テラスハウス 軽井沢編/はじめてテラスハウスをちゃんと見てみた | そーす太郎の映画感想文

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しれっとネタバレしたりするんで気をつけてください。

 

 

 

 

テラスハウス 軽井沢編

 

はじめてテラスハウスをちゃんと見てみた

 

テラスハウスってちゃんと見たことあります?僕はほんと初期にフジテレビで23時くらいからやってたとき(きたりえとか出てた時)にぼんやりと見たことはあったんだけど、ちゃんとは見たことなかったんですよ。しかもそのぼんやりとした印象から、どっちかというと「テラスハウスっぽい~」とか「テラスハウスかよ~」みたいな揶揄的表現でテラスハウスというワードを使っちゃってたくらいで…、自分とは無縁のエンタメなでしょうなぁと思ってたんですよ。

 

そんなテラスハウスがTIMEが選ぶ見るべきTVシリーズランキングで6位に入ったり、Netflixオリジナルになってからまわりの映画者たちに見てる人が増えてきたり、気になっていたところに、「今週アップされたテラハ軽井沢編の新着エピソード超やばいからとりあえず見て」と友達から連絡がきたんですよ。で、見てみると「うわっ!すげぇしょうもないことで、めちゃくちゃ女子同士でもめてる!」というなんかそのエピソードをおもしろく見ちゃって(靴下を渡す渡さないみたいなことでもめてたやつ)、じゃぁなんでこうなったの?と軽井沢編を最初から見てみた…というのがはじまりでした。その結果、ええそうです、ドはまりしました(笑)

 

 

このテラスハウス、人によってどう見ているかというのはバラバラだと思うんですが、僕は基本的にすべてのエピソードを副音声で観ていました。やはりこのテラスハウスはスタジオメンバーがキモ。絶妙なバランスと人選。副音声はスタジオメンバーの実況を聴きながらテラスハウスを見るという感じなので、みんなでわちゃわちゃ見てる感があり、楽しい。というか副音声なしだと個人的には味がしない料理を食べてるようで、もはや副音声ありきのエンタメとしてこのテラスハウスを消費しておりました。


で、このテラスハウス。どんなに自然に、ドキュメンタリックに彼らの生活を撮ってますと言えども、やっぱカメラを意識せざるを得ないわけだし、普通にワンシーンにワンカメ、ではなく、2,3台カメラがありそうなんですよ。つまり、ここに出てる人たちはカメラを意識しない、ということは不可能なんですよね。どうしたって、カメラを意識せざるを得ないわけです。つまり、実際は彼らが「自然な立ち居振る舞い」を演じなければならないっていうのがこのシリーズのおもしろさなんだなぁと個人的には思いました。しかも、中の彼らが実際に放送されてる「テラスハウス」を見るというシーンが何度も入ってくるんですよ。この多重なメタ構造、なかなかないと思ったし、なんかスリリングなんですよね。実際、揉め事が起きたりする原因も、自分が、自分以外の人間が、どうカメラに写っているか、自然に写ってるか、ということからくるあれやこれやだったりするのもすごくおもしろいです。しかもさらにそこに、SNSで放送を見た観客の声とかもリアルに彼らに届き出すんですよ。で、そこからSNSの反応を見て行動が変化したりしてくる。もうメタにメタが何重にも折り重なったなかなか今までなかった構造をしてる作品だなぁと思いました。


で、基本的にすごくおもしろかったんですが、そのおもしろさの根本はどこか人間の下世話な部分を刺激するからだったりするなぁと思いました。事実、テラスハウス内部がグチャっとすればするほどおもしろくなるんですよ。特に軽井沢編の後半はすごいものがあって。


で、次第にこのテラスハウスって実はかなり危険なバランスのエンタメでもあるんじゃないかな?と思ったりしました。この間、東京ポッド許可局で、「悪性のエンターテイメント論」をやってましたが、このテラスハウスの根源はまちがいなく「悪性のエンターテイメント」なんだと思います。例えば、誰か、ちょっと問題のある子が問題のある行動を取るとするじゃないですか。そういう時、まずスタジオメンバーがその問題のある人物をこいつはヤバイという空気感を作り出します。まぁ当然ですよね、そういう仕事なんで。で、そこから、さっきも言ったように、ファンタジーがリアルを侵食しだすんですよ。つまり、直接SNSで問題のある行動をとったメンバーが叩かれて、それが直に本人に届くんですよね。この、なんだろう、一歩間違うと取り返しのつかないことになりそう感というな、嫌なスリリングさがあって。しかも、ちゃんと定期的にヤバイ人がちゃんと出てきて、ヤバイ問題を起こすんですよね笑 まぁでも、そこがおもしろいし、「いいぞ!もっとかき乱せ!」とスタジオの山ちゃんと同じような視点で観つつ、これ以上やるとお前叩かれるぞ!そろそろ気づいてくれ!と心配になるというのもあって、どちらにせよ、いろんな意味でスリリングなドラマです。

 

 

今回の軽井沢編はほんと事件とかヤバイやつとか、いろいろ見所はあるんだけど、個人的に1番グッときたのは、最後のリサコと休日課長(ゲスの極み乙女)の恋愛模様でした。


ほんとに切なかった…。切ないなぁ。辛い時もそばにいてくれて、優しくて、支えてくれるひとでも、ただ「手を繋ぐ」というだけの身体的接触という壁は、精神的接触よりもはるかに高いし、というか、そこはまったくの別物であるという、当たり前の現実を突きつけられましたね。リサコからすると「あぁこんな人と付き合うと私幸せなんだろうなぁ」とか仮に心では思っていたとしても、「手を繋ぐ」という最も初歩の身体的接触がものすごく遠い。これは相性というか生理的なことだからもうどうしようもないことだけど、だからこそとてつもなく切ないですよね。。


でも、この2人の真摯に相手と向き合う大人な姿勢が、全体的にゲスでしょうもなかったシリーズの唯一の光として、ものすごく際立ってました。まぁゲスいのはゲスいので、おいしくいただくんだけどね。


あと、改めてですが、山里亮太は、すごい。と彼の才能がいかんなく発揮されてるというのも、TBSラジオリスナー的にはオススメポイントだったりします。


夜にふらっと観るのにすごくちょうど良かったし、はやく新シーズンはやく!と待ちわびてる自分がいます。まさか、こんなにおもしろいとはな!テラスハウス。


テラスハウスって、リア充のどうでもいい恋愛を見てうらやむという僕らには必要のないエンタメかと思ってたけど、まったくの逆だったんですよ!ストレートに文句を言い蔑み笑うエンタメだったんですよ!ですが、それはすごく危険なエンタメでもあるなぁと、色んなことを考えたテラスハウスでした。楽しかったです!