2020年1月17日(金)
吉祥寺オデヲン(東京都武蔵野市吉祥寺南町2-3-16、JR吉祥寺駅東口徒歩1分) で、17:25~鑑賞。
作品データ :
原題 기생충(キセンチュン/寄生虫) 英題 Parasite 製作年 2019年 製作国 韓国 配給 ビターズ・エンド 上映時間 132分 『殺人の追憶』『グエムル 漢江の怪物』のポン・ジュノ監督が、豪邸に暮らす裕福な家族と出会った極貧家族が繰り広げる過激な生き残り計画の行方を描き、第72回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールに輝いたエンターテイメント・ブラック・コメディー。
偶然舞い込んだ千載一遇のチャンスを活かすべく、徐々に豪邸に浸食していく一家の必死にして滑稽な姿を、ユーモラスかつ予測不能の展開で描き出していく 。主演はポン・ジュノ監督とは4度目のタッグとなる『タクシー運転手~約束は海を越えて~』のソン・ガンホ。共演に『最後まで行く』のイ・ソンギュン、『後宮の秘密』のチョ・ヨジョン、『新感染 ファイナル・エクスプレス』のチェ・ウシク、『プリースト 悪魔を葬る者』のパク・ソダム、『わたしたち』のチャン・ヘジン。
ストーリー :
韓国の貧困地区にある狭く汚い“半地下住宅”で暮らすキム一家。父のキム・
ギテク (
ソン・ガンホ )は、過去に度々事業に失敗しており、計画性も仕事もないが楽天的。元ハンマー投げ選手の母キム・
チュンスク (
チャン・ヘジン )は、そんな甲斐性なしの夫に強く当たっている。息子のキム・
ギウ (
チェ・ウシク )は、大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している。娘のキム・
ギジョン (
パク・ソダム )は、美術大学を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もなし…。
“半地下”の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。全員失業中で、近所のピザ屋の宅配ピザの箱を組み立てる内職で何とか日々を食いつなぐ貧しい4人家族にとって、たっての願いは、ただただ“普通の暮らし”がしたいということ。
ある日、受験を勝ち抜いた名門大学生の友人ミニョク(
パク・ソジュン )が、ギウを訪ねてくる。「僕の代わりに家庭教師をしないか?」 教え子の女子高校生に気がある彼は、「お前なら信じられる」と、受験経験は豊富だが学歴のないギウに留学中の代打を頼む。
ギウが向かったのは、高台に佇むモダンな建築の大豪邸。IT企業の社長パク・
ドンイク (
イ・ソンギュン )の自宅だ。この家を設計したのは高名な建築家で、以前は彼自身がここに住んでいたとのこと。昼下がり、家政婦のムングァン(
イ・ジョンウン )に案内されて広々としたリビングを進む。「初めての授業を見せていただけますか?」 偽造した大学在学証明書にさほど目を通す様子もなく、若く美しい夫人パク・
ヨンギョ (
チョ・ヨジョン )が娘パク・
ダへ (
チョン・ジソ )の部屋へと案内する。束の間の授業を経て、“受験のプロ”のギウは母と娘の心をすっかり掴んでしまい、ダヘの英語の家庭教師に採用されることになった。
思いもよらぬ高給の“就職先”にありついた彼は続けて、ヨンギョが感度の高い11歳の息子パク・
ダソン (
チョン・ヒョンジュン )の美術の家庭教師を探していることを知って、美大を目指す妹ギジョンに「イリノイ州の大学で学んだ芸術療法士」だと身分を偽らせてパク家に潜り込ませる。ギジョンはダソンの描いた絵を適当に褒めちぎり、インターネットで集めた知識を披露して能天気なヨンギョを上手く騙し、こちらもお気に入りの家庭教師として雇われることに。
ある夜、仕事を終えたパク家の主人ドンイクが帰宅してきた。彼は夜道を女性ひとりで歩かせるわけにはいかないと、自家用車の運転手にギジョンを送るよう命じる。その車中、運転手はしつこく家まで送ると言うが、自分の身元がバレることを恐れてギジョンは断わる。彼女は一計を案じ、こっそりとパンティーを脱ぎ、助手席の下に押し込み、最寄りの駅前で降りた。後日、そのパンティーを発見したドンイクは、自身の車がカーセックスの場に使われたと思い込み、ヨンギョに相談して、問題の運転手を解雇する。新しい運転手を雇おうという段で、ギジョンが親戚に良い運転手がいると提言。こうしてキム一家の父ギテクが、パク家の運転手として雇われた。
