『踊り子の宅急便 ―踊り子になった魔女キキ―』  

 

 

 

昔は宅急便なんて無かった。ちなみに、宅急便という言葉は‘クロネコヤマトの宅急便’という愛称で有名なヤマト運輸の登録商標。だから一般的には「宅配便」という言葉が正しい。ヤマト運輸でも小型サイズ以外は宅急便ではなくヤマト便と呼ばれる。

映画『魔女の宅急便』が公開される時、ヤマト運輸は商標権に抵触するとクレームを出したらしい。原作のときは児童文学ということもあって目に留まらなかったが映画となると無視できなかった。そこでジブリはヤマト運輸にスポンサーになってほしいとお願いした。最初は渋っていた会社側も、映画に実際にクロネコが登場することで受諾したというエピソードがある。

今では、ストリップの踊り子さんは10日毎に公演先が変わるため、たくさんの衣装等の配達に頻繁に宅急便を使う。宅急便が無かったら仕事にならないだろう。

 では昔の踊り子さんはどうしていたのか? もちろん人が運んだ。しかし、荷物が多くて重いために女一人の力では無理だった。そのため、どうしても男の人の力を借りざるを得なかった。昔の踊り子さんには必ずと言っていいほどヒモと呼ばれる男が付いていた。彼らは踊り子さんからお金や身体を求めていただけではなく、荷物運搬の肉体労働者としての役割を果たしていたのである。

 当時、そうしたヒモになる男たちはチンピラと言われる社会的に底辺の男たちであった。チンピラというのは普通のサラリーマンにもなれず、かといって完璧なやくざにもなれない、中途半端な男たちであった。昔はそういう男たちがたくさんいて、全国各地にたくさんあった劇場にたむろして踊り子のヒモになることを狙っていたのだ。宅急便代わりという需要と供給の一致もあったので、すんなり彼女の懐に入り込み同棲するようになる。所詮、踊り子家業という風俗の世界、そしてチンピラという、同じ匂いのする者同士は、お互いの淋しさを紛らわす如くくっついた。だから、当時のストリップは「チンピラ・ストリップ」と呼ばれていた。

 それに対して、今のストリップは「サラリーマン・ストリップ」となる。お客の大半は普通のサラリーマンである。また、踊り子も賢くなり、ヒモのような男性に稼いだ金を貢ぐようなことはしない。

 宅急便は、そうした「チンピラ・ストリップ」から「サラリーマン・ストリップ」への変遷の、象徴的なシンボルなのである。

 さて、前置きはこのぐらいにして。

 

 

 ここでキキという踊り子が登場する。キキは現代っ子。いま流行りのスト女として劇場に入り、ストリップの魅力にはまった。そして、すぐに自分から劇場に申し込み、踊り子として劇場デビューすることになった。

 トレードマークは大きな赤いリボン。そして、衣装は黒しか着ない。「黒は女を美しくする」という強いこだわりがあった。

 また、ジジという黒猫を飼っている。彼女の周りのもの一切合切が黒いのである。そのためか彼女の正式の芸名は「黒井キキ」と言ったが、みんなは彼女のことをキキちゃんと呼んだ。

 そうそう、一番大切なことは、キキがとても礼儀正しいこと。必ず笑顔で挨拶する。そのときに、ちょこんと腰をかがめる仕草が人々の好感度をあげていた。

 

 彼女に一早く目を付けたのは、劇場の常連客であるトンボと呼ばれる青年であった。彼は黒い大きな眼鏡をしていた。「君、かわいいね。いつも黒い衣装ばかり着ているんだね。黒が好きなんだ。ボクの眼鏡も黒いから、きっと僕らは相性がいいよ。」と話しかけた。

 最初のうち、キキはトンボのことをずいぶん馴れ馴れしい客だなと不愉快に感じた。しかし、毎日のように自分に会いに通ってくれる。ストリップとしては先輩に当たるトンボの方が、いろいろと劇場や客の事情を知っていてアドバイスしてくれた。差し入れも気が利いていた。初めの差し入れは劇場内で生活するためのパジャマやスリッパなどの生活用品だった。また、ステージで汗をかくため水分補給用の水を頻繁に持ってきた。時に、キキが風邪をひいたりすると風邪薬、膝を擦りむくとオロナイン軟膏や絆創膏を買って来た。こうした気遣いが次第にキキの心の扉を開かせ、二人は打ち解けていく。

「よかったら、オレが荷物を運んでやろうか?」トンボはキキに言った。ふつう、踊り子と客の間には一定のルールがあって、適正な距離を保たなくてはならない。トンボもストリップ客として、そうした常識は弁(わきま)えていた。しかし、連投で疲れていたキキの顔色を見て、ついつい言葉が出てしまった形。それに対して、既にトンボに警戒心が薄れていたキキは黙って頷いた。

 そうして、トンボはキキのアッシー君になっていった。黒猫のジジもトンボに懐いていた。トンボとキキ、そしてジジの二人一匹はトンボの車で送り迎え、地方遠征をするようになる。

 雨の日も風の日も、暑い夏も、寒い冬もトンボの車はキキを乗せて走り続けた。

 

 ある日、久しぶりに新人が劇場デビューした。漸くキキはお姐さんになるわけで、彼女のことをお世話して可愛がってあげなければならない立場にあった。

 ところが、キキは単純にかわいい後輩ができたと手放しで喜べなかった。というのも、彼女はトンボの女友達の一人だった。そして、黒い衣装しか着ないキキに対して、カラフルな派手な衣装を着て、客の目を引いた。

彼女は、劇場常連でしかも幼馴染のトンボがキキのことばかり構っているのを目にして、トンボにモーションをかけ始めた。

「トンボさん、お腹空いたわ。パイが食べたいので買ってきてくれない?」

 気のいいトンボは断れず、近くのパイ店に買いにいく。パイ店の店員が「いま、このニシンのパイがすごい人気なんですよ。」と勧めてくれた。トンボがそれを買って持ち帰ると、彼女は「わたし、このパイ、好きじゃないんだけど・・・」と言いながら受け取った。

そのやりとりを横目で見ていたキキは「わたし、あの子、きらい!」とトンボに囁いた。

「まぁ、そう言わないで、彼女の面倒を見てやってくれよ。」とトンボは苦笑いしながら言った。

 その彼女は可愛いものの性格が悪いため人気が出ず、少しして辞めてしまった。

 

 ある時期、キキはスランプに陥って大変なときがあった。踊り子を辞めてしまおうかと思い詰めるほどのキキの危機だった。(いつもの親父ギャグですみません)

 どうしてもうまく踊れないのだ。そんな調子だから劇場側から要求されている新作も全く手に付かなかった。いらいらして落ち着かないキキを見ていて、心配するトンボだったが、キキはそんなトンボに当たりちらした。

 絵の上手な先輩のお姐さんが、そんなキキの様子を見かねて、アドバイスしてくれた。名前はウルスラと言うが、みんなは「お絵描きさん」と呼んでいる。

「そういうときはジタバタすること。下手でもいいから踊って踊って踊りまくるの。それでも何も浮かばなかったら、何もしないこと。ぼけーっとしているの。そうしているうちに無性に踊りたくなる。そうしたら新作のアイデアも閃くわよ。」

 このアドバイスは的を得ていた。お陰でようやくスランプから抜け出すことができた。

 いろんなことを経験しながら、キキは踊り子として一歩一歩成長していった。そしてキキの側にはいつもトンボがいた。

 

 送り迎えの車の中で、キキとトンボはお互いの夢を語り始めた。

 キキは若いうちは踊り子の仕事をやって、ある程度お金を貯めたら、パン屋をやりたいと思っていた。一方のトンボは、若いうちにストリップにはまってしまったので気に入った踊り子の応援以外にこれといって夢はなかった。今は大好きなキキが立派な踊り子になってくれることが夢だった。

 ある日のこと、キキは車の中でトンボに言った。「今まで私の宅急便になってくれてありがとうね。よかったら今度は私と一緒にパン屋をやってくれない?」キキからトンボへのプロポーズであった。トンボは迷うことなく頷いた。

 二人は、グーチョキパン店(or大阪東洋の前だとジャンケンパン屋)を開店した。しばらくして男女の双子ニニとトトが産まれた。もちろん黒猫のジジも一緒。今でも家族みんなで仲良くパン屋をやっているようだ。

 

                                めでたしめでたし

 

 

 

『プリキュア戦士がストリップを救う』  

 

 

 

