奈良の菅原天満宮の直ぐ東側に
住宅地の中にゴミ捨て場の緑の籠と石段が
見えてきます
ここが古墳時代天皇陵の埴輪を作った
窯の跡が菅原東遺跡です
菅原東遺跡
草ぼうぼうです
裏側には近鉄橿原線との近鉄電車の
広大な検車区があります
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近鉄車輌がずらりと並ぶ
馬の埴輪が草に埋まっています
この埴輪を作っていたのは土師(はじ)氏で
先祖は野見宿禰(のみのすくね)です
出雲出身の野見宿禰は垂仁天皇の命で
当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲を取り
勝って
當麻の地を支配して
大和で出世の糸口を得ます
埴輪型の椅子とテーブル
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朝顔形円筒埴輪の周りに円筒埴輪が
並んでいますが草ぼうぼうです
垂仁天皇の皇后日葉酢媛命(ひばすひめの
みこと)が亡くなった時に
天皇は殉死をどうするか家来たちに聞く
その時
野見宿禰が出雲の土師部100人を連れてきて
埴輪をつくり見せて
このような埴輪を立てたらどうですかと
進言したらしい
天皇喜んで埴輪案を採用し天皇家の葬儀は
野見宿禰に委託された
天皇から土師臣(はじおみ)の姓を与えられ
代々の天皇の葬儀を司ることになりました
(日本書紀)
土師氏が埴輪を作っていたのがここです
菅原東遺跡説明板
昭和の頃までの日本史の学者は
「埴輪の起源譚」といってましたが
いやいや!
出雲では以前から埴輪を作っていて
職人がいたから埴輪を作って持って
来ることが可能だったのでしょう
こんな風に埴輪を焼く窯があったようです
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上の図で見るとここが溝跡で
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窯の跡がこちらみたいですね
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奥の方に温室のような建物を発見!!
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中を覗くと
発掘当時の姿で残した窯跡です
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結構大きなものなのですね!
1500年前の埴輪を焼いた3号窯の跡です
ここでは円筒埴輪、朝顔形埴輪、人物、馬
鳥、家、盾、太刀、蓋(きぬがさ)、靭(ゆき)
などが作られました
全体図
6個の窯の跡があったようです
できた埴輪は秋篠川から運ばれたようです
それから数百年後、菅原道真の曾祖父
土師古人が天応元年(781年)が
桓武天皇に願い出て菅原という姓に
変えてもらった
野見宿禰は腕力と埴輪で天皇に仕え
菅原古人は学問で天皇に仕えていたからです
時代と共に仕える方法が変わったわけです
時代と共に新しい治療法に変わる歯科医院は
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たかぼん
奇妙なトラベラー菅原天満宮ブログ
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菅原東遺跡埴輪窯跡群 マップ