ギテク、ギウ、ギジョンは次に、パク一家を仕切っている家政婦ムングァンの存在を目障りに感じ、母のチュンスクに取って代わらせることを画策する。先代の建築家の時からこの家に仕えるムングァンは、家のことは誰よりも熟知し、一家から全幅の信頼を寄せられており、食事を二人前食べる以外に欠点らしい欠点が見当たらない。ところが、そのムングァンが重度の桃アレルギーだと知ったギテクたちは、彼女に桃の表皮の粉末を浴びせて発作を起こさせるとともに、韓国で結核が流行しているという話、ムングァン本人を病院で見かけたという話を、まことしやかにヨンギョに吹き込む。又しても奸計に騙されたヨンギョは、ムングァンがアレルギー症状で咳き込む様子を見て本当に結核を患っていると思い込み、彼女を解雇する。そして、早急に信頼できる家政婦が必要ということで、ギテクがパク家に架空の高級人材派遣会社を紹介し、まんまとチュンスクを新しい家政婦として雇用させることに成功。
かくてキム家の4人は、全員が家族であることを隠しながら、パク家に雇われる(パラサイトする/寄生する)こととなった。ただ一人、内向的な息子ダソンだけが、同時期に就職してきた4人が同じ“臭い”をしている~「体臭が同じ」~ことに気づいていたが…。
カビ臭い“半地下”に住む貧しい
キム一家4人 と、“高台の大豪邸”に住む裕福な
パク一家4人 。この何もかも対照的な二つの家族が複雑に交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく…。
▼予告編
VIDEO ▼
メイキング映像 :
VIDEO ◆
ポン・ジュノ監督 (韓:봉준호、漢字:奉俊昊、英:Bong Joon-Ho、1969~)
インタビュー ⑴(
【GINZA】 INTERVIEW-09 Jan 2020 ) :
──『パラサイト 半地下の家族』(以下、『パラサイト』)はたくさん笑い、ドキドキさせられ、後半はボクシングのストレート・パンチを受けたあとに、柔道で背負い投げをされたような衝撃を受けました。 ジュウドー?素敵な比喩ですね(笑)。アリガトウゴザイマス。
──富める者と貧しい者、住む世界は違っても共存できるものと頭で理解しているはずなのに、無意識下、肉体レベルでは受け入れられないものなのだろうか、と鑑賞後は忸怩たる思いにかられました。 それはこの映画の主題でもあると思います。この物語にはわかりやすい悪人や悪魔は登場しません。誰一人、悪い人はいない。けれど、複雑に入り組む関係のなかで、予期せぬ悲劇が起きてしまいます。悪意を抱いているわけではないのになぜ、このような悲劇になるのか。
資本主義社会のなかで、共に生きていくことの難しさ を考えさせられるストーリーなのだと思います。
──現実には交わるはずのない2つの階級の人々が、息を感じられるほどの距離まで近づいたら?というところから着想されたと伺いました。脚本に4年かけたそうですが、次々に起きるエピソードを繋げて紡いでいったのですか?それとも登場人物を追いかけるうちにこのような物語に広がったのでしょうか。 2013年に最初のアイデアが浮かび、4年近く構想しましたが、実際にパソコンでシナリオを書いたのは4ヶ月くらいなんです。貧しい家族が一人ずつ裕福な家に侵入するという、物語の前半部分がまず浮かびました。そのあとに何が起きるのか、明確な答えは出ず、曖昧なままアイデアを持ち続けていたんです。それが最後の4ヶ月で、渦のように後半に巻き起こる騒動、エンディングのクライマックスが、あるとき、まさに降って湧いてきました。
ですから、ほかの作品に比べて、『パラサイト』の執筆期間は短かったと思います。これまで8本の作品を撮りましたが、シナリオを書くアプローチは毎回違います。『パラサイト』の場合は設定が先に生まれて、どのような人物かというのは、あとから入れ込んでいきました。その都度、人物のとる行動をみながら、なぜ、このようなことになったのかを追いかけていったような形です。
──『パラサイト』を執筆中もほかの作品を手がけておられたと思います。いつもどのくらい同時進行で制作されているのですか? 複数の作品が絶えず重なり合っています。『殺人の追憶』(03)を撮りながら『グエムルー漢江の怪物―』(06)を構想していましたし、『グエムル』を撮影中には『母なる証明』(09)のシナリオを共同脚本のパク・ウンギョさんが書いていました。『グエムル』を撮る直前に『スノーピアサー』(13)の原作のフランスの漫画を読んでいましたから、『グエムル』と『母なる証明』を撮っているときには、すでに『スノーピアサー』の物語が頭のなかで進行していました。また、『スノーピアサー』を撮影しながら、『パラサイト』の構想を練っていました。いまも新作を2本準備していますが、その物語は『オクジャ/okja』(17)を撮っているときから頭のなかにありました。
──混乱しないのでしょうか? アハハ。別の作品が混じり合ったり、混乱するということはありません。頭のなかに仕切りがあるのです。お弁当箱の仕切りのようなものです(笑)。お弁当箱の中のおかずは混じり合わないでしょう?
