医師と占い師 | 月かげの虹

医師と占い師


ジョギングの効用を提唱した作家がジョギング中に心臓麻痺で死亡したり、アガリクス広告塔であった農学博士が癌で死亡したり、内科の大御所が数年間の植物状態のあとに死亡したり、何が起きるかわからないのが人生である。

予測が難しいのは病気や死ばかりではない。人生には多くの幸・不幸が待ちかまえている。

恋愛や結婚、就職や転職、投資やギャンブル、これらの成否を予測しようとして悩んでみても、とても予想できるものではない。それは人生そのものが謎に包まれ、不確実性に満ちているからである。このことから占いが流行ることになる。

人生の岐路に立ったとき、悩み抜いて出した結論と、サイコロで決めた結論、この2つの結論にどれだけの違いがあるだろうか。このサイコロにそれらしい理屈を付加したのが占いである。

占いが当たるか当たらないかは、それほどの問題ではない。人間にとって重要なのは、占いが持つ抗不安作用なのである。

占いの歴史をたどれば、人間は有史以前から占いの力に依存してきた。亀甲を焼いてヒビの様子から吉凶を占うのは約5,000年前の中国古代文明から始まった。

占星術も同時代に世界各地で発生している。易占、四柱推命は約4,000年前の中国が起源である。またタロット占いは古代エジプトに原形があるとされている。このように古代人は、占いによって神意をきき、それに従い生活をしていたのである。

近年においては、血液型占いはフランスのブールデル博士の著書「血液型と気質」に基づくもので、フロイトは夢占いを精神分析に応用していた。

ヒトラーは占星術師のアドバイスを重視し、レーガン大統領も重要な決定の前には占星術師の意見を聞いたとされている。もちろん日本でも、縄文の昔から現在に至るまで占いは日常的な習慣になっている。

姓名判断、水晶占い、人相、手相、家相、方位、おみくじ……さらには迷信、ジンクス、このように並べてみると、人生のすべてが運命によって定められているような錯覚に陥ってしまう。

占いは統計学と心理学を合体させたような遊びと考えられるが、今日でも相変わらず廃れないでいる。テレビでは今日の運勢が毎朝放映され、週の運勢は週刊誌の定番となっている。

かつての医療は加持祈祷などの宗教と深いかかわりをもっていた。「治そう」と念じる力によって病気が退散するというのが祈祷の考えであった。そして病気が改善しないのは祈りが足りないため、病気が完治したのは祈りがとどいたせい、このように都合のよい理屈が長い間くりかえされてきた。

現代医学は一応、科学を基礎としており、占いの入り込む余地はなさそうに思われている。たしかに医学の知識は飛躍的に増え、最新医療が次々に導入されている。

しかし、誰がいつ、どんな病気になるのかわからない。誰の病気が治って,誰の病気が治らないのか分からない。これは病気の肝心な部分が分からないため、医師は占い師に近い存在になることが多い。

治療は上手くゆくのか、余命は何日か、自宅安静は何日か、いずれもわかるものではない。しかし分からないでは話が進まないので、医師は思いつきでいい加減な予測をいってしまう。

科学に基づいた予測を述べたくてもデータがない。たとえあっても、集団のデータを目の前の患者さんに当てはめるのは妥当ではない。集団のデータは数値の幅が大きすぎるからである。

患者さんにとって一番知りたいのは病気の予後である。そして病気の不安から逃れるために医師に楽観的な予測を求めてくる。そして医師は、「安心して下さい。大丈夫です」などと根拠のないことを言ってしまう。

患者さんの心理は医師の断定的で楽観的な話し方、反対に気弱で否定的な話し方、この2つの話し方によって大きく左右する。そして医師の話し方によって、病状や予後に大きな違いがもたらされることになる。これを「医師のプラシーボ効果」と呼ぶが、これも立派な医療行為のひとつである。

この医師のプラシーボ効果は、患者さんが医師を信頼する程度によって効果はまるで違ってくる。医師を信頼すればするほど、医師がまじめな顔でいえばいうほど、その効果は大きくなる。

もちろん医師のプラシーボ効果についての明確なデータはないが、多くの人たちはその効果を信じていると思う。

しかし、占いが将来の不安を取り除くプラスの面とインチキ性のマイナス面を兼ね備えているように、医師の予測が間違った場合、医師はうさん臭い存在と誤解される。あの医師はこう言った、別の医師はこう言ったと非難される。

しかし、医師は分からないことを分かったように答えているのだから仕方がない。理屈があるようで理屈どおりにいかないのが医学である。

病気には分からないことが多すぎる。患者さんは医師を「病気を治すスーパーマン」と誤解しているが間違いである。医師は患者さんに「勇気を与える誠意ある占い師」の役割を兼ね備えているのである。

鈴木厚「ヒポクラテスの憂鬱」
文光堂 2002年11月30日 第1版第2刷発行
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