奈良 菅原の菅原東遺跡は野見宿禰が土師宿禰になって一族で埴輪を作った窯の跡の奇妙な公園です | 誰も行かない観光地をめぐる奇妙なトラベラーたかぼんブログ

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奇妙な物、奇妙な出来事に会わずして旅行といえない!!人は旅に行くことによって、自分と違う土地、違う食事、違う習慣、違う考えを見て、それらを認め合うようになるのです。あるいは、自分を発見するのかもしれません。人類の平和のためにLet's go トラベル

奈良菅原天満宮の直ぐ東側に
 
住宅地の中にゴミ捨て場の緑の籠と石段が
見えてきますキョロキョロ
 
ここが古墳時代天皇陵の埴輪を作った
窯の跡が菅原東遺跡です
 
菅原東遺跡
 
 
草ぼうぼうですニヤリ
 
裏側には近鉄橿原線との近鉄電車の
広大な検車区があります
 

近鉄車輌がずらりと並ぶびっくり

 

馬の埴輪が草に埋まっています

 

 

この埴輪を作っていたのは土師(はじ)氏で

先祖は野見宿禰(のみのすくね)ですニヤリ

 

出雲出身の野見宿禰垂仁天皇の命で
当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲を取り
 
勝って
ポーン
當麻の地を支配して
大和で出世の糸口を得ます
びっくりびっくり
埴輪型の椅子とテーブル
 

朝顔形円筒埴輪の周りに円筒埴輪

並んでいますが草ぼうぼうですウインク

 

垂仁天皇の皇后日葉酢媛命(ひばすひめの

みこと)が亡くなった時に

 

天皇は殉死をどうするか家来たちに聞く

 

その時

 

野見宿禰出雲の土師部100人を連れてきて

埴輪をつくり見せて

 

このような埴輪を立てたらどうですかと

進言したらしいウインク

 

天皇喜んで埴輪案を採用し天皇家の葬儀は

野見宿禰に委託されたえー

 

天皇から土師臣(はじおみ)の姓を与えられ

代々の天皇の葬儀を司ることになりました

(日本書紀)

 

土師氏が埴輪を作っていたのがここですポーン

 

菅原東遺跡説明板

 

 

昭和の頃までの日本史の学者は

埴輪の起源譚」といってましたが

 

いやいや!

出雲では以前から埴輪を作っていて

職人がいたから埴輪を作って持って

来ることが可能だったのでしょう

 

こんな風に埴輪を焼く窯があったようです

 ↓

 

上の図で見るとここが溝跡

 

窯の跡がこちらみたいですねニヤリ

 
5号窯の跡がここなのですね!
びっくり
 奥の方に温室のような建物を発見!

 ↓

 

中を覗くと

発掘当時の姿で残した窯跡ですポーン

 ↓

 

結構大きなものなのですね!ウインク

 

 

1500年前の埴輪を焼いた3号窯の跡です

 

 

ここでは円筒埴輪朝顔形埴輪人物

太刀(きぬがさ)、(ゆき)

などが作られましたニコニコ

 

 

全体図

 

 

6個の窯の跡があったようです

できた埴輪は秋篠川から運ばれたようですウインク

 


それから数百年後菅原道真の曾祖父

土師古人天応元年(781年)が

 

桓武天皇に願い出て菅原という姓に

変えてもらったびっくり

 
野見宿禰腕力埴輪で天皇に仕え
菅原古人学問で天皇に仕えていたからです
ウインク
時代と共に仕える方法が変わったわけです
 
時代と共に新しい治療法に変わる歯科医院は
 
たかぼん
 
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菅原東遺跡埴輪窯跡群 マップ