普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

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2020年4月3日(金)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、13:45~鑑賞。

「彼らは生きていた」

作品データ
原題 They Shall Not Grow Old
製作年 2018年
製作国 イギリス/ニュージーランド
配給 アンプラグド
上映時間 99分


『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのピーター・ジャクソン監督が、イギリス帝国戦争博物館に所蔵されていた第一次世界大戦の激戦地・西部戦線で撮影された未公開映像を、最新の映像技術を駆使してカラー化し、鮮烈かつリアルに現代に蘇らせた衝撃の戦争ドキュメンタリー。2200時間以上あるモノクロ、無音、経年劣化が激しく不鮮明だった100年前の記録映像を修復・着色するなどし、BBCが保有していた退役軍人たちのインタビューなどから、音声や効果音も追加した。過酷な戦場風景のほか、食事や休息などを取る日常の兵士たちの姿も写し出し、死と隣り合わせの戦場の中で生きた人々の人間性を浮かび上がらせていく。これまで、遠い過去の話としてしか捉えていなかった第一次世界大戦の戦場を、身近に、生々しくスクリーンに蘇らせることに成功した、画期的な傑作ドキュメンタリー!

ストーリー
1914年、人類史上初めての世界戦争である第一次世界大戦が開戦。
8月、イギリスの各地では宣戦布告の知らせと共に募兵を呼びかけるポスターが多数掲出された。笑顔の兵士が描かれ“今こそチャンスだ 男たちよ 入隊を”などのキャッチコピーが入っている。志願資格の規定は19歳から35歳だったが、19歳に満たない大半の若者たちも「誕生日を変えろ」と言われるままに歳をごまかして自ら入隊。「祖国のために戦うのは当然!」と愛国心で志願したと語るのは、かつての兵士。「周りが皆、志願していたので自分も行くべきだと思った」、「退屈な仕事から解放されたかった」と、よく分からないまま志願した者も多く、国全体が異様な興奮状態に包まれていった。
彼らはその後、練兵場へ移動。朝は起床ラッパで目覚め、腕立て伏せや体操、ストレッチ、朝食後は午前中いっぱい行進する。重さ50キロはあるフル装具で行軍できるように鍛えることが目的だ。午後は機関銃や小銃を使った基礎訓練。6週間ほどで世間知らずだった青年たちも立派なイギリス兵へと成長した。重装備での行進は辛く、早く実戦で暴れたいと彼らが思った頃、ついに西部戦線への派遣が通達された。
船でフランス入りしたイギリス兵たちは西部戦線に向かって行軍。どこを歩いているのか分からないほど進むと、射撃の音がかすかに聞こえ、ドイツ軍が近いと分かった。その後、イギリス兵たちは塹壕で監視と穴掘りに分かれて交代しながら勤務する。目に入るのは腸が飛び出た馬と頭を撃たれた兵や、有刺鉄線に引っかかったまま置き去りにされた死体。遺骸が腐っていく悪臭も日常になっていった。それでもイギリス兵たちは土の壁に横穴を掘っただけの粗雑な寝床で仮眠をとり、機関銃の冷却水を使って紅茶を淹れるなど、つかの間の休息を楽しむことも忘れない。死体が沈んだ砲弾孔の水や雨水をガソリンの空き缶に貯めて使うこともあったが「煮沸すれば大丈夫」と、ひどい環境でも皆笑顔を見せるのだった。悪夢のような日々が続くある日、秘密兵器である菱形戦車が登場し、彼らは勝利を確実視した。
ついにやってきた突撃の日。兵士たちは遅かれ早かれいつかは死ぬか負傷する覚悟はできていた。突撃の命令で、塹壕を飛び出し、ドイツ軍の陣地へ前進。最初は信じがたいほどに迎撃がなかったが、こちらの出方を見ていたのだろう。いきなり射撃が始まり、仲間が次々と倒れて…。

▼予告編



▼ピーター・ジャクソン監督(Peter Jackson、1961~)インタビュー映像

2020年3月25日(水)吉祥寺プラザ(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-19、JR吉祥寺駅北口サンロード突き当たり左)で、15:35~鑑賞。

「ジュディ 虹の彼方に」

作品データ
原題 JUDY
製作年 2019年
製作国 イギリス/アメリカ
配給 ギャガ
上映時間 118分


『オズの魔法使』で一躍スターとなったミュージカル女優ジュディ・ガーランド(Judy Garland、1922~69)が、47歳の若さで急逝する半年前の1968年冬に行なったロンドン公演の日々を鮮烈に描いた伝記ドラマ。『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズのレニー・ゼルウィガーが、ジュディの奔放で愛すべき女性像と、その圧倒的なカリスマ性で人々を惹きつける姿を見事に演じきり、第92回アカデミー賞をはじめ、ゴールデングローブ賞など数多くの映画賞で主演女優賞を受賞した。共演に『マネー・ショート 華麗なる大逆転』」のフィン・ウィットロック、テレビドラマ『チェルノブイリ』のジェシー・バックリー、『ハリー・ポッター』シリーズのマイケル・ガンボン。監督は舞台演出家として活躍し、長編映画は『トゥルー・ストーリー』に続いて2作目となるルパート・グールド。劇中歌は全曲レネー・ゼルウィガー自身が歌っている

ストーリー
1968年。かつてミュージカル映画の大スターとしてハリウッドに君臨したジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)だったが、度重なる遅刻や無断欠勤のせいで映画出演のオファーが途絶え、窮地に立っていた。今は巡業ショーで生計を立てているものの、住む家もなく、借金は膨らむ一方。やむなく元夫(ルーファス・シーウェル)に幼い娘と息子を預け、ロンドンのクラブに出演するため一人旅立つジュディ。英国での人気は今も健在ではあるが、初日を迎えるとプレッシャーが高じ逃げ出そうとしてしまう。それでも、ひとたびステージに上がればジュディはたちまちディーバと化し、観客を魅了。ショーは大盛況でメディアの評判も上々。新しい恋ともめぐりあい、明るい未来に心躍らせるジュディだったが、愛する子供たちの心が離れていく恐れと疲労から睡眠薬とアルコールに走り、ついには舞台でも失態を犯してしまう…。

▼予告編



音符 レネー・ゼルウィガー(Renée Zellweger、1969~)熱唱! :



2020年3月24日(火)吉祥寺オデヲン(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、JR吉祥寺駅東口徒歩1分)で、19:30~鑑賞。

「スキャンダル」

作品データ
原題 Bombshell
製作年 2019年
製作国 アメリカ/カナダ
配給 ギャガ
上映時間 109分


アメリカの保守系メディアを代表するニュース専門放送局「FOXニュース」で起きたセクシャルハラスメント事件の全貌を描いた実録ドラマ。全米に絶大な影響力を持つFOXニュースのCEOにしてアメリカTV界の帝王と恐れられるロジャー・エイルズの知られざる実像と、彼に対峙する女性キャスターたちの葛藤の行方をスリリングに描き出す。オスカー女優のシャーリーズ・セロンとニコール・キッドマン、『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』のマーゴット・ロビーが立場の異なるキャスターを演じる。数々のセクハラ疑惑で訴えられるロジャー・エイルズ役に『人生は小説よりも奇なり』のジョン・リスゴー。監督は『ミート・ザ・ペアレンツ』『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』のジェイ・ローチ、脚本は『マネー・ショート 華麗なる大逆転』で第88回アカデミー賞を受賞したチャールズ・ランドルフ。シャーリーズ・セロンの特殊メイクを、『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』で第90回アカデミー賞を受賞したカズ・ヒロ(辻一弘)が担当し、今作でも第92回アカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した。

ストーリー
人気・実力ともにFOXニュースのトップに君臨するキャスターのメーガン・ケリー(シャーリーズ・セロン)は、共和党の大統領候補が有権者にアピールする討論会の進行係を務める。ちょうどこの頃、アメリカ全土は候補のひとりであるトランプに振り回されていた。メーガンは容赦なくトランプの女性蔑視発言を追及するが、激怒したトランプがこの日から執拗にメーガンへの罵詈雑言をツイートするようになる。
朝のニュースの顔として活躍してきたが、2年前に昼の番組に降格されたベテランキャスターのグレッチェン・カールソン(ニコール・キッドマン)は、なぜ冷遇されたのか分かっていた。CEOのロジャー・エイルズ(ジョン・リスゴー)から迫られた性的関係を拒絶したのだ。ロジャーをセクハラで告訴すると決意したグレッチェンは、相談した弁護士から「TV業界で最も力のある男が、全力であなたを追い詰めにきますよ」と警告されるが、こんなことが許されてはいけないと、固い信念を告げるのだった。
スターキャスターを目指す、野心に溢れたケイラ・ポスピシル(マーゴット・ロビー)は、グレッチェンのもとで働いていたが、彼女に内緒で副社長にお願いし、局で最高視聴率を誇るビル・オライリー(ケヴィン・ドーフ)の番組に抜擢される。だが、喜びも束の間、いきなり初日からビルに否定されてしまう。
予想に反して、トランプの支持は拡大し、FOXニュースにはメーガンへの膨大な数の抗議メールが届くようになる。命の危険さえ感じたメーガンは、ロジャーに守ってほしいと頼むが、視聴者は対立を好むものだと一蹴されてしまう。
一方、出世を諦めないケイラは、秘書に取り入ってロジャーへの直談判の機会を勝ち取る。「あなたの放送局のスターに」と懸命に売り込むケイラへのロジャーの返事は、「服を持ち上げ、脚を見せろ」だった。必死に平静を装いながら要求に応えたケイラは、さらに忠誠心をどう証明するかよく考えておけと命じられる。
2016年5月、嵐は大きく風向きを変える。
メーガンは1年続いたトランプとの闘いを、ようやく終えようとしていた。お互いの利益のために、メーガンがトランプをインタビューし、トランプが「すまん」と軽くひと言謝ることで、手を打つことになったのだ。一方、グレッチェンは突然、クビを言い渡される。すぐに弁護士に電話をかけ、「闘う覚悟は?」と聞かれると、「もちろん、できてるわ」と即答するのだった。ケイラはその頃、ロジャーの秘書からの内線で彼の部屋へ呼ばれていた。
7月6日、世界に衝撃が駆け巡る。
グレッチェンがロジャーをセクハラで訴えたのだ。いち早くニュースを目にしたメーガンとケイラは、激しく動揺する。特にメーガンは自身が上り詰めるまでの過程を振り返り、ザワつく心を周囲に気づかれぬよう押し殺していた。
激怒したロジャーは、全面否認するとともに、あらゆる手を使って反撃に出る。局内は荒れ狂うボスに従い、グレッチェンに続く女性は出てこないと思われていた。しかし、彼がFOXニュースを創設する前にセクハラを受けたという女性が6人も現われ、風向きが変わる。果たしてメーガンとケイラも、胸に秘めた真実を告白するのか…?

▼予告編



シャーリーズ・セロン(Charlize Theron、1975~)、ニコール・キッドマン(Nicole Kidman、1967~)、マーゴット・ロビー(Margot Robbie、1990~) インタビュー



シャーリーズ・セロン インタビューMOVIE Collection -「メディア界のスキャンダルを映画化し、主演も果たす!」2020/02/20) :
【2016年、全米最大のニュース放送局FOXニュースに激震が走った。一方的にクビにされたベテランキャスターのグレッチェン・カールソンが、CEOのロジャー・エイルズをセクシャルハラスメントで告訴したのだ。この事件をもとに『マネー・ショート 華麗なる大逆転』の脚本家チャールズ・ランドルフが書いたシナリオを、女優のシャーリーズ・セロンが読み、自らプロデュースを決意。友人でもある『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』のジェイ・ローチ監督がメガホンをとり、映画化が実現した。/セロンが演じるのは、人気キャスターのメーガン・ケリー。自身もエイルズに迫られた過去があり、カールソンの告訴に複雑な気持ちを抱えている役だ。カールソン役にはニコール・キッドマン、野心家の新人キャスター・ケイラ役にはマーゴット・ロビー。豪華な女優陣の競演も見どころで、第92回アカデミー賞主演女優賞にセロンが、助演女優賞にロビーがノミネートされた。また、セロンの特殊メイクを担当したカズ・ヒロ(辻一弘)がメイクアップ・ヘアスタイリング賞を受賞、2回目のオスカーに輝いた。セクハラやパワハラという社会問題の映画化を成し遂げただけでなく、実在の人物になりきったセロンに話を聞いた。】

──体重を大幅に増やして実在の連続殺人鬼アイリーン・ウォーレンを演じた『モンスター』(03年)以来の豹変ぶりでしたが、役作りについて教えてください。
セロン:メーガン・ケリーとアイリーン・ウォーノスの状況は全く違うので比べることはできないけれど……、当時はアイリーンについて知らなかったので先入観がなくスポンジのように情報を吸収することができました。メーガンについては、TVや彼女の発言など多くのことを知っていたので、役をつかむのに時間がかかったわ。でも、彼女の本やインタビューを読んで複雑で傷つきやすい人だとわかり、少し彼女を近くに感じることができました。