──脚本はどんなふうに執筆されているのですか? 主にカフェで書いています。コンドミニアムやホテルにこもって書く方もいらっしゃいますが、僕は自分ひとりしかいない場所では、つい横になってしまうんですね(笑)。カフェでは横になれないので、適度な緊張感を維持することができます。お客さんのいる席には背を向けて、店の隅でノートパソコンで書いています。『パラサイト』もよく行く3軒くらいのカフェを回って書いていました。
──カフェに行けば、執筆中の監督にお会いできるかもしれないのですね! (笑)。僕はいつも空いているコーヒーショップに行きます。『母なる証明』を書いていた店に、映画が公開されたあとに行ってみたら、なんと潰れてなくなっていました。僕が好きなのは静かなカフェ。静かということは、お客さんがあまりいないということですから、僕が店に現れたら、店の主人にとっては不吉な兆しかもしれません(笑)。
──『パラサイト』に出てくる裕福なキム社長の豪邸や、『スノーピアサー』の雪原を走る列車の長く連なる車両。『吠える犬は噛まない』(00)の団地、『TOKYO!〈シェイキング東京〉』(08)の香川照之さんが演じた引きこもりの家など、監督の作品には、病的なまでに美しい「垂直」や「水平」の構図が出てきますね。 僕は間違いなく、空間フェチです(笑)。自分の気に入る空間を発見すると、必要以上に興奮してしまいます。『パラサイト』では、裕福な家、貧しい家、貧しい街並みは、すべてセットで撮りました。物語の9割が裕福な家と貧しい家の2つで展開するので、家の構造は精巧に準備をしました。ここで話している様子は、あちらからは見えないなど、ストーリーテーリングに関わる構図がいくつも出てくるので、家のなかで起きるできごと、人物の動線はシナリオ段階から決め込み、書き終えてすぐに美術監督とそれが実現できる家の設計を相談しました。
──それは大変な作業です。監督はもともと漫画家になりたかったそうで、『殺人の追憶』のパンフレットに掲載されている絵コンテも非常に綿密で驚きました。漫画ならば、思いついた物語を自由に、思い通りに描けると思うのですが、映画だからこその醍醐味は何でしょうか。 僕は以前、短編漫画を描いたことがあります。大学生のときには新聞に風刺漫画の連載もしていました。また、人形アニメーションの短編を作ったこともあります。どれもとても面白く、楽しい作業でした。でも、実写映画の場合は、ソン・ガンホさん(『パラサイト』ほかポン監督の4作品に出演)やティルダ・スウィントンさん(『スノーピアサー』『オクジャ/okja』)といった名優に出会えます。シナリオ段階で、自分が思い描いていたものとは違う、想像以上の表現、俳優の醸し出すエネルギーに遭遇したときには本当にゾクゾクします。これは漫画やアニメでは得られない快感。実写映画にしかない魅力ですよね。
『パラサイト』のストーリーボード(絵コンテ)はiPadで描いていたのですが、これが本になり韓国とアメリカで出版されたんです。ちょっと漫画家になったような気分になれて、とても嬉しかったです(笑)。絵はイマイチですけど。
──ポン・ジュノ監督の作品の魅力のひとつに、人間を多面的に描いている点があると思います。あえて一言で言うとしたら、人間は哀しいもの、残酷なもの、滑稽なもの…どういうものと捉えていらっしゃいますか? 人間は“愚かなもの”だと思います。わかっていても過ちを繰り返します。 ──最後に。『GINZA』はファッション誌なのですが、ファッションお好きですか? 僕は“ファッションテロリスト”なので、雑誌の完成度をおとしめてはいけないと心配になります…(*ファッションテロリストとは、韓国では服のセンスの残念な人のこと)。太ってしまって、上着のボタンが留められません(笑)。
──食べることが好きなんですか? はい。1日のほとんどの時間を食べもののことを考えながら過ごしています。火曜日の朝に金曜日の夜は何を食べようかなと考えているくらいです(笑)。妻と一緒にいろんな店のシェフを訪ね歩いているのです。昨日行った、「渋谷 三心」という店もすごく美味しかったですよ!
