飲茶の歴史と文化
中国での喫茶の記録は古く三国志の時代まで遡りますが、唐の時代の茶人である「陸羽」が著した「茶経」は、茶を体系化し、文化の域まで確立させたと言わせるほどの世界最古の総合的な茶の本です。以後、陸羽は中国の茶祖として崇められています。
日本では、1211年栄西禅師が71歳の時に「茶は養生の仙薬なり、延齢の妙術なり。山谷之を生ずれば其の地神霊なり」から始まる「喫茶養生記」を著し、3代将軍源実朝に献上しています。
人は長生きをするためには五臓を大切にしなければならない、特に心臓は大切で心臓には茶が良いなど、茶の効果とともに桑の薬用効果を著しています。
平安時代の終わりに沈滞していた飲茶の習慣を再び呼び覚ます上で非常に大きな役割を果たしました。日本の茶祖は栄西とされる所以でもあります。
栄西禅師が宋より伝えた飲み方は、茶葉を蒸して乾燥させ、粉末にして茶碗に熱湯を注ぎ泡をたてて飲む方法が解説されています。当時は薄茶に近い飲み方が主流でした。
室町時代になりますと千利休により、抹茶をたてて飲むことで精神を修養し、必要最小限にこだわる「寂」の精神が完成され日本独自の文化にまで確立していきました。
江戸時代になると日本で黄檗宗の開祖「隠元禅師」により茶を手軽に飲む釜妙り散茶の方法が導入され、庶民の間にも茶を飲む風習が浸透します。
その後、京都の茶業家「長谷宋円」により手揉みの煎茶製法が開発され、江戸の茶商「山本嘉兵衛」により広められたため自由に茶を味わう人びとが増えていきました。
煎茶の祖と称される肥前国(佐賀県)出身の「高遊外売茶翁」も京都にて通仙亭を開き、売茶生活を行い茶の普及に貢献しています。
喫茶の習慣が広まるにつれて茶は全国で栽培されるようになり、生産量も増加し、明治時代にかけて生糸とともに茶は輸出品目となり、今日の茶の産地が確立されていきました。
茶の産地は、京都、静岡、三重、鹿児島など全国各地に広がり、新しい品種改良も進み、その土地の気候風土がそれぞれの特徴を持った茶を生み出しています。
多良 正裕「日本茶発祥の地を訪ねて」
大塚薬報
2006年7/8月号