医療崩壊スパイラル

「これまで、生活を犠牲にしてでも患者のために頑張ってきたけれど、もう限界です」。こんな手紙を、病院勤務の医師からもらうことが多くなった。
これまで寝食を忘れて真面目に仕事をしてきた医師たちが、医療を巡る現状に悲鳴を上げ始めた。
その原因の1つが、ここ数年、医療事故を起こした医師に対する刑事責任追及の流れが加速していることである。
「罪に問われる基準が明確にされないまま、結果が予想外で重大だというだけで犯罪者にされてはたまらない」、そんな医師たちの思いが伝わってくる。
こうした医師たちの思いを増幅させたのが、福島県立大野病院の産婦人科の医師が逮捕・起訴された事件だ。
04年12月、帝王切開の手術を受けた女性が死亡し、今年になって、執刀した医師が、業務上過失致死と医師法違反の罪で逮捕・起訴された。
この事件に対して、日医をはじめとする、100近くの医療関係団体が、相次いで抗議文や声明文を出した。
「明らかな過失もないのに、医師を逮捕するのは不当。医療関係者の不安が増大している」と訴えている。
医師の過失が刑事責任を問われるほどのものかどうかは、裁判の過程で明らかになるだろうが、この事件が医療関係者に与えた衝撃は、あまりにも大きい。
それにしても、なぜ、刑事責任追及の流れが加速しているのだろう。
医療事故が起きた時、被害者が望むのは、なぜ事故が起きたのかその真相を明らかにして、医療側にミスがあれば謝罪して欲しい。そして二度と同じ事故を繰り返さないよう対策をとって欲しいということである。
ところが、多くの場合、医療側から事故の原因について、十分な説明がない。そうしたなかで、被害者の側ができることといえば、現状では、民事の裁判に訴えるしかない。
ところが民事裁判では、被害者の側に立証の責任があるので、医療の専門家を椙手に争うのが難しく、真相が究明できないことも少広くない。
そこで、被害者の側が期待するのが警察の力である。自分たちの手で解明が難しい事故の真相を、刑事裁判の場で解明して欲しいと願い、そうした期待を受けて、警察が積極的に動き出したということだと思う。
しかし、事故を起こした医師個人の責任を追及する刑事裁判の場でも、被害者の思いは満たされない。
事故は多くの場合、医療体制上の問題が複雑に絡んでいるが、刑事裁判では、問題の全容を解明することが難しく、事故の再発防止につながらないからだ。
しかも、刑事責任追及の流れが、医療の萎縮ともいえる深刻な事態を招いている。
産科だけでなく、事故と背中合わせの外科や小児科、救急などの医療現場から、医師が撤退を始め、難しい医療を敬遠する動きが出てきている。
例えば、埼玉県の救急の現場では、病院が患者の受け入れを断るケースが増えているという。
埼玉県が、たらい回しがひどすぎるという住民の苦情を受け、去年7月と8月、県内の消防本部を対象に緊急に調査を行った。
それによると、4万件あまりの搬送のうち、患者の受け入れを病院に断られ、5回以上要請を繰り返したケースが403件、受け入れ先を決めるのに30分以上かかったケースが242件あった。
なぜ病院は患者を受け入れないのか、その理由を尋ねると、「専門外だったり、難しい患者を診たりして事故を起こせば、刑事責任を問われかねない。だから安易に患者を受け入れられないのだ」という。
こうした医療の萎縮ともいえる現象が広がれば、私たち患者の側が、必要な医療を受けられなくなってしまう。事態は深刻で、社会全体で早急に対策を考えなければならない。
では、今後、どんな対策が必要なのだろう。
欧米諸国では、予期しなかった患者の死に医療行為が関係していた場合、第三者が公正に原因を究明する仕組みができている。
日本もそうした体制づくりを急ぎ、医療側と患者側が対立する裁判に変わる紛争処理の仕組みをつくることが緊急の課題だ。
そのうえで、全体のなかのどのような過失を刑事責任に問うのか、その基準を明らかにする必要もある。
どんなに手を尽くしても結果が予想外だったら、刑事責任を問われるのではないかという医療関係者の不安が広がっているからだ。
そして、何より大切なのは、日常の診療のなかで、医療者と患者が互いに理解を深め、信頼関係をつくっていくことだと思う。
医療は、常に人の死と隣り合わせで、不確実性が高い。手術を始めてみないと本当の病状が分からなかったり、予期できない合併症が起きたりすることがある。
患者の側は、病院に行けば必ず病気を治してくれると期待するのだが、そうした医療の不確実性を理解することが必要だ。
同時に、医療が不確実で専門性の高い分野であるからこそ、医療側自ら、患者の側に説明する責任があるのだと思う。
民事裁判に訴える医療事故被害者の多くが、「事故が起きた時に医療側から納得できる説明があれば、裁判を起こすことも、警察に期待することもなかった」と話している。
医療側がそうした被害者の声に耳を傾け、患者側も医療者への感謝の気持ちを忘れずにいることが、医療の質を高めることにつながっていくのだと思う。
最後に、私たちマスコミの役割にも触れておく。医療崩壊スパイラルともいえる医療現場の状況を、伝え続けなければならないと強く感じている。
これまで、医師が現場の状況について語ることは少なく、国民に深刻な状況が十分伝わっていないと感じるからだ。
