楽しみにしていた、とあるオンラインメソッド
けれど、その時間になっても始まらなかった
少し前の私ならソワソワして、「ちゃんとしてよ!」なんて思ってたと思う
でも、今日は違った
「まぁ、こんなこともあるよね」
「別のことして待ってよ〜っと」
そんな言葉が、自然と心の中に浮かんできた
あれ?
なんか、変わったかも
前だったら、確実にイライラしてた
けれど今は、穏やかで、軽やか
自分の心の変化が、ただ嬉しかった
前までは、目の前の人や出来事に対して
「ちゃんとしてよ」って思っていたけど
それって実は、その人に対してじゃなかったんだよね
私は、"その人の中にある、私自身の不安や焦り" に反応していただけだった
つまりは、「自分」に向けて言ってたんだ
スピリチュアル界隈でよく見かける“愛ベース風”の人
なぜか拒否反応が出る。違和感を覚える。
でもそれをうまく言語化できなくて
「私の心が狭いのかも…」って、自分を責めていた
今思えば、それは“相手への違和感”というより
“私の中の何か”が反応していただけだったんだ
その人の言葉や在り方に対してモヤモヤしたのは
私の中にある「不安ベース」の感覚と共鳴していたから
そして私はそれに“気づいてほしかった”だけだったんだ
「人に違和感を抱く=自分の中の未解決な何かが刺激されてる」
そうやって捉えると、世界の見え方が変わってくる
反応するのは自由
だけど、そこに巻き込まれて振り回されるのか
「これは私の中にあるものだ」と見つめられるのかで
人生は大きく変わる
私が反応していたのは「外」ではなく「内」
そして、私の中の“真実センサー”はちゃんと働いてた
「違和感」に蓋をせず
「感じたもの」に素直になる
それが、自分を信頼するってことなんだと思う
誰かの正解や評価を探すんじゃなくて
自分の感じたことに立ち返る
「うん、私、ちゃんと感じ取れてる」って信頼していくことから
また始めよう
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れます