禁煙ファシズム | 月かげの虹

禁煙ファシズム


禁煙ファシズム

このところ、ほとんど「牙を剥き出す」ようになった反たばこキャンペーンは、みごとにファシズムであって、大衆病理現象の典型なので、ぜひ触れておきたい。

この「禁煙ファシズム」について、たばこが健康に害があるという研究の多くが疑わしいものであることは、斎藤貴男の「人間破壊列島」(太陽企画出版)に収められた「禁煙ファシズムの狂気」に詳しい。

だが、 斎藤の言うようなことがあちこちで指摘されていても、まるで耳を傾けようとしないのがマスメディアで、「毎日新聞」を筆頭に、「朝日新聞」も一丸となって反たばこキャンペーンを繰り広げており、「多様な意見」を載せるどころか、最近の両新聞紙上で喫煙を擁護するような文章にはまずお目にかからない。

劇作家・評論家の山崎正和が「禁煙ファシズム」を懸念する文章を「毎日新聞」紙上に書いたら、反たばこ活動家が新聞社に乗り込んできた、と斎藤は書いている。

反対意見を述べる者があれば社会の敵であるかのように見なし、たばこを撲滅することが絶対の正義だと信じられ、これに逆らうことは許されないという。

これは紛れもないファシズムである。「民族浄化」の掛け声と、「たばこをなくせ」とはよく似ている。反たばこ論者が感情的なのも、やはりファシズム的である。

もちろんこの種の反たばこファシズムは、米国あたりから来たものである。ところがジョージ・ブッシュの「正義の押し付け」に反対の声をあげる連中がその同じ口でたばこを排斥するのだから、呆れる。

なるほど、たばこを吸っていると健康に悪影響があることぐらいは認めよう。しかしこの世には健康に良くないことなどほかにいくらでもあるのだ。

過重労働、酒の多飲、満員電車の通勤のストレス、ファーストフードの蔓延、特に最後のものなど、いくらたばこを規制してもその効果を打ち消して現在の若者の寿命を縮めるだろう。

いや、当人が病気になるのは当人の責任だからいいが、周囲の人びとに迷惑をかけるから許せないのだ、と反対派は言うだろう。

この「迷惑」のうち、身体に害を及ぼす、という面と、不快である、という面とがある。後者について言えば、何をか言わんや、嫌煙権が認められるなら嫌ブス権もあってしかるべきだろう。

だいたいクルマが他人に及ぼす迷惑たるや、たばこの比ではあるまい。直接殺傷を引き起こすし、大気汚染についてはたばこどころではない。低公害車の普及が図られているが、事故による殺傷はそれとは無関係だ。

たばこは百害あって一利無し、など言っていた自動車会社の重役がいた。クルマには「利」があると言うのだろう。だが、いったいこの日本を走り回っているクルマのうち、本当に生活の必要に裨益するために走っているものがどれほどあるというのか。

そう、実に多くの人間が「娯楽」のために「走る凶器」に乗っていながら、たかだかたばこの路上喫煙ぐらいでがあがあ騒ぐという、この理不尽さもまた、ファシズムに一特徴であろう。

だいたい日本は「少子高齢化」で困っているではないか。子どもの数が少ないだけなら、徳川時代にもあったことで、経済成長さえ諦めれば済む。高齢化こそ問題なのに、これ以上長生きさせてどうしようというのだ。

もちろん、若死にしたくないという心情はわかる。若死にの原因は、自殺のほかは遺伝性あるいは突発性の疾患であって、健康に留意していてどうなるものでもない。

仏教は「生」その他に執着することこそ人間の不幸の根源だと教えている。それがどうしてこうも生命に執着する命根性の汚い国民になってしまったのだろうか。

小谷野敦「大衆社会を裏返す」
新潮社 2003年春号「考える人」
特集「からだに訊く」より抜粋