医療費が抑制されれば、確かに国民の負担は軽くなる。しかし、その結果として、必要な医療が受けられなくなってしまっては元も子もない。
医療現場の荒廃を食い止めるには、社会全体で危機感を共有して、取り組みに必要な負担も分かち合わなければならない。
安心して医療が受けられる体制を再構築するために、マスコミが果たすべき役割は大きい。そのことを自覚して、報道を続けていきたいと思う。
飯野奈津子「医療崩壊を食い止めるために」
いいの なつこ
NHK解説委員
昭和58年国際基督教大卒。同年に初めての女性記者としてNHKに入局、その後、警視庁、厚生省などを担当し、平成11年より現職。
担当は社会保障(医療・年金・介護など)、女性問題。
主な著書に、「患者本位の医療を求めて」(NHK出版)などがある。
日医ニュース No.1080
2006.9.5
日本医師会
神々のメッセージ

身体の病気には処方箋というものがあり、それに従って調剤すると、ちゃんと病気がよくなり健康になる。有難いことである。
ところが、心の病気には、残念ながらそのような処方箋はない。例えば、不登校のための「処方箋」などがあれば、まことに 有難いし、夫婦喧嘩の処方箋などというものがあれば、誰でも欲しいと思うだろう。
ところが、そのような万人共通の 処方箋などないのが、人間の心の特徴である。それならば、神々はどんな風に生きておられるのか、「神々の処方箋」などというものがあるのか、見てみるのも一興ではなかろうか。
現代人のわれわれにとって、神話は 多くの示唆を与えてくれるものである。神々についての物語を人間の内界の住人についての物語としてとらえることも可能である。
神々の姿は、人間の内的体験を表すのに適している。太陽=神ではなく、ある人にとって山頂で太陽が昇るときの感動がすなわち神体験なのである。これは言うならば、そのとき内界に顕現した太陽の女神(アマテラス) を拝んでいるのである。
このようなことを忘れ、科学技術と結び付く外的事実のみに注目すると、神話は「絵空事」ということになってバカにされることが多い。 そして神話を否定し去り、便利で快適な生活を築き上げながら、不安とストレスに苦しめられているのが現代人であろう。
それは、神話が試みてきたように、自分という存在をこの世界の中にどう位置づけるのか、自分が生まれ、死んでゆくという事実をどのように納得するのか、という問いに対する答えを見失ってしまったからである。
今では一般には「神話」などと言うと馬鹿にされることの方が多い。何かの考えを非難するときに、 「00 神話」とか「神話のような」と言うことがある。
それは「まことしやかに聞こえるが、虚偽のことである」ということを意味している。かつては 神話の語る内容を外的事実として受け入れた時もあったが、近代科学が進歩していろいろと外的事実に関する知識が増えるにつれて、神話の価値が下落していったからである。
古代の人々はすべて神話と共に生きていた。もちろん、それは各文化特性に従ってさまざまであったが、その文化に属する人々はすべてそれを信じて生きてきた。
つまり、 人々は自分の住む世界と調和した世界観の中で生きてきた。換言すると、彼らは自分の内界 の住人たちとうまく付き合っていたのだが、外部の自然現象にどう対応するかについては、あまり力がなかった。
これに対して、現代人は外的なことには上手に対応しているのだが、内的な落ち着きを失ってしまっている。失われた神話を取り戻そうと、思春期の子どもたちは、あちこち落書きしたり、ガラスを割ったり、誰かをいじめたり、といろいろなことをやってみるが、それほどうまくはゆかない。
ここで急に張り切ると、国をあげて---とまではいかないにしろ---集団をつくって、偽神話を信じて頑張ろうということになると、これはオカルトにつながる道である。
このようなことを避け、「自分の生活に関わりのある神話的な様相を見つけていく」ために、われわれは人類がいったいどんな神話を持ってきたのか、それは現代人の生き方とどのように関連するのか、などについてよく知る必要がある。
21世紀は、一度 否定し去った神話を、再生させるという課題を背負っている。このためにも、やはり神話を読み直してみることは必要であろう。
河合隼雄「神々の処方箋」 新潮社 より抜粋引用
大和魂

「やまとだましい」というものは、今はどこにあるのだろうか。魂だから、はっきりと見えるものではないだろうが、どこかに漂っているのだと思う。
漂うというより、染みこんでいるのか。桜の花びらの、いわゆる桜色の中とか、あるいは2月の梅の花の香りの中とか、そういうところにわずかに混じっている可能性がある。
本来は稲穂の中に染みていたと思われるが、最近は政府の減反政策などあって、必ずしも稲穂の中の「やまとだましい」は、確かなものではなくなってっきている。 休耕田では稲の代わりに雑草が生えて、やまとだましいに代わって、「雑草だましい」がただよっている可能性がある。
「雑草だましい」というのは、踏まれても踏まれても負けずに伸びていくということで説明は簡単だが、「やまとだましい」というとそうは簡単に説明できないところが特徴である。