◆
ポン・ジュノ監督インタビュー ⑵(
Fan’s Voice-Column インタビュー/2020.01.14 ) :
──改めてカンヌ国際映画祭パルムドール受賞、おめでとうございます。韓国映画では初の快挙でしたね。カンヌで授賞式の少し前にお会いした時には、下馬評では確実と言われていたにも関わらず、「まったく確信はもっていない」と謙遜されていましたね。 ありがとうございます。本当に確信がなかったんです。でも、嬉しい驚きでした。
──貧富の差のある家族が対照的に描かれる『パラサイト』への評価が高い理由のひとつは、脚本の素晴らしさがあると思います。日本から見ても、韓国は階級社会が厳しい という印象を受けますが、この作品を作る際、なにかきっかけとなったアイディアやニュースなどはあったのでしょうか。 2013年頃から書き始めたのですが、なにが具体的な出発点だったのかは覚えていないんです。当時は、『スノーピアサー』のポストプロダクションをしていた頃ですが、ご存知のように、『スノーピアサー』も富裕層と貧困層がひとつの列車に乗っているというSF映画です。貧困層の車両に押し込めらていた主人公たちが、富裕層の頂点である先頭車両を目指すという物語ですね。“格差”についてはいろいろ考えていた頃だと思います。
映画史においても、これまで貧富の格差は頻繁に取り上げられてきたテーマです。アイディアという以前に、私たちの周りを見渡しても、お金持ちと、お金がない人ではすぐに見分けがつきますよね。友達や親戚を見ても、お金持ちとそうでない人たちがいます。しかも、身なりや乗っている車などでそれが一目瞭然でわかってしまう。なので、現代に生きる私たちが、“貧富の格差”について考えるのはとても自然なことなのではないかと思います。
──ご自身の経験も反映されているのですか? 私の父はグラフィック・デザインの教師で、私は極めて伝統的な中流家庭に育ちました。何不自由なく育ったといえるでしょう。まさに富裕層でもなく貧困層でもない、
この映画の登場人物の真ん中くらいの生活水準 でした。
──貧富の格差を描いた作品は世界的にも多くみられますが、今、多くの映画監督がこのテーマを取り上げるのはやはり社会情勢が大きく影響していると思いますか。 ショーン・ベイカー監督の『
フロリダ・プロジェクト 』や是枝裕和監督の『
万引き家族 』など、貧困層を描いた作品は確かに多いと思います。
資本主義における二極化の不平等 は、日常的に感じることです。今日の映画監督にとっては無視できないテーマであり、大事なことです。
もちろん、先程も言ったように、貧富の格差は100年以上前から描かれている普遍的なテーマです。では何が違うかといえば、“恐怖心”なのです。韓国、日本、世界においても、こうした不安や恐怖心はどこにでも見られます。未来もこのまま良くならないかもしれない。悲観的な話になりますが、そういったシンプルな不安や恐怖が、多くの作品に現れていると思います。
──ホラー、スリラー、サスペンスなど、ジャンル映画と社会問題のテーマを見事にブレンドした作品を撮り続けていらっしゃいますが、『パラサイト』でもダークコメディ的なアプローチを取り入れています。あなたにとってジャンル映画という手法はどれほど重要なことなのでしょうか? 私はポリティカルな映画を撮るつもりはありません。強いメッセージを提唱する社会派の作品を撮る監督もいらっしゃって、それはそれで尊敬しますが、私自身は、ジャンル映画の監督だと思っています。観客に映画を楽しんでもらいたい、というのが作り手として最大の目的なんです。その中で社会問題を描くことで、ひねりのある作品を作りたいと思っています。
──ジャンル映画といえば、『パラサイト』を観て、ジョーダン・ピールの『アス』というアメリカのホラー映画との類似を感じました。“地下に押し込められた人々”、つまり、あたかもいないかのように忘れ去られた人々の反撃です。 『アス』は観ましたよ。『パラサイト』以上に強烈な作品だと思いました。監督のジョーダン・ピールは、野心的であるとともに視覚的な表現に優れている監督です。地下にクローンが閉じ込められているという設定は、とてもラディカルなものですが、それも視覚的にセンス良く見せてくれました。ホラーというジャンル映画としても、説得力をもって作られていると思います。『アス』の予告編を最初に観たとき驚いたのは、デカルコマニーの描写があったことです。実は、2013年に私が(本作の)脚本を書いていたときのワーキングタイトル(仮タイトル)は、『デカルコマニー』だったんです。『パラサイト』とつけたのは、それからずっと後でした。デカルコマニーとは、紙に絵の具とかインクを垂らして左右対処になる表現方法ですが、『アス』では、地下と地上のクローンの対比を象徴しているのでしょう。私のこの作品とも通じるものがあると思いますよ。