──特殊メイクによって、メーガン・ケリーに完全になりきっていますね。
セロン:かなり時間をかけたわ。他人の顔になるというのは、とても難しいことなの。(メイクアップ・アーティストの)カズ・ヒロがとても長い時間をかけてそれぞれのパーツのデザインをしてくれました。顔全面にマスクをつけていると思っている人がいるかもしれないけれど、実はとても小さなパーツでできているの。これこそ彼の才能のなせる技で、顔の細部を変えるだけで全体の印象を大きく変えてしまうのよ。そして、彼のメイクによって私の動作や話し方まで変わってくるの。特にダークなコンタクトレンズと両目の瞼から鼻先に延びるパーツはとても複雑だった。まばたきができるのは目尻にシワがあるからこそで、そこに糊をつけてしまうと目玉がガラス玉のように見えてしまう。でも、彼はあきらめなかった。彼は目の形を変えることがとても大事だと信じていたのよ、メーガンの目は特徴的だからね。そして、彼は見事にやってのけた。おまけに、可能な限り私に負担がないようにしてくれたわ。眼窩から眼球が落ちてしまうんじゃないかと思ったときもあったけれどね。でも、物語に入り込んでもらうためには、観客には一刻も早く私であることを忘れてもらう必要があったから、苦ではなかったわ。

──セクシャルハラスメントという問題はあなたにとってどれほど重要ですか?
セロン:1人の女性として、そういった話題には常につきまとわれてきました。生まれてからずっとと言っていいかもしれない(笑)。ただ、今と10年前とではその扱われ方が違ってきています。2005年公開の『スタンドアップ』は1988年に全米で初めて勝訴したセクハラ訴訟を扱った作品だったけれど、当時、多くの男性はあの映画を過去の出来事を題材とした一種の時代劇だと言ったわ。「今はずっと進歩して、状況が改善されている」とね。一方で女性たちは、本質は何も変わっていないと知っていた。でも、彼らの会話に加わらせてもらうことができなかったのよ。誰も私たちのことを信じてくれなかったから。あの頃と比べると、現在は多くの勇敢な女性たちが自らの経験を共有できるようになったと思います。「タイムズ・アップ」や「#MeToo」などのムーブメントのおかげで、セクハラはシステム全体の問題であり、きちんと向き合う必要があるとみんなが悟ったのよ。だからこそ、この映画をいま作ることはとても大事なことでした。タイミング的にもラッキーで、このプロジェクトを始めたときは、「タイムズ・アップ」や「#MeToo」、ハーヴェイ・ワインスタイン(ハリウッドのプロデューサー)、チャーリー・ローズ(キャスター)、マット・ラウアー(キャスター)などの一連の騒動(※3人ともセクハラ疑惑で解雇などされた)は起きていなかったのです。そんな時期にこの脚本に出会えたのは運命であり、実現のために動いてくれた人たちみんなに感謝しています。ただ本作は、勝訴した女性たちをヒーローに見せたり、私が演じるメーガン・ケリーを好きになってもらう映画ではありません。私たちはただ彼女たちの真実の物語を伝えたかった。それについて何を感じ、思うのかは、観客のあなた次第なのです。

──ニコールとマーゴットとの共演はいかがでしたか?
セロン:ニコールは私にとって憧れの存在で、常に刺激を与えてくれています。彼女は女優の最高峰ですね。共演という夢がようやく叶いました。マーゴットは不屈の精神を備えていて、女優としてだけでなくプロデューサーとしてのこれまでのキャリアはとてつもないと思います。勇敢な人で、尊敬しています。
2020年3月19日(木)吉祥寺オデヲン(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、JR吉祥寺駅東口徒歩1分)で、17:05~鑑賞。

「1917 命をかけた伝令」⑵

作品データ
原題 1917
製作年 2019年
製作国 イギリス/アメリカ
配給 東宝東和
上映時間 119分


「1917 命をかけた伝令」⑴

第1次世界大戦の西部戦線を舞台にした戦争ドラマ。1600人の味方の命がかかった重要な指令を届けるため、最前線へ向かって戦場を駆け抜ける2人の若いイギリス人兵士の姿を、全編を通してワンカットに見える驚異の映像で映し出す。メガホンを取るのは『アメリカン・ビューティー』『007 スペクター』のサム・メンデス(Sam Mendes、1965~)。撮影は『007 スペクター』でもメンデス監督とタッグを組んだ名手ロジャー・ディーキンス(Roger Deakins、1949~)。2人の兵士を『マローボーン家の掟』のジョージ・マッケイと、『ブレス 幸せの呼吸』のディーン・チャールズ=チャップマンが演じ、コリン・ファース、マーク・ストロング、ベネディクト・カンバーバッチら英国の実力派俳優が共演。第92回アカデミー賞では作品賞、監督賞を含む10部門でノミネートされ撮影賞、録音賞、視覚効果賞を受賞した。

ストーリー
1917年。サラエボ事件に端を発する第一次世界大戦が始まって3年。西部戦線では長大な塹壕戦を挟んでドイツ軍とイギリス・フランスからなる連合国軍がにらみ合っており、多大な犠牲をともなう悲惨な消耗戦を繰り返していた。
同年4月6日金曜日。第8連隊に所属するウィリアム・スコフィールド(ジョージ・マッケイ)とトム・ブレイク(ディーン・チャールズ=チャップマン)は、ある重要なメッセージを届ける任務をエリンモア将軍(コリン・ファース)から与えられる。マッケンジー大佐(ベネディクト・カンバーバッチ)率いるデヴォンシャー連隊第2大隊が退却したドイツ軍を追っていたのだが、航空写真によって、ドイツ軍が要塞化された陣地を築き待ち構えていることが判明。退却に見せかけた用意周到な罠だったのだ。このままでは、マッケンジー大佐と1600人の友軍は、ドイツ軍の未曾有の規模の砲兵隊によって全滅してしまう。何としてもこの事実をマッケンジー大佐に伝え、翌朝に予定されている戦線突破を止めなければならない。あらゆる通信手段はドイツ軍によって遮断され、もはやスコフィールドとブレイクが最後の頼みの綱だという。
しかし、エクーストという町の南東2キロにある、クロワジルの森に向かって前進する第2大隊に追いつくには、ドイツ軍が築いたブービートラップだらけの塹壕や、ドイツ占領下の町を越えて行かなくてはならない。戦場経験の長いスコフィールドは慎重を期そうとするが、目指す部隊に実の兄が所属しているブレイクにとっては、一刻の猶予も許されない。2人は泥にまみれた塹壕を這い出て、張り巡らされた鉄条網をかいくぐり、「ノーマンズランド」と呼ばれる無人地帯を通り抜け、あまりにも危険なドイツ軍の占領地へと分け入っていく…。

▼予告編



▼特別映像 “驚異のワンカット映像” :



メイキング映像-11分超え豪華特別映像 :



サム・メンデス(監督・脚本・製作)&クリスティ・ウィルソン=ケアンズ(共同脚本)インタビューシネマトゥデイ ― 「人生はワンカットで体験するもの」2020年2月5日) :
Q:監督のおじいさまの体験談が大まかに基になっているそうですね。どのくらいの間この企画を温め、どのように発展させていったのですか?
サム・メンデス監督(以下、メンデス監督):物語を聞かされたのは10~11歳の頃だったから、今から40数年前だね。もちろんその頃から映画化を考えていたわけではなく、何か書いてみようと思ったのはここ数年のことだ。祖父が話してくれた物語の一つは“伝令を運ぶ一人の男”についてで、自分にも一つの旅から壮大な物語を作ることができるかもしれない、と思うようになった。
ところが実際には、あまり動きのない戦争における旅の物語を、どう展開させるべきかがわからず、それを見いだすのが一仕事だった。リサーチを入念に行い、少し休止したりもしたが、1917年にドイツ軍がヒンデンブルク線まで撤退したという事実を知ったことで状況が変わった。それで、一人の兵士を異なる風景の中へと進ませ、雰囲気が変化していく旅を組み立てることが可能になったんだ。そこで物語のざっとした要約を作り、また一旦休止した。それから一緒に仕事をしたことがあったクリスティに会い、約1週間話し合った。その後、彼女に大変な仕事をしてもらい、そして自分が引き継いだというわけだ。
クリスティ・ウィルソン=ケアンズ(以下、ケアンズ):その1週間でこの物語やキャラクターたちを掘り下げていった。初日の朝に、一緒に地図を見ながらこの旅をどうするか決めていったの。
メンデス監督:地図を描いたのだったかな?
ケアンズ:ええ。ほら、Googleマップを使って、「ここがヒンデンブルク線で、この辺りを通っていく」といったことをやったのを覚えているでしょう? そういうのをやったわ。かなり集中して作業した。わたしたちが共有したあの特別な瞬間を、あなたはどうやって忘れられるの?
メンデス監督:(笑)。
ケアンズ:というわけで、わたしたちにはしっかりとした物語があったから、それを脚本化していくだけのことだった。ただリアルタイムの物語という点で、“継続するワンカット”として読むことができるものにしないといけないのがなかなか難しかった。ある意味、わたしたちは山を掛けたと言えるわ。わたしたちは何度も互いに書いては相手に送るということを繰り返した。
メンデス監督:クリスティが実際に組み立て、通常の脚本の形にするという大変な作業の大半をやってくれた。僕はそれを書き直すという楽しい部分をやったんだ。全てではないよ。素晴らしい箇所もあったからね。ただ、彼女の許可も取らずに、自分が書き直したい箇所を書き直したんだ。これは僕にとって初めてのことで、脚本家の作品を壊しているかのようで申し訳ない気持ちになった。まあ、壊しているのが僕だから、問題はなかったがね。それからは本当に毎日コラボレーションし、脚本が二人の間を行き来した。何か月もの準備期間中、クリスティは常に現場にいたからまさに共同作業だと感じたよ。

Q:監督が初めて脚本を書くことになるまで、なぜこれほど長い年月かかったのですか?
メンデス監督:どうだろうね。なぜそうだったのだろう?自分のことをあまり良い脚本家だとは思っていないからかもしれない。それがまず一つ目の理由だ。素晴らしい脚本家の作品が送られてくる立場からすると、脚本を書くのがいかに大変かはよくわかるから。今回書くことにしたのは、ボンド映画(『007 スカイフォール』『007 スペクター』)を手掛けた5年間、脚本家たちと部屋にこもって一緒に何もないところから作っていった経験に関係があるかもしれない。それが「もしかしたら、彼らなしで自分だけでも出来るかもしれない」という自信につながったのかもしれないね。もちろん『007』の脚本を書いたのは自分だと言っているわけではないが、それらが生まれる時に僕がそこにいたのは確かだ。それによって勇気づけられたのだと思う。
それに本作はそれほどセリフが多い作品ではない。要は、自分が作りたい映画の描写をするような感じだ。書きやすい脚本ではないが、一つ以上のプロットや構造がある通常の脚本に比べれば、そこまでではない。うまくいっているかどうかを判断するために、少し距離を置いて脚本を見ることができるという監督としての客観性は、自分でも評価してきたしね。本作では、プロジェクトの性質、そしてこれが家族の歴史から生まれたパーソナルな作品だという理由で、自ら語るべき物語だと感じた。この物語のおかげで、「そうだ。助けがあれば、自分にも出来るかもしれない」という勇気が湧いてきたんだ。

Q:より有名な役者をキャスティングしなければならないというプレッシャーはありましたか?
メンデス監督:いや、それはなかった。ドリームワークスとユニバーサルのおかげでね。自分の脚本だと……つまり自分が所有していて、その報酬をまだ受け取っていない脚本であれば、われわれが本作でやったように効果的にオークションをすることが可能なんだ。こんな風に自分でコントロールできるのは、僕にとっては初めての経験だった。
今回はさまざまなスタジオに「意思決定は週末までにしてほしい。これが脚本で、こんな映画を大体いつ頃に作りたい。予算はこの位を希望していて、クリスマス映画になる。キャスティングには(ああしろこうしろという)プレッシャーを感じたくない。さあ、こんな映画を作りたいですか?」と持ち掛けた。すると6つのうち3つのスタジオに「作りたい」と言われ、それら3社とミーティングをして、どこが一番良い条件を出してくるかを見たんだ。
ドリームワークスとユニバーサルに決めたのは、ドリームワークスとすでに関係があったからだ。スティーヴン・スピルバーグ監督(ドリームワークスの創設者の一人)は長年にわたる知り合いだし、一緒に『アメリカン・ビューティー』『ロード・トゥ・パーディション』『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』を作ったスタジオだ。ユニバーサルも『ジャーヘッド』を共に作ったスタジオで安心できた。約束を守らないなんてことはないだろうと思ったわけだが、実際に彼らは素晴らしかったよ。「世間に知られている誰かを登場させてくれると、安心できる要素になるが」なんて言われたがね(笑)。
「ああ、そうですか」と応じたわけだが、実はそれはそもそもやろうとしていたことだった。コリン・ファース、ベネディクト・カンバーバッチ、アンドリュー・スコットが有名なのは、彼らが優秀だからだ。僕は上官たちを優秀な俳優に演じてほしかった。そこで「著名な俳優も何人か出てくるが、中心となるキャラクターは、観客が新鮮な関係を持てるようなフレッシュな人にしたい」と言ったんだ。

