4. La Chiesa di Sant’Alessandro
サンタレッサンドロ教会は7つの教会の中で最も新しく、17世紀初頭、スペイン支配の最盛期に、この地域に大学を構えていたバルナバ派の神父たちの主導で建てられたと言う。
実は、ミラノが誇る最高のバロック様式で建てられたこの17世紀の教会は、キリスト教の殉教者である聖アレッサンドロに捧げられた以前の教会の遺跡の上に建てられている。この教会は、ローマ時代にはプレトリアムとゼベディアズとして知られる監獄があった場所に建っていた。
テーバン軍団のローマ兵であったアレクサンドロス自身は、その牢獄に囚われの身となり、迫害の最後の時期、すなわち紀元3世紀末に、隊長モーリス(コルソ・マジェンタの聖モーリス教会はこのモーリスに捧げられている)と同様に、その信仰のゆえに殉教し、斬首された。
余談だが、教会の正式名である"La chiesa di Sant'Alessandro in Zebedia" ゼベディア 「または 」ゼベデオ "と呼ばれるローマ時代の牢獄は、この教会の名前の由来である。
ファサードは残念ながら、修復中であったが、実は下部は1623年に完成したバロック様式。真っ白に近く、直線的な姿をしている。一方上部は1700年代に完成し、翌世紀に改築されたロココ様式。2つの異なる様式が魅力的な教会。
以前こちらで日本語ミサが挙げられている時期があったが、こんなに暗かっただろうか?と思った。
「エマオ」の祈りと共に「赦し」の祈りを唱えた。
5.Il Tempio di S. Sebastiano Civico e Votivo
Via Torinoに戻り、1576年、ペスト終息の誓いとして市民が当時最高の建築家ペッレグリーノ・ティバルディに、次いでジュゼッペ・メダに依頼したサン・セバスティアーノ市民・ヴォティーヴォ神殿。(カルロ・ボッロメオ枢機卿の時代)
聖セバスティアーノはミラネーゼの母を持ち、ローマ軍の兵士でキリスト教に改宗した。彼は紀元3世紀末、ディオクレティアヌス帝のもとで射手として活躍した。このため、おそらく彼の殉教は矢によるものであり、ペストの矢から街を守るため、街の守護神として迎えられたと言う。
6 la Chiesa di S. Maria presso S. Satiro.
「だまし絵」の教会として有名だが、なぜかここの前を通ると門が閉まっていることが多く入ったことがなかった。サン・セバスティア―ノと目と鼻の先の教会。
この教会はルネッサンス期を代表するイタリアの建築家ドナート・ブラマンテの代表作品。彼は「最後の晩餐」のあるサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会の建設に携わり、ローマのサン・ピエトロ大聖堂の建築主任としても知られ、更にダヴィンチとも友人であったといわれるほど有名な人物。
入って驚くのは、外観からは想像もつかない奥行き。しかし祭壇上の壁は97センチしかない。
何度も脇から、そして正面から見返してしまった!
7.Duomo
最後はミラノが誇るドウモ。
17時半からのミサにあずかる予定であったが、その前の夕方の祈りであるヴェスプリが行われていた。(昨年偶然東京でお会いした司祭がおられ、思わずあっ!と思ってしまった。)
考えてみれば、聖年になり、所属教区の巡礼指定聖堂でミサにあずかったのは、初めてであったと気付いた。
この日のアンブロジアーノ典礼の福音箇所は、ヨハネ9章。テーマは盲人の男。
「かつては盲目であったが、今は見える」アメージング・グレースのフレーズを思い出す。
今回、巡礼をしていく内に、自分が自分を深く見つめ、赤裸々な自分と直面し、本当の自分を知らされるような気がした。巡礼とは、「自己発見」の旅かもしれない。もちろん、それには神との出会いも重要で、自己の救いと新たに生まれ変わり、新たな力を得る旅。
今年のジュビレオ、聖年は自分の信仰の見直しの年であり、神の恵みと憐れみを受けて神に立ち返り、神との関係を深めること。希望をもってすすめるよう祈った。
主を待ち望め、雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め(詩編27ː14)