日本の米には主食という名が与えられていて、長い間日本人の基礎であったことはたしかである。禄高五千石とか、一万石とか、米は価値基準というか、通貨のような位置にあった。
体力の面でも、飯さえあればあとは沢庵と味噌汁で大丈夫と思われていた。だから「やまと魂」は米の中に宿っていた疑いが濃厚である。
もう一つ、ショーユ味というのも「やまと魂」の温床であるように思われる。ショーユ味はもちろんソース味と対立併置されるもので、日本と西洋の対比である。日本人にとってはまずそれが、大きな二分法である。
西洋より近くに中国がある。この中国の場合は何味といえばいいのか。日本と中国は同じ東洋であり、しかも歴史上、 中国は先輩格である。だいたいのものは中国大陸から流れてきている。
その 中国はショーユ味といっていいだろうか。仮にいいとしても、中国に「やまと魂」 があるかというと、そんなものありませえんよ。あるわけがないし、あってはならない。
「やまと魂」は、あるとすれば日本列島のものであって、中国大陸にあるはずがない。欲しいといってもあげない。
ラーメンは中華のソバだが、ぜんぜん中華的ではない。ラーメンの発端は中華かもしれないが、明らかにショーユ系である。
中国も醤油を使う。とはいえ、それはたんに調味料の 一部という気がする。しかし、日本の場合は調味料の一部というより、醤油が日本の柱となって、日本列島の中心にたつ富士山みたいに、わしにまかせておきなさい、と言う感じで存在しているのではなかろうか。
醤油というのは 不思議な調味料である。海から釣り上げたばかりの魚に包丁を入れ、ただ醤油をたらりと垂らしただけで、もう大変なご馳走となる。マグロのトロはうまいが、あれを醤油なしで食べられますか。
醤油は完全な透明ではないにしても、透明系である。だからそれ自体の存在感は希薄である。でもそのショーユが魚に、貝に、野菜に、豆腐にかかるとそこに味が芽生える。 意味が芽生える。
どうやら「やまと魂」というものは、それ自体は透明で見えなくても、 春の桜の花びらといっしょになって、やまとだましいが咲いてくる。梅の香りといっしょになってやまとだましいが流れはじめる。
戦時中に、やまとだましいはひたすらに勇ましいものだと喧伝された。それにただ乗せられたらまずい。やまとだましいが勇ましさであることにやぶさかでないが、それは見せかけ上のことというより、むしろ内に隠された、透明な勇ましさなのではないだろうか。
赤瀬川原平「大和魂」 新潮社 より抜粋引用
禁煙ファシズム

禁煙ファシズム
このところ、ほとんど「牙を剥き出す」ようになった反たばこキャンペーンは、みごとにファシズムであって、大衆病理現象の典型なので、ぜひ触れておきたい。
この「禁煙ファシズム」について、たばこが健康に害があるという研究の多くが疑わしいものであることは、斎藤貴男の「人間破壊列島」(太陽企画出版)に収められた「禁煙ファシズムの狂気」に詳しい。
だが、 斎藤の言うようなことがあちこちで指摘されていても、まるで耳を傾けようとしないのがマスメディアで、「毎日新聞」を筆頭に、「朝日新聞」も一丸となって反たばこキャンペーンを繰り広げており、「多様な意見」を載せるどころか、最近の両新聞紙上で喫煙を擁護するような文章にはまずお目にかからない。
劇作家・評論家の山崎正和が「禁煙ファシズム」を懸念する文章を「毎日新聞」紙上に書いたら、反たばこ活動家が新聞社に乗り込んできた、と斎藤は書いている。
反対意見を述べる者があれば社会の敵であるかのように見なし、たばこを撲滅することが絶対の正義だと信じられ、これに逆らうことは許されないという。
これは紛れもないファシズムである。「民族浄化」の掛け声と、「たばこをなくせ」とはよく似ている。反たばこ論者が感情的なのも、やはりファシズム的である。
もちろんこの種の反たばこファシズムは、米国あたりから来たものである。ところがジョージ・ブッシュの「正義の押し付け」に反対の声をあげる連中がその同じ口でたばこを排斥するのだから、呆れる。
なるほど、たばこを吸っていると健康に悪影響があることぐらいは認めよう。しかしこの世には健康に良くないことなどほかにいくらでもあるのだ。
過重労働、酒の多飲、満員電車の通勤のストレス、ファーストフードの蔓延、特に最後のものなど、いくらたばこを規制してもその効果を打ち消して現在の若者の寿命を縮めるだろう。
いや、当人が病気になるのは当人の責任だからいいが、周囲の人びとに迷惑をかけるから許せないのだ、と反対派は言うだろう。
この「迷惑」のうち、身体に害を及ぼす、という面と、不快である、という面とがある。後者について言えば、何をか言わんや、嫌煙権が認められるなら嫌ブス権もあってしかるべきだろう。
だいたいクルマが他人に及ぼす迷惑たるや、たばこの比ではあるまい。直接殺傷を引き起こすし、大気汚染についてはたばこどころではない。低公害車の普及が図られているが、事故による殺傷はそれとは無関係だ。
たばこは百害あって一利無し、など言っていた自動車会社の重役がいた。クルマには「利」があると言うのだろう。だが、いったいこの日本を走り回っているクルマのうち、本当に生活の必要に裨益するために走っているものがどれほどあるというのか。
そう、実に多くの人間が「娯楽」のために「走る凶器」に乗っていながら、たかだかたばこの路上喫煙ぐらいでがあがあ騒ぐという、この理不尽さもまた、ファシズムに一特徴であろう。
