哲学のむずかしさ | 月かげの虹

哲学のむずかしさ


哲学は、ヨーロッパあたりでも一般市民にとっては縁遠いものであり、分かりにくいもののようですが、日本ではよりいっそう、難しいものだとされています。

一時期、日本では哲学用語がすべて漢語を使った翻訳語なのでどうしても難解になるけれども、欧米では日常語で哲学的な思索をするから一般の人にも分かりやすいと言われたことがありました。

しかし、そんなことはありません。欧米の哲学用語にしても、たいていはギリシア語やラテン語由来の言葉ですから、一般の人に縁遠いことは同じです。Philosophy, Philosophieという言葉そのものが、ギリシア語の音をそのまま英語やドイツ語に移したもので、もともとの英語でもドイツ語でもありません。

しかし、日本では、哲学が欧米に輪をかけて難解なものとされていることは確かです。まず、哲学の基本となる超自然的原理は、われわれの発想の中に見出すことはできないという分からなさがあります。

もう一つ、哲学に似たジャンルとして、言行一致を目指す儒教の道徳的実践や禅のような宗教的修行の伝統がありましたし、詩的直観を重んじる文学の伝統もありましたから、西欧伝来の哲学を、儒教や陣や詩と重ね合わせて受け容れようとする傾向がありました。

そのため、もともと哲学の発想の根本的な分かりにくさを、道徳的実践や、宗教的悟道、詩的直観の難しさと一緒にしてしまったので、哲学は難しい、分からないものだと思いこんでしまったのです。

おまけに、哲学を学び紹介する者が、自分の修行が足りないせいで分からないと思い込むのは仕方ないとしても、そのことを他人に悟られないようにごまかそうとするので、ますます話がややこしくなります。

西洋の哲学にもいろいろな傾向があり、道徳や宗教と重なる領域もありますが、原則としては理づめのもので、ちゃんと読んでゆけば理解できないものではありません。

もちろん、正しく理解するためには、テキストをなるべく原語できちんと読むことと、自分に分かることと分からないことを区別して決して分かったふりをしないことが大切ですが、訓練さえすれば、特別な宗教的な悟りや詩的直観を持っていなくとも、哲学書はかなりの程度まで理解できるものです。

もっとも、文学の場合も同じですが、著者との相性は問題です。どんな哲学者の言うことでも同じように分かるというわけにはなかなかいかないもので、やはり自分と相性のいい思想家を選ぶ必要はあるでしょうね。

用語法に馴染むためのトレーニングも必要ですが、訓練を怠らなければ、相当のところまで理づめで考えていけるものです。哲学は分からなくて当たり前、ということはありません。

翻訳にも、難解というイメージを定着させた責任はありますね。翻訳者がテキストの意味をきちんと理解しないまま、手がかりになるいくつかの言葉から浮かび上がってくるイメージだけを頼りに、ただ言葉の漂っているような翻訳をしていることが多いものです。

そんな訳本を読んでいるだけでは、哲学書を読んだことにはなりません。


木田元「哲学のむずかしさ」
「反哲学入門」
第1章
哲学は西欧人だけの思考法である(承前)