君たちはどう生きるか
人々を 進化させるのは 物語
宮崎駿の新作「君たちはどう生きるか」を観てきました。僕はかなりグッときました。
宮崎駿が描く「物語論」だったな、というのが本作をとりあえず1回観た感想でした。
全てが寓意に満ちていて、あらゆるものが何かのメタファーなんだろうなと思う本作ですが、私はこれは宮崎駿なりの物語を物語ること、もっと言うとアニメを作り映画を作ることそのものについての寓話だと受け取りました。
だから似てる映画だなとパット頭に浮かんだのはノーラン「インセプション」とこの間の「NOPE」。どちらも映画を作ることの寓話でしたね。あと全体的なテーマ、自信を振り返り、かつモノづくりそのものの話になってたことも含めてスピルバーグ「フェイブルマンズ」も思い出したし、あとなんといっても後半は「2001年宇宙の旅」を想起しました。
ともかく、なんのガイドラインもないしパンフも証言もないので、ここからは私のとりあえず1回観た段階での感想をメモ的に羅列します。
・主人公は宮崎駿であることはもちろんですが、ポスターにもある鳥が明らかに鈴木敏夫にしか見えないことから(笑) もうこれはジブリだし、物語を作ることの話だなと思いながら前半から見てました。
・地下にグイグイ落ちていって、かわいい風船型の生命体が上にぷかぷか上がっていきますが、あれはまさに「物語」そのものでしょう。青い鳥(鈴木敏夫)に導かれて物語が作られる現場に連れ込まれる話じゃんとか思いながら観てました。途中でバクバクペリカンに食べられますが、あれは製作委員会とか邪魔する大人たちなのか、もしくは物語を消費する我々ファンか。少なくともあのファンタジー世界において、人の形をしているものは物語を物語るクリエイター、鳥はクリエイトされたものを消費する側。そう考えるとその真ん中にいる青い鳥はやはり鈴木敏夫にしか見えないわけです(笑)
・あの塔はスタジオジブリか、またはもっと大きく受け取るとこれまでのアニメ界・創作の現場でしょうか。(そこが最後に崩壊するというのがおもしろいのだが)
・大叔父さまという爺さんが、世界の創造主として出てきますが、これは宮崎駿が影響を受けた師匠的なひとでしょう。手塚治虫か、高畑さんと読んでる人もいましたが、今現在の宮崎駿ともとれたりもしますね。そのクリエイターのそばにある浮いてる巨大な石。あれを見た時にああこれ「20001年宇宙の旅」だなと思ったりしました。クリエイターにとっての知恵の実的な存在としての石。人類を進化させるモノリスとかなり重なって見えました。最後に少年は世界の一部であった石を持ち帰ってきますが、世界をクリエイトする知・物語ること・を得た存在になったとも取れて、創作者宮崎駿のスタートともとれるかもしれません。という意味で宮崎駿のフェイブルマンズなのかもしれん。残酷な世界を生き抜くための武器としての物語を得た少年の話だ。
・という説もありつつ、大叔父が宮崎駿自身として観ると、また話が変わってきて、こちらの解釈だと死の香りが濃厚な「終わりの物語」ともとれる。こちらは、役割を終えた宮崎駿の遺言ともとれて、自身の世界を創造するパワーを未来に託す話にも見える(だから塔は崩壊する。塔はアニメ界でありジブリそのものだろう)
・あの塔がそもそも大量の本があった場所ということも含めて、「創作」の場であること、物語の源泉の場であると考えるとなんかすべてがスッと入ってきました。
・ファンタジー世界で自身を導くのは少女の姿の母親というのが、めちゃくちゃ宮崎駿だった。
・塔=アニメ現場だと考えると、家族が1年間消えたりする描写とかは、アニメ作りに没頭しすぎて(アニメ作りの現場が過酷すぎて)、家族にまで影響を及ぼしちゃうというなんかリアルな話にも見えてくる。
・宮崎駿の宮崎駿による、遺言であり、鎮魂歌だと思う。個人的に取りようは2パターンあるけど、どちらにしてもこの残酷な世界を生き抜くための武器としての物語、という話だし。世界をクリエイトする存在、クリエイターという選ばれし者はその役割を全うしてくれ…というメッセージでもあると思う。おもしろいのは、普遍性があるように見えて、明確に世界をクリエイトする存在は誰でもいいわけではなく、もうあらかじめ決まっている選ばれし者の使命であるということを言っているのがとても宮崎駿っぽいと思った。
・ジャムパンがうまそうだった。少女期おかあちゃんが大変宮崎駿の性癖ぶっ刺さっててさすがだなと思った。どんなにおじいちゃんになっても母親を求めてしまうというのは興味深かった。
・物語論を描きつつも、観客に物語を届けようとは微塵も思ってない作劇が興味深い。
というわけで、以上が感想の羅列。
私はかなりの見ごたえですごくおもしろかったし、塔が崩壊するところは謎のカタルシスがありました。素晴らしい映画だったと思います。パンフほしい。