Q:関係と言えば、主人公たちのことを何一つ知ることなく、冒頭から彼らに感情移入できる点が素晴らしいです。一切の無駄を省きながらも、スコフィールド(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)の関係性が冒頭からとてもよくわかりますよね。
メンデス監督:君は人間だから、彼らに死んでほしくはないわけだ(笑)。「彼らにはぜひ死んでもらいたい」なんてないよね(笑)。いや、実際それは興味深い点で、よく話し合ったことだった。冒頭5分間を執筆するのに、眠れない夜を過ごしたよ。彼ら二人がただ一緒にいて、少し話しては少し歩き、さらに他愛のない話をして…という風にしたかったんだ。その間、二人はプレッシャーにさらされているわけでもないし、緊急を要する何かがあるわけでもない。何週間もずっと待機し続け、その間、戦うことは許されなかった。そうした全てが、彼らの何気ない様子からわかるようになる。
一人はよくしゃべりより陽気で、もう一人は自分のことを話したがらないところがあり、彼が言ったことの中には「え?」と思うようなこともあったりする。「(故郷に)帰らない方がいいんだ」と言った後に中断してしまうが、「それはどういう意味?」と思わせる。彼らの軍曹との関係や、彼らがどれだけの期間そこにいるのかということも、「クリスマスまでに大きく変わると言われていたのに、もう4月だ」というセリフに表れている。
という風に、実は最初のシーンにはかなり情報が詰まっているわけだが、説明的にはなっていない。われわれには「説明的にならないように。説明をできるだけ抑えるようにする」というルールがあったんだ。観客に何とかして主人公たちに寄り添ってもらいたくて、特にスタジオからも「彼らのことを愛してもらうために、最大限努力するように」というプレッシャーがあったしね。映画を通して、彼らと共に時間を過ごさなければならないから。彼らのことをしばらく観察すると、「とても若くて脆くい、大勢の兵士の中の二人である」ということがわかるようになるというだけのことなんだが、観客にそれと意識させることなく、どれだけの情報を与えられるのかということを考えた。それがもしかしたら、その(=冒頭から感情移入できる)理由かもしれないね。
それに将官とのシーンではもちろん、表情だけでそれがわかる。もう一つの理由は正直なところ、演技の素晴らしさによるものなんだ。司令を受け、それをすぐさま受け入れる時のディーン(ブレイク役)の表情に対して、ジョージ(スコフィールド役)の「僕には聞きたいことが山ほどあるのに、おまえは一体何をやっているんだ? 簡単にハイと言えることじゃないだろう?『すぐに頭を撃ち抜かれる』と聞かされていた無人地帯(敵味方両軍が対峙してこう着状態にある塹壕の間)を行けと言われているんだぞ!一体どういうことだ?」という表情だ。そんな風に聞かされていたことに対する恐怖心もあるわけだが、あれは名演技だと思う。

Q:兵士の視点でワンカットにすると決めたのは、観客に彼らとの一体感を持たせるための一つの手法だったからなのでしょうか?
メンデス監督:そうだ。兵士目線で語っているわけではなく、彼らを風景の中の小さな人物として客観的に見ていることもあるがね。観客に地理関係、距離、困難さを理解してもらいたい時もあれば、キャラクターたちの内面を理解してもらいたい時もある。カメラ、キャラクター、風景という常に動き続ける3つの要素のダンスというのが、本作における映画の言語だった。
その中で、カメラがそれだけで目立つようなことがないようにと意識した。キャラクターたちがカメラを見たり、「カメラが今、何をやっているのか見てごらん」というような感じにはしたくなかった。だから特にクレイジーなことはやっていない。鍵穴から(カメラで)のぞいたり、飛んでいく銃弾の軌道に沿って動かしたりとかいうバカげたことはやっていないんだ。
こう言うと偉そうに聞こえるかもしれないが、人生はワンカットで体験するものだ。映画の方が偽物。映画の言語・文法としてカットや編集することが普通になったわけだが、なぜそうなったのか?それは単にカメラの性能による理由だ。当時のカメラは運ぶにはあまりに重く、5分程度しか続けて撮れず、カットしなければならなかった。それが普通になっていき、誰も疑問視しなかった。皆、編集のトリックが大好きなんだ。時空を超えることが可能で、1年、10年と超えることができるしね。
だが、デジタルカメラや小型カメラによって“リール(フィルム)を変える”といった“継続性を途切れさせていたこと”がなくなったこのご時世、ワンカットというのは珍しい表現法ではなくなるだろう。今後は全ての映画がワンカットで撮影されるようになると言っているのではないが、10年前と比べて、ワンカットというのが映画の文法の一つとして徐々に深められてきていると思う。
(頻繁にカットする手法に対する)反対運動をしているわけではないが、本作で物語を語る手法はそういう風に選んだ。観客とキャラクターの間の距離を縮め、そこにあるまた別のフィルターを取り除くというものだ。つまり「ここから見て!その後に今度はここから見て!その後に彼の目を見るように指示するから。今度は太陽に目を向けて」などと観客を巧みに操るフィルターだよ。人はよく「映画か。それはギミックに過ぎないのでは?」と言うが、編集はギミックだし、映画はギミック、そういう風に言いたければ、映画とはそういうものだ。でも僕はまた別の手法を選んだ。戦争映画だが時間が押し迫るスリラーのように機能する本作には、このような手法がより適していると言いたいね。

◆ロジャー・ディーキンス(撮影監督) インタビューTHE RIVER ― 「私はただ、目の前のものを撮っているだけ」2020.2.14 ) :
──『1917』を「ワンシーン・ワンカット」として製作すると聞いた時、どう思われましたか?
(サム・メンデス監督から)説明はありませんでした。何も言わずに脚本が送られてきて。だけど、脚本の表紙に(ワンシーン・ワンカットとして見せると)書いてありました。でも、それはいわゆる説明の方法にすぎないのかなと、そういうギミックみたいなものかなと思って、私のほうはちょっと疑っていましたよ。だけど脚本を読んだら、彼がやりたいことは分かりました。それこそが脚本の本質というべきものだったので。

──全編を長回しのように見せるうえでは、同時に「すべての瞬間を美しく見せる」ことが課題になると思います。そのために、すべてを事前にリハーサルしたのでしょうか? 撮影現場での偶然性に委ねたところもありましたか?
何ヶ月も何ヶ月もかけて計画を練りました。どういう風に撮りたいのか、カメラの動きをどうするのかを(スタッフの間で)計画してから、俳優と一緒に、また数ヶ月間も計画を立てていったんです。どんなふうにセットを建てるのか、という問題もありましたね。つまり、脚本のセリフを言うのにどれくらい時間がかかるのか、塹壕の中でどう動くのか、ということを(セット作りのために)すべて把握しなくてはいけなかった。それにぴったり合う形で、塹壕を作らなければいけないんです。

──リハーサルはすべて実際の撮影現場で行われたのですか?
撮影スタジオと実際のロケーション、その両方で撮りました。セットが建てられる前に、実際のロケーションでもリハーサルをしています。たとえば、農家や果樹園を作ることが決まっている場合は、それらを作る予定の場所へ行き、リハーサルをして、(動きに合わせて)現場に線を引いていく。俳優と一緒にリハーサルをして、セットをシーンに合わせるんです。どのようにセットを建てるのか、どんなふうに塹壕を掘るのかということは、すべて事前に計画されています。

──ぱっと見では分からないけれども、実は非常に撮影が難しかったというシーンを教えてください。
どのシーンもそれぞれ難しかったですよ(笑)。シンプルに見えていても、たとえば人が塹壕を走るのを正面から撮るとしたら、そのスピードで逆走しながら撮影するのはすごく大変。それから、撮影のために特別な装置を作らなければいけないこともありました。壊れた橋を渡る場面も非常に難しくて、クレーンを4台用意して、カメラをワイヤーで吊って、コンピュータで制御してね。(本作では)いろんな装置をたくさん使っていますし、それぞれのシーンがチャレンジでした。
それから、いくら全編長回しといっても、本当にすべてがワンカットというわけではありません。だから非常に大切だったのは、「どこでカットをかけるのか」ということ。繋ぎ目をすべて決めてから撮らなければいけなかったし、あらゆる要素をワンカット(というコンセプト)にどう適合させるのかを計画するのも大切でした。

──こうした作品の場合、実際に演じる俳優たちとの協力も必要になるのでは?
とにかく何度もリハーサルしましたから、俳優たちは、カメラがどこにあるのか、どう動いているのかを忘れたかのように演じていました。(リハーサルを繰り返す中で)自然とそうなっていったんです。こちらの側も、彼らが動く速さをはじめ、すべてを把握していました。わずかに動くのが速くなったり、遅くなったりということはあるわけですが、そういうことにはカメラのオペレーターがその場で対応します。演技のタイミングや動きは、まるでバレエのように、すべてが振り付けられているようでした。

──撮りたい構図やカメラの動き方は、どのように決めていったのでしょう?
すべてはディスカッションから始まります。シーンやスケッチ、絵コンテについての話し合いが終わる頃には、どう撮ろうかというアイデアは出てくるものなんですよ。脚本だけでなく、それぞれの場面をどうやって撮るかを監督と話し合い、それからどう撮るかを自分で決めていきます。そして、俳優との作業をしながら(イメージを)膨らませていく。もちろん、自分の直感で決まる部分もあります。俳優の立ち位置から考えて、カメラはここに置くべきじゃないかな、なんてね。

──『1917』には、画面の迫力や美しさがすべてを圧倒する瞬間があります。それらは計画通り、「そうあるべき場面だ」と判断して撮られたものですか?
さあ、どうでしょう(笑)。私はただ物語を撮っているだけだし、目の前のものを撮っているだけだから。

──大勢のスタッフをまとめる撮影監督として、チームとはどのようにコミュニケーションしていたのでしょうか。
すべてのショットについて、あらかじめカメラの動きを正確に図式化して、リハーサルの様子を写真に撮って(図面に)添えていました。カメラを操作する全員とは、「どういうものを目指すのか」という話をできるようにしていたんです。だけど、全編の60%は―遠隔操作であっても―私自身がカメラを操っています。あとはTRINITY(カメラスタビライザー)のチームがいたり、昔ながらのステディカムのチームがいたり。大勢が関わっていますが、「私自身がどうしたいか」ということはきちんと指示していました。カメラを操る本人とは、実際の撮影中も常にコミュニケーションを取っていましたね。

──作品を手がけるごとに新しい挑戦をなされている印象ですが、本作を経て、新しい目標はおありですか?
はっはっは、わかりませんね(笑)。今のところはありません。良い脚本を送ってもらえて、良いチャレンジができることを願っていますよ。私はこの仕事が、映画を撮ることが大好きで、いま一緒にやっている人たちと働くことも大好きなんです。次のチャレンジも、すごく楽しいものであればいいなと思います(笑)。

私感
見事な映画だ!
圧倒的な臨場感と緊張感と没入感が最後まで途切れない。
究極的なまでのリアリティー。「兵士が伝令としてゴールを目指して走る」だけのシンプルではあるが確かに胸を打つストーリー。戦争映画としての深み。そして、衝撃的な“全編ワンカット”~正確に言えば、本作は「ワンカット風」の映画であり、ワンカットで撮影されたシーンをつなげて1本の映画にしたもの~。それでいて、細部に至るまで「見やすさ」「分かりやすさ」を追求してやまない。私という観る者の心をしっかりとつかんで離さない傑作だった!

