しばらく間が空いてしまいましたが、
❸『英語の土台がない子はどうする?』について。
英語教室では、新しく入ってきた生徒さんで英語の経験がなかったりなど、こういうケースも多いんじゃないでしょうか?
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フォニックスの導入時期っていつがいいの?
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サイトワードとフォニックス、どちらが先?
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英語の土台がない子はどうする?
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音は入った。その後は?








しばらく間が空いてしまいましたが、
❸『英語の土台がない子はどうする?』について。
英語教室では、新しく入ってきた生徒さんで英語の経験がなかったりなど、こういうケースも多いんじゃないでしょうか?
今日はインスタでもいただいた質問、
『サイトワードとフォニックス、どちらが先?』という質問に関して。
"sight"は「視覚」という意味。
つまり、頻繁に目にし、ぱっと見で理解しなくてはならない単語のことです。
英語にはフォニックスでは読めない単語が数多くあります。
サイトワードにはそういった単語も多く含まれます。
そのためサイトワードは、フォニックス読みではなく、その単語をまるごと覚える必要があります。
(過去の記事『サイトワードについて』から)
またサイトワードは、英語圏に住む子どもが知らなくてはならない、日常で頻繁に目にする言葉も含まれています。
そういう点でもサイトワードを読めるようになれば、絵本や本など読める範囲がうんと広がるのです。
質問にもありましたが、サイトワードとフォニックス、どちらを先に導入したらいいのか?
これも 過去の記事に書きましたが、子どものサイトワードへの関心度や言語成長のスピードも違うので、一概にいつがベストとは言えませんが、
アルファベットの小文字を理解できて、基本的な音(letter sounds)が入って、3文字単語を読めるようになってきたあたりだと、混乱も少ないのかなと。
下のように、3文字でできた簡単な文でもサイトワード(a, the, isなど)は出てくるので、まずはそこから読み方を提示することからはじめてもいいかもしれません(フォニックス読みをさせると混乱するので、読み方を提示すると◎)。
A yellow cat is on the bat.
サイトワードとフォニックスで読める言葉、この二つがどう違うのかと言うと、
たとえば、couldという言葉。
これはサイトワードに含まれていますが頻繁に目にする単語で、フォニックス読みでは読めません。
サイトワードとして読む場合は左から右に読み、塊で覚える。これで「クッド」。
could
→
c--o--u--l--d
写真のように形を覚えるか、一音ずつ読むか、という違いがあります。ですが、フォニックスの基本の音が入っていれば、読める音もあります(/c/と/d/)。そして-ouldのパターンが入れば、他にもwould、shouldなんかも読めますね。
サイトワードは、フォニックスだけでは読めない単語を読めるようにサポートする、痒いところに手が届く、そんな役割なのかなと。でも、こういう読みづらい言葉も、パターンがあるものもあるので、Word Familyで覚えるのもいいかもしれません。
could
would
should
これも過去の記事にまとめてあるので、そちらを読んでもらえればと思いますが、
❶ 自分でフラッシュカードを作る
❷ 市販のフラッシュカードを使う
❸ サイトワードのリーダー本を使う
(サイトワードというわけではないけれど、読めない子を読めるように導いていくguided reading向けなので読みやすい内容)
日本ではフォニックスは有名ですがアメリカでは、真の読解力を身につけられないとして
フォニックスに対する批判も根強くあったようです。