だいたい日本は「少子高齢化」で困っているではないか。子どもの数が少ないだけなら、徳川時代にもあったことで、経済成長さえ諦めれば済む。高齢化こそ問題なのに、これ以上長生きさせてどうしようというのだ。
もちろん、若死にしたくないという心情はわかる。若死にの原因は、自殺のほかは遺伝性あるいは突発性の疾患であって、健康に留意していてどうなるものでもない。
仏教は「生」その他に執着することこそ人間の不幸の根源だと教えている。それがどうしてこうも生命に執着する命根性の汚い国民になってしまったのだろうか。
小谷野敦「大衆社会を裏返す」
新潮社 2003年春号「考える人」
特集「からだに訊く」より抜粋
恋愛と幻想

ついひと昔前に「対幻想」なんて言葉が流行ったこともあるくらいだから、「恋愛」というのはそもそも幻想に違いないが、だとしても幻想が成立しうるためには条件があって、それはたぶん当事者同士が(ヘンな用語だけど)「二者完結」している状態にある、ということだろう。
端的にいえば恋愛中のカップルはそれ以外の世の中に対して「閉じて」いる。もちろん一方が濃厚な「対幻想」を抱いていても、相手がその幻想を一切共有していなければただの「ストー力ー」でしかない。
でも世の中には「自己完結」している人間というのもいて、そういう人は、その時点ですでに世界を相手に閉じてしまっているわけだから、さらに「二者完結」なる状態を欲する必要がない。
「自己完結した人間は絶対に恋愛をしない」とまでは断言できないだろうけど、ふつうの意味での「恋愛」なんて、彼らには必要ないんじゃないか。
本谷有希子の『生きてるだけで、愛。』は、そんな疑問に答えてくれる小説である。
高校時代に全身の体毛をすべてそり落としたことがあり、いまも奇矯な言動が吹き上がるのを抑えられない板垣寧子(いたがき やすこ)25歳はスーパーのレジ打ちの仕事を辞めて以後、うつ状態が続いている。
3年前から同棲している恋人・津奈木景(つなき けい)のマンションで「過眠症」と称して惰眠をむさぼり、そんな自堕落な生活をネットの掲示板に書き込むばかりの毎日。
雑誌編集者の津奈木は仕事で忙しく、自分に振り向ける労力をケチっていると寧子は憤るが、合コン会場で出会って成り行きでつきあい始めたときから津奈木はそういう男だったし、そんな風に男とつきあい始めた自分が「妥協におっぱいがついて歩いているみたいな」ものであることを、寧子自身もよくわかっている。
2人の関係は「恋愛」というより、お互いの領分を侵さないという協定を結んでいる状態に近い。作中にそう描かれているわけではないが、卵2つで作った目玉焼きのように、それぞれの核をしっかり守ったまま白身であやふやに繋がっているような状態をたぶん寧子は想定している。
だが、そんな中間地帯によってなんとか維持されてきた寧子の自己完結システムは、津奈木の元彼女・安堂(あんどう)の登場によって変化を余儀なくされる。
津奈木の部屋を出て独り立ちできるよう、即座に「働く」ことを安堂に強要された寧子は、家族的な雰囲気のイタリア料理店でアルバイトをはじめる。
初日にいきなり「ガッキン」と仇名をつけられたり、ヤンキー上がりのオーナーや年下のホールチーフ(オーナーの嫁)に素朴な人生訓を垂れられたり、欝なんていうのは「寂しいからなるに決まって」いるとオーナーの母に本質をズバリ言い当てられたりしたことで、寧子はうっかりこの世界に染まりそうになるが、ウォシュレットから噴き出る水が怖いという切実な思いを、彼らの誰一人として理解してくれないことにブチ切れ、店のトイレを破壊して逃走する。
思いこみの烈しい激情型の女が暴走するというのは本谷作品の「お約束」だが、この小説が過去の作品よりずっと優れているのは津奈木という男の造型にある。
コンパで出会って即座に「こんなつまらない人間がいるわけない」と寧子は感じるが、やがて自分のどうしようもない「味の濃さ」を中和してくれる津奈木の「味のなさ」に自分が「子供のようにしがみついた」ことを自覚する。
寧子的な「味の濃さ」を演劇表現の、津奈木的な「味のなさ」を小説という散文表現の特徴と考えるとわかりやすい。
寧子は自分と同じような「黄身」だけが他人だと思いこんでいるけれど、じつは「白身」という形で存在する他人もいたのだ。
目玉焼きのように黄身と白身とに分離していた二人が、両者の入り交じったスクランブルエッグ程度にはなりそうな予感で終わるこの物語を、はたして「恋愛小説」と呼んでいいのだろうか。
古典的な恋愛劇が(あるいは「セカイ系」と呼ばれる現代小説も)「恋人たち」対「世界」という対立構図を基本とするのとは反対に、この小説では寧子と津奈木は社会と少しも対立していない。
同時収録の短篇「あの明け方の」も表題作の小さな反復のような話であり、どちらの小説でも作者によって強く肯定されているのは「恋愛」という幻想などではなくて、タイトルの指し示すとおり「生きる」ことと「愛する」ことだ。
富士山と葛飾北斎との関係をふつうは「恋愛」と呼ばないように、それらは「恋愛」なんかよりずっと、ずっと奇跡的なことなのである。
中俣 暁生「黄身と白身がまざるとき」
(なかまたあきお フリー編集者/文筆家)
