に生まれ、読者に広く受け入れられる土壌ができないものか。
私自身かつてケンブリッジ大学に留学し、サイモン・シンを育んだイギリスのポピュラーサイエンスのレベルの高さを良く知る立場にある。
本書に対する感嘆の念は、そのまま日本の現状を前にもらすため息に通じる。
宇宙を知ることは、その真理を追い求めてきた人間を知ること。『ビッグバン宇宙論』の中には、日本人がその「人間観」を深めるためのヒントが沢山隠されているのである。
茂木 健一郎「宇宙という名の物語」
もぎ・けんいちろう 脳科学者
特集 サイモン・シン『ビッグバン宇宙論』
波 2006年7月号
¥100