育児の哲学書
大きくなる、成長するという意味の古語に「ひとなる」がある。漢字で示すなら「人・成る」。
本書はまさに人間になるための、具体的には日本人に育て上げるための育児書、それも育児のハウツーにとどまらず、育児の精神を説くという意味で育児の哲学書とでも呼びたくなる内容だ。
著者は、これまでに接した子供の患者が50万人、キャリア40年の現役の小児科医である。
昨今、どうも母子の関係が希薄になってきた、いびつな心の青少年が増えてきた、という日頃の実感の中から本書は生まれた。
なぜ、そうなったのか、そうならないためには何をなすべきか。
人間は文化の中に生まれ落ちる。文化というのは生活の型、生きてゆく上での必須の型のことだ。
動物の行動パターンのように生得のものでない以上、型は代々子供に教え込んでゆくしかない。
そうした文化を共有する一定のまとまりがドイツ人、日本人、アメリカ人、ロシア人、中国人……ということになる。
人間は母国語の中に生まれ落ちるのと同様、文化の中に生まれ落ちるのであって、無国籍者としては生きてゆかれない。
文化がそうしたものである以上、従来どの文化も自分たちの型を次代に伝える独自な方法、育児法を有していた。
しかるに戦後の日本は、昭和21年の「アメリカ教育使節団報告書」や41年の『スポック博士の育児書』にコロリと参るかたちで、自分たちの育児法を簡単に捨ててしまった。
いわく、抱き癖は子供の自立心を妨げる、母乳より人工乳の方が栄養バランスがいい、と。
背景にあるのは「子供には無限の可能性があるのだから、それを自由に伸ばしてやるのが教育」だとするデューイの思想で、個体であると同時に共同体に属して生きてゆくしかない人間の二面性のうち、個体性のみを重視する。
かりに人間の生が個体にだけ宿るのなら、わざわざ共同体の作法を教える必要もなく、自由放任がよいことになる。
その自由放任の弊、ようやく見過ごしがたいのが二ートやひきこもり、すぐにキレる青少年といった昨今の世相だという。
育児の要諦は結局、共同体に属する人間、まともな日本人を育て上げることに尽きる。
より正確にいうなら、そうした教育を後に受け入れることのできる素地を、妊娠期、乳幼児期に作り上げることだ。
著者の提言は、つねに臨床医としての知見に裏打ちされていて具体的、まさに目からウロコの思いがする。
たとえばインプリンティング、アタッチメント理論と呼ばれるものがある。生後6ヶ月までに赤ん坊はだれが自分を保護してくれる親であるかを認識し、3~4歳くらいまでその親から十分な愛情を受けることによって成長のための核が形成される必要がある。
おんぶに抱っこ、大いに結構。四六時中、母子がいっしょにいることでそれらは達成されるというから、「仕事か育児か」の選択は本来ありえないものらしい。
稲垣真澄 「育児の哲学書」
いながき・ますみ 産経新聞文化部編集委員
波 2006年7月号
¥100
田下昌明『真っ当な日本人の育て方』
4-10-603566-9
新潮社