ストリップ界は冬の時代が続いていた。

かつては風俗の代表格として隆盛を極めていたストリップも、今やAVを始めとした他の風俗に押されて衰退の一途を辿っている。ストリップの一番の過ちは一時期、本番生板ショーを始めとしたエログロ路線に走り過ぎ、それが改正風営法の規制にはまり、次々と劇場が廃業に追いやられたことであった。かつては200もの数があったストリップ劇場も現在20足らずとなっている。今ではアイドル路線に切り替え生き残りをかけている。

しかし、昔のイメージが抜けないのか、警察権力の厳しい規制が続いており、各劇場も数年に一度は摘発を受け一年弱の休業に追い込まれる。そのまま閉鎖してしまった劇場も多いが、残った劇場も体力がなくなっており、次に摘発されたら潰れてしまう惧れがある。いま喫緊の課題は2020年の東京オリンピックに向け、どれだけ警察の規制が厳しくなるか。ストリップ業界はかつてない厳しい時期に直面している。

 

 そうした中、いいこともある。最近では、ストリップはエロではなくアートだとの再認識からか、女性客が増えている。いわゆるスト女たちである。美しさに憧れる女の子たちが、踊り子をカリスマにして追いかけているのである。

 彼女たちは小さい頃にアニメ番組のプリキュアを観てきた世代なので‘プリキュア世代’と呼ばれる。考えてみれば、プリティ(かわいさ)が人の心をキュア(癒す)するのにストリップはベストである。女の子は、音楽が好き、ダンスが好き、美しいものが好き、おしゃれが好き、着せ替えが好き、物語が好き、・・・そうした全ての要素がストリップの中にあった。プリキュア世代がストリップにはまっていくのは自然の理。

 

 現在のストリップ界を見たところ、今述べたように外部からの圧力もあるが、ストリップ業界内にも大きく、ストリップを守っていこうとする勢力と、ストリップをダメにしようとする勢力がある。ストリップというのはお小遣い程度に楽しめる庶民の遊びなので、大半の客は単にストリップを楽しみたい平凡なサラリーマンが多い。ところが一部にストリップをダメにする客がはびこっている。

 そのひとつは、エロポラで踊り子を虐める「エロポラ大王」。踊り子が嫌がるポーズを次々と要求し、踊り子を潰してしまうのだ。彼らはオープンをさせたがり「もっと開け!もっと開け!」が口癖。その中にはエロポラ名人や連射男も含まれていた。エロポラで嫌気をさして辞めていった踊り子が何人いたことだろう。悲しい限りである。

 彼らは、次から次へと新しいエロポラ・ポーズを開発してくる。カエルポーズやアメリカンバックなどは究極のエロポラ・ボースであるが既に定着してきている。新たにイタリアン・バックから始まり、ブラジリアン・バックやモンゴリアン・バックなどを開発している噂を聞く。名前を聞くだけで恐ろしくなるポーズである。

 劇場の中に、ときたま「ちんちん太郎」という変態男が出没する。ステージ中に、まさしく男性性器を露出させ、踊り子さんを驚かせる。缶ビール大を片手に持って「どうだ、おれの一物はこの缶ビール並みだろ」と言わんばかり。こいつらは劇場の風紀を著しく悪くする。彼らとは違って、こそこそと隠れてオナニーする輩もいる。これも場内を汚したり、周りの客に迷惑をかけたりする。いずれにせよ、劇場内でオナニーするのは禁止である。

 また、怪物「抱っこちゃん」というのもいる。ストリップは決して踊り子に触ってはいけない。ところが彼らは踊り子に触りたいがゆえに、お姫様だっこ、肩車、膝枕などのポーズを次々と要求する。「周りの目が気にならないのか」という声に対して「そんなことを気にしてたらやれないぜ!」と豪語している。さすがに、いくら仕事と割り切っていても踊り子が嫌がっているのを見るにつけ、彼女のファンとしては見るに堪え難くなる。

 一番困った存在が「ストーカー魔」。怪物「抱っこちゃん」が「オレは女には触れても法には触れていない」と言っているのに対して、こちらは完全に法に反している。ストーカー魔に狙われた踊り子は精神的ダメージは大きく、これが原因で引退した踊り子も多い。

 最近、最大の問題児が「バクサイ閻魔」。顔の見えないネットという暗闇世界の中で踊り子や常連客を叩く輩。彼らはストリップの楽しみ方を知らず、ただ単に嫉妬心などの情けない感情から踊り子や客を誹謗中傷する。実際、これに嫌気をさして辞めていった踊り子も多いし、熱心な客が家族や職場にバレてスト界から離れて行った例は後を絶たない。

こうしたストリップ客を装う心無い輩がストリップをダメにしている。

 

 こうした内外の連中と戦おうと一人の男が立ち上がった。ストリップ界に名を轟かせた男、その名をサワティ王子という。

 彼の理想は「ストリップは、音と光に包まれた、美と愛と夢に満ち溢れたファンタジーランド。踊り子は美しい衣装を着て、楽しくダンスをする。お客はステージを観ているだけで心を弾ませる。」そんな世界を夢見ていた。

 彼は自分の思想をひとつのバイブルにまとめようとしていた。これまで沢山の踊り子と交換した手紙やエッセイ・観劇レポートなどの書簡。さらにその考えを分かりやすく、かつ面白く伝えるためのストリップ童話の数々を書き上げていた。

 また、王子にはふたつの得意技があり、それが彼をストリップ界最強の強者(つわもの)と言わしめた。‘萌え萌えシェイク’と‘回転チョップ’。

 王子は踊り子に向かって‘萌え萌えシェイク’をやる。これは「あなたは私たちのアイドルです」という憧れと服従を誓う証。これをやられた踊り子はハイテンションになる。そのため、他のお客まで真似して、会場全体が萌え萌えシェイクで盛り上がることもある。

 また、王子は不埒な客を見つけると回転チョップでバッサバッサと蹴散らした。そのため、ストリップを心から愛するファンにとって彼はヒーローであったが、そうでない人からは妬まれ、増々バクサイの標的とされ叩かれた。悪の根絶は容易ではなかった。

 そこで王子は、協力者として、踊り子やスト女の中から、伝説の戦士プリキュアを募ることにした。

 2020年の東京オリンピックまで残り二年。「東京オリンピックをストリップのバッドエンドにしてはならない!!!」「女の子だって暴れたい!」「女の子なら誰でもプリキュアになれる!」と強く訴えた。

 

次々とプリキュア戦士が現れた。彼女たちはサワティ王子の理想に共鳴し協力を誓ってくれた。従来のしがらみにこだわらない若い子が多かったが、中には、ベテラン勢も加わり、プリキュア三銃士と呼ばれる大御所三人衆がサワティ王子の脇を固めた。

プリキュア戦士の必殺技は「プリキュアオープン」「プリキュアバック」「プリキュアハッピーシャワー(潮吹き???)」などなど・・・サワティ王子を始めとするピュアなストリップファンに元気を与えた。

 ちなみに、プリキュア世代の中にはHUG(抱っこ)に抵抗のない子もいた。彼女たちは「抱っこちゃん」に甘かった。そのため別途対策を打つ必要もあった。

 また、面白いことに、絵心のあるプリキュアたちがサワティ王子のストリップ童話をどんどんマンガ化していく。それを「ストリップ・マガジン」として発行した。一方で、ネット上に「ストリップ・ファンタジー」という題名でブログを立ち上げ、サワティ王子の作ったストリップに関するバイブルや童話を掲載していく。こうした啓蒙活動が功を奏してストリップの反対分子を駆逐していくことができた。

 プリキュア戦士の活躍でストリップ界に平和が訪れた。

 

                              めでたしめでたし

 

 

 

 

 

 

 

美少女戦士セーラームーンがやってくる  ~セーラー服大会~

 

 

 月世界のうさぎから、森のストリップ劇場のうさぎちゃんのところに連絡が入った。前にも話したように、うさぎちゃんの祖先は月からやってきていた。そのため、うさぎちゃんのところには月世界のうさぎから中秋の名月に必ず‘うさぎ餅’が届いていた。

 その連絡とは、とても大切なものだった。次のような内容。

「森のストリップ劇場に、古くはひみつのアッコちゃんや魔法使いサリーちゃん、そして最近ではプリキュア戦士たちまで訪れたと噂で聞いたけど、女の子のアニメキャラで一番大切な人が来ていないわね。美少女戦士セーラームーンよ。」

「巷の噂では、今のストリップ業界を救うためにサワティ王子がプリキュア戦士を集めていると聞くけど、美少女戦士セーラームーン達のことを忘れていたら、月に代わっておしおきよ♪」とおどける。

「うさぎちゃん、よく聞いてね。セーラームーンこと月野うさぎは、あなたと深い関係があるのよ。月野うさぎの前世は、遠い昔月で栄えていた王国『シルバー・ミレニアム』の王女プリンセス・セレニティなの。月野うさぎは、今は普通の人間の格好で学校に通っているはず。少しおっちょこちょいだから、森のストリップ劇場の噂が耳に入っていないかもしれない。でも、必ずあなたに会いに来るはずよ。」