ホール・ランゲージ・アプローチとは、フォニックスのように、単語単位で文脈から切り離された教え方をするよりも、絵本の読み聞かせをたくさんしたり、体験や様々な言語活動を通して、読む力は自然に身についていくものだ....という考え方。こういった考え方を支持する教育者も多かったようです。
"whole"は「全体の」という意味。
言語を全体から捉えるという考え方。読ませるための本ではなく、生きた言葉に触れられる絵本や題材にたくさん触れさせたり、書いたりすることで自然に言葉を習得していくものだという考えを元に、レッスンを組んでいく教育者も多いとのことです。
ホール・ランゲージ・アプローチがいいのかフォニックスを入れるべきなのか、長らく論争がされてきたようですが、どちらも必要な考え方として今は落ち着いているそうです。
わたしは、どちらも大事だけど、しっかりと基礎を入れるのも大事だと考えています。生きた言葉に触れさせ、様々な言語活動を通してリテラシーを育むトップダウンの方法(全体から細部を理解していく)も大切だし、日本語を第一言語とする子どもや読み書きがあまり得意でない子にとっては、フォニックスのようなボトムアップの方法(細かい単語単位から全体を把握する)も欠かせないんじゃないかなと思います。
「あら。うちの子は読み聞かせと語りかけだけで自然に読み始めたわ」という方がいらっしゃったら、それはWhole language approachで言っているような、豊かな言語環境に子どもがいて、且つ文字に対して敏感だったために読めるようになったケースだと思います。
だけれどみんながそれで読めるようになるわけではない。
だからこそ、良書と言われる絵本を読んであげる(リーダー本は読ませる為の本なので、読み聞かせにはリーダー本よりも絵本を)。
同時に音を入れていって、リーダー本やフラッシュカードなどの教材も利用しつつ読みをサポートする。
そうすることで子どもへの負担は減り、より読むことへの楽しみを見出せるようになる。ということではないかなと
フォニックスに関しては何度か記事を書いているのですが、
ここ最近 読みに関する相談が何件か続いたので、あらためて記事を書いてみようと思います
まずはじめに・・・これから書くことはみんなに当てはまることではないことをご理解ください
自分の受け持っている生徒さんだったら、どうすれば読めるようになるか、何をすればいいのかというのは、ある程度 目処を立てられますが、会ったことのないお子さんの場合は、
どんな性格なのか、
どんな英語力なのか、
どんな子なのか、
そういうものが分からないので「これさえすれば!」という断言はできません。
子どもによっては、フォニックスを必要とせずとも読めるようになる子もいるし、フォニックスをやっても読むのに苦戦する子もいます。
なので、ここに書いてあることは「こうすれば読めるようになるよ」というノウハウでもなく、「フォニックスはやるべき」という情報でもなく、あくまでもおおまかな目安です。
長くなりそうなので この記事では『 フォニックスの導入時期』について。
教室でフォニックスを導入する場合は、生徒の英語レベルは一律ではないけれど、同じレベルのクラスであれば同じタイミングで導入しますよね。カリキュラムの進度具合、あるいは先生の判断で。
じゃあ、家庭ではどうしたらいいのか?
「何歳がベスト?」
「早い方がいい?」
そういう疑問もあると思いますが、こればかりは子どもによって違うので一概に「いつ」とは言えません。でも目安になることと言えば、
ある程度発話がある
基本語彙が入っている
文字に興味を持ち始めた
アルファベットの小文字を認識できる
こういったことが目安になるのかなと思います。
これは次の項目『基本単語が入っている』と重なる部分が多いです。
「ある程度の発話がある」というのは、決して流暢に英語を話せるということではなく、ある程度の基本語彙を聞き取る力があり、自分でも口に出して言えるということ。
そうすれば文字を導入したときに「読めるけれど意味が分からない」ということにはならない。
例えば
Sam had a cat.
