鳴らしてしまったクラクション/「怪物」を観た | そーす太郎の映画感想文

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しれっとネタバレしたりするんで気をつけてください。



  ​怪物




鳴らしてしまったクラクション



是枝さんも、坂元さんもファンですが、この2人が組むとどんな映画になるのか想像できず。どんな映画なんだろうなぁと思いつつ劇場へ。


私のTwitterのTLでは賛否真っ二つな本作ですが、私はというと賛。…ってかかなり圧倒的に賛で、傑作だと思いました。観終わった後、劇場から出る観客の雑談ですでに賛否割れてたのもおもしろかったです。


カンヌ後の会見で坂元さんがしゃべってた「クラクション」の話がとても印象に残りまして。


「以前、車を運転して赤信号で待っていたら、トラックが止まっていて、信号が青になっても、しばらく動かない。プップーと、クラクションを鳴らしたところ、それでも動かない。ようやく動いたら横断歩道に車いすの方がいて。トラックの後ろにいた私は、それが見えなかった。クラクションを鳴らしてしまったことを後悔し続けていまして」

「生活していて、見えないことがある。自分が被害者だと思うことは敏感だが、加害者だと気付くのは難しい。どうしたら出来るか…この10年考えてきた、1つの描き方として、この描き方を選んだ」


これを鑑賞前に見てたせいか、ものすごくこの一連の坂元さんの言葉がこの映画の補助線になった気がします。結局、コミュニケーションを取る以上、誰かが誰かを何気なく・悪気なく傷つけているし、誰もが加害者たりえるわけで。でも、我々はコミュニケーションがないと生きてけないし、そのコミュニケーションのギリ希望めいたものを提示もしようとしている…的な。人間のコミュニケーションにおける加害性とその先…というような映画とわたしは受け取りました。


よく言われている「羅生門」方式であること…、ミステリーのネタとしてLGBTQを使うのはどうなんだ問題とか、この辺も実際観てみるとそもそもミステリーとしてこの方式を取ってるのではなく、登場人物たちの生きづらさ、痛み、切実さを観客に共有するための装置として使ってて、そもそも観てる間はミステリーとはまったく思わず。心を描くために必要な構造であった、と感じたりして、ほんと良くできた脚本だと思いました。よく言われる「ネタ」が重要なのではなく、この構造で描いていく「過程」が重要な映画でした。


瑛太も、安藤サクラも、田中裕子も、ほんとにみんな素晴らしかったし、それぞれのキャラクターがそれぞれ色んな思いを抱えてるし。なにより田中裕子の凄みは、この映画においてものすごく重要なものだったなと思います。安藤サクラから見ればとんでもない悪役だし、孫の写真をわざと向けるシーンとかマジすごいもんがあったけど、でも主人公が唯一自分の気持ちを伝えて、かつ先生として向き合う音楽室のシーンはこの映画で一番心動いたシーンになりました。そこで田中裕子が言う「幸せ」についてのセリフとかも、彼女にしか言えないものだし、なんか来るものがあったなぁ。


一部と二部は坂元さんの色が強く、三部は是枝さんの色を強く感じたりしました。ラスト周りはもう何と言っていいのか…という展開でしたし、この映画を見終わった私の母が「フロリダプロジェクトのラストを思い出した」と言っていて確かになぁとか思ったり。あの場面はこの世なのか、あの世なのかわかりませんが、残酷で不条理な世界の中に君だけがまさに世界だったというあの刹那的なラストはものすごく心動かされました。


怪物、私はとても好きな映画でした。