「愛ベースで生きるというチャレンジ」
不安・不足ベースでいると、意識は外側に向く。
人と比べて、マウントを取る。
…で、それで得たいものって何?
もしそれで自分が満足してるなら
それはただのエゴ。以上。
その自己満足はその時だけで、充足感は得られない。
だって、そもそもが「ない」ベース
不足・不安が根底にあるから。
だから「ない」が発動して、また同じことを繰り返す。
自己満足を追いかけ続ける。
一方、愛ベースは「すでにある」から始まる。
常に満ちている状態。
この状態で在るためには、
“本当にどれだけ自分と向き合えているか” が大切。
外側から得られるものは、何ひとつない。
すべては自分自身。
どれだけ自分を知っているか。
いま、誰かや何かが自分の鏡になって
自分のどの部分を映し出しているのか。
そこから何を感じ、何を受け取っているのかをしっかり観察して
全て受け入れる。
たとえ、それが受け入れがたい部分でも、「それも私です」と受け入れられるか。
自分のイヤな部分を見たくないからって、いいところだけ見ようとしてもムリ。
既に自分と向き合えている人は、自分の感性にウソはつけないと、きっと感じている。
自分をごまかしたり、ウソをつけるのは「思考」だけ。
ホメオスタシス(現状維持の本能)が発動するからね。
でも、思考と体感覚・感性の違いがしっかりわかれば、
どれを選ぶか、自分で決められる。
進みたい方向を、自分で選択できるってこと。
それは必ずしも“心地よい”だけではない。
愛ベースのチャレンジがある。
ただのバンジージャンプみたいに、アドレナリンを出すチャレンジじゃない。
自分の中に刺さっているトゲを、丁寧に一本ずつ抜いていくようなチャレンジ。
私はいま、その真っただ中にいる。
試行錯誤しながら、「これだ!」ってストンと腑に落ちるまで
ブレにブレながら、手探りで進んでいる。
やってみて手ごたえがなかったり、「ん?」と疑問が湧いたら
どんどん変えていくことをゆるしている。
愛ベースだから、それは「失敗」ではなく
「ブラッシュアップ」に変わる。
生きたい未来が見えているけど、それがまだ遠く感じるのは
私がまだ「何もしていない」ってこと。
一歩一歩、そこに向かって進めば、
遠くに見えていた景色が、すぐ近くに感じられる。
そこにいる“私”を、リアルに感じられる。
私は「行動」という言葉がまだちょっと苦手で
「行いをしていく」と表現している。
よく世に出ている「行動しなさい」って
何でもかんでも思いついたことを闇雲にやりなさいっていうような
愛があるようでいて無責任で粗雑なエネルギーを私は感じる。
私は、
肚で決めたことを、行っていく
肚の声で選択し、動いていく
たとえそれが「失敗だったな」と思えたとしても、
「じゃあ、こうしてみようか」って新しいアイデアが出てきたり
よりよくするための扉が開いていく。
それは「失敗」じゃなくて、「チャレンジ」
そうやって、私は進んでいく
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れます