神々のメッセージ | 月かげの虹

神々のメッセージ


身体の病気には処方箋というものがあり、それに従って調剤すると、ちゃんと病気がよくなり健康になる。有難いことである。

ところが、心の病気には、残念ながらそのような処方箋はない。例えば、不登校のための「処方箋」などがあれば、まことに 有難いし、夫婦喧嘩の処方箋などというものがあれば、誰でも欲しいと思うだろう。

ところが、そのような万人共通の 処方箋などないのが、人間の心の特徴である。それならば、神々はどんな風に生きておられるのか、「神々の処方箋」などというものがあるのか、見てみるのも一興ではなかろうか。

現代人のわれわれにとって、神話は 多くの示唆を与えてくれるものである。神々についての物語を人間の内界の住人についての物語としてとらえることも可能である。

神々の姿は、人間の内的体験を表すのに適している。太陽=神ではなく、ある人にとって山頂で太陽が昇るときの感動がすなわち神体験なのである。これは言うならば、そのとき内界に顕現した太陽の女神(アマテラス) を拝んでいるのである。

このようなことを忘れ、科学技術と結び付く外的事実のみに注目すると、神話は「絵空事」ということになってバカにされることが多い。 そして神話を否定し去り、便利で快適な生活を築き上げながら、不安とストレスに苦しめられているのが現代人であろう。

それは、神話が試みてきたように、自分という存在をこの世界の中にどう位置づけるのか、自分が生まれ、死んでゆくという事実をどのように納得するのか、という問いに対する答えを見失ってしまったからである。

今では一般には「神話」などと言うと馬鹿にされることの方が多い。何かの考えを非難するときに、 「00 神話」とか「神話のような」と言うことがある。

それは「まことしやかに聞こえるが、虚偽のことである」ということを意味している。かつては 神話の語る内容を外的事実として受け入れた時もあったが、近代科学が進歩していろいろと外的事実に関する知識が増えるにつれて、神話の価値が下落していったからである。

古代の人々はすべて神話と共に生きていた。もちろん、それは各文化特性に従ってさまざまであったが、その文化に属する人々はすべてそれを信じて生きてきた。

つまり、 人々は自分の住む世界と調和した世界観の中で生きてきた。換言すると、彼らは自分の内界 の住人たちとうまく付き合っていたのだが、外部の自然現象にどう対応するかについては、あまり力がなかった。

これに対して、現代人は外的なことには上手に対応しているのだが、内的な落ち着きを失ってしまっている。失われた神話を取り戻そうと、思春期の子どもたちは、あちこち落書きしたり、ガラスを割ったり、誰かをいじめたり、といろいろなことをやってみるが、それほどうまくはゆかない。

ここで急に張り切ると、国をあげて---とまではいかないにしろ---集団をつくって、偽神話を信じて頑張ろうということになると、これはオカルトにつながる道である。

このようなことを避け、「自分の生活に関わりのある神話的な様相を見つけていく」ために、われわれは人類がいったいどんな神話を持ってきたのか、それは現代人の生き方とどのように関連するのか、などについてよく知る必要がある。

21世紀は、一度 否定し去った神話を、再生させるという課題を背負っている。このためにも、やはり神話を読み直してみることは必要であろう。

河合隼雄「神々の処方箋」 新潮社 より抜粋引用