密かな憧れ | 月かげの虹

密かな憧れ


小児科医の細谷亮太さんが、四国遍路をしたときの感想を書かれた文章が、2004年版のベスト・エッセイ集『人生の落第坊主』(文藝春秋刊)の中に掲載されていた。

病院の勤務医である細谷さんは、勤続30年の報酬として、病院から10日間の休暇が出たそうだ。

普段忙しい小児科医にとって、10日間というのはなかなか得られない長い休暇であったらしい。

そこで以前からあこがれていた「完全歩き」のお遍路を思い立ったそうだ。とはいっても四国遍路全行程は88ヵ所だから、10日間では行けないので、1番札所から28番札所までの遍路をされたという。

その感想がやさしい言葉で書かれていた。やさしい言葉と言ったが、完全歩きの四国遍路というのは、白動車に慣れた現代人の生活からはるかに隔たっており、決してたやすい経験ではないだろう。

そんな経験のない私には分からないこともあったが、それでも私はその文章に共感し、教えられることがあった。

細谷さんは「歩き遍路」を経験してみて感じたこと、わかったことが4つあったという。

1つは、「時間はひとつながりで存在している」と実感したこと。

2つ目は、「歩く」ということが人間の行動の基本であると知ったこと。

3つ目は、身体を大切にしなければならないと痛感したこと。

そして4つ目は、日本は美しい国であると改めて感じたこと、だそうだ。

病院での細谷さんの仕事は、細切れの時間の連続で、粉々にくだけていたという。しかし、本来は時間はひとつながりであることに、気がついたという。

車と比べて「歩く」ことは、周囲のものを単純に計算して、15倍も多く見ることになるという。

身体が大切だと感じたのは、1日20キロ以上を歩けば、宿では階段の上り下りもままならないほど疲れるからだ。

私の日常でも、「ひとつづきの時間」はなかなか感じられない。私の1日は朝5時に起きて、夜11時前後に寝るまで、頭の中にはその日しなくてはならないこと、したいと思うことなどが、いっぱい詰まっている。

予定通り全てができるわけではないから、やり残しがいくつかあり、自分で決めたものに追われている感じがある。

時間がひとつながりに感じられるのは、お遍路のように、その日一日のすることが「歩いて札所を巡るだけ」という単純なものだからだろう。

ところが、普通の現代人の生活では、個人的なこと、仕事のこと、社会的なことなどが網の目のように入り込んでくるから、心をそれらに振り向けるたびに、時間は細かに裁断される。

一度自分をあらゆる束縛から解放して、1日でもいい、大自然の中に置いてみれば、私にも「ひとつづきの時間」が持てるかもしれない。当り前の日常の中では、そのような感覚を持つことは至難に思える。

「歩く」ことの重要さは、規模は全然違うが、私にも少しはわかるような気がする。

私はいつも、原宿の自宅から渋谷まで買い物に行くのに歩く。ほんの15分か20分である。しかし子供が小さかったときは、自転車で行っていた。歩くなど悠長なことをしていられないという気持ちだった。

自転車で急いでいると、行く手を歩く人々が妨げに思えることがあった。しかし今の私は、同じ道を自転車で行こうとは思わない。

道行く人の数が増えたこともあるが、当時より時間に追われていないから、気持ちに余裕が出てきたからだ。

歩いていると、木々の芽吹きのさま、季節の花が咲いたこと、人々の様子、服装、空模様、風の動き、ショーウインドーに飾られている様々な服や靴、店先のお弁当、お花、あたらしくオープンしたお店、閉店した商店、本当に様々なものが見え、感じられる。

そうして社会と接する日々のささやかな経験が、私の考え方や物の見方に大きな影響を及ぼしていることを感じる。

それは自転車で走り抜けていた頃よりは、確かに多くのものを受け取っていると思う。

「体を大切にする」ということは、自分のためだけでなく、社会への責任を意識した言葉だと思う。

幸い私は、毎年の健康診断でいつもお医者さまからオール5の優等生と言われる。しかし自分の身体であって自分の身体ではないと自ら意識して「体を大切に」しているかといえば、そうではない。

身体が健康で1日の勤めをよく果たすためには、腹八分目を心がけ、心をゆったり保ち、充分に働いて、またよく学び、夜はゆっくり休む。簡単なようだが、毎日実行するのは決してやさしくない。

そのように日々を送れたら、心も体も軽々として、さわやかに違いない。私の日々もぜひそうありたいと願う。

「日本は美しい国である」ということは、東京だけにいるとよくわからない。私も3年ほど前から、生長の家の講習会で、日本の各地に行くようになった。そして日本の地方には美しい町並みや、やさしい自然がいっぱいあることを知った。

自然のことを「やさしい」と形容することは、昨年の冬の大雪に見舞われた地方の人々にとっては、不十分かもしれない。

しかし「険しい自然」「雄大な自然」というよりも、人間に寄り添ってくれるような、そんなのどかさを日本の自然の風景に私は感じるのである。

きっと私が自然の厳しさを知らないからだろうが、征服したり、乗り越えたりしなくても、自然がそこにあるだけで、心が休まり、清められるようなそんな自然が、日本には沢山あると思っている。

歩き遍路は、私も「いつかは…」と憧れているが、当分はできそうもない。今は、実際に体験した人の感想を読んで学ぶ段階なのだろう。

身体を大切にし、時間に追われず、よく歩き、自然を大切にしようと思う.

谷口純子「密かな憧れ」
(生長の家白鳩会副総裁)

2006年8月号
白鳩