という文。
もしcatだけでも知っていれば、男の子と猫の絵があれば、「男の子と猫のお話かな」と推測できる。絵がなくても、猫が出てくるということは分かる。
こういう理由から、その後の文章理解に繋げるためにも、ある程度の 発話は目安になるんじゃないかなと思います。
英語教室によっては、基本語彙を入れつつ、同時にアルファベットの音を導入するところもあると思います。
基本語彙(動物、色、物の名前など)が重要と考えるのは、語彙が入っていなければ、フォニックスを導入して3文字単語を読めるようになったとしても文の意味が分からないので、それ以降 読みの成長が伸び悩む可能性もあるから。
日本語を混ぜて読みを導入する方法もあると思いますが、低年齢であれば、日本語を介さずに音に慣れさせるという意味でも、訳は入れない方がいいと感じています。
教室で英語の先生が主導で体系的にフォニックスを導入した場合は、子どもが文字に興味あるかないかは、上達の違いに差は出たとしても そこまで大きく影響しないかもしれませんが、
家庭でフォニックスを導入する場合、子どもが文字に興味がなければ一生懸命フォニックスを導入したところで、導入する労力の割にはなかなか身につかず、逆に子どもの負担になる可能性もあります。
リスニング力もある、
スピーキング力もある、
だけど読みが進まない。
そういう場合は、もしかしたら時期が早すぎるのかもしれません。そういう時は無理に取組みを続けるのではなく、少し待ってみる。
小学校で本格的に読み書きが始まるというのも、6-7歳が一つの目安だと考えられますよね。
運筆力が高まり、文字への意識が高まる時期だからではないでしょうか。そういう意味でも、子どもが未就学児であれば、「まだ読んでくれない」と焦る必要はないのかなと。
「最近文字に興味を持っている」
「文字を指して何やら読もうとしている」
そうなったら、導入時期を考えてもいいかもしれませんね
そして最後に、アルファベットの小文字を認識できるか。
アルファベットの音(ア・ブ・ク・ド)を導入すると、その次のステップとして、c-a-tとか b-a-tとか、3文字読みに進みますよね。その次は
サイレントeルールや
母音が二つ続くときのルール、
サイレントgのルール…
など色々ルールがあります(やらなくてもいいルールも)。
その次は
The cat is on the mat.
といったような簡単なセンテンス。
赤字を見ても分かるように、英文で出てくるのは固有名詞や最初の文字以外はほとんど小文字。なので小文字を認識できなければ文字読みは難しい。
小文字は大文字よりも形的になかなか覚えづらいので、
お風呂に貼るポスターでもいいし、
小文字アルファベットのフラッシュカードで
カード取りゲームしてもいいし、
小文字を認識できるようにサポートすると良いかもしれないですね
*大文字と小文字が一緒の面に書かれているものよりも、別々or違う面にあるものがおすすめ。
上のようなことから、フォニックス導入は「いつ頃がいいかな」と考えた時に、
基本語彙がまだ入ってなければ、読みを一生懸命進めるのではなくまずは基本語彙を重点的に、聞き取れて言えるような取組みを(同時進行でもいいですが)。
まだ文字に興味を持っていなそうであれば、アルファベットの歌やフォニックスの歌など、耳から音を入れておいて時期を待つ。他の英語の歌をたくさん歌って、慣れ親しんでおくことも大事ですね。
発話も安定していて文字にも興味が出てきたのであれば、小文字を導入する際にアルファベットの音(ア・ブ・ク・ド)を入れてみる。
フォニックスの動画でもいいし、
Starfallなどのアプリでもいいし、
フラッシュカードで
丁寧に一音一音入れていってもいいですね。
(その場合は、正しい音を知っておく必要も)
(Analytic phonicsが土台のフォニックスの歌)
(Analytic phonicsが土台のフォニックスの歌)
今、うちの子どもはどの辺かな?
周りの子や、錯綜する情報に惑わされず、目の前の子どもの成長過程を見ながら
フォニックスをやる必要があるのか、あるいは家庭ではやらずに英語の先生などプロに頼むべきなのか、というのを考えるといいのかなと思います
つい先日、見知らぬパパとお話する機会があったんですね。
2歳のお嬢さんを持つパパでした。
お嬢さんの成長を嬉しそうに話すパパ。
話題は今年の抱負になったのですが、
そしたら、そのパパ、
「実は、娘に英語で話しかけておりまして・・・」
と話し始めました。
「先日、娘が"I did it!"とか"Really?"って言ったんですよ!今年はもっと娘に英語で話しかけていきたいです」と。
「わぁ、素晴らしいですね!」とだけ
言いましたが
内心だいぶ興奮していました(笑)。
だって、パパで「子どもに英語を」って、
なかなか居ないし、
勉強としての英語ではなく、
言葉としての英語に関心を持っている人も
増えているのかもなぁ、と。
いきなりバイリンガル育児や
おうち英語のことを
わたしが話し出してもびっくりされるので
取組みをするにあたっての
不安要素を取り除く情報
進め方
おすすめ情報
発話を引き出す語りかけ
インプットについて
などなどは、だいぶ飲み込みました
わたしは、日本語も英語も大事にしたいとか
バイカルチュラルに育ったらいいなとか
多様性に寛容になって欲しい
という想いで
バイリンガル育児をしていますが、
バイリンガル育児でも
おうち英語でも
早期英語教育でも、
言葉としての英語を子どもに
伝えたいという人が増えるのはとても嬉しいし、
わたしも何かしらの形で
そういうご家庭をサポートしていきたいなと。
新年が明けてからだいぶ経ってしまいましたが、
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします
プライベートなことはこちらのアメブロではほとんど書いていませんが、たまには個人的な話を書こうと思います
年末からお正月にかけて、映画三昧だった我が家。
お正月の締めは『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』。
せっかくなので3Dで観てきました。
いやぁ、遂にこのシリーズが完結したという感じですね
エピソード4が1977年に公開されてから実に42年!