ところで、本作鑑賞直後、私は突然、少年時代に観た日本の戦争映画を思い出した。
それは、『日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里(監督:森一生、出演:菅原謙二/北原義郎/高松英郎/浜口喜博/石井竜一/原田詃/根上淳/船越英二、公開:1957年12月28日)で、日露戦争においてロシア軍の動きを探る斥候隊を描く作品。

同作の原作は戦前、山中峯太郎(やまなか・みねたろう、1885~1966)が日露戦争での秘話をもとに描いた実録小説で、大日本雄弁会講談社(現在の講談社)の『少年倶楽部』(1930.4~9)に連載された。血沸き肉踊る展開に子供たちの熱狂的な人気を得て、単行本が大ベストセラーになった。戦前に黒澤明が映画化を計画し、脚本化。戦後、小国英雄と共に脚色したものを、大映で映画化。―1905(明治38)年、日本軍は旅順要塞の陥落を成功させるが、すでに兵力も物資も底を尽きかけていた。ロシア軍が大兵力を集中しているのは鉄嶺(てつれい)か奉天(ほうてん)か、それを探るため第二軍騎兵第九連隊の建川中尉以下5名の斥候隊が派遣される。彼らは敵中深く~中国大陸/満洲の奥地へ~潜入し、鉄嶺に至る。市街を偵察し、ロシア兵の大群が列車で奉天に南下するのを見きわめ、追いすがるコサック騎兵隊を振り切って生還する。軍司令部にもたらされたこの情報が、奉天会戦(1905年2月21日~3月10日)で日本を勝利に導いた―。

この数十年前の鑑賞映画が突如として私の頭にひらめいたのは、なぜか?
定めし、本作が『敵中横断三百里』と、一見似通った映画~2人の伝令と6人の斥候という違いはあるものの、敵中を走り抜ける物語で同工異曲~に思われたからに違いない。

モノクロ映画『敵中横断三百里』の舞台となる“満州”の雄大な風景が、私の目の奥に生き生きと蘇る…。
同作では、北海道の大雪原~特に上富良野町~に4万5千の人員と騎馬数千を動員して長期大ロケーションが敢行された。そして、私個人にとって思い出深いのは、私の生まれ育った岩見沢市/岩見沢駅※がロケ地として鉄嶺の一部に見立てられていたこと。その岩見沢駅でのロケ撮影現場を実際に目撃した多数の大人たちの一人~親戚にあたるオジサン~が、当時の私に向かって、興奮気味に話してくれたものだ。「挺身斥候隊の決死行ということで、迫力があった。スケールの大きい撮影だったな!」と。

岩見沢駅(いわみざわえき)は、北海道内で最古の鉄道である幌内鉄道の主要駅として開業した非常に古い歴史を持ち、砂川方面や室蘭方面への延長拠点として発展してきた。鉄道網が広がるのに伴って、幌内鉄道の小樽-岩見沢間が大動脈とも言える函館本線に組み込まれた後も、残りの部分の幌内線や、室蘭本線志文駅から万字線が乗り入れたほか、戦後の高度成長期に増大した貨物輸送量を支えるために、東日本最大の操車場も存在した。

▼ cf. 『日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里』特報+予告篇 :

2020年2月12日(水)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、17:50~鑑賞。

「母との約束、250通の手紙」(1)

作品データ
原題 La promesse de l‘aube
英題 Promise at Dawn
製作年 2017年
製作国 フランス/ベルギー
配給 松竹
上映時間 131分


仏の文豪ロマン・ガリ(Romain Gary、1914~80)の自伝小説“La Promesse de l'aube”(1960)(岩津航訳『夜明けの約束』共和国、2017年)を映画化。激動の時代に女手一つで息子を育てる母親の息子に懸けるあまりにも大きな期待と、そんな母への葛藤を抱えながらもその大それた夢を叶えることを諦めずに懸命に生き抜いた息子の姿を描く。主演は『イヴ・サンローラン』『婚約者の友人』のピエール・ニネと『アンチクライスト』のシャルロット・ゲンズブール。監督・脚本は、『ラスト・ダイヤモンド 華麗なる罠』のエリック・バルビエ。

ストーリー
その手紙は5年間、毎週届き続けた。戦地で戦っているときも、生死をさまようときも。その文面にどれほど勇気づけられただろう。どれほど生きる情熱をもらっただろう。しかし、その250通にも及ぶ手紙には、思いもしない数奇な秘密が隠されていたのだった…。

1950年代半ば、作家にしてロサンゼルスのフランス総領事であるロマン・ガリ(ピエール・ニネ)は、妻のレスリー・ブランチ(キャサリン・マコーマック)とメキシコ旅行に来ていた。頭痛を訴えながらも、『夜明けの約束』と題した小説の執筆を止めようとしない夫に、妻が内容を尋ねる。すると、夫は「証しだ。母についての本だ」と返すのみだった。

記憶は作家の幼少期にさかのぼる。1924年、ヴィリニュス(ポーランド)※❶。雪深い通りを学校帰りのロマン(パウエル・ピュシャルスキー)が歩いていると、雪煙の奥から一人の女性が待ち構えたように現われた。ロマンの母ニナ(シャルロット・ゲンズブール)である。今日の学校の様子を振り返って、さえない顔をする息子を見るや、彼女はおなじみの言葉を繰り返す。「先生たちはわかってない。お前は将来、自動車を手に入れる。フランスの大使になる」。まるで呪文を唱えるような、でも、どこか確信を得ているかのようなその言葉。ニナにとって、息子ロマンは人生のすべてだった。ロマンにとってもまた、母の存在はあまりに大きく、その夢を語る声も絶対であった。
暮らしは豊かではない。モスクワから流れてきたユダヤ系親子を街の人間はさげすみ、盗人扱いまでする。なんとか高級服飾店を興したニナは、息子にヴァイオリンを習わせ、社交界に出るための教育まで施した。将来の展望は明快。絵に興味を持っても、「画家はダメ。死後に名前を残しても意味がない」。けれど、文学への関心には「お前はトルストイになる。ヴィクトル・ユゴーになる」と、目を輝かせて後押しした。

1928年、破産したニナとロマン(ネモ・シフマン)は、ニース(フランス)へ転居する。母は高級ホテルの店舗経営に乗り出し、息子はお手伝いのマリエット(Lou Chauvain)との初体験を母に邪魔されたりするものの、概して穏やかな日々を送っていく。
高校を卒業したロマン(ピエール・ニネ)は、パリの大学に進学。一層、作家活動を活発化させていく。早く名を上げなければと焦る背景には、ニナの糖尿病罹患があった。グランゴワール紙に短篇「嵐」が掲載されたのは1934年のこと、フランス国籍を取得したのは翌35年7月のことだった。

戦雲が濃くなった1938年3月、ニナは一時帰省したロマンにヒトラー暗殺を進言する。一方、ロマンは同年11月4日、フランス空軍に入隊し、母を喜ばせた。しかし、40年6月、フランスはドイツに屈服。同時期にニナの入院も明らかになる。病院へ訪ねてきたロマンにニナはド・ゴール准将指揮下の「自由フランス軍」への合流を勧めるとともに、「小説を書き続けなさい」とも訴えた。合流が果たされた頃、病床の母から最初の手紙が届く。そこには「心を強く持ち、断固として戦い続けなさい」とあった。
ロンドンでは待機の日々が続き、不満を募らせたロマンはポーランド兵と決闘まがいの事件を引き起こし、逮捕される。刑務所の中でニナの幻影が現われて、ロマンを叱咤した。「何か月も1行も書いてないね。書かずに、どうやって偉大な作家になるの?」。
アフリカに赴任したロマンは、母の声に背を押されるように長編小説『白い嘘』の執筆を始める。蚊に悩まされて放り込まれた独房にも、母からの手紙は続々と届いた。「愛する息子よ、美しい物語を書きなさい」「私のことは心配いらない。勇敢な男でいなさい」。
1942年、リビアに転任したロマンは、腸チフスで危篤状態となる。深夜、ロマンの目の前にニナの姿が現われた。母はいつもどおり息子に発破をかける。「世界中で読まれるから、早く書き上げなさい」「病気が何?モーパッサンは梅毒でも書き続けた」「勝利するまで闘いなさい。死ぬのは許さない」「ニースに戻ったら、ふたりで海沿いの遊歩道を歩くんだから」。そして、眠りにつく息子の額に、母は優しくキスをするのだった。
1943年8月、イギリスに戻ったロマンは、航空士として爆撃機に乗り込む。搭乗席にはいつも母の写真を置いていた。母からの手紙は続いている。「息子よ、何も心配せず、書き続けて。お前は必ず勝つ。そう育ててきたんだから」「お前の才能は世界に知られる」「お前を誇りに思います。フランス万歳」。
過酷な出撃を繰り返しながらも、ロマンは母親の言葉に勇気をもらい、『白い嘘』は着々と完成に近づいていた。

1944年のある日、記者団がロマンを取り囲んだ。書き終えた『白い嘘』のイギリスでの出版が決定したのだ※❷。その旨を早速、ニナに知らせるロマンだったが、届いた手紙には「お前は大人。もう私は必要ない」「早く結婚しなさい。お前には女性が必要」「私は元気だから大丈夫」などと型通りの激励が書かれているだけ。本についての言及がない。
1945年、戦場での活躍で解放十字勲章を受章したロマンは、再び母の奇妙な手紙を受け取る。「離れて何年も経つね。帰宅したとき、お前が私を許してくれますように。全てお前のため。ほかに方法がなかったの」。
再婚でもしたのかと故郷へ急いだロマンは、ホテルが既に閉鎖され、別人の手に渡っていることを目の当たりにして愕然とする。慌てて病院へ向かうと、主治医からさらに驚くべき事実を知るのだった…。

※❶ ロマン・ガリは本名をロマン・カツェフ(Roman Kacew)といい、ユダヤ人の両親のもと、1914年にヴィリニュス(リトアニア語:Vilnius)で生まれた。現在はリトアニアの首都だが、当時はロシア帝国領(ロシア語:Вильна〈ヴィリナ〉)だった。父親アリエ=レイブ・カツェフ(Arieh-Leïb Kacew、1883~1942)はロマンの生後まもなくロシア軍に入隊し、ロマンは母親ミナ(Mina〈仏語風にNinaとも綴られる〉、1879~1941)と二人きりで暮らすことになる。その後、父親はロマンとともに暮らすことはなかった。ロマンは母親と“革命”直後のロシア国内を転々とし、1920年代にヴィリニュスに戻ってくる。町はポーランド領となり、ヴィルノ(ポーランド語:Wilno)と名前を変えていた。ここでポーランド語による初等教育を受けたロマン少年だが、フランスを熱愛する母親は、息子にフランス語の家庭教師をつけた。1948年に14歳でニースに移住した際に、すぐに現地の中学校に適応できたのは、そのためである。

※❷ ロマン・カツェフは1944年、戦地で書いた長編小説“Éducation européenne”(=「ヨーロッパの教育」/邦題『白い嘘』〈角邦雄訳、読売新聞社、1968年〉)の英訳“Forest of Anger”を、戦場でのコード・ネーム「ロマン・ガリの筆名で発表(ちなみに、51年に姓が「カツェフ」から「ガリ」へ公式に変更される)。「ガリ」はロシア語で「燃えろ」という命令形に相当する。45年、“Éducation européenne”のフランス語版が刊行され、批評家大賞を受賞。


▼予告編



メイキング映像



ピエール・ニネ(Pierre Niney、1989~) オフィシャル・インタビューCinema Factory -interview/2020-01-28) :

――エリック・バルビエ監督の作品に関わる前に、小説「夜明けの約束」のことはご存知でしたか?
僕は、「夜明けの約束」をはじめ、彼のその他の作品を読んだことがあった。でも映画の準備として読み直した時、ロマン・ガリの作品で再発見があった。独特の独創性があって、知性で読者を驚かせるんだ。僕はガリのユーモアが大好きなんだよ。彼は、自暴自棄なものの言い方をすることは決してない。彼のそのユーモアが、彼の人生のドラマであり、同時に彼の作品の出どころでもあるんだ。ガリにはいつの時にも笑いもドラマも絶望もふんだんにある。僕は、「夜明けの約束」を通して、自由と人権の国であるフランスに対してロマンと母親が抱いていた無条件で立派な愛を再発見した。その意味で、この本は絶対的に現代にも当てはまる。ユダヤ系ポーランド人が迫害を受けて自国を後にし、フランス人になることを必死で目指す物語だからね。彼は文字通り戦ってこの夢を実現させ、20世紀で最も偉大なフランス人作家の一人になるんだ。

――ロマン・ガリの役を演じないかという誘いがエリック・バルビエ監督からあったとき、まずどんなことを思いましたか?ガリが小説の中で作り上げるこのキャラクターをどのように表現しましたか?
僕は「夜明けの約束」からの鮮明なイメージを覚えていた。最初に読んだのは僕が10代のときだったんだけど、その時点でこの作品は映画的だと思った。でも僕にとって最も説得力があったのは、作品全体を通して伝わってきたエリック・バルビエ監督の情熱だった。彼はもう何年も前からこの映画を作りたいと思っていた。この類い稀であり、国境を超える絆で結ばれたこの母子を描きたいと思ったらしい。僕には、役に関して先入観はなかった。でもロマン・ガリの人生について知るに従って、仕事と人生という彼の二重のアイデンティティーに惹かれたんだ。『母との約束、250通の手紙』 は、紛れもなく自伝なんだけど、現実を大きくも小さくも変えて作り上げたという要素を含むんだ。だからそれは、脚色の過程と監督の目を経たガリの役を僕が作りあげるということを意味した。だからロマン・ガリを演じるというよりも、エリック版の人物を発見することだったんだよ。