 

 その連絡があった直後、セーラームーンこと月野うさぎがやってきた。

 もちろん、セーラーマーキュリーこと水野亜美、セーラーマーズこと火野レイ、セーラージュピターこと木野まこと、セーラーヴィーナスこと愛野美奈子という、いつもの華やかな面々も一緒。その他にも、ちびうさ、ちびちび、更にはルナ(黒猫)とアルテミス(白猫)も同行。猫とはいうものの、ネコの星「マウ星」の出身だからしゃべれる。

 

 月野うさぎは、うさぎちゃんのことを見つけて抱きしめた。同じ月世界からやってきた同士でもあった。

 月野うさぎは、うさぎちゃんと二人っきりになって、大切なことを話した。

「私の身体の中には、幻の銀水晶が入っていたの。これは‘再生と浄化’の効力があり、邪悪なエナジーを取り除き、仲間を蘇らすことができるの。同じように、あなたの身体の中にも幻の銀水晶が入っているのよ。それには‘エロス’の効力があるの。だから、あなたはストリップでたくさんの人を幸せにできるのよ。」

「幻の銀水晶は涙によって出てくる。だから‘うさぎの涙’とも言われる。」

 うさぎちゃんはそれを聞いてハッと思った。以前、ルパン三世が‘うさぎの涙’という宝石を探していたのを思い出したのだ。

「うさぎちゃん、この‘うさぎの涙’の力は十分に気を付けて使わないいけないのよ。力を出し過ぎると死に至ることにもなりかねないからね。」

 うさぎちゃんはビクッとした。万一、エロスを出し過ぎると、カメさんがかけっこしすぎて死んじゃうことにもなりかねないと思ったのだ。

 

 月野うさぎは、もうひとつ大切なことを話し始めた。

「私は、前世で、月の者と地球の者とは通じてはならないという掟を犯し、プリンス・エンディミオンと恋に落ちてしまったのよ。そのため、長い戦いと沢山の犠牲を払うことになったわ。」 プリンス・エンディミオンとは、今日は来ていないが、タキシード仮面こと地場衛(ちば まもる)のこと。

 うさぎちゃんは、カメさんと恋に落ちたら問題があることを本能的に感じた。

「私の場合は、たくさんの仲間たちが助けてくれて平和と幸せを取り戻すことができたわ。うさぎちゃんも後悔しないように気を付けてね。」と月野うさぎは付け加えた。

「話したいことは以上。後は、みんなでストリップを楽しみましょう!」

 

 セーラームーンが来訪した記念に、森のストリップ劇場では「セーラー服大会」を催すことになった。

 美少女戦士たち五人がステージに立つ。やんやの歓声。

 それぞれがいろんな色彩かつ様式のセーラー服を着飾る。改めて、セーラー服って、なんて奥が深いんだろう。なんと言ってもセーラーカラーと呼ばれる独特な襟がステキ♪ 襟は基本三角形だが丸みかかった襟もある。あとはライン無しから1本線2本線3本線中には4本線。ラインの色も白からはじまり赤・緑・青・紺・黄色・紫もあったりする。ラインの細さもいろいろある。細いのは3ミリから始まり5ミリ7ミリ。あとはスカーフでスカーフの色もさまざま。スカーフの他にもタイやリボンをつけたりする。

 セーラー服ってスカートとの相性もいいよね。スカートの丈が短くても長くても魅力的。

さあっ!月野うさぎの決め台詞。「愛と正義のセーラー服美少女戦士セーラームーン! 月に代わっておしおきよっ!!」

すると、女子高生姿から美少女戦士に変身。その時の、ちらりと見える一瞬のヌードに、ストリップファンはみな悶絶。萌え萌え~♡ 泡をふいて失神している者もいる。

 森のストリップ劇場の踊り子たち面々もステージに上がり、同じくセーラー服姿になってご満悦。

 セーラ服は機能性が高く動きやすい。ダンスにも最適。しかも生地が薄いので暑くもない。すごく着やすいんですね。

 各踊り子たちの応援隊も大声援。劇場がこれだけ盛り上がったことはない。

セーラー服には、老若男女が永遠に憧れるエロスパワーが詰まっている。

うさぎちゃんの中にある‘うさぎの涙’がセーラー服と呼応して、エロスがオーラのように吹き出る。カメさんは恍惚とした表情のまま、頭をむくむく。うさぎちゃんは、月野うさぎからのアドバイスを思い出しエロスパワーを少しセーブする。(笑)

セーラー服のお陰で、ストリップにおける衣装の魅力が見直された企画になりました。

 

                                    おしまい

 

                 

 

 

 

 

今回は、晃生の踊り子・Rinさんについて、13周年記念作品「夢の外へ(副題ドラえもん)」を題材に、「ストリップとドラえもんの‘なんでもポケット’」と題して語ります。

 

 

 

さっそく周年作「夢の外へ」を紹介する。

大きな赤い額縁が置いてある。

その中から、一人の可憐な美少女が飛び出す。長い黒髪を背中まで垂らす。白い綿毛のリボンで髪を二つ結ぶ。赤・白・青の色彩が交差するワンピース衣装。肩口はふわっとした白い袖。胸元の大きな黄色い花がワンポイント。手先にも白い布を巻き付ける。裸足で軽やかなステップ。

次に、とてもカラフルな青と白と赤の衣装で、赤い額縁から登場。副題に「ドラえもん」とあるので、これはドラえもんをイメージしているのが分かった。頭には青・白の縞模様の雪帽子、左右に青玉がひとつずつぶら下がる。目が覚めるような真っ青なワンピース。襟元と足元の裾は白い。そして、ドラえもんのお腹にある「なんでも(四次元)ポケット」の象徴として、白いエプロンを付ける。

首には赤い首輪と金色の大きな鐘がひとつ付いている。これはまさしくドラえもんのトレードマーク。また背中には大きな赤い花がある。赤と青のコントラストがきれい。どことなくサンタさんっぽく、これからクリスマスの季節に向かうなぁ~という気分にさせられる。

最後に、そのショッキング・ブルーの衣装を脱ぐ。全裸の上に、薄いブルーの布で下半身をくるみ盆に向かう。赤い首輪に付けた金の鐘が揺れる。

ベッドに入り、近くでヌードを堪能。さりげないオシャレが目に入る。左足首の銀のブレスレット。そして足の爪の銀のマニュキュアがすてき。手の爪にはなにも付けていないので、そのさりげなさが余計引き立つ。

ステージの最後に、額縁から、ドラえもんの大きなぬいぐるみが登場して終わる。

 

どうして「夢の外へ」というタイトルを付けたのか気になる。ドラえもんに同名の映画でもあるのかなと思い検索したが無い。この点はレポートを書きながら追々考えてみよう。

 

 

 ドラえもんの「なんでもポケット」から出てくる「ひみつ道具」に誰もが憧れる。その中でひとつプレゼントしてくれるとしたら何を選ぶだろうか。

 私なら迷わず「どこでもドア」を選ぶだろう。現在の長い通勤時間を考えれば一番の便利もの。そして今では、何よりも好きな劇場に、好きな時間に行けたら最高だと思っちゃう。頭がストリップ中心になってきたからね。(笑)

私は今はマイカーと高速道路で通勤しているが、この二つは非常に有難い存在。通勤電車なら片道二時間かかるところを片道一時間程で済む。そして、これが関東圏内のストリップ通いを非常に楽にしてくれる。お金はかかるけれどね。車と高速道路が「どこでもドア」を可能にしてくれているなぁ~としみじみ有難く思う。

 もっと考えれば、ストリップというのは私にとっての「どこでもドア」。この世で一番ステキな場所に連れて行ってくれた。考え方によって、身近なところに「どこでもドア」はありそう。

 

 誰もがドラえもんの「なんでもポケット」に憧れる。しかし現実の世界は簡単には望みのものを与えてはくれない。「なんでもポケット」なんてないよ・・と普通の人は思うでしょうね。

 でも「なんでもポケット」は必ずあると信じている人にはあるような気がする。この世には「願えば必ず叶う」という大原則がある。しかし大抵の人は夢が叶うまでの「時」を待てないのだ。夢がかなうと信じている人は、どんなに壁にぶち当たろうが必ず手探りで夢に近づいていこうとする。当然、苦労もするし、時間もかかる。それを我慢して待てるかどうか。

 今回の周年作「夢の外へ」を観ながら、今のRinさんはとても輝いていると感じる。13年目でもまだ夢の途中かもしれない。でも着実に「夢の外へ⇒夢が現実へ」に手が届こうとしているのだと思う。

