映画『雁』 | 普通人の映画体験―虚心な出会い

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2020年1月21日(火)新文芸坐(東京都豊島区東池袋1-43-5 マルハン池袋ビル3F、JR池袋駅東口下車徒歩3分)―特集「没後10年 高峰秀子が愛した12本の映画 ~名女優自ら選んだ、名匠たちとの仕事~」―で、15:25~ 鑑賞。『二十四の瞳』17:20~と2本立て上映。

「雁」⑴

作品データ
製作年 1953年
製作国 日本
配給 大映
上映時間 104分


「雁」⑵

森鷗外(1862~1922)の同名小説を『浅草紅団』の成澤昌茂が脚色し、『わが愛は山の彼方に』の豊田四郎監督が映画化。美しい下町娘と、ある大学生との間に芽生えた、儚い恋の姿が描かれる。主演(お玉役)は高峰秀子、人生の不遇に耐えながらも心(しん)の強い女を好演。共演に芥川比呂志(岡田役)、宇野重吉(木村役)、東野英治郎(末造役)、浦辺粂子(お常役)、飯田蝶子(おさん役)、小田切みき(女中・お梅役)、三宅邦子(お貞役)、田中栄三(お玉の父・善吉役)ほか。1966年には池広一夫監督・若尾文子主演でリメイクされた(脚色:成澤昌茂)。

「雁」⑶「雁」⑷

ストーリー
下谷練塀町(したやねりべいちょう)の裏長屋に住む善吉(田中栄三)、お玉(高峰秀子)の親娘は、子供相手の飴細工を売って、侘しく暮らしていた。お玉は妻子ある男とも知らず一緒になり、騙された過去があった。今度は独り身で呉服商だという末造(東野英治郎)の世話を受けることになったが、それは嘘で末造は大学の小使いから成り上った高利貸しで世話女房もいる男だった。お玉は大学裏の無縁坂(むえんざか)の小さな妾宅に囲われた。末造に欺かれたことを知って口惜しく思ったが、生活力のない父親がようやく平穏な日々にありついた様子をみると、思うに任せず「籠の鳥」に身を委ねるより仕方がなかった。
その頃、毎日無縁坂を散歩する医科大学生たちがいた。偶然その中の一人岡田(芥川比呂志)を知ったお玉は、いつか激しい思慕の情を募らせていった。末造が留守をした冬の或る日、お玉は今日こそ岡田に心を告げようと決心する。しかし、岡田はドイツへ留学する試験に合格、丁度その日送別会が催されようとしていた。勘づいた末造に厭味を浴びせられたお玉は、明瞭に自分の意志を、ついに一つの叫びに替える。
「放して!私もう、縛られたくないんです!…卑怯です、あなた!お金でばかり私を縛ろうとする!もう、沢山!イヤ!」
男を確信的に振り切るようにして、彼女は表に飛び出た。走り続けて止まったところで、馬車の音が近づいてきて、その中で楽しそうに談笑する岡田の顔が、一瞬見えた。ただ呆然と、思いを内側に深々と封印した目で、その馬車の先を追い続けるお玉。まもなく不忍池(しのばずのいけ)の畔に立って、そこに水草を求める雁の群れに眼をやる。群れの中の一匹の雁が夜空に高々と飛び立って、やがて見えなくなった―。

▼ cf. 高峰秀子(たかみね ひでこ、1924~2010) :



▼ cf. 10 Things You Should Know About Hideko Takamine



私感
本作は今回が初鑑賞。
私は幼稚園から高校にかけての“映画少年”時代に、『二十四の瞳』(1954年)と出会って以来、高峰秀子の出演作を、手当たり次第に~旧作・新作を満遍なく~観続けた。今なお、その映像が何らかの形で脳裏に思い浮かぶ作品は、例えば『銀座カンカン娘』(1949年)、『女の園』(1954年)、『浮雲』(1955年)、『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』(1956年)、『流れる』(1956年)、『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、『張込み』(1958年)、『無法松の一生』(1958年)、『笛吹川』(1960年)、『名もなく貧しく美しく』(1961年) 本ブログ〈February 26, 2019〉、『人間の條件 第5・6部』(1961年)等々…。
そんな私がこれまでに見逃してきた作品の一つが、本作『雁』であった。

私は森鷗外の同名原作~文芸雑誌『スバル』に1911年から1913年にかけて連載された小説『雁』~を、既に小学生時代に読んでいた。映画と共に小説を愛好した当時の私が、(学校教師だった父親の影響もあって)日本の作家で最も強く惹かれたのが鷗外。最初に接した小説が『高瀬舟』で、以来小学から中学にかけて、『雁』、『山椒大夫』、『舞姫』、『ヰタ・セクスアリス』、『青年』、『普請中』、『興津弥五右衛門の遺書』、『阿部一族』、『佐橋甚五郎』、『大塩平八郎』などを一心に読み続けたものだった。
『雁』は少年の私の心を揺り動かす作品だった。…貧窮のうちに無邪気に育ったお玉は、結婚に失敗して自殺を図るが果たさず、高利貸しの末造に望まれてその妾になる。女中と二人暮らしのお玉は、大学生の岡田を知り次第に心を奪われていくが、偶然の重なりから二人は結ばれずに終わる…。極めて市井的な一女性の自我の目覚めとその挫折~しょせん叶わぬ恋!~を一種のくすんだ哀愁味の中に描くこの作品は、私の文芸作品・読書史上、永く心に残って忘れがたい名作にほかならない。

高峰秀子はお玉という“薄幸”そのものを背負って生きる女性を生き生きと演じて素晴らしい。所作も表情も胸元も全てが美しい!高峰秀子という非凡な女優は、もともと日本の女が職業的な自立と精神的な自己の確立を目指す役どころを真骨頂としているが、本作では比較的に抑えた演技で、薫り高い鷗外の原作に籠る人生の哀感を見事に体現している。

※本作に付された高峰秀子自身の解説:
「この時の芥川さんのことはよく覚えてる。坂道を歩いていくシーンを撮ってる時、芥川さんが私に聞くんですよ、『どうやって歩けばいいんでしょう?』って。何でそんなこと聞くんだろうって不思議だったけど、『普通に歩けばいいんじゃないの』って言ったら、『僕は普段、坂の上(舞台)ばっかり歩いてるから、こんな石ころだらけの坂道を下駄履いて歩けないんです』って。芥川さんは帝大生の役で、ホウバの下駄を履いてたから、慣れてなかったのね。東野英治郎さんが上手かったねぇ。私の役のお玉を囲う、質屋の主人」(斎藤明美監修『高峰秀子 高峰秀子自薦十三作/高峰秀子が語る自作解説』キネマ旬報社、2010年〈第3刷〉、65頁)。