思い返せば、スター・ウォーズシリーズは物心が付く前からの付き合い。
5歳半まで、父の駐在でアメリカに住んでいたのですが、旧三部作の最後の作品『エピソード6』は帰国前にアメリカの劇場で鑑賞。
エピソード4と5も、親がビデオを借りて何度も一緒に観た記憶があります。
吹き替えではなく、字幕もしくは英語で観ていたので、まだ6歳やそこらだったわたしは(英語も日々抜け落ちていく中)、当然、内容をあまり理解することもできず、なんとなく雰囲気を楽しむだけ。
それでもスター・ウォーズはわたしの中で強烈な記憶として残っていました。
物心が付いた後は、「典型的なアメリカ映画」として斜に構えて敬遠していた時期も長らくあったのですが、
2017年に『エピソード8:最後のジェダイ』をハワイの劇場で娘と一緒に観てから、何となく「また全部 観てみたいなぁ」なんてボンヤリ思うようになっていました。
そして今回、エピソード9が放映されるというのを知り、重い腰を上げて、娘と夫とで旧三部作のエピソード4からストーリーを総復習
今まで単なる宇宙戦争くらいにしか理解していなかったのを、ストーリーを改めて理解し、「へぇ、そういうことだったのかぁ!」なんて、フムフムと頷きながらふと横を見ると
わたしよりもスターウォーズに夢中になっている娘。
帰国当時のわたしと年齢も大して変わらないのに、その時のわたしよりも内容を理解し、映画を格段に楽しんでいる娘を見ていたら、何となく感慨深くなってしまいました。
40年前に両親が蒔いてきた種が、
ここで花咲いているのか、と。
長い年月を経て、両親の
映画館で映画を楽しむ
とか
洋画は(頑なに)字幕で観る
というこだわりが今こうやって生きているなぁと。
そう考えると、こうやってお気に入りの洋画を劇場で観るという、ちょっと贅沢とも言える習慣は、
娘にも何らかの形で受け継がれていくのかもしれないなぁ。
英語は英語で、日本語は日本語で楽しむ。
しかも幼少の頃の記憶でしかなかった『スター・ウォーズ』を、娘とタイムリーに楽しんでいる。
バイリンガル育児、やっていてよかったなぁと感じました。
そして当時、英語の環境を少しでも作ってくれていた両親に改めて感謝です
撒いた種はいつ どこで花咲くか分からないものですね。世代もまたぐかもしれない。
なんてことを考えた2020年のお正月でした。
クリスマスパーティが終わり、仕事も昨日でひと段落。
さて、タイトルの
英語が苦手な親は、
発音が子どもに移るので注意が必要
という件。
これに関しては、信用できる情報筋から「親は発音に気にせず話しかけて大丈夫!」というように出ているし、わたしも同じ意見です
でも英語育児関連の情報で、
英語ネイティヴの発音を中心に聞かせていれば、「日本語アクセントの英語にはならない」、そして「親の語りかけは注意が必要」という内容のものを目にしたので、
今日はその件について。
英語の取組みをする際に、親御さんが自身の英語力や発音を気にされるのはもちろん理解できます。
英語で話しかけたりしてはいけないということではないけれど、語りかけに注意が必要というのも同意です 子どもの第一言語が日本語である場合は、日本語に触れさせずに英語に偏るのも危険。
わたしも仮に、フランス語を子どもに習わせていたとして、全くフランス語を話せないわたしが
「片言で話しかけていいのかしら?」とか「フランス語の絵本読んでも平気かしら?」とかちょっと頭をかすめるかもしれません
でもだからと言って、その言語で話しかけてみたり(挨拶の練習程度)、
絵本を読んだりしてはいけないということではない。
英語の語りかけは、音源のかけ流しや絵本読み聞かせや歌のように、インプットの一つに過ぎない。
語りかけをしないのであれば、他の方法でインタラクティブなインプットがあれば良いというだけなのですが、
英語話者がどんどん増えていて、英語の使い手も多様性に富んでいる現代の社会で
幼児期は英語ネイティヴの英語を中心に聞かせれば、日本語アクセントの英語にはならない
という意見が、親御さんからではなく、情報を発信する立場から出ているのはどうなんだろう?
