
作品データ :
原題 Sorry We Missed You (原題は「ご不在につき失礼」といった宅配事業者の不在届を意味しており、主人公リッキーの日常業務から取られている。)
製作年 2019年
製作国 イギリス/フランス/ベルギー
配給 ロングライド
上映時間 100分
『麦の穂をゆらす風』『わたしは、ダニエル・ブレイク』と2度にわたり、カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞した、イギリスの巨匠ケン・ローチ(Ken Loach、1936~)監督作品。イギリスのニューカッスルを舞台に、現代が抱えるさまざまな労働問題に直面しながら、懸命に生きるある家族の姿が描かれる。脚本は『カルラの歌』(1996年)でローチ監督と初めて組み、以降のほぼ全てのローチ作品を担当し、名作を生み出し続けるポール・ラヴァティ(Paul Laverty、1957~)。
一家の父親役には、配管工として20年以上働き、40歳を過ぎてから俳優を目指したという、まさにローチ監督作品にふさわしいバックグラウンドを持つクリス・ヒッチェン(Kris Hitchen)。オーディションで抜擢され、怒りや悲しみなどマイナスの感情に流されやすく世渡りも下手だが、ひたすら家族を想う不器用な父親を情感豊かに演じる。一家の母親役には、TVシリーズで小さな役を演じてきたが、映画は本作が初出演となるデビー・ハニーウッド(Debbie Honeywood)。やはりオーディションで選ばれ、子供たちに無償の愛を注ぐだけでなく、介護する相手を自分の親と思って接することをモットーとしている慈愛に満ちた母親を、全身から溢れる優しさと心(しん)の強さで体現。
ストーリー :
イギリス・ニューカッスルに住むある家族。ターナー家の父リッキー(クリス・ヒッチェン)は、マイホーム購入の夢をかなえるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立を決意。「勝つのも負けるのもすべて自分次第。できるか?」と本部のマロニー(ロス・ブリュースター)にあおられて、「ああ、長い間、こんなチャンスを待っていた」と答えるが、どこか不安を隠し切れない。
母のアビー(デビー・ハニーウッド)は、パートタイムの介護福祉士として、時間外まで1日中働いている。リッキーがフランチャイズの配送事業を始めるには、アビーの車を売って資本にする以外に資金はなかった。遠く離れたお年寄りの家にも通うアビーには車が必要だったが、1日14時間週6日、2年も働けば夫婦の夢のマイホームが買えるというリッキーの言葉に折れるしかなかった。
個人事業主とは名ばかりで、理不尽なシステムによる過酷な労働条件に振り回されながらも働き続けるリッキー。一方、介護先へバスで通うことになったアビーは、長い移動時間のせいでますます家にいる時間がなくなっていく。16歳の息子セブ(リス・ストーン)と12歳の娘ライザ・ジェーン(ケイティ・プロクター)とのコミュニケーションも、留守番電話のメッセージで一方的に語りかけるばかり。家族のために身を粉にして働く両親を、子供たちは少しでも支えようとし、互いを思いやり懸命に生きる家族4人。だが、一家団欒の時間が奪われていく中、2人の子供は寂しい想いを募らせていった。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう…。
▼予告編
◆ケン・ローチ監督 インタビュー(MOVIE Collection-「仕事が家族を破壊する─日本でも起きている問題を英国巨匠が描く」2019/12/11) :
──本作のアイディアはどこから得られたのですか?
監督:前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』のリサーチのために出かけたフードバンク(まだ食べられるにもかかわらず、さまざまな理由によって市場で流通できなくなった食品を、企業から寄附を受けて生活困窮者などに届ける活動、あるいはその活動を行う組織)のことが心に残っていました。フードバンクに来ていた多くの人々が、パートタイムやゼロ時間契約(雇用者の呼びかけに応じて従業員が勤務する労働契約)で働いていたのです。いわゆるギグエコノミー(インターネット経由で非正規雇用者が企業から単発または短期の仕事を請け負う労働環境)、自営業者あるいはエージェンシー・ワーカー(代理店に雇われている人)、パートタイムに雇用形態を切り替えられた労働者について、私と脚本家のポールはしばしば話していて、次第に“もう一つの映画にしよう”というアイディアが生まれました。個々の労働者に対する搾取のレベルだけでなく、彼らの家庭生活への影響と個人的な関係にどのように反映されるかということでした。
──本作のリサーチは、どのようにされたのですか?
監督:リサーチのほとんどはポールがやってくれました。その後、私たちは一緒に何人かの人に会いました。口が重いドライバーたちも多かったのですが、彼らは自分たちの仕事にリスクを負わせたくなかったのです。また、撮影場所からあまり遠くないところにあった集配所の親切な男性マネージャーが集配所のセットを建てるのに的確なアドバイスをくれました。出演しているドライバーたちはほぼ全員、現役か元ドライバーです。彼らは仕事の段取りや仕事を素早く成し遂げることのプレッシャーを理解していました。
──リサーチで最も印象に残ったことは何ですか?
監督:驚いたのは、人々が慎ましい生活をするために働かなければならない時間の長さと仕事の不安定さです。彼らは自営業者なので、もし何か不具合が生じたら、すべてのリスクを背負わなければなりません。例えば、宅配用のバンには不具合が生じることもありますし、配送がうまくいかなければ制裁を受けて大金を失うことになります。介護福祉士は訪問介護をしても最低限の賃金しか受け取れません。
──本作の登場人物について。父親のリッキーはどのような人物ですか?