 何年かかってもいい。私を始めファンは必ずついていく。一緒にストリップの夢を実現しようね。

 

平成26年11月                           大阪晃生にて

 

【閑話休題】

 ドラえもん誕生の話をしよう。

 何をやらせても冴えない小学校四年生の野比のび太が、お正月休みに部屋でごろごろしていると、勉強机の中からネコ型ロボットのドラえもんとのび太の孫の孫にあたるセワシが現れる。セワシの話によると、のび太は成人したからも数々の不遇に見舞われ、興した事業も倒産し莫大な借金を残し、それが子孫達を困らせているという。そんな悲惨な未来を変えるために、ドラえもんをのび太の世話役として連れて来た。

 それからの話は、みなさんご存知のように、ドラえもんがなんでもポケットから色んな「ひみつ道具」を取りだして、のび太を教育していくストーリーになる。のび太は道具に頼りながらも反省し学んでいく。彼が進む道は少しずつ良い方向に変わっていく。

 いつしか、ドラえもんとのび太には深い信頼関係ができていく。

 ドラえもんは、一旦、世話役としての役目を終えて未来に帰って行く。しかし戻ってくる。その一件から、二人は、世話役と世話をされる関係から、一緒に居たいから居るという関係に変わっていく。

 

 

 

 

 

 

H31年4月結の大和ミュージックにおける、愛沢真実さん(晃生所属)の公演模様を、新作「オーロラ姫」を題材に語りたい。

 

 

 

 

 初めて観たときの第一印象を正直に語っちゃうね。

 晃生のときに事前に次の新作は「オーロラ姫」であることを教えてもらっていた。私はディズニープリンセスは結構うるさい(笑)。オーロラ姫の童話も書いていたので、初披露前日に真実さんに渡していたほど。だから、ディズニー作品とどのへんが反映しているのかなと思って興味津々で鑑賞していた。一度観た限り、全く分からなかった(笑)。そこで、真実さんにすぐに「どのへんがオーロラ姫のイメージなの?」と尋ねた。

 真実さんから「衣装のキラキラしたところよ」と即答された。えっ!? なるほど・・・

 

 次に、選曲をすぐに教えてもらったので、曲のイメージからオーロラ姫の印象をたどることにした。JUJUにしても倖田來未にしても、すごくエネルギッシュな女性ミュージシャンだなぁ~彼女たちにオーロラ姫のイメージをダブらしているかもしれない。この点は、最後にもう一度詳しく話したい。

 

 さて、第三作「オーロラ姫」のステージ内容について私なりに語ってみるね。

 舞台の向かって右端から現れる。

 まず衣装が素晴らしい。肩出しで、肩紐で胸から下の白いドレスを吊るしている。上半身はコルセットぽく、スカート部はふわふわしている。なんといっても、このドレスの最大の特徴は、右肩から左下に流れる銀色の孔雀の絵である。まさしくキラキラしている。音楽に合わせて、白いロングブーツを履いて優雅に踊る。

 一曲目は、JUJUの「Remember (The Good Times)」。作詞:松尾潔、作曲:川口大輔。この作曲者・川口大輔さんはJUJUと同い年で、彼女に曲を提供しているシンガーソングライターで、この川口大輔の影響が極めて大きいことに気づかされる。後で詳しく述べたい。

 この曲は、JUJUを知らない私も聴き覚えがある。2018年4月からスタートしたNHK総合『世界はほしいモノにあふれてる』(毎週木曜22:45~)の番組オープニング曲として書き下ろしたもの。JUJUが俳優の三浦春馬と初タッグを組みMCを務めている。私はこの番組で初めてJUJUさんを知った。

 音楽ががらりと変わる。

 二曲目は、倖田來未の曲「IS THIS TRAP?」。

 ノリノリで踊る。

背中のファスナーを外し、衣装を変えていく。赤いドレスが見えたところで暗転。

三曲目も倖田來未の曲「0時前のツンデレラ」。

 スローなバラード曲の中、ピンクのドレスで現れる。足元まで流れるロングドレス。首周りはふわふわする羽根。裸足で踊る。

 そのままベッドショーへ。白いパンティを右手首に巻く。近くに来たのでアクセサリーを目で追う。純金のネックレス。左手首にガラスのブレスレット三本。右手中指にダイヤのリング。マニキュアはしていない。

 ベッド曲は、ソン・シギョンが歌う「粉雪」。最初、レミオロメンかなと思ったほど日本語が完璧で、改めてソン・シギョンの声がとてもいい。

 いやぁ~ソン・シギョンの歌声がキラキラしているなー★

 しかも、この曲は失恋、片思いソング。オーロラ姫は100年の眠りから覚めて恋をしているのかなと思っちゃう。もしかして真実さんも・・・恋している???

きっとストリップに恋しているんだ!!! そう思えば相手はボクも入るかな(笑)

 

 以上が作品の内容と感想である。

 

 

2019年4月                          大和ミュージックにて

 

 

 

 

 

   . 眠れる森の美女がやってくる ~眠れる森の美女の憂鬱~

 

シンデレラ、白雪姫と続き、次にディズニーが派遣してきたのは「眠れる森の美女」ことオーロラ姫でした。ディズニーが誇るシンデレラと白雪姫という看板娘に勝るとも劣らない美貌に、森のストリップ劇場の面々は唖然とするばかり。

日の光のように輝く金髪、バラのように赤い唇、長身、スリムなスタイルの美しい王女。

「眠れる森の美女」のオーロラ姫。 素敵な名前だけど、実は原作の王女さまにはそもそも名前はありません。「オーロラ」とは「夜明けの光」って意味で、100年の眠りから目覚める美女にはぴったりって事でディズニーが後付けたものでした。

 

そんな中でも、カメさんはすぐにオーロラ姫の憂鬱を感じました。いや、今回はカメさんでなくてもオーロラ姫の顔色が悪いのは分かりました。

なんと、眠ることが代名詞になっている「眠れる森の美女」オーロラ姫が、不眠症に悩まされていたのです!!!!

いったい何が彼女をそんなに悩ませていたのでしょう。

 

みなさん、ストーリーをご存知と思います。オーロラ姫は16歳のとき、魔女マレフィセントの呪いにより糸車に指を刺され、眠りに落ちます。永遠の眠りの呪いを解くのは王子様の“真実のキス”のはず

ところが実際に現れたフィリップ王子は、歌は上手でしたが、からっきしの臆病者。マレフィセントの住む魔の城に行くには行ったものの、ドラゴンに扮したマレフィセントを見て尻尾を巻いて逃げ帰る有様。まったく頼りにならないのです。それがオーロラ姫の憂鬱の原因のひとつ。

しかも、オーロラ姫は映画「マレフィセント」を観て、マレフィセントは魔女ではなく妖精であり、自分のことをずっと見守っていた事実を知ります。また、マレフィセントを演じていたアンジェリーナ・ジョリーに憧れてしまいます。類いまれな美しさと強さを兼ね備え、一見冷酷な瞳の奥に、ふと垣間みられる優しさ。ディズニー世界№1の”ヴィランズ(悪役)”として絶大な人気を誇るマレフィセントの魅力ですね。ということで、結局フィリップ王子はオーロラ姫からポイされます。

 

オーロラ姫の一番の憂鬱の原因は、100年の眠りにありました。

オーロラ姫の実年齢は116歳なのです。いつ何時、浦島太郎のように白髪の老婆になるか分かりません。美貌に執着するあまり、鬱病になってしまいました。

カメさんはそのことを知り、うさぎちゃんに話すかどうか悩んで、結局止めましたとさ。

 

                                   おしまい

 

 

 

 

①    . モアナがやってくる ~モアナの憂鬱~

 

次に、最近のディズニー映画のプリンセスとして、モアナがやってくることになりました。カメさんは事前に映画「モアナと伝説の海」をレンタルしてお勉強しました。表情豊かな生きている海や繊細な水や泡の映像に魅入り、海がとっても恋しくなりました。

肝心のモアナですが、天真爛漫でどんな苦難も乗り越えていく彼女には憂鬱なんて言葉は見当たりません。

また実際にステージに上がったモアナからはチャーミングな愛らしさが溢れていました。

ただ、カメさんは思いました。ディズニープリンセスというと白人系のお姫様たちが幅を利かせ、モアナやジャスミンのような白人系以外のお姫様は内心コンプレックスがあるかもしれない。それぞれ個で見ると素敵なのですが、比較という目で見てしまうと、隠れたコンプレックスや憂鬱が見えてくるものです。

 