――小説を読んでも映画を見ても、観客の頭から離れない問いが一つあるんです。それは、ロマン・ガリの母親のような親を持つことは祝福なのか、呪いなのか、ということです。あなたはどう思いますか?
難しい質問ですね。ここで答えられるほど簡単な質問ではないと思う。二人の絆はとても強力で、狂気じみていて、情熱的で、破壊的であると同時に建設的でもある。その絆がガリの真髄なんだ。これがあるから「夜明けの約束」はきわめて重大で啓示的な本なんだよね。それは、ロマン・ガリのような作家の深いところにある欲望がどこから派生しているかを語っている。彼の生命力もだ。確かなのは、彼を真の意味で比類ない人物にしたのは、彼の母親だということなんだ。普遍的な視点から見たら、僕らはみんな親から、特に母親から受け継ぐのだということをこの物語は伝えているんだと思う。それはいい面もあるが、辛い面もある。「母親の愛で、人生は、夜明けに守れない約束をする…」というこの引用の中に全物語が入っているんだ。

シャルロット・ゲンズブール(Charlotte Gainsbourg、1971~) オフィシャル・インタビューCinema Factory -interview/2020-01-28) :

――ニナ役を演じないかとエリック・バルビエ監督から誘いが来た時点で、小説「夜明けの約束」のことはご存知でしたか?
いいえ。ジーン・セバーグとの関係しか、ロマン・ガリについては知らなかった。だから、この映画の脚本で初めて「夜明けの約束」を知ったの。物語の規模の大きさに心を動かされたわ。エリック・バルビエの脚本に夢中になった。後になって小説を読み終わってから脚色作品の量を考えてみて、初めてエリックがどれだけ原作に忠実に書いたかが分かったの。最初はロマン・ガリのことをあまり知らなかったから、心配や緊張なしで、比較的軽い気持ちでこの作品に関わり始めた。参考文献を読んでもまだ圧倒されなかったのね。

――あなたが演じる役をどう理解しましたか?
エリックはあらゆる資料を見せてくれた。ニナの写真すべてを見たし、彼女の軌跡を徹底的に調べたわ。彼女が子ども時代を過ごした町についてとか、彼女の人生の他の時期についても。でも分かるものは少なかった。実際には自分の祖母を思い出すことで、ガリの母親のキャラクターを自分のものにしたの。私はニナと、私が捉えたニナの姿と、父方の祖母の姿を合わせたのよ。例えば私が想像したニナのポーランド語訛りは、私がよく知っていたロシア語の訛りに似ていた。ニナと私の祖母という二人の女性は、同じ世代の人間で、同じ世界出身、同じ文化を持っているの。私の祖母は、ニナほど面倒な人ではなかったけれど、それでもとても強い性格だった。祖母の私の父に対する関係とニナと息子との関係は明らかにそっくりだったわ。私は祖母の思い出を用いて、自分自身の物語を想像してみたの。もちろん違うところもたくさんあるけれど、基本的なところは共通点が多かったわ。私の父はフランス生まれで、東欧に行ったことがないのに、自分のルーツに関してはノスタルジアを抱いていて、それが幼い私にもうつったの。特に宗教的なことは考えないで、ユダヤ式伝統に根を下ろしている、なんていう事実もね。私の父は1917年にロシアを後にした。父は、彼の親がロシアを去った時のことをとてもロマンチックに話すのよ。「革命から逃れてフランスに避難した」ってね。私は新聞で読んだ作り話を思い出すの。父と祖母が戦争の話をしていると、それは冒険物語みたいで。私は13歳ごろまでそんな話を聞いていたのよ。

――あなたはご自分の祖母のイメージをニナの役に反映させたということですか?
だから訛りは大事だったのよ。エリックに、ニナに訛りをつけることを提案したんだけど、彼は大反対だった。でもニナに訛りがないなんて考えられなかった。少なくとも、訛りの名残はあるはずだって思った。一部の場面でこの女性がポーランド語を話しているのを見たら、彼女が別の場面でフランス語を話しているときに、パリ訛りで話すはずがないのよ。私はその考えを慎重にエリックに分かち合ったわ。そうしたら彼は納得してくれたの。だから役作りは、ポーランド語とポーランド訛りのおかげで完成したのよ。結果は大成功。信憑性があるわずかな訛りというか、かすかな訛りが聞こえて、今となってはなくてはならないものなの。
前の仕事でポーランドで撮影しているときに、エリックが来て、最初の衣装を作ってくれた。ところが鏡で自分の姿を見て、何かがおかしかったの。ニナの姿ではなかったのよ。私の顔つきが全く合ってなかった。ガリの母親が送ったような人生を生きている女性には見えなかった。もっと苦しみを背負っているように見えなければいけなかったし、体重も増やさなければいけなかった。ダメージを受けた感じで、歳を感じさせることを恐れてはいけないと思ったの。私はありとあらゆるものの助けを借りたわ。衣装、メーク、ウィッグ、補綴などね。また偽のお尻と胸を使ってみることにもした。人生で初めて仮面をかぶっているような気持ちがしたわ。完全に変身して、女優として演技をすることができた。それによって自由を感じて、できる限り自分とは違う人物になることはとても楽しかった。

――ニナというキャラクターについてはどう思いますか?ニナと息子のやり取りを見ていると、彼女のような母親を持つことは呪いなのか、それとも祝福なのか、と考えずにはいられないのです。
その疑問は私も持ったわ。私は、この母親をとても愛しているんだけれど、同時に呪いでもあると思う。彼女は彼の肩に重荷を背負わせるわけだから。いつもが試験なのよね。でも彼女は彼にすべてを与える。彼女のおかげで彼は強さや、生きることに対する欲求を身につける。でも私は彼女を批判しない。彼女は重荷であって、負担であるのは確かね。でも私は最高級の愛を感じようと試みたの。彼女が息子に対して抱いていた情熱をね。頑固な彼女の滑稽な側面と同時に、彼女が持っていた運命という強烈な概念をちゃんと表現するのはとても難しかった。ニナは滑稽であると同時に、哀れでもある…。
この役を演じるのはとても楽しかった。滑稽な要素にはとても共感できたの。私の祖母もユーモアのセンスがあって、それはとても独特で、ニナのユーモアとはそんなに違わなかった。私は自分の歴史を取り入れた時が多かった。ガリのことではなく、私の父や、私の家族のことよ。そんなふうに自分を巻き込まないといけなかったの。ニナが何かを隠していると感じられる時がある。彼女は結構分かりにくいキャラクターだから。彼女のことはあまり分からないの。息子に対する彼女の執念は彼女だけのものみたいなんだけど、それが彼女のキャラクターの本質的な部分を提供してくれる。彼女のモンスター的な側面のこともエリックから聞いていたわ。生命力と節制のモンスターよ。

私感
私は当初、本作の鑑賞を少々敬遠していた。事前の予備情報(予告編等)段階では、この映画が描くのは一見<母親の夢を実現させるべく奮闘する息子の物語>とはいえ、その実<ウルサイ教育ママによるヒステリックな子育ての物語>と思えたからだ。
しかし、本作に出演のピエール・ニネの存在が気にかかって思い切って鑑賞。2年余り前に観た『婚約者の友人』本ブログ〈December 21, 2017〉における彼の貴公子然とした独特の風貌に、私はどことなく惹き付けられていた。

結論的に言えば、母と子の“普遍的な”関係性について、大いに考えさせられたという点で、私にとって本作は見応えのある映画だった―。

何という破天荒な母親か!女手ひとつで息子を育て、周囲からの蔑視、貧困に対して攻撃的なまでの姿勢で立ち向かう。お金を稼ぐためなら、詐欺まがいの商売もへっちゃら。ツケを踏み倒そうとする富豪夫人には屋敷へ乗り込み、罵倒も辞さない。すべては、息子との生活を守るため。息子に最良の教育を施すため。息子は将来、フランスに出て大物になる。大作家になって世界的に有名になる。そう信じてやまない。それでいて、そんな息子への愛情と信頼を、単なる甘やかしに終わらせない。息子がつまらない町娘に引っかかっていると知るや、「あんな小娘なんか忘れなさい。大使になれば世界中の美女が寄ってくる」。街の子供たちにいじめられて帰宅するのを見るや、「男が戦う理由は3つだけ。女、名誉、フランス」、「今度、母さんが侮辱されたら、担架に乗って帰ってきなさい」、「母さんを守ることに命をかけなさい」などと一喝する。戦地までも毎週のように手紙を送り、いかなる時にでも小説を書けと叱咤激励を飛ばし続ける。

母一人の夢でもなく、子一人の夢でもない。親子二人、二人三脚で年来の夢を追いかけていく。戦争中でも、生死をさまよう時でも二人は夢を追いかけた。
どんな状況下であろうと、互いの存在だけを頼りに生き抜いた親子。母は何があっても息子を愛する~無条件で完全に息子を支える~と約束した。そして、そのお返しとして、息子は成功して有名になることを約束する。二人はどうして、そこまでお互いを強く信じ合い、行動できたのか。

ニナは戦地に赴いたロマンに、長いことずっと手紙を送り続けた。ロマンが作家活動を開始した後も、その文壇デビューを喜ぶ様子もなく、ただただ手紙を送り続ける。その250通にも及ぶ手紙に秘めた彼女の想いとは…?

母と一緒に目標としてきた“作家になる”という夢を実現したロマン。しかし、その夢を果たしてもなお、相変わらず母から送られてくる型通りの激励の手紙。そして、ついに戦争が終結したことをきっかけに、ロマンは母がいるニースへと戻る。しかし、そこで待ち受けていたのは“母の死”にほかならなかった。病や老いを重ねていたニナは、ロマンの帰国の約3年以上も前に亡くなっていた。どこまでも息子との夢を叶えるべく彼女は生前たくさんの手紙を書き残し、それらを彼女の友人に息子のロマンへ送るように託していたのだった―。

私はつくづく思う。母親のニナは、支配的なモンスター・マザーだったのか?それとも、怪物的というより極めて人間的であることに純粋な、自己犠牲の精神にも満ちたシングルマザーだったのか?正直言って、本作に見入りながらも、ニナの正体-生命力を見極めることができなかった私。今はただ、前掲インタビューにおける、シャルロット・ゲンズブールの言葉:「私は最高級の愛を感じようと試みたの。彼女が息子に対して抱いていた情熱をね。」、また同じくピエール・ニネの言葉:「二人の絆はとても強力で、狂気じみていて、情熱的で、破壊的であると同時に建設的でもある。」を、謙虚に受け止め、じっくりと噛み締めるばかりである。

下矢印 ところで、本作エンディング(本編後)に、実際の(原作者)ロマン・ガリのその後、女優ジーン・セバーグ(Jean Seberg)との再婚と離婚の経緯、またペンネームÉmile Ajarによる2度目のゴンクール賞受賞や、1980年の自殺の事実が告げられる※。

ロマン・ガリは一作家につき受賞1回に限られるゴンクール賞(Prix Goncourt=フランスで最も古く権威ある文学賞)を2度受賞した唯一の作家。1度目は1956年にロマン・ガリ名義の“Les Racines du ciel”[岡田真吉・澁澤龍彦共訳『自由の大地―天国の根(上・下)』人文書院、1959年]で、2度目は1975年にエミール・アジャール(Émile Ajar)名義の“La Vie devant soi”(荒木亨訳『これからの一生』早川書房、1977年)で受賞。それというのも、ガリとアジャールが同一人物であることは、彼が自殺した翌81年まで公表されなかったからである。

私が一驚を喫したのは、あのジーン・セバーグ(1938~79)の(二人目の)夫がロマン・ガリだったという事実ビックリマーク本作の鑑賞を終え、まっすぐ帰宅した直後、大急ぎで種々の情報に飛びついて、<セバーグとガリ>の関係をあれこれと調べる私だった!