監督:リッキーは建設作業員として真面目に働き、マイホームを購入するために十分な貯蓄をしてきましたが、銀行と住宅金融組合の破綻が同時に起こり住宅ローンを組めなくなってしまいました。建設業が痛手を被ったために彼は職を失い、たくさん稼げそうな宅配ドライバーとして働く決意をします。一家は賃貸住宅に住んでいて、借金苦から抜け出すのに十分なほどは稼げていません。彼らのような状況にいる人々は、慎ましい収入を得るためにへとへとになるまで働かなければならないのが現状です。
──母親のアビーについては?
監督:アビーは幸せな結婚生活を送っている母親で、夫との間には愛情と友情があり、子どもたちにとって良い親になろうと努力しています。ただ、彼女の問題は、子どもたちの世話をどうするか、ということです。彼女は低賃金の介護の仕事で夜遅くまで家に戻れないので、子どもたちに電話で指示をしています。そんなやり方ではうまくいかないでしょう。
──二人が築きあげたものは何ですか?
監督:子どもたちです。息子のセブは16歳ですが、両親が不在のことが多いため、道を踏み外していきます。彼には両親が気づいていない芸術的な才能がありますが、両親にとっては問題児です。保守的な父があれこれ言いますが、彼は言うことを聞きません。娘のライザ・ジェーンはとても聡明で、家族の仲裁役となります。彼女はみんなにハッピーになってほしいのです。
──ニューカッスルでの撮影はいかがでしたか?
監督:私たちのいつもの撮影と同様に順撮りをしました。俳優たちには物語がどのように終わるかを知らせず、それぞれのエピソードはその場で初めて伝えました。事前に家族のリハーサルを行いましたが、その後、5週間半にわたって撮影を行いました。チャレンジしたことの一つは、荷物の集配所を正しく理解すること。正確なプロセスを知り、みんなにその仕事をきちんと理解してもらわなければなりませんでした。そのうえで、この作品をドキュメンタリーのように撮影しました。
──本作では、どのような問題が提起されていると思いますか?
監督:このシステムは持続可能か、ということです。1日14時間くたくたになるまで働いているドライバーを介して買った物を手に入れるということが、持続可能と言えるのでしょうか? 自分で店に行って店主に話しかけることよりもよいシステムなのでしょうか? 家族や友人関係にまで影響を及ぼすプレッシャーのもとで人々が働いて人生を狭めるような世界を私たちは望んでいるのでしょうか? これは市場経済の崩壊ではなく、むしろ反対で、経費を節減し、利益を最大化する苛酷な競争によってもたらされる市場の論理的な発展です。市場の関心は、私たちの生活の質ではなく、金を儲けることです。ワーキング・プア、つまりリッキーやアビーのような人々とその家族が代償を払うのです。しかし、最終的には、観客の方々が本作の登場人物に信頼を寄せ、彼らと共に笑い、彼らのトラブルを自分のことと思わなかったら、この映画には価値がありません。彼らの生きてきた証が本物だと認識されることで観客の琴線に触れるのです。
■私感 :
私は『麦の穂をゆらす風』(2006年)~アイルランド独立戦争とその後のアイルランド内戦を背景に、1921年の「英愛条約」をめぐって対立することになる二人の兄弟を描く~と出会ってケン・ローチ監督作の大ファンとなった。以来、『この自由な世界』(2007年)→『エリックを探して』(2009年)→『ルート・アイリッシュ』(2010年)→『天使の分け前』(2012年)→『ジミー、野を駆ける伝説』(2014年)本ブログ〈February 14, 2015〉→『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)本ブログ〈March 12, 2018〉を、日本公開順に観続けてきた。
ローチの作品の数々は、説得性に富むリアリティーを持った、実に見応えのある秀作ぞろい。とりわけ労働者階級や移民の人々など社会的弱者の人生に、鋭く切り込みながらも温かな眼差しを注ぎ込む彼の思想的姿勢は刮目(かつもく)に値するもので、わが胸を激しく揺さぶってやまない。
非正規社員であるギグワーカーの置かれた過酷な労働環境に光を当てた今作。そこでは、グローバル経済が加速している〈今〉、労働者の「職業」が尊重されずビジネスの論理~雇用主が意のままに労働時間を決定する“ゼロ時間契約(Zero Hour Contract)”~が労働の質や家族関係などの「社会」を蝕(むしば)む様子~英国や米国、日本などで共通する問題状況~がつぶさに描かれている。
私は83歳を迎えた名匠の最新作を見入りながら、以前にも増して痛烈に教えられた。世界の片隅の小さな存在(弱き者)が被っている不公平や理不尽さを見つめ、あくまでも我が事として受け止め、怒り、悩み、考えなければならない、と。
暴漢に襲われ手酷く負傷したリッキーが家族の制止を振り切ってバンに乗り込み仕事へと向かうラストシーンは、死へのハイウェイさながら。この主人公が追い込まれた苦境を了察するとき、思わず絶望感を味わわされつつも希望が絶望に取って代わるためには…と必死に考え込む私だった。