モアナが森のストリップ劇場に初乗りするということで、一緒に航海に旅立った共演者のマウイと鶏のヘイヘイ、それにモトゥヌイ島を代表して子豚プアも同行していました。

彼らを見て、カメさんはハッと気づきました。

映画で、英雄である半神半人マウイが登場したとき、そのブサメンぶりに、とうとうディズニーのプリンスもここまで落ちたのか!?とカメさんは思いました。また一緒に航海に出た鶏のヘイヘイも、これまでのディズニー映画に比べて、あまりにもかわいくないキャラ。きっとモアナの不満はこの辺にあるだろうと思いました。

 

ところがモアナの憂鬱は全く違ったところにありました。

最初は確かにブサメンと思ったマウイでしたが、一緒に苦難を乗り越えていくうちにマウイの魅力に気づき、モアナはどんどん彼に惹かれていきました。映画を観ていると、不思議なことにマウイがどんどんイケメンに見えてきますよね。

モアナは大昔マウイが失くしたという‘神の釣り針’を、巨大なカニの怪物タマトアから取り戻してあげました。本当はモアナはこの釣り針で自分のことも釣り上げて欲しかったのです♡ たしかに相手は半神マウイではありますが、モアナだって‘海に選ばれし者’ですから相手としては十分相応しいですよね。

モアナは、めでたく女神テ・フィティの元へ心を返すことができた物語のラストで、マウイに対して、自分と一緒にモトゥヌイ島の村に航海士として来て欲しいと懇願します。それに対してマウイは「航海士ならモアナがいるじゃないか」と返します。マウイはモアナの女心を全く解しませんでした↓ 「また会おう!」と言い残して鷹に変身して飛んで行ってしまいます。

しかし、モアナはマウイに対する恋心を捨てませんでした。なぜなら、物語の最終場面で、モアナは丘の上に先祖代々積み上げた石を置かずに海がくれたほら貝を置きました。これは「私はこのまま村長として島に居残るつもりはない。またサンゴ礁を越えた海原に旅立つの!」という強い意思の表れです。まさしくマウイの居る海原に戻っていくつもりなのです。

 

また、一緒に航海するなら、知能指数ゼロの鶏ヘイヘイより、モアナに忠実で可愛い子豚プアにして欲しかったという気持ちが少なからずモアナにありました。しかし、根が真面目で何事にも真っすぐに進もうとし、最後には航海士としても立派に成長するモアナにとって、すっとんきょうなヘイヘイの脱力感が丁度いいバランスであることに気付きます。海を怖がるプアじゃ足手まといになってダメだよね。

 

モアナはいい子だね。歪んだ比較の目を外し、真っすぐに相手の魅力に気づくモアナはとっても素敵なプリンセスだとカメさんは思いました。

 

                                   おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、道劇所属の愛野いづみさんの6周年作「オードリー・ヘップバーン」について語りたい。

 

 

トップの愛野いづみさんのステージを観た瞬間に、目が釘付けになった。

麗しの貴婦人の姿は、一幅の絵になっていた。白いロングドレスに、羽根が立った白い帽子を優雅にかぶり、日傘を差している。雰囲気に酔わせてくれる出で立ちだ。

有名なミュージカル映画『マイ・フェア・レディ』のオードリー・ヘップバーンをイメージしていることに気付くのに時間はかからなかった。

 

いづみさんからのポラ・コメントが、作品について解説してくれた。「6周年作品は、オードリー・へップバーンでした。。オードリは女性らしさ、品格、美しさ、内面も、すべて兼ね備えた女性の永遠の憧れです。」

いづみさんはオードリに憧れていて、ずっとチャレンジしてみようと温めてきた作品で、この六年間で一番好きな演目だと話してくれた。

観ていて、いづみさんの六年間の集大成なんだなとつくづく感ずるものがあった。

 

 

いづみさんから「男性から観て、素直にどう思われたでしょうか!?」と質問されるまでもなく、私にとってもオードリは憧れの女性である。

オードリー・ヘップバーン(オードリー・ヘプバーンとも表記される)(1929年5月4日生―1993年1月20日満63歳で没)は、イギリス人でアメリカ合衆国の女優。ハリウッド黄金時代に活躍した女優で、映画界ならびにファッション界でのアイコンとして知られる。米国映画協会の「最も偉大な女優50選」の第三位にランクインし、インターナショナル・ベスト・ドレッサーにも殿堂入りしている。

オードリと云えば、彼女の人気を不動にした映画『ローマの休日』で見せたアン王女役の愛らしい笑顔の印象が強い。ヘプバーンカットと呼ばれたショートカットが似合う、この美少女を嫌いな男性はこの世にいないだろう。映画史上最高の美少女の一人である。

1953年に『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を獲得。その後も『麗しのサブリナ』『尼僧物語』『ティファニーで朝食を』『シャレード』『マイ・フェア・レディ』など数々の人気作、話題作に出演。アカデミー賞、エミー賞、グラミー賞、トニー賞の受賞経験を持つ数少ない人物の一人。

しかし、オードリの最大の魅力はその生きざまにある。彼女は少女時代に第二次世界大戦下のオランダにいた。身内がナチス・ドイツに殺され、彼女自身もひどい栄養失調になる。戦争が終わり、ユニセフ(国際連合児童基金)が救援物資を届けてくれたことを生涯忘れなかった。後に「アンネの日記」のアンネ・フランクと同い年であったことを知り、ひどく心を痛めた。そのため「アンネの日記」の主役を求められたときに断っている。後半生はユニセフ親善大使になって、アフリカ、南米、アジアの恵まれない人々の救援活動に献身した。身体を酷使したことも重なり癌になり63歳の早すぎる生涯を終える。オードリは1954年からユニセフへの貢献を始めており、亡くなる直前の1992年の終わりには、ユニセフ親善大使としての活動に対してアメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与されている。

 

 最後に、映画『マイ・フェア・レディ』のあらすじを紹介したい。

 イギリスの上流階級の教授と友人が、ふと知り合った下町の娘イライザを上流階級の社交場にデビューさせられるかどうかの賭けをした。彼女は訛りがひどかった。しかし、ヒギンズ教授は彼女を自分の邸宅に住み込ませて教育する。そして、見事にイライザは社交界デビューし、教授は賭けに成功する。ところが、二人の賭けを知ったイライザは自分が教授の実験台であったことに怒り、教授の邸を飛び出す。しかし、独身の教授とイライザの間には恋が芽生えていた。・・・

 イライザがいなくなり淋しさを感じた教授は、訛りを治すために蓄音機に録音していたイライザの声を懐かしむ。ふと蓄音機が止まる。そこにイライザが涙を浮かべて立っていた。思わず飛んで行って抱きしめたいと思う教授だったが、口にしたのは「イライザ。ぼくのスリッパはどこ?」

 映画はハッピーエンドに終わるが原作の結末は違う。原作では、イライザは自分を人間として扱わなかったヒギンズ教授を許さなかった。イライザは没落して無一文になった青年フレディと結婚して、二人で花屋を始める。お金持ちで社会的地位のあるヒギンズではなく、等身大で愛し合える貧しい青年との苦労を選択したのであった。生きざまとしては、こちらの結末の方が私は好きだな~。

 

 自らの生きざまを演じ、またいろんな生きざまを感じさせてくれる踊り子さんに巡り合えることは、ストリップ・ファンとして幸せこの上ないことである。

 いづみさんに心から感謝したい。

 六周年記念レポート、これが私からの周年プレゼントです。

 

 

平成27年8月                            渋谷道劇にて

 

 

 

 

 

 

【付録】私の好きなオードリー・ヘップバーンの名言を紹介しよう。

 

魅力的な唇のためには、優しい言葉を紡ぐこと。

 愛らしい瞳のためには、人々の素晴らしさを見つけること。

 

  → 私が踊り子さんをレポートするときの基本スタンスそのものなのに驚いた。

    いかに、その踊り子さんの素晴らしさを見つけるか。

そして、いかに、それを優しい言葉で表現するかをいつも心がけている。

 

・美しい身のこなしのためには、決して一人で歩くことがないと知ること。

 

・わたしとって最高の勝利は、ありのままで生きられるようになったこと。

 自分と他人の欠点を受け入れることができるようになったことです。

 

・いばる男の人って、要するにまだ 一流でないってことなのよ。

 

・どんな日であれ、その日をとことん楽しむこと。

 ありのままの一日。ありのままの人々。

 過去は、現在に感謝すべきだということを私に教えてくれたような気がします。

 未来を心配ばかりしていたら、現在を思うさま楽しむゆとりが奪われてしまうわ。

 

・いわゆる天賦の才に恵まれていると思ったことはないわ。

 仕事を心から愛して最善を尽くしただけよ。

 