米国アイオワ州出身のジーン・セバーグは、私の映画鑑賞史上、今なお忘れがたい女優の一人である。彼女の出演作で私が初めて接したのが、『悲しみよこんにちは(原題:Bonjour Tristesse、監督:オットー・プレミンジャー、共演:デヴィッド・ニーヴン/デボラ・カー/ミレーヌ・ドモンジョ、日本公開:1958年4月29日)。フランソワーズ・サガン(Françoise Sagan、1935~2004)の同名小説を、セバーグ主演(17歳の少女セシル役)で映画化した青春ドラマ。たしか中学生の時、ジャンヌ・モローの主演作『死刑台のエレベーター』(cf. 本ブログ〈May 21, 2019〉)と前後して、同作を観たように思う。
評判の映画少年だった私は、不思議な美しさを放つ魔性の「熟女」モローに妙に惹かれる一方、何かモローとは異質の、チャーミングで清楚な感じの「美少女」セバーグにも心をときめかせた。そして続いて、ヌーベルバーグの記念碑的作品『勝手にしやがれ(原題:À bout de souffle、英題:Breathless、監督:ジャン=リュック・ゴダール、共演:ジャン・ポール・ベルモンド、日本公開:1960年3月26日)に主演したセバーグの、その若さに輝く胸に染み入るような美しさにゾッコン参った私!ここにヌーベルバーグの寵児として、米仏を行き来する国際女優セバーグこそ、映画狂の私にとって特別な掛け替えのない存在となった―。

ジーン・セバーグの場合、フランスはもとよりアメリカ国内でも人気を博する女優でありつつ、“活動家”としての顔も持つ人物だった点が注目される。私自身は70年代前半に、彼女が人種差別反対運動に積極的に加わり、臆することなく政治的発言を続ける、“正義”のために立つ女優であることを、人づてに聞いていた。

セバーグは早くから公民権運動や反戦運動に共感し、「全国有色人向上協会」(NAACP)やブラック・パンサー党(BPP)を支援(資金提供)したため、当局FBI(連邦捜査局)の監視対象となる。当時、FBIは活動家や共産党、有色人種や女性の団体を危険視しており、スパイ活動や盗聴、違法行為によって個人・団体を攻撃する「コインテルプロ」(COINTELPRO、Counter Intelligence Programの略)なる活動を実施していた。度を超したFBIの監視~尾行・盗聴・嫌がらせ等~によって、セバーグの神経は徐々にすり減っていく。1969年に彼女が子供を妊娠すると【実は、この妊娠時の子供が62年に結婚したロマン・ガリとの間の第二子だった点を、今回(本作鑑賞後)私は初めて知った次第!】、FBIはそれに乗じて「セバーグが妊娠しているのは夫との子ではなく、ブラック・パンサー党の活動家の子だ」とのデマを流布した。そして、そのデマ/ゴシップが何と『ニューズウィーク』や『タイム』、『ロサンゼルス・タイムズ』といった“まっとうな”メディアにまで載ってしまう。翌年、セバーグは心労から女児を早産、ニーナと命名するが、2日後に赤子は死亡。その際、父親についての噂を否定しようとアフリカ系の特徴は見られない赤子の写真を提示した記者会見を行なうほど、セバーグはひどく精神的に追い詰められていた。その後、彼女は深刻な鬱病患者となり、1979年9月8日に遺体となって、パリ郊外に路上駐車された自家用車ルノーのバックシートから発見される。
「ヌーベルバーグの女神」 と謳われたセバーグは、自殺か他殺かはっきりしない変死を遂げた(40歳没)。検視による結果死因は、アルコールと睡眠薬(バルビツール)の大量摂取。遺書めいた手紙~「Forgive me. I can no longer live with my nerves.(ごめんなさい、私はもうこの精神状態では生きられません)」~が見つかり「自殺」と発表されるが、自殺としては動機が不明。血中の異常なアルコール濃度と睡眠薬の関係。下着さえつけずに全裸で死んでいた不自然さ。死後数日たって発見されたのに、死体の乗っていた車が直前に動かされていたこと等々、謎は多い。【当時はもとより、40年経った今も、事の真相は定かでない。

ジーン・セバーグの死に際し、70年に離婚して前夫となっていたロマン・ガリは、FBIによる印象捜査を強く非難し、ジーンとの間の子供ニーナの命日である8月25日に彼女が何度も自殺しようとしていたことを語った。そして彼自らもまた、ジーンの死の翌年12月2日、パリの自宅で拳銃自殺という最期を遂げている。遺書の冒頭には「ジーン・セバーグとは何の関係もない」と書かれていたが…。

突然の謎の死を迎えた“伝説の女優”ジーン・セバーグ。彼女の全体像は今もなお、我が胸のうちに消えがたく残っている。

▼ cf. 『悲しみよこんにちはEnding
【Final Lines:So here I am surrounded by my wall of memory/I try to stop remembering but I can't.../And so often I wonder, when he's alone, is he remebering too?.../I hope not.|Music:Bonjour Tristesse(English Version)by Juliette Grecó ―このラストは私にとって永久(とわ)に忘れがたい場景である!】


▼ cf. Tribute to Jean Seberg



▼ cf. Movie Legends - Jean Seberg

2020年2月10日(月)吉祥寺オデヲン(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、JR吉祥寺駅東口徒歩1分)で、18:30~鑑賞。

「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」

作品データ
英題 In This Corner (and Other Corners) of the World
製作年 2019年
製作国 日本
配給 東京テアトル 
上映時間 168分


こうの史代の同名漫画を長編アニメ映画化しロングランヒットを記録した『この世界の片隅に』 本ブログ〈March 05, 2017〉 に約30分の新たなシーンを追加した別バージョン(長尺版)。主人公すずとリンとの交流、妹すみを案じて過ごす中で迎える昭和20年9月の枕崎台風のシーンなどが追加された。新しい登場人物や、これまでの登場人物の別の側面なども描かれ、すずたちの心の奥底で揺れ動く複雑な想いを紡ぐ。片渕須直が監督を続投し、ボイスキャストも前作同様、主人公すずをのん、すずの夫・周作を細谷佳正、周作の姪・晴美を稲葉菜月、周作の姉・径子を尾身美詞、すずの旧友・哲を小野大輔、すずの妹・すみを潘めぐみ、すずと仲良くなる女性リンを岩井七世がそれぞれ担当。

ストーリー
18歳で広島から呉の北條家に嫁いだすず(声:のん)は、夫・周作(声:細谷佳正)とその家族に囲まれて、新たな生活を始める。昭和19(1944)年、日本が戦争のただ中にあった頃だ。戦況が次第に悪化し、配給物資が減り、人々の生活は困難を極めるが、彼女は何とか知恵を絞って工夫を重ね、日々の暮らしを紡いでいく。ある日、すずは迷い込んだ遊郭でリン(岩井七世)と出会う。そして、境遇は異なるが、嫁いで来て初めて知り合った同世代の彼女に心を通わせていく。やがて、周作とリンとのつながりに気づいてしまうが、それをそっと胸にしまい込むすず…。昭和20年3月、軍港のあった呉は、大規模な空襲に見舞われる。その日から空襲はたび重なり、すずも大切なものを失ってしまう。そして、昭和20年の夏がやってくる…。

▼予告編



English subtitled trailer

2020年2月5日(水)吉祥寺オデヲン(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、JR吉祥寺駅東口徒歩1分)で、20:05~鑑賞。

「ナイブズ・アウト」(1)

作品データ
原題 Knives Out
製作年 2019年
製作国 アメリカ
配給 ロングライド
上映時間 131分


「ナイブズ・アウト」(2)

『LOOPER/ルーパー』『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』のライアン・ジョンソン監督が、アガサ・クリスティ(Agatha Christie、1890~1976)に捧げる自らのオリジナル脚本を映像化した本格群像ミステリー。ベストセラー作家の富豪が謎の死を遂げ、一癖も二癖もある家族全員に容疑がかかる中、謎めいた名探偵が事件の真相へと迫っていくさまを、現代的な社会問題を盛り込みつつ二転三転するストーリー展開で軽妙に描き出していく。名探偵を演じるダニエル・クレイグをはじめ、クリス・エヴァンス、ジェイミー・リー・カーティス、クリストファー・プラマー、アナ・デ・アルマス、マイケル・シャノン、ドン・ジョンソン、トニ・コレット、キース・スタンフィールドら豪華キャストが顔を揃える。

ストーリー
世界的ミステリー作家ハーラン・スロンビー(クリストファー・プラマー)が85歳の誕生日を迎え、ニューヨーク郊外にある彼の豪邸で家族が集いパーティーが開かれる。ところが翌朝、ハーランは遺体となって発見される。一見自殺かに思われた彼の死だったが、そこへ匿名の人物から依頼を受けた名探偵ブノワ・ブラン(ダニエル・クレイグ)が刑事と共に現われ、殺しと確信して捜査を開始する。前日に屋敷にいたハーランの家族、看護師、家政婦全員が集められ第一容疑者として事情聴取されることに。そこには、ハーランが抱える莫大な資産を巡る複雑な人間関係があった。どいつもこいつも怪しすぎる連中、とりわけ曲者揃いの家族たちのもつれた謎をブラン探偵は解き明かし、事件の真相に迫っていく…。

▼予告編




私感
イヤア、面白かった!
一瞬先も読めない、巧みなストーリーテリング。究極のハイテンション・ノンストップ・ミステリー。久しぶりに堪能できた快作だった!

本作は2019年9月7日に第44回トロント国際映画祭でワールドプレミア上映後、11月27日に全米3461館で封切られ、オープニング興行成績4170万ドル(11/27~12/1、Box Office Mojo調べ)、実写第1位の大ヒットスタートを飾った。「楽しすぎて、脳みそが、痛い。」(HuffPost)、「今年No.1、抜群に面白い」(Mashable)、「アガサ・クリスティの現代版、超最高!」(RollingStone)、「本当にハラハラ!」(Guardian)などの激賞レビューに加え、米レビューサイト「Rotten Tomatoes」では何と批評家、オーディエンス共に、驚異の満足度97%を記録(1/6時点)。映画界からもマーク・ハミル(『スター・ウォーズ』シリーズ出演)、エドガー・ライト(『ベイビー・ドライバー』監督脚本)、J・A・バヨナ(『ジュラシック・ワールド 炎の王国』監督)、フィル・ロード(『スパイダーマン:スパイダーバース』脚本)など一流の俳優や作り手たちから大絶賛を浴びている。

批評家連も大絶賛の由、なるほどと首肯点頭!
本作はライアン・ジョンソン(Rian Johnson、1973~)監督が“ミステリーの女王” アガサ・クリスティに捧げた作品とのこと。私はこれまで何度となく、アガサの原作“Murder on the Orient Express”を愛読し、またその映画化作品『オリエント急行殺人事件』~シドニー・ルメット監督作(1974年)/ケネス・ブラナー監督作(2017年)~を愛好・賞玩してきた(cf. 本ブログ〈January 10, 2018〉/本ブログ〈December 28, 2017〉)。
そんな私から見て、『オリエント急行殺人事件』1974年版/2017年版以上に濃密なサスペンスを盛り込み、一層魅力を増した本作。上映時間約2時間10分、文字どおり終始画面にぐいぐいと惹きつけられ、並々ならぬオモシロサに釣り込まれつづけた私だった。
2020年2月4日(火)吉祥寺プラザ(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-19、JR吉祥寺駅北口サンロード突き当たり左)で、18:15~鑑賞。

「キャッツ」(2)

作品データ
原題 CATS
製作年 2019年
製作国 イギリス/アメリカ
配給 東宝東和
上映時間 109分


「キャッツ」⑴

1981年にロンドンで初演され、その後ブロードウェイや日本をはじめ世界中で空前のロングラン・ヒットとなったアンドリュー・ロイド・ウェバー作曲によるミュージカルの金字塔「キャッツ」を、『英国王のスピーチ』『レ・ミゼラブル』のトム・フーパー監督が実写映画化。都会の不思議な「ゴミ捨て場」を舞台に、踊りと歌を繰り広げる個性的な猫たちの姿を生き生きと描く。英国ロイヤルバレエ団でプリンシパルを務めるフランチェスカ・ヘイワードが映画初出演にして主演を飾るほか、『ドリームガールズ』でアカデミー賞助演女優賞に輝いたジェニファー・ハドソン、10度のグラミー賞受賞を誇るテイラー・スウィフト、『007』シリーズのジュディ・デンチら豪華キャストが共演する。

ストーリー
ロンドンの片隅にあるゴミ捨て場に迷い込んだ白猫ヴィクトリア(フランチェスカ・ヘイワード)。若く臆病な彼女はそこで、人間に飼いならされることを拒み自由に生きる、猫たちの集団“ジェリクルキャッツ(Jellicle cats)”に出会う。ぐうたらな猫、 ワイルドな猫、鉄道猫、娼婦猫、手品師の猫、お金持ちでグルメな猫、勇敢な兄貴肌の猫、不思議な力を持つ長老猫…。多種多様で個性豊かな猫たちとの出会いを通して、自分らしい生き方を見つけようとするヴィクトリア。そして、満月が輝く今宵は、天井に上って新たな命を生きることを許される、たった一匹の猫が選ばれる特別な夜。一生に一度、一夜だけの特別な「ジェリクル舞踏会(the Jellicle Ball)」の幕が開く…。

▼予告編




メイキング映像




私感
私は1999年から2000年にかけてニューヨークに長期滞在した(cf. 本ブログ〈November 29, 2016〉)。その際、ブロードウェイ・ミュージカル『キャッツ(Cats)』を2回~1999年10月と2000年4月~鑑賞。
2000年の再見は、日本から来た「お客さん」を案内してのもの。鑑賞後の「お客さん」(女性)いわく、「劇団四季の『キャッツ』何度も観てきたけれど、本場の味を知ってしまうと、それがまるで〈学芸会〉クラスであることが、よく分かったわ」。そう、“生”演奏一つとっても、彼我の差はあまりに大きすぎる。“島国根性”とは言い得て妙、およそ“日本人”たるもの、自らの「世界観」的たたずまいを不断に相対化すべし!

