【連載】『令和5年度卒業記念特集』第45回 伊藤吏玖/男子バレーボール | 早スポオフィシャルブログ

早スポオフィシャルブログ

早稲田大学でスポーツ新聞を製作する「早稲田スポーツ新聞会」、通称早スポの公式ブログです。創刊から64年を迎え、600号も発行。ブログでは取材の裏話、新聞制作の秘話、現役大学生記者の苦悩を掲載‥これを読めば早スポ通になれる!

「成長できる場を選び続けて」

 

 下級生からミドルブロッカーとして早稲田のバレーの守備を支え、ラストイヤーでは副将を務めた伊藤吏玖(スポ=東京・駿台学園)。部員の中では普段寡黙で穏やかな方で、「堅実」という言葉が似合うプレースタイル。ただ、彼の競技人生は挑戦にあふれていた。卒業後にもプロとしてバレーボールに向き合うことが決まっている今、その原点と軌跡を振り返ってみたい。

 それまでスポーツに打ち込んだことがなかったという伊藤が、バレーボールと出会ったのは中学1年生の時のこと。その頃から身長が高かった伊藤は、顧問の先生や先輩から熱烈な勧誘を受けた。「サッカーやバスケといった競技に比べると親しみのないスポーツ」という印象だったバレーボールだが、「持たず」「落とさず」といった競技特性や、手のひらでボールをヒットする感覚、全てが新鮮で楽しく、即決で本入部を決めた。中学校3年生でJOCに選出されると、いずれチームメートとなる水町泰杜(スポ=熊本・鎮西)を含めた全国の猛者たちを相手にすることとなり、「こんな怪物がいるのか」とただただ圧倒された。すっかりバレーにハマっていた伊藤は高校の進路選択に悩む。そこで目にしたのは駿台学園高のバレーだった。実際に試合を見学してその実力に一目惚れし、「ここが一番、自分は上手くなれる」と入学を決めた。実際、駿台学園高での経験は、伊藤のバレーボールに対する考え方を大きく変え、バレーボーラーとして成長させた。「選手自身が考えてプレーすること」を大事にする指導や、チームルール・システムが徹底されたプレースタイルは、今思えば早稲田のバレーとの親和性も高かった。

黒鷲旗でサーブを打つ伊藤

 

 早大を選んだのは、駿台学園高の先輩である村山豪(令3スポ卒=現ジェイテクト)や、武藤鉄也(令2スポ卒=現東京GB)らミドルブロッカー陣を見てのこと。ブロックの動きの全てが洗練されていると感じ、「ミドルとして成長できるのは早稲田」と考えた。憧れであった村山と1年被るため、何か学べるかもしれないという思惑もあった。実際に様々なことを学べた一方で、「同じことをしていても追いつけないから、自分は違うベクトルで尖らせていかないといけない」とも感じた1年目となった。2年生で早くも試合に出る機会があり、3年生ではミドルブロッカーのスターティングメンバーとして基本固定になった。しかし、まだ「高校時代の貯金で出してもらっている」と、自分が良いプレーをしてチームに貢献した実感がわかなかった。ターニングポイントは3年時の全日本大学選手権(全日本インカレ)。エースが怪我をした状態で水町にマークが集中するのを目の当たりにし、フルセットの末の敗戦に涙をのんだ。「このままではだめだ」。伊藤はクイックが得意ではなく、ブロックを強みとしていた。しかしこの試合を通して、「ミドルの攻撃がある程度使えなければ、勝てる試合も勝てない」と強く実感した。そこから、冬の期間を利用してクイックの猛特訓が始まった。それまでは、セッターの前田凌吾(スポ新3=大阪・清風)がルーキーながら攻撃の要を担っているという責任の重さが理解できる故に、トスへの注文も付けにくかった。しかし思いきって1回1回話し合いながら、求めているトスをすり合わせていくことで、4年生に上がる頃には安定したコンビネーションが完成した。

仲間と得点を喜びチームを盛り上げた

 

 ラストイヤーでは副将を務めた伊藤。主将の水町や主務の布台駿(社=東京・早実)を支えるために、チームを盛り上げる意識を持って声掛けを徹底的にしようと考えていたという。ただ、元々発信するのが苦手で、秋リーグくらいまではなかなか上手くいかない状態が続いていた。プレー面でも、ブロックでの反省点が多く、「不甲斐なかった」と振り返る。しかし、全カレでは秋季関東大学リーグ戦が終わってからブロック強化を掲げて練習したことが功を奏した。チームとしてはブロックがかみ合い、相手の攻撃の選択肢を狭めた。個人としても今までやってきたことを出し切り、4年間を通して掲げていた理想像に近付いた。それは憧れの村山とは違う方向性に伸ばさなければと悩み、考え続けて行きついた答え。「ルールや戦術を徹底することでチームの歯車として上手くフィットする、堅実なミドル」だ。声掛けという面でも、自分のプレーが上手くいかない時でも気落ちせずにチームに声をかけ続けてきた。その先に勝ち取った優勝、四冠達成。成し遂げたことの大きさに素直に喜びを感じたのと同時に、「共に戦ってきた同期・後輩、昨年悔しい思いをした先輩たちに良い報告ができてよかった」、「支えてくれたたくさんの人に良い姿を見せることができてよかった」と、いろいろな思いがあふれて涙が出た。

全日本インカレで優勝を決めた直後の伊藤と水町


 卒業後は東京グレートベアーズ(東京GB)でプレーすることが決まっている。偶然、中学2年生の時に東京GBの前身であるFC東京のバレー教室に参加したことがあった。当時は選手たちに対して、「自分とは遠く離れたすごい世界に生きている人たち」という印象を抱いたが、今度は自分がそこに立つのだと思うと感慨深いという。中学という比較的遅い時期にバレーを始めたにもかかわらず、段階的に飛躍的な成長を遂げてプロに上り詰めた伊藤。振り返ると、人生を通していつも成長できる場を選んできた。今回もそうだ。このチームを選んだ理由は、自分が東京出身であることが一つ。もう一つは、結果を求めるだけでなく、バレー教室の活動やSNSの活用、さまざまな企業とのコラボを通して、バレーの楽しさを伝えるという、東京GBにしかない魅力があることだった。「声が低くて、表情が変わりにくい自分が変われるチャンスかなと思った」。寡黙で堅実で人の良さに溢れ、愛されキャラな早稲田の伊藤。それはそれで非常に魅力的だ。しかし、1人のプロバレーボーラーとして積極的に発信し、競技普及に向けて奔走する、また違った姿を見せてくれることに期待したい。

(記事 五十嵐香音、写真 五十嵐香音、町田知穂)