・わたしを笑わせてくれる人を わたしは大事にしますわ。

 正直なところ、私は笑うことがなによりも好きなんだと思う。

 悩ましいことが沢山あっても 笑うことで救われる。

 それって人間とって、一番大事なことじゃないかしら。

 

  → ストリップがあるお蔭で、私はいつもにこにこ笑顔でいられる。

 

・愛は行動なのよ。

 言葉だけではだめなのよ。

 言葉だけですんだことなんて一度だってなかったわ。

 私たちには生まれたときから愛する力が備わっている。

 それでも筋肉と同じで、その力は鍛えないと衰えていってしまうの・・・

 

  → ストリップがあるお蔭で、私は愛する力は衰えない。そう断言できる。

 

・なんとしても避けたかったのは、人生を振り返ったとき映画しかないという事態です。

 

  → 人生を振り返ったとき、私には仕事と家庭と、

そしてストリップがあったと思うことだろう。

 

・母から一つの人生観を与えられました。

 他者を優先しないのは、恥ずべきことでした。

 自制心を保てないのも、恥ずべきことでした。

 

・年をとると、人は自分に二つの手があることに気づきます。

 ひとつは自分を助ける手。

 そして、もうひとつは他人を助ける手。

 

・なにより大事なのは、人生を楽しむこと。幸せを感ずること。それだけです。

 

・幸福のこんな定義を聞いたことがあります。

 「幸福とは健康と物忘れの早さである」ですって!

 わたしが思いつきたかったわ。だって、それは真実だもの。

 

 

今回は、H30年2月結の大阪東洋ショー劇場における、南まゆさん(ロック所属)について、演目「まゆーあんとわねっと(略称:まゆとわ)」を題材にして語りたい。

 

 

 

 

今回の新作「まゆとわ」は、昨年六月の灘ジュンさんの浅草引退記念公演「愛あればこそ」で演じられたマリー・アントワネットに関連しているようだ。作品内容はリメイクではなく全く新しいものであるが、事前知識があった分、作りやすかったのだろう。それでもよくこれだけの作品を周年直前に仕上げてきたものだと感心させられた。

浅草公演「愛あればこそ」は最後の景では、激動のフランス革命を再現するのに和太鼓を用いていて、それはそれで下町・浅草っぽくもあり、その和太鼓の勢いが激動の時代をうまく表現している。本公演はまさしくベルバラの世界観で、最後にジュンさんが薔薇を投げる姿がめちゃくちゃかっこよかったという。

最初の景で、雨宮衣織さんが水色のエプロンで、泡風呂に入るマリー・アントワネットの世話役をする場面があるが、その泡風呂に入っていたのが南まゆさん(浅草公演後半では清本玲奈さんに代わる)。そのときの水垂れの音が新作に使われている。

ちなみに、南まゆさんと清本玲奈さんの二人が演じた場面を、合わせて「とわねっと」と呼んでいるらしい。だから、まゆさんが今回の新作を「まゆとわ」とポラコメしているのは「まゆのとわねっと」という意味なのが判った。

以上の事前情報を受けて、新作を観るとよく理解できる。新作では、フランス革命前の若かりしマリー・アントワネットの優雅な時代を表現している。

 

さて、新作の内容を私なりに紹介する。

最初は仮面舞踏会の場面。

白銀のアイマスクをして絢爛豪華な衣装に身を包み登場。金色のドレス、白い手袋、金髪に王冠を載せる。まさしく目が眩むほど美しく、贅沢であり煌びやか。

音楽は壮麗な行進曲。まゆさんから長ったらしい名前でゴメンねと言われながら曲名を教えてもらう。Pomp and Circumstance Marches, op 39: Martch No.1 in D major “Land of Hope and Glory”

一旦幕が閉まり、そして開く。

音楽がFrancois Parisiの楽しく心癒されるインスト曲「Ballad du Paris」に変わる。

次は茶会の場面。

豪華な白銀のネックレス。高貴な白い刺繍入りの上着に、緑のロングスカート、足元は金のハイヒール。スカートの腰部に彩とりどりのマカロンの模型が吊るされている。

舞台には、白いテーブルに沢山のマカロンを積み上げたマカロンタワーが飾られてある。マカロンはフランスを代表するお菓子。マカロン(仏: macaron)は、卵白と砂糖とアーモンドを使ってオーブンで焼きあげた菓子で、直径数センチの半円形をしている。

大きな四角い銀のお盆にたくさんのお菓子を乗せて、舞台から花道そして盆にやってくる。お菓子は全て模型と思い気や、その中から二個ほど取り出してお客に配る。盆前に座っていた私もバームクーヘンを頂いた。ありがたや~♪

一旦、暗転。

楽曲は、Cole Porterの「Let's do it」がかかる。

最後は、入浴シーン。

白い簾越しにピンクのバスガウンを纏ったまゆさんが現れる。ポチャンポチャンというお風呂の水が垂れる音。

盆に移動して、バスガウンを脱ぐ。白銀の首輪からたくさんの数珠が円状に垂れ下がる。ネックレスの美しさよりも、形のいいふくよかなバストが美しい。まゆさんの裸体には余計なアクセサリーなんかなにも要らないと思っちゃう♡

ベッド曲は、carla bruni の悩ましい曲「le ciel dans une chambre」。

立上りはシンディ・ローパー(Cyndi Lauper)のノリノリな曲「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」 (Girls Just Want to Have Fun) でノリノリで締める。

 

 

 

平成30年2月結                      大阪東洋ショーにて

 

 

 

 

 

 今回は、安藤アゲハさんの観劇レポート。

 

 

 今回、アゲハさんの新作「チャップリン」を拝見して大感激したのでレポートしたくなった。一回目のステージを拝見し、すぐに手書きで感想を書いて彼女に渡した。

 

 ステージ登場時、暗いステージに後ろ向きに立っていたアゲハさんがパッと前を向いた瞬間、私はその姿に目が釘付けになった。

 黒いタキシードに、黒い山高帽をかぶり、白粉を塗ったような白い顔、鼻の下にちょび髭。チャップリンだーっ!! そのインパクトが強烈だった。

 にこ~っと笑って、軽快なダンスを始める。表情がいいうえに、ダンスそのものが素晴らしい。タップダンスを彷彿する最高のステップ。よほど練習したんだろうと努力の跡が窺えた。

 チャップリンといえば、以前見た若林美保さんのステージを思い出した。ステッキをもって演じていた。たしかにチャップリンはよほどの技巧派でないと演じきれないと思う。アゲハさんのチャップリンは美保さんとはまた違った味で素晴らしい。

 最初の1曲目のインパクト度だけでも、この作品は成功している。

 2曲目は上着を脱いで軽快に踊る。白いワイシャツにサスペンダー付きの黒いズボン。

 次のベッドには、白い刺繍に縁取られた黒いシュミーズで入っていく。幻想的なムードが漂う。チャップリンのもつ影の部分を演じている気分になった。感動的なエンディング。まるでチャップリン映画の定番である「背中を向けて一人寂しく去っていくラストシーン」を彷彿させられた。

 

 拍手喝采!!

 応援している踊り子さんがこれだけの作品を出してくると本当に応援し甲斐がある。デビューから1年半とまだ芸暦は長くないが、これまでのアゲハさんの努力がすべて凝縮された結晶である。贔屓目に見ても今回の作品は、これまで観たストリップのステージとして最高ランクの作品に仕上がっていると評価したい。

 

 以上の私の感想に対して、アゲハさんが喜んでくれた。

「感想ありがとう!! すごく嬉しいよ。チャップリンね、ぼくもすごく気に入っている作品なの。おもちゃみたいな動きをしたくて、チャップリンのDVD見たよー!! アレ、すごいよね。古いモノなのにめっちゃウケてしまったよ!! で、どうしても入り込んでしまい、女の子ということを忘れるw ストリップとしてどうなの?って思ってたけど、感想聞いてホッとしています。」

 チャップリンの魅力にはまった様子がよく窺われる。おもちゃみたいな動きというのはパントマイム芸だね。チャップリンのDVDを何回も何回も繰り返し見たんだろうな。そのぐらいしなければ今回の作品はできない。

 ストリップとしてどうかという疑問ですが、ストリップも立派な芸道だから出し物に垣根はありません。芸として素晴らしいものはストリップにも通じます。これは間違いありません。だからこそ、ストリップも奥が深いのです。

 

 ちなみに、もうひとつ蛇足的ではあるが‘色彩’の感想を付け加えた。

 この作品は白と黒のモノトーンのイメージがよく似合っている。最初のタキシードとベッドのシュミーズ。ちなみに前の劇場にリニューアルのベッド着を忘れてきたらしく3回目のステージにようやく届いて着ていた。これも黒系。ということで今回の作品は白黒が基調色になっている。