言語習得に関する背景知識がなければ、影響力大ですよね
「日本語アクセントの英語は悪い」
「ネイティヴのような発音が良い」
など、発音で英語力を評価する風潮が広まり、排他的な考え方にならないだろうか?と思ってしまいます。
もちろん、正しい発音は知っていた方がコミュニケーションを取りやすくなるし、
コミュニケーションを取るのが難しいほどであれば発音矯正なんかも必要かもしれません。
でも日本語のアクセントがない英語を話すことが果たしてどれだけ重要なのか。
そもそも英語ネイティヴ発音って何なんでしょう?
アメリカ英語ひとつ取っても、いろんなアクセントがありますよね。
幼児期は耳を育てるために、英語ネイティヴの発音を聞かせたい!と親御さん自身が感じるのは自然なことだし、もちろん理解できます。
不定期にでも英語ネイティヴの方と交流する機会があるのであれば、そういう場で英語に触れるというのもいいし、
そういう場がなければ、DVDやCDなどの動画でネイティヴの発音を入れるのもいい✨
あるいは学習者や子どもが自ら「発音を良くしたい!」と思うのは良いと思うんです。
わたし自身、ハワイに住んでいた時は、現地の人のハワイ訛りが心地良くて、密かに真似た時期もあります (そのハワイ訛りですらも、アメリカ本土出身の方から「ハワイ訛りが移るから現地の人とあまり絡まない方がいい」と言われるくらい、英語ネイティヴの英語にも幅があるということですよね)
でも、
少しでも専門家のような立場で
「幼児期は英語ネイティヴの発音を聞かせるべき!」と発信したり、日本語アクセントの英語はよくないという印象を持つような発信をしたりするのは混乱を招くのではないかな?と思います。
もちろん、英語ネイティヴの発する音だったり、使う幅広い英語表現だったり、そういったものに触れるのも大事な要素の一つですよね。
第二言語習得の分野で著名な言語学者オルテガ氏によると、質の高いインプットに触れさせることは確かに言語を習得する上で重要だそうです。
ちなみに質の高いインプットというのは、文法的にも誤りのない文だったり、子どもが理解できるレベルのインプットだったりを指し、発音に限りません。
つまり、お母さんやお父さんがご家庭で、日常的に英語の絵本を読み聞かせたり、英語で簡単に話しかけることは、どちらかというと「インプットの質」ではなく
インプットの量を増やしていることになります。
それに加えて、英語サークル、英語教室やオンラインレッスンなどで英語に触れさせたり、英語の音源を掛け流ししたりすることで、
インプットの質を高める。(レッスンや掛け流しの頻度が高いのであれば、インプットの量も増えるということにもなります)
子どもは色んな英語に触れることで、インプットを整理して取り込んでいくものだと思っています。
それに加えて、身近な存在で英語を使う姿を見せるというのも
多様性への寛容さを育てていくんじゃないかな、と。
そういう意味でも、もしご自身の発音や英語力に自信がなくても、自分の英語を子どもに聞かせてはいけないということではないし、
英語を使う姿を積極的に見せることは
子どものバイカルチュラルな姿勢も育てていくのではないでしょうか
…a number of environmental (e.g. opportunities for exposure and use of high-quality L2 input and amount and quality of L1 use) and socio-affective factors (e.g. motivation, L2 instruction and overall education) may mutually interact and become important predictors of success at earlier as well as later starting ages.