──日本語のタイトルには、“半地下の家族”という副題がついていますが、映画を観た後では“半地下”の意味が増してきます。 ええ。韓国では半地下というのは、ありふれた住居スタイルですが、この映画においては、リアルで象徴的なものになっています。そして半地下とは、別の言葉で言い換えると、半地上でもある。半地上ですから、一日のうち何分か、あるいは何時間かは日が差し、“自分たちは地上で暮らしているんだ”、つまり“私たちは忘れ去られていない、大丈夫だ”とも思えるのです。でももし一歩間違えば、地下に落ちてしまうという恐怖にさいなまれるのです。半地下というのは、あいまいな境界線にいるようなものです。
ネタバレになりますが、この作品には“
第三の家族 ”が登場します。地下室に夫婦がいたわけですね。これまでの映画、例えば私の撮った『スノーピアサー』でも貧しい者と富める者の対比が描かれますが、『パラサイト』が新しいのは、第三の家族の存在があるからです。映画のプロモーションの段階では、第三の家族の存在は明かせませんでしたが、第三の家族の存在は、この作品を差別化する最も重要な要素です。
最初、観客はキム一家を貧しい家族と思っていますが、実は、もっと貧しい家族がいたんだと気がつくんです。悲しいことに、富裕層の家族とではなく、その貧しい家族同士が闘いを始めるのです。それは2時間の映画の大部分を占めると言ってもいいでしょう。第三の家族の男性の存在は、ソン・ガンホ演じるキム家の父親にとって恐怖でしかありません。未来は自分もああなるかもしれないという可能性を孕んでいるからです。彼は、半地下ではなく、“
完地下 ”にいます。実際に、完地下に住んでいる男と比べると、ソン・ガンホは恐怖も感じるけれど、まるで自分は中産階級にいるような錯覚に陥ったんですね。第三の家族の男は、「地下に住んでいるのは、僕だけじゃないよ。半地下までみんな合わせたら、相当な数だよ」と言いますが、父親は“一緒にしてくれるな”と思うわけです。恐怖を覚えたと思います。
──素晴らしいアイディアでしたね。それによって私たちは、キム一家を自分とは関係ない家族だと思って見ていたにも関わらず、自分たちも実は“半地下の家族”であることを認識するようになり、心の中に眠っていた恐怖心や不安感も芽生えます。この作品に多くの観客が感情移入するのは、それが原因ではないでしょうか。このアイディアは最初からあったのですか?“半地下”に関して的確に表現していただき、ありがとうございます。2013年に構想を練り始めたましたが、3年半から4年間は、頭の中で考えを熟成させていました。途中、2015年に14ページくらいのトリートメント(あらすじ)を書いて、製作会社に提出しました。その時には、ある貧しい家族がひとりづつ、金持ちの家に潜入していくという骨格はありましが、結末どころか(最終的なストーリーの)後半部分はまったくありませんでした。元家政婦が“ピンポン!”と戻ってきたことから、後半の大混乱が始まるわけですが、そのあたりからは2017 年の最後の3ヶ月で書きました。
──その最後の3ヶ月では、どんな風に脚本を書き進めていったのですか? 本当に夢中で書いていました。ある日、地下室の部屋に家政婦が夫を隠しているというアイディアが浮かびました。その日はよっぽど嬉しかったのか、今見返してみると、日記のようにiPadに書きなぐっています。アプリを使って書いていたのですが、車を運転しているときに、急にひらめいたアイディアでした。これを思いついてからというもの、それまでの構造などがすべてが回るような気がしました。
