子ども虐待 | 月かげの虹

子ども虐待


虐待の社会問題化
小どもの人権という観点から

子どもは、家庭という生活の場で親との深い情緒的なやり取りの中で、安心感や信頼感や「自分はかけがえのない存在」という自己肯定感を育み、それを基盤に成長していきます。

しかしすべての子どもが親から適切に育てられるわけではなく、親の誤った子育てのために心のよりどころを築きえず、心身の成長や人格形成を深く阻害されてしまう子どもたちがいます。

この現象はいつの時代にも普遍的に存在していましたが、社会が親の不適切で有害な子育てを虐待と名づけて介入し始めたのは、子どもの人権という意識が浸透していった20世紀に入ってからです。

日本においてはさらに遅れ、社会的関心が高まったのはこの20年ほどですが、急速に発見や支援のシステムが構築されつつあり、平成16年度には児童相談所で扱うケース数は33,408件に上り、この14年間で約30倍になっています。

この増加については、必ずしも虐待の絶対数が増えたことによるわけではなく、子どもに関わる大人の意識が高まることにより、児童相談所への通報が増加したことが大きな要因となっているのではないかと推察されています。

ではどのようなものを虐待と呼ぶのでしょうか。「児童虐待の防止等に関する法律」の第2条で児童虐待の定義がされ、次の4つに分類されました。保護者(親または親に代わる養育者)によって加えられた次のような行為です。

(1) 身体的虐待:殴る、タバコの火を押し付ける、冬戸外にしめだすなど。
(2) 性的虐待:性的いたずら、性的行為の強要、性器や性交をみせるなど。
(3) ネグレクト:適切な衣食住の世話をしないで放置、情緒的欲求に応えないなど。
(4) 心理的虐待:無視、暴言、きょうだい間での極端な差別、DVを目撃させるなど。

このように虐待は身体的暴力だけでなく、心理的な外傷を与える言動から養育の不足まで含む広い概念です。

適切な子育てから虐待的な子育てまでは連続体を成しています。どこで線を引くかは、その子育てが子どもの成長にとってどの程度有害かなどを中心に判断することになります。

子育てに完璧は存在せず多少の失敗があるのが普通なので、線があまりにも左寄りに引かれますと、子育てに高い要求をかすことになり、子育て不安を煽り、親を追い詰めて虐待行為を誘発することになってしまいます。

子育てをする家族を暖かく支える文化と社会システムの構築は、国レベルの家族支援です。

子どもに有害な影響を与えてしまうほどの子育てのひずみ(虐待)は、単一の要因から生じることは少なく、いくつかの要因が相互に重なることによってはじめてその姿を現します。

それらのリスク要因のうちよく知られているのは、次の4点です。

(1) 周囲から孤立している:家族が親族、近隣等から孤立し(24%)、困った時に助けてくれる人がいない場合です。人への不信感から助けを求めず孤立している場合もあります。
(2) 家庭がストレスに曝されている:経済的困窮を抱え(31%)、夫婦の不和(20%)や夫婦間暴力(DV)、家族の病気などのストレスに曝され、家庭生活が危機に瀕している場合です。ひとり親家庭(36%)が多いのも特徴です。強いストレスの中で弱者である子どもをスケープゴートにしてしまうことがあります。
(3) 親が子育てをうまくできない:統合失調症やうつ病などの精神疾患(10%)、アルコール依存(4%)、神経症、軽度発達障害、知的障害(2%)、若年などの問題が子育ての能力を損なっている場合があります。さらに、親自身が虐待的環境で育っているため、子育ての方法が分からず、自分がされたように子育てをしてしまう場合があります。これまでのいくつかの調査では、虐待を受けたことがある親が子どもを虐待する確率は20-30%と推測されています。
(4) 育てにくい子ども:子どもが知的な遅れ(8.6%)や発達障害(ADHD、自閉症、アスペルガー症候群等)や慢性疾患を有していたり低出生体重児(2.0%)であるため、育てにくく手のかかる場合や、分離の経験(4.5%)などがあり愛着関係がつきにくい場合などです。

背景要因が何であれ、親の虐待的な子育てに曝されていると、親子の絆がうまく築けず、子どもに行動上の問題や情緒の不安定さが引き起こされていき、親の虐待行為を強めてしまうという悪循環へと陥っていきます。

「虐待」というきつい言葉の響きが、鬼のような親というイメージを生んでいますが、虐待をする親の多くは、他の親と同じように子どもを愛し大事に思っています。

大切に育てたいと思いながら、上記のストレスや愛着をめぐる葛藤から、子どもに対する感情や行動のコントロールができなくなっています。

多くの場合、必要なのは叱責や懲罰ではなく、リスク要因を減らすためのたくさんの支援の手です。

虐待をする親の中には、親から愛されたという経験に乏しく、虐待的環境の中で育ってきた人がいます。

子どもを育てるという行為が、それまで忘れていた過去の親とのつらかった体験を想起させ「自分が子どもの頃はこの子のように笑うこともできなかったと思うとうらやましくて許せない気持ちになる」など、激しい怒りを子どもにぶつけてしまい、自分を責めながらもやめられない状態に陥ることがあります。

幼い頃に親に護られず大切にされなかったことから生じた無力感や自己評価の低さは、子どもを自分と対等な大人のように感じさせます。

泣きやまない行動を「親をばかにしている」と被害的に捉えたり、子どもを大人のように頼りにして、親の気持ちを察して応えることができるのに「わざとしない」と捉えるような認知のゆがみを生じさせます。