本谷有希子『生きてるだけで、愛。』
4-10-301771-6
波 2006年8月号
新潮社
¥100
医師と占い師

ジョギングの効用を提唱した作家がジョギング中に心臓麻痺で死亡したり、アガリクス広告塔であった農学博士が癌で死亡したり、内科の大御所が数年間の植物状態のあとに死亡したり、何が起きるかわからないのが人生である。
予測が難しいのは病気や死ばかりではない。人生には多くの幸・不幸が待ちかまえている。
恋愛や結婚、就職や転職、投資やギャンブル、これらの成否を予測しようとして悩んでみても、とても予想できるものではない。それは人生そのものが謎に包まれ、不確実性に満ちているからである。このことから占いが流行ることになる。
人生の岐路に立ったとき、悩み抜いて出した結論と、サイコロで決めた結論、この2つの結論にどれだけの違いがあるだろうか。このサイコロにそれらしい理屈を付加したのが占いである。
占いが当たるか当たらないかは、それほどの問題ではない。人間にとって重要なのは、占いが持つ抗不安作用なのである。
占いの歴史をたどれば、人間は有史以前から占いの力に依存してきた。亀甲を焼いてヒビの様子から吉凶を占うのは約5,000年前の中国古代文明から始まった。
占星術も同時代に世界各地で発生している。易占、四柱推命は約4,000年前の中国が起源である。またタロット占いは古代エジプトに原形があるとされている。このように古代人は、占いによって神意をきき、それに従い生活をしていたのである。
近年においては、血液型占いはフランスのブールデル博士の著書「血液型と気質」に基づくもので、フロイトは夢占いを精神分析に応用していた。
ヒトラーは占星術師のアドバイスを重視し、レーガン大統領も重要な決定の前には占星術師の意見を聞いたとされている。もちろん日本でも、縄文の昔から現在に至るまで占いは日常的な習慣になっている。
姓名判断、水晶占い、人相、手相、家相、方位、おみくじ……さらには迷信、ジンクス、このように並べてみると、人生のすべてが運命によって定められているような錯覚に陥ってしまう。
占いは統計学と心理学を合体させたような遊びと考えられるが、今日でも相変わらず廃れないでいる。テレビでは今日の運勢が毎朝放映され、週の運勢は週刊誌の定番となっている。
かつての医療は加持祈祷などの宗教と深いかかわりをもっていた。「治そう」と念じる力によって病気が退散するというのが祈祷の考えであった。そして病気が改善しないのは祈りが足りないため、病気が完治したのは祈りがとどいたせい、このように都合のよい理屈が長い間くりかえされてきた。
現代医学は一応、科学を基礎としており、占いの入り込む余地はなさそうに思われている。たしかに医学の知識は飛躍的に増え、最新医療が次々に導入されている。
しかし、誰がいつ、どんな病気になるのかわからない。誰の病気が治って,誰の病気が治らないのか分からない。これは病気の肝心な部分が分からないため、医師は占い師に近い存在になることが多い。
治療は上手くゆくのか、余命は何日か、自宅安静は何日か、いずれもわかるものではない。しかし分からないでは話が進まないので、医師は思いつきでいい加減な予測をいってしまう。
科学に基づいた予測を述べたくてもデータがない。たとえあっても、集団のデータを目の前の患者さんに当てはめるのは妥当ではない。集団のデータは数値の幅が大きすぎるからである。
患者さんにとって一番知りたいのは病気の予後である。そして病気の不安から逃れるために医師に楽観的な予測を求めてくる。そして医師は、「安心して下さい。大丈夫です」などと根拠のないことを言ってしまう。
患者さんの心理は医師の断定的で楽観的な話し方、反対に気弱で否定的な話し方、この2つの話し方によって大きく左右する。そして医師の話し方によって、病状や予後に大きな違いがもたらされることになる。これを「医師のプラシーボ効果」と呼ぶが、これも立派な医療行為のひとつである。
この医師のプラシーボ効果は、患者さんが医師を信頼する程度によって効果はまるで違ってくる。医師を信頼すればするほど、医師がまじめな顔でいえばいうほど、その効果は大きくなる。
もちろん医師のプラシーボ効果についての明確なデータはないが、多くの人たちはその効果を信じていると思う。
しかし、占いが将来の不安を取り除くプラスの面とインチキ性のマイナス面を兼ね備えているように、医師の予測が間違った場合、医師はうさん臭い存在と誤解される。あの医師はこう言った、別の医師はこう言ったと非難される。
しかし、医師は分からないことを分かったように答えているのだから仕方がない。理屈があるようで理屈どおりにいかないのが医学である。
病気には分からないことが多すぎる。患者さんは医師を「病気を治すスーパーマン」と誤解しているが間違いである。医師は患者さんに「勇気を与える誠意ある占い師」の役割を兼ね備えているのである。
鈴木厚「ヒポクラテスの憂鬱」
文光堂 2002年11月30日 第1版第2刷発行
¥2,200
Sの誘惑

ここに、二人の男子中学生がいたとしよう。
どちらもキュートな笑顔の持ち主で、容貌も成績も運動もそこそこ、どっちが上とも言えない2人、サワムラ シュンスケくんと、力ワダ ツヨシくん。
さて、どっちがもてると思いますか?