いうまでもなく、チャップリンが出演した作品はモノクロのサイレント映画がほとんど。(カラーは晩年の最後の作品『伯爵夫人』のみ。)

些細なことではあるが、アゲハさんの作品には白と黒以外の色が一部使われている。最初のタキシードで赤い蝶ネクタイ。これはワンポイント。蝶はアゲハに通じる。ここまではなるほどと思ったが、黒い背広の後ろに花がぶら下がっている。これは一体どういう意味か分からなかった。意味がなければ外した方がよくないかなと思ったほど。

 これに対してアゲハさんからのコメントがあった。「お花はね、コミカル、そして明るい気持ちになるステージ!ってことで、モーニング風にぼくがコサージュから作ったんだよ。たいがいの劇場のバックが黒だから・・というのもありまして。」 なるほど、アゲハ風アレンジの想いが伝わってきた。

 

 チャップリンは偉大な人物。前にTV『知ってるつもり』で彼の人物伝を見たことがあるが、単に素晴らしい役者というだけではなく、人間として素晴らしい人物と評価されている。チャップリンは「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」と言う。ひとつひとつの出来事は辛く悲しいことが多いが、死ぬときに人生とは素晴らしいものだったと言えたらいいなぁと思う。

こうした彼の人生観を理解し、いかにこの作品に反映できるかが演技者の課題かなと感じた。このことは感想には書かず、単に「私自身、チャップリンのことを少し勉強してみる気になったよ。」と書くに留めた。アゲハさんから「太郎さんに負けないようにぼくもチャップリン勉強しなきゃっっ!!」という言葉に、私の言外の想いを感じ取った彼女の勘の良さに感心させられた。

 

「本当にありがとう!これからもいい作品をつくるよ!!」

私の感想が踊り子さんの創作意欲を掻き立てる効果があったら私としても最高の喜びだ。

 

平成21年7月                              浜劇にて

 

【参考】チャップリンについて、インターネットで調べてみた。

以下、一部紹介する。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 

「チャップリン」(1889年~1977年)

「喜劇王」の異名を持つイギリスの映画俳優&映画監督。

多くの素晴らしいサイレント映画を生み出し、作品のどれもが今なお、高い人気を誇っている映画界のスーパースター。各種メディアを通じ、現在においても彼の姿や作品にふれることは容易である。また、バスター・キートンとハロルド・ロイドと並び、「世界の三大喜劇王」と呼ばれる。独裁者アドルフ・ヒトラーを皮肉った映画『独裁者』で有名だが、そのモデルとなったヒトラーと誕生年月が同じ1889年4月である(チャップリンの方が4日早い)。

 

●幼少期
イギリス・ロンドン出身。チャップリンの幼少期は過酷なもので、両親はミュージック・ホールの芸人だったが、1歳のときに離婚。その11年後、父チャールズ・チャップリンはアルコール中毒によって死去し、母ハンナ・ヒルも精神病にかかったため、孤児院で暮らす日々が続いた。彼自身も幼いころからミュージック・ホールでパントマイム劇などを演じて、一家の家計を支える。10歳の時には、プロのダンス集団の一座に入り腕を磨いていったそうだ。

 

●役柄

チャップリンの最もよく知られている役柄は「小さな放浪者=The Little Tramp」である。窮屈な上着に、だぶだぶのズボンと大きすぎる靴(ドタ靴)、山高帽に竹のステッキといったいでたちのちょび髭の人物で、アヒルのように足を大きく広げてガニ股で歩く特徴をもつ。ホームレスだが紳士としての威厳をもち、優雅な物腰とその持ち前の反骨精神でブルジョワを茶化し、権力を振りかざすものを笑い飛ばした。この独特の扮装と役柄は、1914年の2作目『ヴェニスの子供自動車競走』で初めて登場している(チャップリン本人も最初受けるとは思わなかったという)。以後、このTrampは滑稽味の中にもペーソスをたたえたキャラクターに進化し、ハートフルな要素も加味されて、弱者・貧者(プロレタリア)の立場から、資本主義社会に対する不平等への“怒り”を表現するに至る。

 

●作風

初期はショート作品が主体で、放浪者のキャラクターも、心優しさよりはコミカルさと非道さを売りにしていた。一介の貧困階層の市民として当時の世相や政府を風刺したものが多く、笑いの中に思想的でアナーキーなものを追求する作風が多い(女性の尻を追い、それを取り巻く連中と争い、偽った身分もバレて巡査との追いかけっこ、というパターン)。1917年の『勇敢』『移民』あたりから、底辺に生きる人々への憐憫の情が表れはじめ、1918年の『犬の生活』でよく知られる「心優しき放浪者」が完成された後、『担へ銃』では戦争の愚かさをユーモアをもって描き、初の長編になる『キッド(1921)』、アラスカを舞台にした『黄金狂時代(1925)』でその芸術も至高の極みへと達した。また背中を向けて一人寂しく去っていくラストシーンは、初期の『失恋(1915)』で初めて登場して以来の定石であるが、エドナ・パーヴァイアンスとの出会いから生み出された言われる。以後、美しいものへの憧憬と放浪者のまなざしが社会の歪みへ向けられると、その作風も大きく変わってゆく。献身的で一途な愛を描いた『街の灯(1931)』『ライムライト(1952)』、大不況下にあえぐ労働者の実態を通し、幸福の在り処を問う『モダン・タイムス(1936)』、反戦メッセージを含む異色のブラックコメディ『殺人狂時代(1947)』、革命により国を追われた『ニューヨークの王様(1957)』など。

 

●ペーソス

チャップリンに関して伝えられる物語の一つに、彼が若いときに見たシーンがある。屠殺場へ送られる羊が逃げ出したのを見た、という話である。もちろん周囲の人間はこれを追っかけるのであるが、羊も必死で逃げるから、人間も羊もあちこちぶつかったり、ひっくり返ったりしていた。それを周囲の人間は腹を抱えて笑った中、彼は「あの羊は泣いているんだ…」と感じたという。

また“永遠の放浪者”のモデルとされる男は、いつも足を引きずりながら荷車を押していた。チャップリンの母親は、通りを行く人々の人生をパントマイムで示し、幼い彼に人間観察の大切さを教えたのである。

映画の中では、笑いの起爆剤として使われるこのドタ靴には悲しい思い出がある。年の暮れに食べるものもない。慈善鍋のスープをスラム地区の人たちに無償で施すため、教会の人が鐘を鳴らしてやってきた。病気の母に「チャーリー、早く鍋を持って取りに行って」と促され、靴はなく雪の中を裸足で行くしかない。「そこにある私の靴をはいて」と母が言う。大きなボロ靴をはいて、小さな足を引きずってスープを貰いに駆け出した。

これら幼少期のエピソードは、後に作られる数々の作品の中で断片的に投影される。劇団の巡業で渡米する際も、母親の入国許可は下りなかった。ハリウッドで成功してから母ハンナをイギリスから呼び寄せ、海岸の一軒家に面倒見のいい夫婦と経験豊かな看護婦をつけて住まわせた。しかし最後まで息子の成功を理解できぬまま、1929年に亡くなった。病床を訪れたチャップリンは、もう彼女は生活の気苦労は何もなかったはずなのに、何か心配事が起こるのではないかと不安な表情を浮かべていた、と後年回想している。 

 

 

熊野あゆさん(ロック所属)の、2019年5月中の大阪東洋ショー劇場における公演模様を、演目「アリスインワンダーランド」を題材に、「アリスというパラレルワールド」という題名で語りたい。

 

 

 

 

今週の出し物は二個出しで、1,3回目ステージを三作目「アリスインワンダーランド」、2,4回目ステージをデビュー作としている。

 

今回は、新作の「アリスインワンダーランド」について観劇レポートしたい。

1,2作目と比べるとずいぶん雰囲気を変えた出し物だと思ったら、これは憧れのお姐さんと言っていたみおり舞さんが作ってくれた作品なんだね。私もみおり舞さんのステージが大好きで、舞さんのステージをたくさん観劇レポートさせて頂いてる。舞さんから「他の踊り子さんにも作品を提供しているので是非観てみてね!」と言われていたので、あゆさんの話を聞いて嬉しくなった次第。観劇レポートし甲斐がある。(笑)

みおり舞さん制作の作品と聞いて、すごく納得がいく。あゆさんとしても、アイドル演目だけでなく、新しい分野への挑戦になるね。この作品は踊り子として成長するいいきっかけになると思う。