また外傷体験由来の精神症状(PTSD、解離、抑うつなど)を抱え、精神医学的な治療が必要な場合もあります。

こういった問題を抱えている親に対して、「虐待のない子育てが可能になり親子関係を改善する」という目標を達成するためには、どんな支援・治療が有効なのでしょうか。

「自分が育てられたように育ててしまう」親に対して、子育て知識や技術を教える行動療法的教育的なレベルのアプローチがあります。

アメリカでは、子育て教育プログラムが虐待をした親の支援に有効性を持つものとして評価され、日本でも欧米のプログラムが紹介され実践されています。

そのほかに現実的な対人関係を改善することや認知のゆがみに気づくことや過去の被虐待体験などを言葉で表現することを促す様々な支援・治療が個別やグループで提供されていますが、まだ受け皿は少ないのが現状です。

支援・治療の場が「安心できる居場所」になり、支援・治療者と「安心できる関係」を体験すること自体が、親の子育てを適切なものにするといわれています。

その中の一つに、民間団体や保健所で実施されている自助グループ的色彩を持つ母親グループがあります。

自分を責めながら大切なわが子を傷つけることをやめられない母親に対して、自分は一人ではないと感じさせる仲間と、安心して苦しい胸のうちを自由に話し、自分の本当の気持ちや子ども時代の体験(被虐待体験など)に気づいていく場を提供し、虐待行為を減らすことに効果をあげています。

虐待問題を抱える家族への支援の最終目標は、「親と子どもとのよい関係を通じて愛着の絆を形成すること」、それにより「子どもの心に人格の基礎である安心感、信頼感、自己肯定感(自分は大切な存在)を育むこと」です。

虐待を受けた子どもが困難な状況にも
かかわらずうまく適応していくことのできる要因(防御因子)の研究において、愛着関係が樹立されていることが強力な防御因子となることが明らかにされています。

不適切な養育をする親と、その影響を受けて情緒的に混乱し無表情で関わりをもてない子どもとの間には悪循環が形成されています。

その場合、愛着関係を改善するためには、親の支援・治療だけではうまくいかず、子どもの支援・治療や親子を対象とした親子の相互作用への治療的アプローチ(親子グループ、親一乳幼児(児童)精神療法、修復的愛着療法など)を行なうことが必要です。

親一乳幼児(児童)精神療法では、親子のやり取りを目の前で観察しながら親子のコミュニケーションのずれの意味を把握し、親が子どもに重ね合わせている否定的イメージ(親自身の愛着をめぐる葛藤)のありかに気づいていけるように援助していき、親の健全な養育能力を引出していきます。

支援を受けても親が子どもと向き合えない場合は、身近にいる他の大人と持続的な信頼と安心の関係をつくれるように環境を整えることが必要です。

そういう情緒的な支持を与えてくれる大人との出会いは、子どものその後の適応をよくするといわれています。

また、外傷体験からの回復には個別の心理治療が有効です。児童相談所での介入による支援虐待問題を抱える家族への支援の困難さは、虐待行為を否認し行為の有害さに気づくことのできない親の存在にあります。

児童相談所は児童福祉法に基づいて、親の意に反しての調査(立ち入り調査)や子どもの分離(一時保護)などの介入機能を使い、虐待への直面化を図りながら親と支援関係を作っていきます。

前述の東京都の調査によると、介入の時点では虐待者のうち44%(実母の40%、実父の58%)は虐待を認めていませんでした。

虐待を認めない親の理由は様々です。共感能力が乏しい重い人格障害や統合失調症などの精神疾患を背景として偏った信念を持っている場合、自らの被虐待体験が否認されているため、自分がされたように子どもにしてもその行為を虐待とは認知できない場合や現実感をもてない場合、あるいは忘れてしまう場合(解離性健忘)もあります。

自身も体罰を受けて育ち、虐待をしつけと称し体罰の有効性を主張する場合や、権威を保つために家族に力を行使することを正当化する価値観に基づいている場合もあります。

親が子どもと強い一体感を有しているがゆえに客観視できていない場合もあり、子どもと離れてはじめてその行為の有害さに気づくこともあります。

在宅では虐待的関係の修復が困難と判断された場合は、子どもは乳児院や児童養護施設等の入所や里親委託となります。親の同意が得られない場合は、家庭裁判所の承認を得て施設入所の措置をとります。

この時に、家族再統合に向けた治療プログラムを提供できないと、親は自尊心の傷つきや喪失感などから怒りを児童相談所に向け続け、虐待への気づきや行為の修正を促すことは困難となります。

子どもも虐待を否認し親を慕うことも多いため、見捨てられ感や無力感を抱えたまま放置されてしまいます。

強制介入や親子分離を家族支援の一環として位置づけ、分離後ももう一度家族一緒に暮らせることを目指した家族支援を、施設などでの子どもの治療と連携しながら続けることが必要です。

その取り組みが今始まっています。虐待的な子育てが改善されず一緒に暮らすことが無理という結論に達する場合でも、家族支援の中で子どもの現実的認知が可能になって、離れて生活することを自ら選ぶことができ、親も自分の子育ての限界を受け入れて、分離のまま施設などと協力して子育てをすることを選ぶことができればこれも虐待問題の一つの解決です。

もちろんその場合、施設などの生活が子どもの安心できる居場所となって人格の基礎を育むことができ、虐待の傷から回復することができてはじめて解決といえますので、社会的養護の充実が必要です。

大塚 峰子「子ども虐待と家族支援」
東京都児童相談センター治療指導課長

平成18年6月発行
日本精神衛生会