私には即座に答えがわかる。サワムラ シュンスケくんの方に決まっている。
Sawamura Shunsuke……名前に配されたS字の魔法のせいだ。
13歳から20歳くらいまでの少女は、S音に格別の快感を覚えるのである。
サンリオ、サンスターなど成功したファンシーグッズの会社はみな、名前にS音を持っている。
ことばの音は、口腔内に起こる物理現象である。S音は、舌の上を滑らせた息を歯と歯茎にぶつけ、口元で乱気流を起こして出す音。
舌を滑る息は適度な湿り気を含んでいる。すなわち、S音は、口の中を吹き抜ける爽やかな風なのだ。
と同時に、滞らないスムーズなイメージを喚起する。
一方で、思春期の少女たちはホルモンバランスが悪く、身体がだるさや重さをもてあましている。
「何かがいつも滞っている」、そんな意識とイライラが彼女たちを支配しているのだ。
中学生の娘が億劫そうに動き、注意をすればキレるのは、何も心の問題ばかりではないのである。
「サワムラくん」「シュンスケ」、そう呼んだとき少女のからだを爽やかな風が吹き抜ける。
彼女の重い身体(というより意識)が一瞬軽くなってなんとも心地よく、この名の持ち立が救いの王子様に見えてしまうのだ。
とはいえ、カワダ ツヨシくんも落ち込むことはない。堅実な印象と共にある彼は、結婚適齢期の女性には好感度が高い。
このように、ことばには、音によって喚起されるサブリミナル効果(潜在意識のイメージ)がある。
どのイメージが心地よいのかは、聞く側の生理状態に依存する。
『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』は、この音のサブリミナル効果についての私の考察である。
少女たちはS音を好み、その父親世代は、少女たちが大嫌いなM音とD音を好むのである。
Mは成熟した女性の豊満なイメージ、Dは大きくどっしりしたイメージで、どちらも滞りの音。肩書きや大金を欲するオトナの男たちの音だ。
ところで、つい最近、あのマドンナが、エスターという名に改名したという。
私は、はっとした。実は、女たちがS音の魔法を欲する時期が、思春期以外にもう1回あるのである。更年期だ。
更年期のほてり滞る身体を癒すSの誘惑。
MとDで男たちを翻弄し続けたセックスシンボルが、Sの誘惑に身を委ねた。
今年46歳になる彼女が、自然に清楚な大人の女性に変わろうとしている。
彼女が持つ「自然.」の力に感銘せずにはいられなかった。それこそマドンナ改めエスターの女としての野生の強さなのだろう。
黒川伊保子「Sの誘惑」
株式会社感性リサーチ代表取締役社長
『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』
新潮新書
波 2004年8月号
キリのない欲望

欲にはいろいろ種類がある。例えば、食欲とか性欲というのは、いったん満たされれば、とりあえず消えてしまう。これは動物だって持っている欲です。ところが、人間の脳が大きくなり、偉くなったものだから、ある種の欲は際限のないものになった。
お金についての欲がその典型です。キリがない。要するに、そういう欲には本能的なというか、遺伝子的な抑制がついていない。すると、この種の欲には、無理にでも何か抑制をつけなくてはいけない。
近代の戦争は、ある意味で欲望が暴走した状態です。それは原因の点で、金銭欲とか権力への欲望が顕在化したものだから、ということだけではない。手段の点において、欲が暴走した状態である。
なぜなら、戦争というのは、自分は一切、相手が死ぬのを見ないで殺すことができるという方法をどんどん作っていく方向で「進化」している。ミサイルは典型的にそういう兵器です。
破壊された状況をわざわざ見に行くミサイル射手はいないでしょう。自分が押したボタンの結果がどれだけの出来事を引き起こしたかということを見ないで済む。死体を見なくてよい。
原爆にいたってはその典型です。「おまえがやったことだよ」とその場所を、爆破後1日たって見せてあげたら、普通はどんなパイロットだって爆弾を落としたがらなくなるでしょう。なにせ何万、何十万という被害者が目の前に転がっているのですから。
その結果に直面することを恐れるから、どんどん兵器は間接化する。別の言い方をすれば、身体からどんどん離れていくものにする。武器の進化というのは、その方向に進んでいる。
ナイフで殺し合いしている間は、まさに抑止力が直接はたらいていた。目の前にいる敵を刺せば、その感触は手に伝わり、血しぶきが己にかかり、敵は目の前で倒れていく。