アリスの作品はけっこう多くの踊り子さんが演じている、ある意味、ストーリーものの定番といえる演目だ。ダントツが人魚姫で、アリスはその次に人気があるかな。私の思いつくところで例をあげれば、今やロックの10年目のベテラン・鈴木ミントさんも第二作目が「アリス」だった。東洋のアイドル・荒木まいさんも「あっ!らっきーいんわんだーらんど」を2017年8月に披露しているのが記憶に新しい。

あゆさんが「みおり舞姐さんが今回の作品を作ってくれたので選曲は分からない」と言っていたよね。アリスというテーマはあゆさんが指定したのかな、それともみおり舞さんが考えてくれたのかな。いずれにせよ、アリスの物語と選曲をあゆさんなりにお勉強して理解し、演ずるうえでの血肉にしてほしいと思う。そこで、私の知っていることを以下で述べますね。私の友人が選曲名を調べてくれたので、ネット情報なども整理しておくね。少しでも役に立てれば幸甚です。

 

今回の演目名でもあるように、アリスと言えば、2010年公開のアメリカ映画『アリス・イン・ワンダーランド』(原題:Alice in Wonderland)が有名だね。私も観たけど、マッドハッター役のジョニー・デップが好演技してたなー。ちなみに、これはティム・バートン監督の作品で、最近では彼のディズニー作品・実写版の「ダンボ」も人気があるよ。

ともあれ、アリスの原作は言うまでもなく童話「不思議の国のアリス(原題はAlice's Adventures in Wonderlandで映画とは少し違う)」がべース。

イギリスの数学者であり作家でもあるルイス・キャロル(1832.1.27-1898.1.14)は1865年に『不思議な国のアリス』を出版し人気を博した。この作品は、童話を従来の教訓物語から開放し、言語遊戯、論理学、夢(精神分析)などの要素を取り込み全く新しい童話の世界を切り開いたものとして、イギリス文学史上特筆すべき作品とされ、後世の童話に大きな影響を与えた。(この作品には多くの駄洒落、ナンセンス、パロディ、風刺などが散りばめられており、もちろん親父ギャグ好きの私の創作童話にも影響しているよん(笑))

『不思議な国のアリス』は、主人公のアリスが、白ウサギを追って、うさぎ穴に落ち、そこから人間の言語をしゃべる動物や人間のようなトランプの札の住むファンタジーの世界を冒険する物語である。

 

あゆさんの本作品「アリスインワンダーランド」は、(映画ではなく)童話をモチーフにし、童話の最初の部分に登場するアリスと白ウサギを中心に描かれている。

まず、このアリスと白ウサギを解説しておこう。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

主人公のアリス (Alice) は、ルイス・キャロルの児童小説『不思議の国のアリス』(1865年)およびその続編『鏡の国のアリス』(1871年)のヒロイン。前者では不思議の国に、後者では鏡の国に迷い込み様々な体験をすることになる少女。年齢は『鏡の国のアリス』では7歳6ヶ月、『不思議の国のアリス』では明言はされていないが、ちょうど7歳と推測される。アリスはヴィクトリア朝イギリスでの、ある程度教育を受けた子供であり、物語の中では優しく、礼儀正しく、好奇心の旺盛な性格の少女として描かれる。アリスは後世には様々な挿絵画家によって描かれ、またいくつもの映画化作品で様々な女優が彼女を演じており、そのイメージの形成にはジョン・テニエルによって付けられた挿絵が大きな役割を果たしている。→ロリータファッション、コスプレの代表だよね!

次に、白ウサギについて。原作では、単に「白うさぎ」としか書かれていないが、時計を手にいつも時間を気にしていることから「時計うさぎ」と呼ばれる。

服を着て言葉を発しながらアリスの傍を横切り、結果的にアリスを不思議の国へ導くことになるウサギ。彼は公爵夫人のもとに急いでいるところであり、2章では扇子(この扇の効果でアリスは体が小さくなる)と手袋を落とし、第4章ではアリスを女中と間違えて使いにやったのち、部屋いっぱいに大きくなったアリスを何とかして追い出そうとする。そして、第8章では、ハートの王と女王とともに現われて、周囲に追従してまわり、11章および12章の裁判の場面では、布告役として姿を現すなど、比較的物語を通して姿を見せるキャラクターである。

後年の解説では、キャロルは白ウサギについて、彼はアリスの対照(「分身」ではなく)として生み出されたキャラクターであり、アリスの「若さ」「大胆さ」「あふれる元気」「決意のすばやさ」に対して、「分別くささ」「臆病」「脆弱」「狐疑逡巡」をその特徴とし、「きっと震え声で話すだろう」と述べている。

最後に、アリスと白ウサギの関わりについて。

『不思議の国のアリス』の物語は、もともとルイス・キャロルことチャールズ・ドジソンが、知人の娘である少女アリス・リデルのために即興で作った物語がその原型となっている。このため一般的には物語の主人公であるアリスも実在のアリス・リデルがそのモデルになっていると考えられているが、しかしキャロルは生前、アリスは純然たるフィクショナルなキャラクターでありいかなる現実の子供にも基づいていないと何度か発言してもいた。

白ウサギのキャラクターは、リデル家のかかりつけの医者であったヘンリー・ウェントワース・アクランドがモデルであるとも言われている。なお、キャロルとアリス・リデルが遊んだオックスフォード大学クライスト・チャーチでは、ウサギを見かけることは珍しくなく、ウサギが穴に飛び込むような場面も驚くようなことではなかったという。

 

前置きが長くなってしまいました。

では、本作品「アリスインワンダーランド」のステージ内容について述べますね。

最初は、盆の上で、アリスが赤褐色の背表紙の本を読んでいる場面からスタート。

定番デザインのアリスの衣装。青色(サックスブルー)の半袖ワンピースの上に付けた白いエプロン姿。エプロンの上部には大きな白いリボンが付いている。髪は背中まで流れる黒いロングヘア。短いスカートの下に白いシューズを履く。

オープニングのオルゴール曲は、ディズニー映画「ふしぎの国のアリス(Alice in Wonderland)のテーマソング。

そして二曲目は、Yann Tiersen (ティエルセン)のピアノソロ「La valse d'Amelie(アメリのワルツ) 」。

この曲の最後で、アリスがうさぎを追いかけまわし、「わーっ!」と叫んで、うさぎ穴に落ちる。

ここで暗転。

音楽が変わり、うさぎ姿で再登場。

大きな長い耳。耳の下には大きなリボン。少しピンクがかった白い上下セパレート衣装。上半身は半袖で、首回りはハート形に開いている。丈が短く、おへそが見える。絵柄の入ったミニスカート。そして、定番の時計をぶらさげる。前と同じく白いシューズを履いて軽快に動く。

音楽は、Jónsi (ヨンシー)の「Go Do」。

ここで場面が変わる。

鐘の音が聞こえる。そして、ディズニー映画「ふしぎの国のアリス(Alice in Wonderland)のテーマソングが続く。

アリスに着替えて登場。水色のワンピースの上に白いレース布をかぶせるてある。胸元に黒いリボン紐。スカートの裾部には黒いスペードと赤いハートが交互に並ぶ。スカートの裾は水色のビニール生地。裸足で駆け回る。

ここが不思議の国での場面になる。舞台の横から最初に小さなキノコを出し、次に大きなキノコを出す。これはアリス自身が小さくなったことを示している。そのため泣き出すアリス。

また、赤い手袋を左手にかぶせる。目玉の付いた赤い鳥だ。そのままボールの入ったバスケット籠を盆の上に運ぶ。赤い手袋が勝手に動き、バスケットの中の赤いボールと青いボールの二個を観客席に投げる。

音楽が、Capsule の「Starry Sky」に変わる。聞き覚えのあるエレクトリカルなサウンドと思ったら、CAPSULE(カプセル)は、なんとあのPerfumeで有名な音楽プロデューサーの中田ヤスタカと、ボーカルのこしじまとしこによる音楽ユニット。

そのまま、ベッドショーへ。赤いパンティを首に巻き付ける。アクセサリーを目で追う。ウエストのガラスのブレスレット。左手人差し指に純金リング。マニキュアがきらきら銀。

立ち上がり曲は、clammbon(クラムボン)の「タイムライン」。選曲センスが光る。きれいな日本語の歌詞と癒されるメロディ。心に残る歌だ。

最後に、鳥の声が聞こえ、本を読んでいる最初のシーンに戻り幕が締まる。

 

アリスはうさぎ穴というタイムラインを通って時空を超えた。でも、不思議の国はたしかにあるように思う。二つはパラレルワールドだ。人間というのは、いつも現実の世界で生きているわけではない。ときに人間は空想により別の世界ファンタジー・ワールドに行くことで生きるための心身のバランスを保っているのだと思う。

 

2019年5月                          大阪東洋ショーにて