私は本作を観る前から何となく分かっていた。別段素晴らしいわけでもなく、バカバカしいわけでもなく、マアこんなもんだろうな、と。
そもそも映画なるものに、舞台ミュージカルのような、出演者と観客が空間を共有する形での生き生きした人間的なつながりなどは期待しうべくもない。映画『キャッツ』に基本的に問われるべきは、個性的な猫~人面猫or猫人間?~たちがワイワイお祭り気分で歌いまくり踊り狂う“白昼夢”を受け身の観客がどれだけ楽しめるか、である。

私に言わせると、舞台ミュージカルの『キャッツ』は(『ライオン・キング』もそうだが)根本的に「オコチャマ向き」で、ひ弱なストーリーではあっても歌や踊り自体を勝手に想像して一応楽しめる作品だ。この点、私がこれまで鑑賞した他の有名なブロードウェイ・ミュージカル、例えば『オペラ座の怪人』『シカゴ』『美女と野獣』『キャバレー』『王様と私』『レ・ミゼラブル』『屋根の上のバイオリン弾き』の場合は、どうだろうか。そこでは、あくまでも興趣に富むストーリー展開に伴う歌や踊りの劇的シーンが大々的に繰り広げられる。私にとって、それら~とりわけ『キャバレー』~は、能動的に、まさに身を乗り出して無理なく存分に楽しめる作品だ。

映画版を本場のミュージカル版と比較対照したところで、所詮は埒(らち)もない世間話!要は、映画版に接するのなら、どこまでも頭ではなく、心や肌で観てみましょう 音譜
それにしても、長老猫のオールドデュトロノミーに扮したジュディ・デンチ(Judi Dench、1934~)、御老体に鞭打っての演技ぶりは、いかがなものか!?彼女がいかに名優であるか~『007』シリーズ(3代目「M」役)はもとより、『Queen Victoria 至上の恋』(1997年)、『恋におちたシェイクスピア』(1998年)、『アイリス』(2001年)、『ヘンダーソン夫人の贈り物』(2005年)、『あるスキャンダルの覚え書き』(2006年)など、その確かな演技力&存在感で私の目を奪い続けてきた!~を篤と承知の上で思うのだが、これはミスキャストじゃないのか―。
2020年2月4日(火)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、15:00~鑑賞。

「家族を想うとき」

作品データ
原題 Sorry We Missed You (原題は「ご不在につき失礼」といった宅配事業者の不在届を意味しており、主人公リッキーの日常業務から取られている。)
製作年 2019年
製作国 イギリス/フランス/ベルギー
配給 ロングライド
上映時間 100分


『麦の穂をゆらす風』『わたしは、ダニエル・ブレイク』と2度にわたり、カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞した、イギリスの巨匠ケン・ローチ(Ken Loach、1936~)監督作品。イギリスのニューカッスルを舞台に、現代が抱えるさまざまな労働問題に直面しながら、懸命に生きるある家族の姿が描かれる。脚本は『カルラの歌』(1996年)でローチ監督と初めて組み、以降のほぼ全てのローチ作品を担当し、名作を生み出し続けるポール・ラヴァティ(Paul Laverty、1957~)。
一家の父親役には、配管工として20年以上働き、40歳を過ぎてから俳優を目指したという、まさにローチ監督作品にふさわしいバックグラウンドを持つクリス・ヒッチェン(Kris Hitchen)。オーディションで抜擢され、怒りや悲しみなどマイナスの感情に流されやすく世渡りも下手だが、ひたすら家族を想う不器用な父親を情感豊かに演じる。一家の母親役には、TVシリーズで小さな役を演じてきたが、映画は本作が初出演となるデビー・ハニーウッド(Debbie Honeywood)。やはりオーディションで選ばれ、子供たちに無償の愛を注ぐだけでなく、介護する相手を自分の親と思って接することをモットーとしている慈愛に満ちた母親を、全身から溢れる優しさと心(しん)の強さで体現。

ストーリー
イギリス・ニューカッスルに住むある家族。ターナー家の父リッキー(クリス・ヒッチェン)は、マイホーム購入の夢をかなえるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立を決意。「勝つのも負けるのもすべて自分次第。できるか?」と本部のマロニー(ロス・ブリュースター)にあおられて、「ああ、長い間、こんなチャンスを待っていた」と答えるが、どこか不安を隠し切れない。
母のアビー(デビー・ハニーウッド)は、パートタイムの介護福祉士として、時間外まで1日中働いている。リッキーがフランチャイズの配送事業を始めるには、アビーの車を売って資本にする以外に資金はなかった。遠く離れたお年寄りの家にも通うアビーには車が必要だったが、1日14時間週6日、2年も働けば夫婦の夢のマイホームが買えるというリッキーの言葉に折れるしかなかった。
個人事業主とは名ばかりで、理不尽なシステムによる過酷な労働条件に振り回されながらも働き続けるリッキー。一方、介護先へバスで通うことになったアビーは、長い移動時間のせいでますます家にいる時間がなくなっていく。16歳の息子セブ(リス・ストーン)と12歳の娘ライザ・ジェーン(ケイティ・プロクター)とのコミュニケーションも、留守番電話のメッセージで一方的に語りかけるばかり。家族のために身を粉にして働く両親を、子供たちは少しでも支えようとし、互いを思いやり懸命に生きる家族4人。だが、一家団欒の時間が奪われていく中、2人の子供は寂しい想いを募らせていった。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう…。

▼予告編



ケン・ローチ監督 インタビューMOVIE Collection-「仕事が家族を破壊する─日本でも起きている問題を英国巨匠が描く」2019/12/11) :
──本作のアイディアはどこから得られたのですか?
監督:前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』のリサーチのために出かけたフードバンク(まだ食べられるにもかかわらず、さまざまな理由によって市場で流通できなくなった食品を、企業から寄附を受けて生活困窮者などに届ける活動、あるいはその活動を行う組織)のことが心に残っていました。フードバンクに来ていた多くの人々が、パートタイムやゼロ時間契約(雇用者の呼びかけに応じて従業員が勤務する労働契約)で働いていたのです。いわゆるギグエコノミー(インターネット経由で非正規雇用者が企業から単発または短期の仕事を請け負う労働環境)、自営業者あるいはエージェンシー・ワーカー(代理店に雇われている人)、パートタイムに雇用形態を切り替えられた労働者について、私と脚本家のポールはしばしば話していて、次第に“もう一つの映画にしよう”というアイディアが生まれました。個々の労働者に対する搾取のレベルだけでなく、彼らの家庭生活への影響と個人的な関係にどのように反映されるかということでした。

──本作のリサーチは、どのようにされたのですか?
監督:リサーチのほとんどはポールがやってくれました。その後、私たちは一緒に何人かの人に会いました。口が重いドライバーたちも多かったのですが、彼らは自分たちの仕事にリスクを負わせたくなかったのです。また、撮影場所からあまり遠くないところにあった集配所の親切な男性マネージャーが集配所のセットを建てるのに的確なアドバイスをくれました。出演しているドライバーたちはほぼ全員、現役か元ドライバーです。彼らは仕事の段取りや仕事を素早く成し遂げることのプレッシャーを理解していました。

──リサーチで最も印象に残ったことは何ですか?
監督:驚いたのは、人々が慎ましい生活をするために働かなければならない時間の長さと仕事の不安定さです。彼らは自営業者なので、もし何か不具合が生じたら、すべてのリスクを背負わなければなりません。例えば、宅配用のバンには不具合が生じることもありますし、配送がうまくいかなければ制裁を受けて大金を失うことになります。介護福祉士は訪問介護をしても最低限の賃金しか受け取れません。

──本作の登場人物について。父親のリッキーはどのような人物ですか?
監督:リッキーは建設作業員として真面目に働き、マイホームを購入するために十分な貯蓄をしてきましたが、銀行と住宅金融組合の破綻が同時に起こり住宅ローンを組めなくなってしまいました。建設業が痛手を被ったために彼は職を失い、たくさん稼げそうな宅配ドライバーとして働く決意をします。一家は賃貸住宅に住んでいて、借金苦から抜け出すのに十分なほどは稼げていません。彼らのような状況にいる人々は、慎ましい収入を得るためにへとへとになるまで働かなければならないのが現状です。

──母親のアビーについては?
監督:アビーは幸せな結婚生活を送っている母親で、夫との間には愛情と友情があり、子どもたちにとって良い親になろうと努力しています。ただ、彼女の問題は、子どもたちの世話をどうするか、ということです。彼女は低賃金の介護の仕事で夜遅くまで家に戻れないので、子どもたちに電話で指示をしています。そんなやり方ではうまくいかないでしょう。

──二人が築きあげたものは何ですか?
監督:子どもたちです。息子のセブは16歳ですが、両親が不在のことが多いため、道を踏み外していきます。彼には両親が気づいていない芸術的な才能がありますが、両親にとっては問題児です。保守的な父があれこれ言いますが、彼は言うことを聞きません。娘のライザ・ジェーンはとても聡明で、家族の仲裁役となります。彼女はみんなにハッピーになってほしいのです。

──ニューカッスルでの撮影はいかがでしたか?
監督:私たちのいつもの撮影と同様に順撮りをしました。俳優たちには物語がどのように終わるかを知らせず、それぞれのエピソードはその場で初めて伝えました。事前に家族のリハーサルを行いましたが、その後、5週間半にわたって撮影を行いました。チャレンジしたことの一つは、荷物の集配所を正しく理解すること。正確なプロセスを知り、みんなにその仕事をきちんと理解してもらわなければなりませんでした。そのうえで、この作品をドキュメンタリーのように撮影しました。

──本作では、どのような問題が提起されていると思いますか?
監督:このシステムは持続可能か、ということです。1日14時間くたくたになるまで働いているドライバーを介して買った物を手に入れるということが、持続可能と言えるのでしょうか? 自分で店に行って店主に話しかけることよりもよいシステムなのでしょうか? 家族や友人関係にまで影響を及ぼすプレッシャーのもとで人々が働いて人生を狭めるような世界を私たちは望んでいるのでしょうか? これは市場経済の崩壊ではなく、むしろ反対で、経費を節減し、利益を最大化する苛酷な競争によってもたらされる市場の論理的な発展です。市場の関心は、私たちの生活の質ではなく、金を儲けることです。ワーキング・プア、つまりリッキーやアビーのような人々とその家族が代償を払うのです。しかし、最終的には、観客の方々が本作の登場人物に信頼を寄せ、彼らと共に笑い、彼らのトラブルを自分のことと思わなかったら、この映画には価値がありません。彼らの生きてきた証が本物だと認識されることで観客の琴線に触れるのです。

私感
私は『麦の穂をゆらす風』(2006年)~アイルランド独立戦争とその後のアイルランド内戦を背景に、1921年の「英愛条約」をめぐって対立することになる二人の兄弟を描く~と出会ってケン・ローチ監督作の大ファンとなった。以来、『この自由な世界』(2007年)→『エリックを探して』(2009年)→『ルート・アイリッシュ』(2010年)→『天使の分け前』(2012年)→『ジミー、野を駆ける伝説』(2014年)本ブログ〈February 14, 2015〉→『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)本ブログ〈March 12, 2018〉を、日本公開順に観続けてきた。
ローチの作品の数々は、説得性に富むリアリティーを持った、実に見応えのある秀作ぞろい。とりわけ労働者階級や移民の人々など社会的弱者の人生に、鋭く切り込みながらも温かな眼差しを注ぎ込む彼の思想的姿勢は刮目(かつもく)に値するもので、わが胸を激しく揺さぶってやまない。