──この作品の特徴のひとつは、富裕層を悪、貧困層を善で描くことはせず、グレーゾーンで描いていることにもありますね。その象徴といえるのが、衝撃のラストです。ソン・ガンホ演じる父親は、一線を超えます。 パク社長を殺して、彼は自らを罰するように地下に潜ります。でも、これがラストだと旗を立てて、そこに向かっていくように書いたわけではありません。後半部分を書き進むうちに、出来上がっていきました。『母なる証明』の時の脚本の書き方とは正反対でした。『母なる証明』は撮影の5、6年前、1ぺージほどのシノプシスの段階で、すでにラストを決めていました。真犯人は息子であり、高速バスの中で母が踊るシーンで終わるというラストが明確に見えていたのです。結末ありきで、結末に向かって書いていきました。『パラサイト』に関しては、まったく逆のアプローチで生まれたラストです。
──キム一家が住む半地下の住宅、そしてパク一家が住む高台の豪邸の対比が素晴らしかったですね。このふたつの家の造形は、彼らの社会的な状況や心理的な状態さえも表しています。 キム一家が住んでいた家や路は、すべてセットです。ウォータータンクと呼んでいたプールのようなところに、家や街をつくりました。足場をつくって高さをとって、周辺の家もつくりました。それで、撮影の最後に水を入れて、洪水のシーンを撮影しました。お金持ちの家もすべてセットです。大きな庭園に2階建ての家を建て、木を植えて庭を作りました。2階はブルースクリーンのスタジオになっていました。外から見るシーンはCGです。1階のリビングや2階の内部、地下室、駐車場に降りる階段なども、別途セットを作りました。玄関や塀も別途作ったセットです。豪邸の前の坂道は実際のロケで、城北洞(ソンブクトン)という町です。富裕層の住宅のあるエリアですね。ロケは全体の10%くらいですね。
──パク家の豪邸はガラス張りが印象的ですが、なにを象徴しているのでしょうか? 映画の冒頭は、キム家の半地下の住宅の窓から外を見るところからスタートしており、両者の家も対比になっています。その窓の比率は2.35:1で、映画的です。
でも、窓は窓でも、両者の窓の概念は違います。パク家は、家も造形的で庭の手入れもされている。周りに木が植えられていてプライバシーが保たれ、城壁のように家を守っています。半地下の家は窓はあるけれど、見えるのは人の足や車のタイヤで、消毒ガスが入ってきたり、放尿する人さえいます。まるで外から中を覗かれているかのようで、プライバシーはまったくありません。洪水のときには汚水が入ってきてしまうくらいです。これらの家のセットはとても重要で、シナリオを書いたときに一緒にドローイングを描き、美術監督に渡しました。制作費の中でセットのコストはかなりの割合を占めていますね(笑)。
──この映画のスタイルを作るにあたり影響を受けた人、あるいは作品はありますか? まず名前を挙げたいのは、師と仰いでいるキム・ギヨン監督ですね。彼の最高傑作のひとつ『下女』(60年※)には、大変インスパイアされました。またクライムムービーでいえば、クロード・シャブロル監督の『野獣死すべし』(69年)ですね。それからもちろん、ヒッチコック。彼らの系譜に連なる作品を残せたなら、本当に幸せだと思っています。
※注)『下女』(60年、キム・ギヨン監督)は、裕福な作曲家の家のメイドとなった若い女性が、一家を次第に支配し始める様を描いたサスペンス。窓や階段の使い方が特徴的で、キム・ギヨン監督の最高傑作ともいわれています。 ──先ほど、ジャンル映画の監督とご自分を定義されましたが、これから撮ってみたいジャンルはありますか? ミュージカル以外なら何でも。西部劇も私はそれほど詳しくなく、資質はないかもしれません。やってみたいのは、『流されて…』(74年、リナ・ウェルトミューラー監督)とか三船敏郎とリー・マーヴィンが共演したジョン・ブアマン監督の『太平洋の地獄』(68年)のような、孤島に漂流するものは撮ってみたいですね。スーパーヒーローものは、息子と一緒に観た『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』はものすごく面白く、才能のある監督だなと感心しましたが、私には向かないジャンルかもしれないですね。
■
私感 :
ウーン!わが心におびただしい想念をもたらす作品である。
あらゆるジャンルを見事に融合させながら、いま世界が直面している貧富格差への痛烈な批判をも内包した、超一級のエンターテイメント!
私はかねてから、総体として〈現代〉日本映画を遥かに超える〈現代〉韓国映画の優秀さに気づいていたが、その点が今ここに至って端的に実証された―。