ヴァチカンをはじめ世界は昨日(2/17水曜日)から復活祭前40日間の四旬節が始まったが、ミラノはまだカルネヴァーレ中。
今朝メルカートに行き、子供が多くてなんで?ということで気がついた。小中学生は今日から日曜日まで休みで、土曜日まで街中ではカルネヴァーレのプログラムで本来は盛り上がるはずなのだが、今年は近所でも仮装をして紙吹雪のコリアンドリを撒いている子をあまり見かけない。コロナの影響もかなりあるようだ。
そもそもミラノのカルネヴァーレが他の地区よりも遅く始まるきっかけは、”アンブロジアーノ“と呼ばれる通り、聖アンブロージオが司祭だった頃に遡る。
彼は4世紀半ばドイツで生まれ、ローマで法学を学び人望もあったので、374年に当時亡くなられた後のミラノ司教に相応しいと任命された。しかし、彼はわざと売春婦を2人家に泊めるなどして司教就任を回避しようとしたと言う。さらにミラノから逃亡を試みたり、なにせ当時はまだ洗礼さえも受けていなかったと言うから、その無茶振りは驚きだ。
その後司教となったアンブロージオは教会政治家として優れた手腕を発揮し、アリウス派を駆逐して正統信仰の擁護に尽力したという。
ある四旬節を目前に、彼は巡礼のためミラノを離れており、カルネヴァーレの間に合うよう戻る予定が約束を守れず、市は司教の帰りを待つことに決定し、そのお祭り騒ぎが延長されてしまったという。当時の領主(最初のカルロボッロメオと後にフェデリコボッロメオ)がこのお祭り騒ぎを何度かを禁止しようとした試みたが、結局はトリエント公会議でもそれを変更することはできず、ミラノの伝統となってしまったという。
ミラノのカーニヴァル、カルネヴァーレ・アンブロジアーノは通常、テーマがあり、毎年選ばれ、歴史上の人物や特定のイベントを祝ってきたそうだ。その中には花、張り子の像、伝統的なマスクで飾られ、町の中心部をめぐる山車のパレード。山パレストロ通り、コルソヴェネツィア、サンバビラ広場、ヴィットリオエマヌエーレ通り、ドゥオーモ広場とたどるのは現在も同じ。また、ほとんどが揚げ物、というお菓子を食べることも伝統的なカルネヴァーレの楽しみ方だ。
ところで、イタリアのカルネヴァーレには伝統的な登場人物がいる。16世紀にイタリアで生まれたコメディア・デラルテと呼ばれる、仮面を使った即興喜劇の登場人物達だ。
Arlecchino(アルレッキーノ) ヴェネツィア方言を話す、ずるくてうそつきで食いしん坊の召使役。 常に貧しく、空腹で、持ち前の機知とユーモアで権力を持つ登場人物たちを笑い者する。
Brighella (ブリゲッラ) アルレッキーノの相棒でベルガモの使用人。非常に賢く、詐欺師で、おしゃべり。一方、優れた音楽家でもあり、ギターを携えた姿で表されることもある。
Pulcinella (プルチネッラ) ナポリ出身の召使で、くちばしのような長い鼻のある仮面をつけている。愚鈍と明敏、臆病と大胆と対立するどちらの性格にもなることが出来るという。また、哲学的で憂鬱な夢想家。哲学者ぶったおしゃべりをする道化役。
Meneghino そして、こちらがミラノのシンボルであるメネギーノ。彼の名前ドメニコ(«ドメネギン»)から変化。善良で機知に富んだ使用人。余談だが、17世紀から18世紀の間に、裕福な紳士が多くの使用人を使用していたのに対し、裕福でない貴族は日曜日にのみミサに出かけたり、散歩する際同行する使用人、ドメニキーノを雇っていたそうだが、かれは執事と美容師の職務も果たしていたという。 カルネヴァーレでメネギーノに扮する際は、彼の妻であったCecca(チェッカ、フランチェスカの簡略された呼び方)も同伴させるようだ。
今やカルネヴァーレといっても伝統的な衣装を纏う子供、ましてや大人もいなくなった。しかもこのご時世、コロナ禍で恒例の山車や行列は無し。美術館などでのイベントも多少あるが、オンラインで行われていたり、とちょっと寂しい。
来年こそ、楽しいカルネヴァーレが迎えられますように。