非正規社員であるギグワーカーの置かれた過酷な労働環境に光を当てた今作。そこでは、グローバル経済が加速している〈今〉、労働者の「職業」が尊重されずビジネスの論理~雇用主が意のままに労働時間を決定する“ゼロ時間契約(Zero Hour Contract)”~が労働の質や家族関係などの「社会」を蝕(むしば)む様子~英国や米国、日本などで共通する問題状況~がつぶさに描かれている。
私は83歳を迎えた名匠の最新作を見入りながら、以前にも増して痛烈に教えられた。世界の片隅の小さな存在(弱き者)が被っている不公平や理不尽さを見つめ、あくまでも我が事として受け止め、怒り、悩み、考えなければならない、と。
暴漢に襲われ手酷く負傷したリッキーが家族の制止を振り切ってバンに乗り込み仕事へと向かうラストシーンは、死へのハイウェイさながら。この主人公が追い込まれた苦境を了察するとき、思わず絶望感を味わわされつつも希望が絶望に取って代わるためには…と必死に考え込む私だった。
2020年1月29日(水)ラピュタ阿佐ヶ谷(東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21、JR阿佐ヶ谷駅北口より徒歩2分)で、20:30~ 鑑賞。

「アジアの純真」 (1)

作品データ
英題  Pure Asia
製作年 2009年
製作国 日本
配給 ドッグシュガームービーズ
上映時間 108分

日本初公開 2011年10月15日

姉を殺された在日朝鮮人少女と、その現場で見て見ぬ振りをしてしまった日本人少年の、怒りと屈辱を抱えた“復讐”の旅路を追うロードムービー。2011年の第40回ロッテルダム映画祭で、その過激なテーマが物議を醸した一方、「白黒の奇跡」と絶賛を浴びた問題作(片嶋一貴監督・井上淳一脚本)が、2019年に8年ぶりに再上映。少年少女の波乱の逃避行が全編モノクローム映像と哀切感に満ちたピアノの音色をバックに描かれる。出演は『マイ・バック・ページ』の韓英恵、『ユリ子のアロマ』の笠井しげ。

「アジアの純真」 (2)
監督・片嶋一貴のコメント】 :
『アジアの純真』がまた映画館で上映されるのは、嬉しいことです。なかなか多くの人の目に触れることが難しい作品なので…。撮影は2009年1月、劇場公開は2011年の10月でした。この映画は、韓英恵という女優がいなければ成立しえないものでした。18歳の韓英恵。この年齢でしか出し得ない異様な殺気と脆さが同居し、特有のオーラを醸し出している。偏狭な精神から自由になるためにもがき苦しむ純真な魂に、社会の正義など、いかに不確かなものなのか…。そこに、人間存在の不条理があると考えます。すでに韓英恵は29歳。時代は変わり、変わらないものは何も変わらない。今現在、この映画がどんなふうに受入れられるのか、とても楽しみです。

脚本・井上淳一のコメント】 :
戦後最悪と言われる日韓関係。ネットばかりか、ワイドショーでも反韓嫌韓ヘイトまがいの言葉が平然と語られる。ヘイトはそんなに視聴率がとれるのだろうか。叩いても文句を言われないものを叩く品性の卑しさ。「強制連行」が「徴用工」と呼び名を変えて久しい。あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」が中止になったのも、KAWASAKIしんゆり映画祭の『主戦場』上映中止騒動も、最大の原因は慰安婦だ。誰も自分たちのことを、歴史を、振り返らない。この国が彼の国で何をしてきたか。足を踏まれた者にしか足を踏まれた者の痛みは分からないのだとしても、これは酷すぎるのではないだろうか。いつかどこかで見た風景。戦前?いや、もっと近く。例えば、2002年。拉致問題が騒がれていた頃の、国を挙げての北朝鮮大バッシング。あの頃の空気にソックリだ。その後も、やれミサイルだ、やれ核開発と騒いだはいいが、金正恩がトランプと握手した途端にトーンダウン。今度はお隣の国が敵になる。それを煽って何になるというのだろう。
『アジアの純真』は2003年にシナリオを書き、09年に撮影され、11年に公開された映画だが、この映画で描いたことと何も変わらない現実。双子の姉を殺された在日朝鮮人少女は旧日本軍が不法投棄した毒ガスを手に入れ、日本という国に復讐するために旅に出る。報復の連鎖。その先に何が待っているのか?
香港では若者たちのデモに警察の暴力がエスカレート、権力は弾圧を隠さなくなった。イランでもペルーでもデモが激化、パレスチナではイスラエル軍との激突が続き、カシミール地方を巡って印パは一触即発、米中関係も温暖化も悪化の一途、辺野古の埋め立ては続き、福島では原発汚染水が垂れ流され続け、我が国の首相はウソしかつかない。分断と対立。なぜ同時多発的に世界中でクソバカな指導者が誕生してしまったのか
そんな今だからこそ、『アジアの純真』を再上映したいと思った。幸い、全国各地で手を挙げてくれる同志がいた。新潟、茨城、沖縄、長野、大阪、広島、名古屋、埼玉と回り、ついに東京再上陸。この映画は公開時、「反日映画」と散々叩かれた。反日、上等。今、この国を愛せよという方が不可能だ。日本人が作った「反日映画」を題材して、この国がどうしたらもう少しマシになるか考えたい。主人公は言う。「どうやったら、世界は変わるの?」と。答えなんて出るワケがない。でも、問いかけるだけではダメだ。この映画が、考えるはじめの一歩になればと願っています。


ストーリー
2002年秋。北朝鮮による拉致事件で反朝鮮感情が蔓延する中、チマチョゴリを着た女子高校生(韓英恵)が、チンピラに殺害される事件が発生した。その殺害現場に偶然居合わせ、恐怖から見て見ぬフリをしてしまった気弱な日本人高校生(笠井しげ)。彼は後日、その殺害された少女の妹(双子)である孤独で勝ち気な在日朝鮮人少女(韓英恵=二役)に出会う。彼女は悲しみと屈辱にまみれ、腐りきった社会への怒りを押さえられずにいた。そんな彼女に共感し、少年もまた、自らの中に抱えた激しい怒りの感情に気づく。やがて、太平洋戦争の時に旧日本軍が廃棄した毒ガスの瓶を見つけた2人は、その毒ガスをリュックに詰め込み、自転車に乗って、日本社会への“復讐”の旅に出る。寂寥たる風景の中をあてどなく彷徨う、悲しくもパンクな旅。それは、世界の中に放り出された2人の心象風景なのか。少女は問う、「どうやったら、世界は変わるんだよ」と。2人は世界を変えることができるのか…。

▼予告編



主演女優・韓英恵(1990~)インタビュー「映画と。」- 2011年10月12日) :
――差別やテロなど過激な描写も含まれますが、当時18歳だった韓さんが出演を決めた理由と、その時の気持ちを教えてください。
私はハーフ(父親はソウル出身の韓国人、母親は日本人―引用者)なんですが、日本人の小・中・高校に通っていました。その中で差別を経験したこともあるし、自分がされたことを他の子にやってしまったこともあります。(いじめの)標的になることを避けるため、というのもありました。ハーフであることを隠そうと、参観日に父親を呼ばなかったり、学校に提出する書類の保護者欄には母親の名前を書いていた時期もありました。高校生の時は父が嫌いでした。ただ韓国人という理由だけで。自分も差別してたんですね。とにかく逃げるように生きていたのですが、この映画の台本を読んだ時、今の自分と重なると思ったんです。映画でも憎しみの連鎖というものが描かれていますが、この映画を通して自分自身を見つめ直してみようと思いました。でも、差別やテロなど過激な内容が含まれているので一般公開は難しいかな、とも思いました(笑)。

――10歳の時から“韓”さんという名前で活動されていますが、そのような苦悩があったとは…。
“韓”は父方の名字で、普段は母方の名字を使っています。実はこの名前を使うのを決めたのは、デビュー作『ピストルオペラ』(01)の鈴木清順監督なんです。台本には日本名で書かれていたんですが、監督から急遽「韓英恵でいけ」と言われ、結局クレジットもそうなりました。反論はできませんでした(笑)。

――本作では二役を演じられていますが、役作りは苦労されましたか?
自分の中にある、これまで経験してきたこと、内側にずっと隠してたことを役に投影させたことが一番の役作りになりました。ただ、これを撮ったら女優を辞めようと思ったぐらい、肉体的にも精神的にも一番辛い作品でした。極寒の1月で、短いスパンのギュウギュウのスケジュールで撮りました。でも出来上がった作品を見ると、また頑張ろうって思っちゃうんですけどね。映画って不思議ですね。

――ロッテルダム国際映画祭では満席だったと聞いていますが、観客からの質問で何か印象的なものはありましたか?
「なんでモノクロなの?」と訊かれました。監督がその場にいなかったので、「白と黒は混じり気のない、何も色を入れていないピュアな色だから」と、私が代わりに以前監督から聞いていたことを答えました。/あと、「アジアのことはよく知らないしヨーロッパにはヨーロッパの差別の問題があるからそっちを重視してしまうけど、こういう問題はどこの地域にもあるんですね」と言われたりもしました。

――出演を決めるとき、作品にたいして何かこだわりや基準などはありますか?
自分が知っている感情が演じる役の中でどう生きるのか、その作品の中に自分が演じる意義があるのかどうか、今までもこれからもそれが基準になっていくと思います。

――現在は大学生で学業との両立のために女優業をセーブされているとか。卒業後はどのように活動をしていきたいですか?
映画が好きなので、映画にはたくさん出たいです。幸いにも事務所や周りの方が自分の考えを尊重してくれて、とても大事にしてくれているので、感謝の気持ちを忘れずに、これからも自分の存在が息づいていけるような作品に出ていきたいです。大学を卒業したら、映画以外にも活動の場を広げていきたいですね。

――最後にファンに向けてメッセージをお願いします。
「どうやったら世界は変わるの?」と喧嘩するシーンからカラオケのシーンまでの流れが好きなので、そこはぜひ観てもらいたいです(笑)。あと、反日映画と言われることもあるのですが、私はそうじゃないと思っています。テロとか拉致を正当化している映画ではないし、間違いに気づいてそれを直そうとするんだけど、思いがけないところで、スイッチひとつで、世界は変わってしまう。そういう世界を変えるにはどうしたらいいのか、ということを一緒に考えていけるきっかけになればいいなって思います。

私感
ドラスティックな映画である。その意味で、社会的なメッセージがしっかり込められた優れた映画である。昨今のヤワでフワフワした、足元がおぼつかない多くの日本映画とは、地平を異にしている。

私はかつて大学生時代に、在日韓国人の男子中学生の家庭教師をしたことがある。
現代日本社会の差別⇔人権に即して言えば、深刻な社会的差別の問題状況として、私は直ちに「アイヌ民族差別」、「部落差別」、「在日コリアン差別」を思い浮かべる。北海道に生まれ育った私の場合、最初に一番身近に感じ取ったのがアイヌ差別問題。小学・中学時代の私は、アイヌ文化研究家・更科源蔵(さらしな・げんぞう、1904~85)の「アイヌの現実」に関する講演に心を動かされ、児童文学者・石森延男(いしもり・のぶお、1897~1987)のアイヌを主人公とした小説『コタンの口笛』(1957年)に感銘を受け、そして実地に釧路阿寒、平取町二風谷、白老などを訪ね、北海道の大自然とそこに生きるアイヌの人々の生活に触れた。
私はまた、高校2年時のある夜、自然主義作家の島崎藤村(しまざき・とうそん、1872~1943)の『破戒』(1906年)を徹宵して読み耽り、“部落問題”の存在に目を覚まされる。【ちなみに、この読書は朝方にまで及び、結局当日は登校せずじまい!それは、自分史上画期をなす“事件”にほかならなかった。】 そして、1963年に起きた「狭山事件」~逮捕された石川一雄(1939~)は被差別部落の貧農出身~を通して、現実の部落差別問題に対する私の個人的・積極的な関心がとみに高まる。やがて上京し大学生活を送る私は、探求心と好奇心が綯い交ぜになった複雑な感情が湧き立つ中、親しい知人と一緒に、東京都八王子市や静岡県浜松市や埼玉県狭山市などに散在する“部落”(混住地域)を探訪した。
そんな私がひょんなことから、在日韓国人・中学3年生の家庭教師を務めるにいたったのは、大学4年生の時。彼の中学3年時4月から高校受験時翌2月までの11か月間、週2度、英語・数学・国語の3教科の面倒を見続けながら、私は彼の出自~正確に言えば、父親が韓国人で母親が日本人の「ハーフ」~に絡んで、自分史上初めて「在日コリアン(在日韓国人・朝鮮人)」差別の問題状況を否応なく我が身に引き寄せるにいたった。
彼自身は挙措の落ち着いた、時折見せる笑顔が素敵な少年。しかし、彼の数歳上の姉は、ありありと“在日” としての屈折した心情を浮き立たせてやまない美女だった。そして、彼の両親の場合は姉以上に深刻で、父と母はそれぞれに「自分が何者か」~国籍とアイデンティティーのずれ~をめぐる心理的な格闘を続けていた。この点は、彼らの家に度々出入りする「在日」関係者の面々も程度の差こそあれ、生まれた国やルーツを離れて生きる「ディアスポラ」として自分の“居場所”を探し続けていた…。