「多くの環境的要因(英語に触れる機会、質の高い第2言語に触れる機会とその量、母語の使用状況)や、社会的要因(モチベーション、第2言語による指導、全般的な教育)は、相互的に影響しあうと考えられる。そして、後期(4歳以降)と同様に、早期(4歳以前)に第2言語に触れる上で、成功するかどうかを見極める重要な予測判断材料となる」
(参考文献:Ortega, L (2009) Understanding Second Language Acquisition. London: Hodder Education.)
おうち英語やバイリンガル育児をしている方から、
「子どもの読みがなかなか進まない」とか
「もう文字を入れたいんですけど、全然アルファベットを覚えてくれない」とか
などといった相談を受けることがあります。
でも
そんなに焦る必要はないんじゃないかな、と。
低年齢や小学校低学年でも流暢に読める子はいますが、日本語でもそうですが、そもそも未就学児で読めることがすごいことであって、
「5・6歳で読めるのが普通」では決してないです。
そりゃ、文字に敏感で早い段階で読める子はいます。でもそれが標準ではない。英語圏に住んでいる子でも、小学校に入って、本格的に読みの導入が始まるものですよね。
そしてタイトルにもあるように、この「英語を読ませる」というのは、日本に住んでいる英語ネイティヴの方も結構悩みの種だったりするんですよね。
日本の幼稚園や小学校に子どもを通わせている、わたしの周りの英語話者の友人からも、
「どうしたらいい?」
「読みの導入をしたいけど取っ掛かりが分からない」
といった相談を受けることが結構あります。
フォニックスについても、
「むかーし、学校でやった気もするけど、覚えてない」
って言う方も。
インターナショナルスクールに通わせるのであれば、学校で教えてくれるのであまり心配ないですが、勿論、そうではない家庭もあるので、時々そういった家庭の子どもの読みの取っ掛かりだけお手伝いすることがあります。
日本に住んでいて、日本語の学校に子どもを通わせている場合は、英語は流暢に話せても、読み書きが難航したりして、
家庭言語を維持したいという想いが強い方は、悩みは特にシビアですよね。
英語が母語の子、英語が第一言語の子を持つ家庭でさえも、読みの導入は必ずしも簡単なものではない。
ましてや日本語環境で育っている子どもにとっても、そんな簡単なことではないですよね。
でもSNSやブログを見ていると、低年齢で流暢に読めたり、小学校低学年で英検で高い級を取るのが目立っている印象も受けたりします。
もちろん、家庭によって考え方や方針は様々なので、「早い時期に読みを導入したい!」という方もいると思います。
でも家庭内言語が英語、という方でも読みの導入は簡単なことではないし、
英語圏で暮らしている子でもそんなに低年齢でみんな読める訳でもない。
だから、
「フォニックスって何?!」
「そろそろフォニックスやらなきゃ!」
なんていう風に焦らずに、
「何となく文字に興味持ってるなぁ」なんて目の前にいる子どもを観察して、読みの導入時期を何となく決めたらいいのではないでしょうか。
英語ネイティヴの親でも、読みの導入は簡単なものではないらしい
という話をちょっと共有してみました。
「○○の壁」という表現、バイリンガル育児やおうち英語関連の記事で目にするし、
わたしも以前どこかで使ったことがあるのかもしれないのですが、よくよく考えると結構「強い表現だなー」と。
補足説明をすると、「3歳の壁」とか「小学生の壁」といった表現は今まで順調にいっていた英語の取組みが、幼稚園あるいは小学校に入ったタイミングで環境がガラリと変わり、思うように進まなくなることを指すときに使われている(とわたしは理解しています)。
過去の記事でも「言語に対する心の障壁」という意味で何度か使ってますが、使い方によっては意味が強くなるので使う側として気を付けなければなぁなんて思い始めてます。
だって・・・
壁
っていうと、ドーン!と目の前に立ちはだかっている感じ。
イバラの道というイメージで あまり乗り越えられる気もしない
