エジプト ルクソール県はなんと人口
127万人も住む大都市です
しかし
ナイル川を渡って西岸に行くと農地と砂漠
なんやこの真っ赤な大地は!
真っ赤な大地
よくよく見てみると赤いものを干している
なんと白いシートにトマトを並べています
乾燥トマトを作っているようです
乾燥トマト製作中
右手の方はシートを張っていまからトマトを
並べてようとしています
凄い規模ですね~~~!
乾燥トマトを作る途中
こんな農地のど真中にメムノンの巨像が
あります
メムノンの巨像
「石像だけ~~!宮殿どこ?」
と言われそうですが
この巨大な壊れたアメンホテップ3世の
巨大な2体の巨像は2000年前から
の超人気遺跡です
メムノンの巨像(アメンホッテプ3世像)
アメンホテップ3世(BC1386-1349年)は
ツタンカーメンの祖父でここに大きな
葬祭殿が後ろにあったのですが・・・
アメンホッテプ3世葬祭殿の復元図
*BONECHI社ルクソール日本語版より
後のファラオメルエンプタハ(BC1212-
1202年)が自分の葬祭殿のために石材を
使ったので葬祭殿は無くなりました
しかも
BC27年エジプト大地震で破壊され
ました
ところが・・・
壊れてから右手のアメンホテップ3世像が
朝日を浴びると長く呻くような音を立てる
ようになりました
ウゥ~~~~!!
近くで見るとめちゃくちゃデカイ!
から音が出ると不気味です!
北側(右手)のアメンホテップ3世像
地震の頃はギリシャ人が支配者のグレコ・
ローマン時代(BC304-AD395年)だった
のでギリシャ詩人達がトロイの伝説と結び
つけました
夜明けに呻いたアメンホテップ3世石像
こんな伝説です
ギリシャとトロイが戦争したトロイア戦争
(AD1200年頃)の時にトロイに味方した
のがエチオピア軍です
暁女神オエスとトロイの王子ティトノス
の間の息子メムノンをエチオピア軍援軍
としてトロイに派遣します
壊れたアメンホテップ3世像の足
メムノンは幾多の手柄をたてますがギリ
シャの英雄アキレスに討ち取られ死んで
しまいました
母のオエスは嘆き悲しみ、主神ゼウスに
せめて1日一度は息子を生き返してもらえ
るようにお願いしました
すると、毎朝、母が朝日で死体を撫でる
とメムノンは蘇って呻き声で母に挨拶
したらしい
ウゥ〜〜〜!
石像の足にある落書き
それで
地震のあとに朝日で呻くこの巨像は
「メムノンの巨像」とよばれました
たちまちエジプトの観光名所になり
エジプト総督アウレリウス・ガルスや
2世紀に「ギリシャ案内記」を書いた
地理学者パウサニウスも呻いている
ことを書いています
それでいろんな古代人から近代人まで
来て落書きを残しています
多くはローマ文字で書かれていますね!
北側(右手)のアメンホテップ3世像
ローマ皇帝セプティミウス・セウェルス
(146-221年)も見学に来てこの石像の
落ちていた上半身を取り付けると呻く
声は無くなったそうです
残念!!!
もっともこの上半身をどうやって元通り
取り付けたんでしょうか・・・?
南側(左手)のアメンホテップ3世像
こちらは北側に比べて地震の被害が少な
かったはずですが2000年もたつとこんな
に潰れています
頭にハト
ハトは頭にたくさん停まっています
ハトは上からたくさんの観光客を見ている
んでしょうね
観光気球
ルクソール観光のたくさんの気球も上がって
もっと上から遺跡を見ています
グーグルマップ
こんな風景なんでしょうか?
真中の細長い飛行場のようなところがメム
ノンの巨像のあるアメンホテップ3世葬祭殿
があった所です
広いですね~~~~!
メムノンの巨像の後ろの石像
これもアメンホテップ3世の石像です
これらの石像はカイロ近郊のケベル・アル
=アフラムから630㎞も先から運ばれて
いるというから恐ろしい
さらに西側には発掘調査されたいる場所
もあります
発掘中の現場
まだまだ発掘するところは延々とあります
延々と発掘続けるようです
延々と歯を守りたいひとはこちら
たかぼん
絶対見ておきたいエジプトの巨像たち
https://www.youtube.com/watch?v=ZQWPXG9dVVg
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