【連載】『令和5年度卒業記念特集』第44回 水町泰杜/男子バレーボール | 早スポオフィシャルブログ

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「仲間のために戦い続けた4年間」

 

 水町泰杜(スポ=熊本・鎮西)。強豪の鎮西高でエースとして躍動し、大学入学前から全国にその名をとどろかせた。1年時からスタメンとして、そしてラストイヤーでは主将として早大バレーボール部の支柱となってきた。世代を代表する選手でありながらも、周囲からの評価に慢心することなく、常にチームのために高みを目指し続けた水町の早大での4年間を振り返る。


試合中は積極的に仲間とコミュニケーションを取っていた

 水町のバレーボール人生は小学校1年生の時に幕を開けた。中学時代にはJOCジュニアオリンピックカップ全国都道府県対抗中学大会において熊本県選抜入りを果たすなど、着実にキャリアを積んできた。進学した鎮西高では1年生ながら全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)にスタメン出場。決勝点を決め見事日本一をつかみ取った。しかし、迎えた最後の春高バレーでは、2大会ぶりの優勝を目標に挑むも準々決勝敗退。試合後は「もっとバレーがしたかった」と涙した。

 

 進路に多くの注目が集まる中、畑野久雄監督(鎮西高)の勧めと、環境が整っていることから早大への進学を決め、新たなバレーボール生活が始まる。入学当初は「試合に出ること」を目標としたが、新型コロナウイルスの影響により、試合はおろか、練習もできない状況に置かれた。それでも練習が再開されると、多くの選手が入学後に苦戦する高校と大学のバレーのシステムの違いにも徐々に慣れていった。

 

 新型コロナウイルスの影響が落ち着いた3年時は、日本代表の活動で部を抜けていた大塚達宣(令5スポ卒=現パナソニックパンサーズ)に代わり、水町がチームをけん引した。主力選手を欠いたことで水町はプレッシャーを感じたのかと思いきや、「レギュラーがいなくても、(試合を)できるメンバーで最善を尽くす」と、前を向き続けた。しかし、結果は春季関東大学リーグ戦(春季リーグ)、東日本大学選手権(東日本インカレ)、秋季関東大学リーグ戦(秋季リーグ)では無冠、そして全日本大学男子選手権大会(全日本インカレ)3位。「4年生のために」と全日本インカレ優勝を目指していた水町にとって、この敗戦はあまりにも悔しいものだった。激闘の準決勝はフルセットまでもつれ込み、迎えた最終セット。水町にトスが集まったことで相手に徹底的にマークされ、立て続けにブロックに捕まる。普段は緊張しないという水町だが、この時は「本当に体が震えた。俺が4年生を終わらせてしまう」と感じた。試合後には「託されたものの重みがすごく、最後思いにこたえられなくてものすごく悔しかった」と振り返った。

 「去年のような思いを後輩にさせないように」と挑んだラストイヤー。その思いのとおり、早大は見事春季リーグ、東日本インカレ、秋季リーグ、全日本インカレで大学バレー四冠を果たした。結果だけを見れば、早大はまさに「圧倒的王者」。しかし、その道のりは決して平たんなものではなかった。

苦しい時もプレーで仲間を引っ張ってきた

 

 最後の1試合を残し、早くも優勝を決めた春季リーグ。それまで全勝で試合を勝ち進めていた早大の残す目標は「全勝優勝」。しかし、迎えたリーグ戦最終日、全勝優勝をあと一歩のところで中大に阻まれた。試合後に水町は「後輩にいい思いをさせたかった」と悔しがりながら、次の東日本インカレに向けて冷静に課題を分析した。

 

 その約1か月後に開催された東日本インカレ。課題として残ったのは準決勝の明大戦だ。4年生が大会直前まで教育実習でチームを離れていたこともあり、リーダーシップを取ることができず、松井泰二監督(平3人卒)からは4年生に「だらしない」と厳しい言葉が向けられた。

 

 下半期最初の公式戦である秋季リーグ。所々でチームとして点を取り切ることができず、水町にトスが集まることも多かった。それでも主将の意地を見せ、チームを全勝優勝に導き、全日本インカレに向けて勢いをつけた。

 

 そして迎えた全日本インカレ。学生バレーの集大成となる試合。この1年間、苦しい時間も大学バレーの頂点を取るために乗り越えてきた。水町自身もこの試合にかける思いは強く、今まで以上に同期や後輩を勝たせたいと感じていたという。そのためか、試合ではところどころで水町らしくない荒いプレーが見られた。「どこかでプレッシャーを感じていたのかもしれない」、後にそう振り返った。それでも水町だけでなく、同期や後輩、一人一人が役割を全うした結果、失セットは慶大戦の1セットのみ。他はストレート勝利で見事優勝を決めた。

 

 この大会を通しての水町の打数はこれまでに比べ少なかった。それでも「同期や後輩が輝いてくれれば僕はそれでいい」と自分よりも仲間の活躍を喜んでいた。水町がたびたび口にしてきた「仲間のために」という言葉。苦しくても戦い続けたその原動力は「いい仲間に巡り合えて、そういう人を勝たせたい」という思いだ。この1年間は、チームの柱という役割ゆえの苦しさもあった。しかし、いつでも一緒に戦ってくれた仲間と最高の景色を見ることができ、やりがいを感じた1年でもあったという。

全日本インカレ閉会式では松井監督と喜びを分かち合った

 

 学生バレーを引退した水町はVリーグDivision1所属のウルフドッグス名古屋(WD名古屋)とトヨタ自動車ビーチバレーボール部に所属し、インドアとビーチバレーの二刀流に挑戦する。すでにWD名古屋ではたびたび試合に出場、活躍し、その存在感をアピールしている。Vリーグ初の二刀流という挑戦に対し、「インドアもビーチも、バレー界に少しでも影響を与えて盛り上げたい」と語った水町。そんな水町の目指す人間像は「周りの人から信頼されて、必要とされる人間」。もう十分周りから信頼、必要されているともいえるが、決してここで慢心しないのが水町だ。そんな彼は、これまでも、そしてこれからも、その名をバレーボール界に刻んでいくのだろう。

(記事、写真 町田知穂)