でもこれって、大抵は子どもにとっての壁ではなく、親にとっての壁ですよね。
子どもは日々の生活の中で「うわぁ、壁にぶつかってる」なんてあまり思わないんじゃないでしょうか。わたしのように、6歳前に英語圏から帰国し、英語が日々抜け落ちていく恐怖を感じながら、それを乗り越えようと(自ら)もがいている子もそうそういないんじゃないかと
だから「壁」というより、
フェーズ(段階・時期)
とか
波
という表現の方が近いんじゃないかなと。
「英語が出なくなった!」
「英語の取組み時間が減った!」
というのは壁といより、そういう時期。子どもの環境が変わり、生活が変わり、そういう時期なだけ。
親にとってみれば壁なのかもしれないけれど、子ども本人からしたら「あぁ、最近英語 使わないなぁ」なんてぼんやり感じているだけかもしれない。
だから「壁を乗り越えるためにどうしたらいい?!」と焦るのではなく、
大なり小なりその波にどう乗るか。
オンラインレッスンを取り入れてみたり、
英語でのプレイデートを予定してみたり、
取組み時間を増やしてみたり、
教室に通わせてみたり、
それぞれの家庭で調整して、次々に来る波に乗ると細く長く続くのかなぁと。
そんなわが家の小学一年の娘は、遊びで毎日忙しいのと、わたしが仕事で一緒にいれる時間が少ないので、英語の時間は激減中。
かと言って、本人は楽しんでいる様子なので、それを見守りつつ、できる時に取組みをしている感じです
バイリンガル育児やおうち英語をしていたり、子どもに英語を習わせていたりすると、子どもに対して「もっと英語力をつけさせたい」と思う親御さんは少なくないと思います。
そういった相談も実際 多い。
「発話は出始めたんですけど、最近伸びがないような。どうすればいいでしょうか?」
というようにもっと上、さらに上を目指す感じです。
でもこの気持ちが強くなりすぎるのも苦しくなりそうですよね。親も子どもも。
もちろん、子どもの英語力が伸びるのは喜ばしいこと。
だけれど、「もっと、もっと」と本人からではなく、親御さんの欲が出てきては親御さん自身も本人にとっても重荷になりかねません。
こういった相談を受けたとき、
「伸びが見えないからといって、さらにインプットを増やしたり難しいことをさせるのは逆効果。今できていることを続けてください。言語の成長はずっと右肩上がりな訳ではない」
と答えることもあります。
もちろん、やり方が合っていないとか、間違っているとか、方向性が違っていたら、英語も身に付かない場合もあります。
でもそうでない場合、順調に英語力が伸びる時期があった後に、パタッとその成長が止まったように見えて、その後 停滞している(ように見える)。そんな時にに上のような不安に駆られやすいのでしょうか。
英語の取組みをしていると、乳児期など急激に英語力が伸びる時期があると思うのですが、ずっとその調子で伸びる訳ではありません。
「子どもはスポンジのように吸収する」という言葉をよく目にしますが、確かに子ども達を見ていると無限の可能性を感じるくらい何でも吸収するなと。
ですが、子どもの成長には本人の性格、環境、年齢、心的要因などいろんな要因が関わっているので、当然、成長が緩やかな時期もある。ペースがゆっくりの子もいます。子ども一人一人違うから。
そんな時期に焦って、子どもに圧がかかるのは親にとっても子どもにとってもあまり健全ではないと感じます。
英語環境がなくならないように見守りながら環境を整えつつも、時期を待つ。
そうして続けているうちに、気がついたらまた伸びがある。そういうものなのではないでしょうか。
そういうわが家は、小学生になった娘に対して意識しているのは、とにかく火を消さないように細々でも取組みを続けるということ。
数十分であっても日々の語りかけを意識したり、
洋書を読み聞かせたり、
Raz-kidsをなるべく(数日置きに)やったり、
取組みの時間は激減したけれど、それでも今はそういう時期と思って気長に続けています
仕事がなかなか落ち着かず、気がついたらブログが放置状態でした
タイトルの『日本語に英語が混ざること』ですが、3年ほど前にWordpressの方でも書いたのですが、
