男にたぶらかされる女 | 月かげの虹

男にたぶらかされる女


完璧な人間がいないように、隙のない女はいない。

どんなに気丈でも、聡明でも貞淑でも奔放でも、どこかに脆弱な部分がある。その部分を衝かれると、針を突き刺された風船のようにしゅるしゅると空気が抜けてしまう。

女を「たらし込む」というのはたぶん、脆い部分を的確に見分ける本物の眼と、崩れる様を平然と見過ごす義眼を、併せ持つということだろう。

日露戦争前後の時代を背景に、4人の女の四様の恋を描いた本書には、稀代の女たらしが登場する。

彼の片目は、義眼である。

「右目は確かに笑っているのに、左目は冷たくこちらを値踏みしているようだった。胸がざわめき続けているのは、男の義眼のせいなのか、それとも、彼がまとった影のせいなのか、りつにはわからなかった。首筋が、軽く粟立っていた」(「藤かずら」より)

本書では男の目がくり返し描かれる。そしてそれを通して、女たちの脆さ、言い換えれば心に抱える闇が映し出される。著者の周到な企みにまず舌を巻いた。

第1話「かわうそ2匹」のいち子は、北海道の五勝手の診療所の女医である。聡明なはずの女が流れ者の栄三郎との情事に耽っている。

栄三郎の昏い瞳は、紅葉がないまま煤けてゆくような蝦夷の秋の「心がささくれる景色」と相まって、しかもいち子には「淫らな光を放ってい」るようにも見えた。

これはいち子が昔の失恋を引きずっているからで、不完全燃焼だった鬱屈が性愛への渇望となって、10も年下の男に溺れてしまったのだ。

第2話「藤かずら」のりつは、舅・姑や小姑に虐げられながらも、婚家に留まって、戦死した夫との間に出来た一粒種の息子を育てていた。

その貞淑なりつが、ひょんなことで家を訪ねて来た矢口に惹かれてしまう。素っ気ない応対をしてしまったとき「左の義眼が、きろきろと音を立てた気がした」と著者は記す。

いかにも作り物めいたその音が、がんじがらめになった現実からりつを誘い出す呼び鈴のようで面白い。

第3話「抱え咲き」では、第1話で栄三郎を、第2話では矢口を名乗りながら、実は千吉である男の、片目を失った秘密が明かされる。

主人公のすずは裕福な商家の娘だが、心には鬱々とした闇を抱えていた。すずが奔放で自堕落な女に成長したのは、幼い日の不運な出来事が忘れられないためである。

女中ハルとの腐れ縁も、元はと言えば、この過去がもたらしたものだ。すずは千吉に溺れ、「言ってみりゃあ俺は、右目でおめえを見て、左目でハルを見てたんだな」と嘯く男に激怒して、凄惨な事件を起こしてしまう。

一話一話読み進むごとに、薄紙を剥ぐように男の正体が明らかになってゆく。同時に女たちの過去も露わになる。

女たちにはほとんど共通項がない。それなのになぜ、4人が4人ともいとも容易く、女たらしの詐欺師にたぶらかされてしまったのか。

男が女たらしになるにはそれ相応の理由があり、女が男にたぶらかされるのもそれなりの訳がある。

第4話の「名残闇」では、五勝手から会津、東京木挽町へと移った舞台が、再び北海道へ戻る。小樽で居酒屋を営むお六のもとへ、因縁のある千吉がふらりと訪ねてくる。

「薄闇の中で、千吉の右目がどろりと光っていた。海の底深く揺らめく藻のような色だった」

お六が見ているのは義眼ではない。2人は千吉が片目を失うはるか以前からの馴染みだった。それものっぴきならない濃密なかかわりであったことが、本物の目のこの描写で端的に示されている。

千吉はお六にとって「肌馴れてとろりとまとわりついてくる長襦袢みたいなものだった」のである。本書を読まれる方は、しばしばこうした表現の絶妙さにも目をみはるに違いない。

第4話まで来て、読者は初めて千吉という男の生い立ちを知る。個々の話で女たちの心の闇を暴きつつ、全体を通して男の本性を暴いてゆく。

本書は優れた、ミステリーであり、実によく出来た小説だと思う。

蜂谷さんは控えめで礼儀正しい方だ。北国の女性らしく内なる情熱を秘めているのだろう。

私は端整な文章としっとりした語り口が好きだ。派手さはないが、その分、いったん入り込むとぐいぐい惹きつけられて、読み進むうちに胸の奥が温かくなってくる。

つまり膏薬のようにじわじわと効いてくるのだ。上っ面の薄っぺらい感動ばかりがもてはやされる昨今だからこそ、蜂谷ワールドで本物の深い感動をぜひ味わっていただきたい。

諸田玲子「男にたぶらかされる訳」
もろた・れいこ 作家
波 2006年7月号
¥100


蜂谷涼『雪えくぼ』
4-10-300771-0
新潮社