退院前に人々に挨拶されるパパ様 2025年3月23日 ローマ、ジェメッリ総合病院 (ANSA)
3月23日(日)正午、パパ様はローマのジェメッリ病院からの退院前に、病棟のバルコニーに姿を見せられた。
パパ様が公の場に姿を見せられたのは、今年の2月14日入院日以来。
病院の広場と緑地帯には、およそ3千人の人々が詰めかけ、パパ様の復帰を歓迎した。
通常の白い教皇衣に身を包まれ、車椅子でバルコニーに現れたパパ様は、感慨深いご様子で人々の歓声に応えられ、「皆さん、ありがとう」と感謝の言葉を述べられた。
そして、この日のアンジェラス(お告げの祈り)は、パパ様が準備された原稿をヴァチカン広報局が発表した。
「この長い入院生活で、わたしは主の忍耐を経験することができました。その忍耐は、医師や医療従事者の尽きぬ配慮や、病者の家族が持つ関心や希望にも反映されるものです。神の愛に繋ぎ止められた、この信頼に満ちた忍耐は、特に最も困難で痛ましい状況はもとより、わたしたちの人生においてまことに必要なものです。」
またパパ様は、ガザ地区への空爆再開に深い悲しみを表明された。
しかし、何よりも誰もがパパ様の変わりように気づかれたのではないだろうか。
前教皇ベネディクト16世は、職務遂行に必要な精神的、肉体的な力がなくなったとして辞任されたのは、記憶に新しいが、任期の途中での退位は約700年ぶりであった。
それはそれで、個人的には、引退は大きな勇気であり、自由の精神、そしてご自分の任務に対する責任の自覚の深さ故、素晴らしい決断であったと思う。
とはいえ、どちらがいいとか悪いと言う話ではないが、その前の教皇であったヨハネ・パウロ2世といい、現在の教皇フランシスコ、つまりパパ様といい、老いていること、そして病気であることをありのままにさらけ出していらっしゃると言うことはすごいことだと思う。
完璧であること、健康であること、若くあること、また美しくあることが良いことのような風潮のこの世の中で、弱い者、異なる者は避けられがちだ。
しかし、病気や老いを畏れずに、「恥じて」いないそのお姿こそ、神様と共におられ、神に委ねて歩まれているお姿であろう。
天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある。 旧約聖書 伝道者の書 3ː1
夕暮れになっても、光がある ゼカリヤ14ː7
私たちは誰もが年を取る。そして、年を取ると言うことは、弱いところが増えてくると言う事。ありのままの自分を受け入れることで、神の恵みに目を開くことができるのだろう。
私は弱い時こそ、私は強い コリントII12ː10
パパ様のお姿を拝見し、祈りによって神様から力を頂いて起き上がり、命のある限り、与えられたみ旨を果たそうとされているキリストの真の代理者であると痛感。
おとめマリアがパパ様を守り、復活祭への歩みを共にしてくださいますように。