今日は子どもが日英を混ぜて話すとき、どう対応したらいいのかについて、個人的に思うことを書きたいと思います。
「ルー語」として表現されている方も多いですが、日本語と英語が混ざる状態は、日英 両言語あるいはどちらかの言語が流暢になってきた子どもによく見られる気がします。
例を出すと、
咄嗟にどちらかの単語が出てこなくて、
Shoesをonできない。
といったように、どちらかの言語が土台になっていて、そこにもう片方の言語が混ざっているイメージ。
わたし自身、上の記事でも書いているように、言語が混ざることに対してはどちらかというと肯定的に捉えています。子どもの年齢が低ければ、それは言語の成長過程だと思っています。
そして特定のコミュニティ内で、意識的に言語を混ぜるといった事例も少なくないことを考えると、単なるコードスイッチングとして片付けられないと思うからです(Canagarajah, 2011)。
例えば、インターナショナルスクール出身の友人たちの会話でよく見られた例でお話すると、
友人がわたしと話すときは英語が混ざることはほぼありませんでした。でもその友人がインター出身の人と話すときは、英語と日本語がごちゃ混ぜ状態。
属するコミュニティによって単一言語だけを使用するか、頻繁に言語を混ぜるか、というように言語使用を使い分けていたのでしょうね。
そ れ で も
言語を混ぜることを肯定的に捉えていると言っているものの、やはり、バイリンガル育児をする親としては、TPOを考えて娘が大人になって言語を使い分けられて、バイカルチュラルとして育ったらいいなぁと思う気持ちもあります。
過去の記事で書いたように、中にはTPOで言語使い分けられるけれど、相手によって言語を混ざるというケースもあると思います。
それは言語の使い分けができた上で言語を混ぜているという意味で、その人にとってのコミュニケーションの形の一つと捉えることができます。
でも そうではなく、言語の使い分けがうまく出来ず、英語を話さない相手に対していつまでも一方通行なコミュニケーションを取っているようであれば、周りのサポートは必要になってくるのではないかなと思っています。
バイリンガル育児をする上で、単に英語を話すだけでなく、言語に対する配慮もできるようにもなって欲しかったので、娘に対して意識してきたことは
日本語を話しているときに英語が混ざったら、日本語の表現を提示する
日本語話者しかいないときは日本語を話すように促す
英語を話しているときに日本語が混ざったら、英語の表現を提示する
英語話者しかいないときは英語を話すように促す
両言語の話者がいるときは、話す相手によって言語を使い分けるように促す
もちろん、発話を止めて言葉を直すことで娘との会話を中断したくないので、娘が「直された」とあまり気が付かないようにさりげなく言い換えていました。記事を読んだお友達が「相槌だよね」とコメントしてくれたのですが、まさに相槌のような感じで言葉を提示するイメージです
英語を話せるようになるのは素晴らしいこと。
でも、日本という環境で、日本語で会話している時に、相手が英語を話さないのに構わず英語を織り交ぜて話して、相手に「何て言ったんだろう?」と思わせたり、英語だけで会話して相手に疎外感を与えてしまうということにはなって欲しくないですよね(逆のケースもありますよね。英語しか話さない相手がいるのに日本語だけで会話して疎外感を与えてしまうなど)。
そういう意味でも、子どもの無意識の状態での言葉がごちゃ混ぜの状態を、言語の成長過程と肯定的に捉えつつも、そのまま見守るのではなく(そのうち自然に学ぶこともあるとは思いますが)、
本人が将来、自然に言語の使い分けができるようになり、人・場所・シチュエーションに合わせて言葉の選択ができるように、促すことも時には必要なのではないでしょうか
【参考文献】
・Canagarajah, S. (2011). Translanguaging in the classroom: Emerging issues for research and pedagogy. Applied Linguistics Review, 31, 1–27.