母の命日に想うこと
今朝は、朝風呂に入って、お掃除して、洗濯して。とっても気持ちの良い朝を迎えました心も身体もすっきりして、ふと気づいたんです。──あ、今日は母の命日だって。4月17日。母が旅立ってから、もう35年が経ちました。母は、今思えばとても心配性な人でした。そして、子どもたちのためならなんでもする人。子どもが人生で大きなケガをしないようにたくさんの“根回し”をしてくれていたなぁって思います。当時の私は、正直、母のそういうところが「邪魔」だと感じていました。自由がない、とか、信用されていないように思っていて反抗ばかりしていました。でも今は、あれも全部「母の愛」だったんだなって受け入れています。母自身がいろんな経験をしてきたからこそそうせずにはいられなかったんだと理解できます。私が今こうして、自分自身の体験を通じて「愛ベース」で生きていくことでそのエネルギーは、きっと母にも届く。不安や心配しなくても、もう大丈夫だよと届けたいです。そう届くと信じています。母は47歳で亡くなりました。私は「母が生きた年齢を越えること」が親孝行だと思って生きてきたので47歳を過ぎたとき、目標がなくなって、ぽっかりと心に穴が開き空虚感に苛まれました。「私もそのくらいで死ぬんだろうな」──どこかで、そんなふうに思い込んでいたのかもしれません。その後、多発性骨髄腫という病気が見つかり入院生活を送り、そこで自分と本気で向き合うことになりました。たくさんの感情と向き合いながら今、55歳になった私がここにいます。これからは「愛ベース」で生きていく。そのエネルギーを分かち合っていく。それがきっと、私にとっての「本当の親孝行」。そんなふうに思えた今日の小春日和でした今日という日は「思いを結ぶ日」いまそう感じています最後まで読んで下さりありがとうございます読んでくださったあなたにはさらなる幸福が訪れます