異常者でもなければ、それに快感を感じることはない。だからこそ、武器は出来るだけ身体から離していきたい。その欲望を実現していき、結果として、武器による被害の規模は大きくなっていくばかりです。
よく似た現象が、経済の世界にも存在しています。お金というと、何か現実的なものの代表という風に思われがちですが、そうではない。カネは脳が生みだしたものの代表であり、また脳の働きそのものに非常によく似ている。
脳の場合、刺激が目から入っても、耳から入っても、腹から入っても、足から入っても、全部、単一の電気信号に変換する性質を持っている。神経細胞が興奮するということは、単位時間にどれぐらいのインパルスを出すか、単位時間にどれだけ興奮するかということです。
これはまさにお金も同じです。目から入っても、耳から入っても、1円は1円、百円は百円と、単一の電気信号に翻訳されて互いに交換されていく、ある形を得たものです。
これは、目で見ようが耳で聞こうが同じ言葉になるのと同じで、どのようにしてカネを稼ごうが同じカネなのです。カネの世界というのは、まさに脳の世界です。
カネのフローとは、脳内で神経細胞の刺激が流れているのと同じことです。それを「経済」と呼称しているに過ぎない。この流れをどれだけ効率よくしようか、ということは、脳がいつも考えていることです。経済の場合にはコストを安くしてやろうという動きになる。
かつては、お金を貯めて大きな家を作りたい、車を買いたいと、カネと実物が結びついていた。もちろん、今でもそういうことはあるにせよ、どんどん現実から遊離していって、今は信号のやりとりだけになっている。
ビル・ゲイツが何百億ドルかを持っているということは、彼が何百億ドルかを使う権利を持っているということに過ぎない。お金に触ってすらいない。武器でいえばミサイルとか原爆と同様の世界になっている。
欲望が抑制されないと、どんどん身体から離れたものになっていく。根底にあるのは、その方向に進むものには、ブレーキがかかっていない、ということです。
養老孟司「バカの壁」
新潮新書
2003年4月10日 発行
2003年7月10日 14刷
¥680
ようろう たけし
1937(昭和12)神奈川県鎌倉市生まれ
1962 東大医学部卒 解剖学
現在 北里大学教授
飲茶の歴史と文化

中国での喫茶の記録は古く三国志の時代まで遡りますが、唐の時代の茶人である「陸羽」が著した「茶経」は、茶を体系化し、文化の域まで確立させたと言わせるほどの世界最古の総合的な茶の本です。以後、陸羽は中国の茶祖として崇められています。
日本では、1211年栄西禅師が71歳の時に「茶は養生の仙薬なり、延齢の妙術なり。山谷之を生ずれば其の地神霊なり」から始まる「喫茶養生記」を著し、3代将軍源実朝に献上しています。
人は長生きをするためには五臓を大切にしなければならない、特に心臓は大切で心臓には茶が良いなど、茶の効果とともに桑の薬用効果を著しています。
平安時代の終わりに沈滞していた飲茶の習慣を再び呼び覚ます上で非常に大きな役割を果たしました。日本の茶祖は栄西とされる所以でもあります。
栄西禅師が宋より伝えた飲み方は、茶葉を蒸して乾燥させ、粉末にして茶碗に熱湯を注ぎ泡をたてて飲む方法が解説されています。当時は薄茶に近い飲み方が主流でした。
室町時代になりますと千利休により、抹茶をたてて飲むことで精神を修養し、必要最小限にこだわる「寂」の精神が完成され日本独自の文化にまで確立していきました。
江戸時代になると日本で黄檗宗の開祖「隠元禅師」により茶を手軽に飲む釜妙り散茶の方法が導入され、庶民の間にも茶を飲む風習が浸透します。
その後、京都の茶業家「長谷宋円」により手揉みの煎茶製法が開発され、江戸の茶商「山本嘉兵衛」により広められたため自由に茶を味わう人びとが増えていきました。
煎茶の祖と称される肥前国(佐賀県)出身の「高遊外売茶翁」も京都にて通仙亭を開き、売茶生活を行い茶の普及に貢献しています。
喫茶の習慣が広まるにつれて茶は全国で栽培されるようになり、生産量も増加し、明治時代にかけて生糸とともに茶は輸出品目となり、今日の茶の産地が確立されていきました。
茶の産地は、京都、静岡、三重、鹿児島など全国各地に広がり、新しい品種改良も進み、その土地の気候風土がそれぞれの特徴を持った茶を生み出しています。
多良 正裕「日本茶発祥の地を訪ねて」
大塚薬報
2006年7/8月号
いれずみ物語

昔、沖縄・奄美大島など西南諸島の女性はこぞって手の甲にいれずみをした。
浄土宗の碩学、袋中が、『琉球神道記』に、「(前略)又女人の針衝(女人ハ掌ノ後ニ針ニテシゲクツヰテ墨ヲサスナリ)何事ゾヤ。……」とあり、小原は「これは琉球語<ハヅキ>の語源について述べた最初のものである」と記している。
