石のりっぱな鳥居ですねー!
手水舎
水盤には水がたたえられています
足らない時には蛇口をひねってください
という形式
拝殿
御祭神
天穂日命 あめのほひのみこと
天照大神の子供で出雲国造のご先祖
野見宿祢 のみのすくね
相撲で当麻の地をもらった、土師氏の先祖
菅原道真 すがわらみちざね
左遷して怨霊から神様になった
平安時代のスーパースター
扁額
りっぱな銅板の扁額ですねー!
「天満宮」と書いてあります
天穂日命→出雲国造→野見宿禰→土師氏
→菅原氏→菅原道真と菅原一族は続く
銅の燈籠
また銅の燈籠が本当に風情があります
神牛(なで牛)
左右に大小の撫で牛がいっぱい並んでいます
なぜ牛なんだというと!!
菅原道真は丑年に生まれ
太宰府に左遷された時暴漢から牛が助け
丑の日に亡くなったからだそうです
賜姓菅原起因碑
菅原道真の曽祖父菅原古人が天応元年(781年)
桓武天皇に願い出てこの神社の地名菅原を
姓にして菅原氏が生まれるのです
ここは菅原氏誕生の地です
以前の姓が土師(はじ)姓で天皇の葬儀を
執り行っていた一族だが
菅原古人は学問で朝廷に仕えていた
ので違和感があったのでしょう
筆塚
学問の神様ですから慕って筆塚があります
奈良は筆や書道が有名ですからね!
毎年春分の日に奈良筆祭りをしているらしい
常な里梅(じょうなりうめ)
一年中実がなるというめずらしい梅らしい
菅原道真というと有名な和歌
こちふかば 匂いおこせよ 梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ
*東風が吹いたら妙なる香りを起こしてくれ
主人が居なくなったといって春を忘れるなよ
境内で盆梅が栽培されていました
2月~3月に盆梅展をやっています
↑
小さな盆梅を手入れされていました
菅原姓にした菅原古人(ふるひと)は
従五位下侍読(天皇の学問の教授)を
やっていました
古人が亡くなった時、貧乏すぎて
子供の衣服と食糧を朝廷から支給された
ちょっと大きな盆梅
↓
古人の息子菅原清公(きよきみ)は文章博士
で従三位の公卿になった自宅の山陰亭で
私塾をやっていて大評判!
もちろん貴族相手です
こんな日差しの強いのにベンチがある???
どうも前の盆梅を見るためのベンチらしい
↓
清公の子供菅原是清(これきよ)は当代一流
の文人で参議従三位行刑部卿にまで
大出世しました
住んでいた家は御所の横にある菅原院神社
の場所です詳しくはここ
是清の子供が菅原道真(みちざね)超天才で
中央集権を目指す宇多天皇に重用されて
大出世しました
醍醐天皇の時に従二位右大臣まで出世するが
左大臣藤原時平(ふじわらのときひら)に
讒言され大宰府に左遷されるのです
楠と燈籠
左遷されて2年後
延喜3年(903年)2月25日に大宰府で薨去
した享年59才です
死後
政敵藤原時平が39才で病死して
名だたる人々が事故死や病死をする
極めつけは御所の清涼殿で朝議中に落雷で
公卿、官人が多数死亡した清涼殿落雷事件
一番神聖なはずの清涼殿で死体がウヨウヨ
清涼殿の死体を見て醍醐天皇は気分が
悪くなり3か月後に崩御
これは菅原道真の怨霊よるとしか思えない!!
おかげで日本国中に菅原道真を祀る天満宮が
でき、菅原道真が神様として祀られ
受験の時の強い味方ができました
この神社や御先祖の業績を見る限り
菅原院が怨霊になるようなタイプでは
ないように思われますね〜!
歯周病にならないようにするのは
↓
たかぼん
奇妙なトラベラー菅原院天満宮ブログ
https://ameblo.jp/sbi39/entry-12259418469.html
菅原天満宮HP
http://www.sugawaratenmangu.com/
菅原天満宮 マップ