このいれずみを沖縄や奄美では「ハジチ」「ハヅキ」などという。すなわち「針突」である。大人になった証、通過儀礼としてのいれずみであった。
幕末の頃、奄美ではいれずみの代価として米三升が杣場で、それでいれずみすることを「三升突き」ともいった。明治30年代まで行われていたらしい。
奄美では廃藩置県に伴って、それ以外の沖縄・宮古、そして八重山は明治12年に沖縄県となった。明治政府はその発足に伴っていれずみ禁止令を出したが、沖縄のみはその事情を考慮して明治32年になって禁止令を発令した。
しかしながら、風俗としていろいろな意義を有するハヅキを隠れて入れた女性は少なくなかった。
それでも次第にこの風習は消え去り、現在これを見ることはまずないが、まれに、最近まで高齢者の手に鮮やかに残っていた。
ハンセン病療養所・宮古南静園の菊池一郎園長が平成7年赴任した際、当時95歳の老女の手に典型的なハヅキを見て感激した。
ハヅキは女性の誇り、あこがれであり、その老女もそれを自慢の種にしていたという。宮古島でハヅキは、昭和の初めに行われたのが最後らしい。
いずれにせよ、年齢的な要因からも、現在もうハヅキを見ることはまずない。
奄芙などの民謡に「トジ欲しゃもちゅとき 夫欲しゃもちゅとき あやハディキふしゃや命かぎり」(妻ほしさも一時、夫ほしさも一時、入れ墨欲しさは私の命かぎり)と詠われている。
男にもそれは魅力で「腕あげりゃあげり あやハディキ拝も胸あきりあきり
玉乳拝も」(腕をあげてきれいに彫られた貴女の入れ墨を拝ましてくれ、胸をあけて、玉のようなにきれいな貴女の玉乳を拝ましてくれ)と島唄にある。
それにしても、なぜ南嶋の女性はいれずみにかくもこだわってきたのであろうか。若いきれいな皮膚に青が映えて、男をそそるだけではあるまい。
なぜ南嶋にこの習俗が始まったかについて、西暦14世紀の中葉、中山王察度の時に、中山再興の神宮・聞得大君が久高島参詣の途中暴風に遭って日本に漂流した話に伴った伝承がある。
聞得大君の行方不明後、凶年が続いたので、捜索に出かけ紀伊の国にいた彼女を連れ戻したが、なぜか御殿に入るのを拒んだ。
その理由のひとつとして伝承では、紀伊の国の片田舎の村長の妻になっていたので、再び聞得大君御殿に入るのを遠慮したという。
さらに村長の厄介になって、とうとう結婚を申し込まれたので、不承々々に結婚することになったのを、一人の侍女の機知で、手の甲に入れ墨をして三三九度の杯を行ったが、男が杯を差し出した時、女君が例の手を差し出すと、男はびっくりして杯を落としたので、不吉だといって、式がおじゃんになったという話もある。
そういう訳で手の甲にいれずみをしていると、大和に連れて行かれないということにもなった。
その他にもいろいろな話が伝わっている。市川は沖縄全体に共通する理由として、死後、先祖に会ったとき、そのいれずみが子孫であることの証明だとするというのである。
若い娘が死んで、未だ針突をしていなかった場合には、納棺に際してその娘の手に針突の文様を筆で描き加えてやったという。
「あやはづきや 欲しや命まぎり、それが後生迄の形見」と詠われている。
小原はいれずみを詠った多くの歌謡から、
1) 入れ墨に永世の観念があったこと、
2) 島によって特定の人れ墨施術者がいたこと、
3) 結婚と不可分の関係があったこと
4)手の甲の入れ墨は水草の花の色を思わせる美しい青い色を帯びていること
を指摘している。
女の自慢であった針突も、針突禁止令以後、風俗改良の名のもとそれが軽蔑される風潮が生まれ、大正5年に象徴的な事件が発生した。
フィリピンに針突を入れた女性が移民してきたことに憤慨した現地の沖縄の人たちが、対応策を話し合うために県人会を設立した。
「比律賓の富源は今後いくらも沖縄青年の出稼ぎを歓迎するのだから、彼等3名の入墨女の為に本県人に恥をかかせるのに忍びないと、気の毒ながら彼等を送還することになったとの事である」と琉球新報(1916・7・22日付)が報じた。
また、明治の頃の話として、奄美出身で東京の官界で出世した人が、母親を東京へ呼び寄せたが、手のいれずみを気にして人前に出るのをはばかり、夏でも手袋を用いていたが、再び島に戻ってしまったという。
紡績女工として本土に働きに来た人の中には、手に硫酸をかけて針突を消した者もいるという。
針突が禁止されて100年を超えた今、若い人たちがファッション感覚でいれずみするのを、彼女たちは友国でどう見ているのだろうか。
小野 友道「南嶋の女のいれずみ」
(熊本大学理事・副学長)
いれずみ物語 6
大塚薬報 2006/No 617
2006年7・8月号
大塚製薬工場